三菱自動車工業

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三菱自動車工業株式会社
MITSUBISHI MOTORS CORPORATION
種類 株式会社
市場情報 東証1部 7211
~上場中大証1部 7211
~上場中
略称 三菱自,三菱自動車,三菱自工,三菱
本社所在地  
東京都港区芝五丁目33番8号
電話番号 03-3456-1111
設立 1970年4月22日
業種 輸送用機器
事業内容 自動車製造,販売
代表者 益子修 (代表取締役社長)
資本金 657,336百万円(2006年3月現在)
売上高 2,120,068百万円(2006年3月現在 連結)
総資産 1,557,570百万円(2006年3月現在 連結)
従業員数 34,911人(2006年3月現在 連結)
決算期 3月
主要株主 三菱重工業 15.3%
三菱商事 14.11%
三菱東京UFJ銀行 4.89%(2006年9月末現在,共同保有の代表分を含む)
主要子会社 ミツビシ・モーターズ・ノース・アメリカ・インク(北米三菱自動車)
ミツビシ・モーターズ・クレジット・オブ・アメリカ・インク
ミツビシ・モーターズ・ヨーロッパ・ビー・ブイ
北海道三菱自動車販売
西日本三菱自動車販売 他
関係する人物
外部リンク http://www.mitsubishi-motors.co.jp
特記事項:

三菱自動車工業株式会社(みつびしじどうしゃこうぎょう、MITSUBISHI MOTORS CORPORATION)は、三菱グループに属する日本自動車製造者の一つで、1970年三菱重工業から独立した。

三菱重工業とクライスラーとの合弁事業としてスタートし、1993年までクライスラーと資本提携していた。その後、2000年からドイツに本拠を置くダイムラー・クライスラーと資本提携関係となったが、現在は解消。技術提携関係は現在も継続されている。

2003年には、トラックやバスなど大型車事業を分社化した。(左記のブランドに関しては三菱ふそうトラック・バスを参照

モータースポーツ事業に力を注ぎ、世界ラリー選手権(WRC)やパリ・ダカール・ラリーに参戦し、総合優勝をはじめとした好成績を多く残している。「ランサー」と「パジェロ」はあまりにも有名である。また、Jリーグ浦和レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)の親会社でもある。

概要

  • 自動車検査証では「三菱」と表記されるが、一般的な通称は「三菱自動車」である。「三菱自工」と略することもある(例・水島臨海鉄道三菱自工前駅)。
  • 1976年~1982年ごろまで、三菱のイニシャルであるアルファベットの“M”を模したエンブレムを付けていたが、いすゞホンダと間違えられがちだったため1980年代~1990年代中ごろには英文社名からの略「MMC」をシンボルマークとし、シンボルのスリーダイヤも消えていた時期もあったが(ふそうの中大型商業車のステアリングホイールにはちゃんとスリーダイヤが刻印されていた)、インターネットでのドメイン名「mmc.co.jp」が同じ三菱グループ三菱マテリアルに先に使われたこともあって現在MMCは欧文でのニュースリリース以外ではほとんど使われていない。(三菱ふそうバス製造ではMMCロゴが2003年頃まで窓ガラスに使われていた)

沿革

  • 1870年 - 海運会社九十九(ツクモ)商会(後の三菱重工業)の自動車事業部門として誕生。
  • 1893年2月 - 三菱合資会社を設立。
  • 1917年10月 - 三菱造船として独立。
    • 三菱造船神戸造船所で三菱A型乗用車製作。
  • 1934年4月 - 三菱造船は三菱重工業に社名変更。
  • 1950年1月 - 過度経済力集中排除法により東日本重工業、中日本重工業、西日本重工業3社に分割され、自動車事業部門は中日本重工業となる。
  • 1951年 - 東日本カイザーフレーザー社がヘンリーJ販売開始。
  • 1952年 - ジープの製造を開始。
    • 5月 - 日本国との平和条約により、三菱の商号や商標の使用も許され、東日本重工業、中日本重工業はそれぞれ三菱日本重工、新三菱重工業に社名変更。
  • 1954年 - 三菱日本重工、本国での生産中止にともないヘンリーJ生産を終了。
  • 1959年 - 軽3輪トラックの「レオ」を発売。
  • 1960年 - 戦後初の自社開発乗用車、三菱500を発売。
  • 1962年 - 軽自動車ミニカ発売
  • 1964年6月 - 1950年に分割された3社が再び合併し、三菱重工業となる。
  • 1969年 - コルトギャランを発売。
  • 1970年2月 - 三菱重工業とクライスラーが合弁事業に関する契約締結。
  • 1970年6月1日 - 三菱自動車工業として独立。
  • 1971年 - 北米のクライスラーチャンネルでコルトギャランが販売される。
  • 1973年 - 韓国現代自動車と技術援助契約締結。ランサーを発売。
  • 1974年 - 第22回サファリラリー優勝。
  • 1978年 - 乗用車の第二販売チャネルとしてカープラザ店を設立。従来の販売チャネルはギャラン店へ。他社と違い、ディーラーの社名はどちらも「○○三菱自動車販売株式会社」なので、社名だけで見分けることはできなかった。
  • 1981年 - 米国三菱自動車販売を設立。
  • 1984年 - 三菱自動車販売を合併。
  • 1985年 - アメリカ合衆国にダイヤモンド・スター・モーターズ(DSM)設立。
  • 1988年 - 松任谷由実のコンサートツアーに協賛を開始。
  • 1988年 - 東京大阪名古屋の証券取引市場第1部に株式上場。
  • 1989年 - 岡崎研究所内に三菱オートギャラリーを開館。
  • 1991年 - オランダ政府、スウェーデンボルボとオランダで乗用車合弁生産契約に調印。NedCar(ネッド・カー)発足。
  • 1992年 - 初代ランサーエボリューションを発売。
  • 1993年 - パジェロがパリ・ダカールラリー総合優勝。
  • 1994年5月 - ベトナムにプロトン等との合弁会社ビナスター・モーターズ(Vinastar Motors)を設立。
  • 1996年 - GDIエンジンがRJCテクノロジー・オブ・ザ・イヤー受賞。
    • 米国三菱自動車製造(MMMA)で大型のセクハラ訴訟がおこる。
  • 1997年 - GDIエンジンが、日本自動車技術会賞/技術開発賞を受賞。
    • 総会屋への利益供与事件を摘発
  • 1998年 - ランサーエボリューションがWRC完全制覇。
  • 1999年 - ボルボと資本・業務提携。
    • トミ・マキネンが前人未到WRC4年連続ドライバーズチャンピオンを達成、記念としてランサーエボリューションVIトミマキネンエディションを発売
  • 2000年 - 道路運送車両法違反(リコール隠し)が発覚、河添社長が辞任。本社等の強制捜査を受ける。詳しくは三菱リコール隠しを参照。
    • 10月18日 - ダイムラー・クライスラーと資本・業務提携。
  • 2003年 - ギャラン店とカープラザ店が統合。
  • 2004年
    • 3月9日 - プロトンの保有株式(7.93%)を全株売却し、資本提携を解消する。
    • 4月 - ダイムラー・クライスラーが経営追加支援の中止を発表。三菱グループ主導で再建へ。再建計画では、京都への本社移転、岡崎工場の閉鎖、コンプライアンスの徹底などを訴えた。
  • 2005年
    • 1月 - 赤字が拡大したことなどから、2004年に就任した一部の取締役陣が退任し、新取締役陣が就任。
    • 1月17日 - 日産自動車との包括的な事業提携。日産にeKワゴン・スポーツ(日産名:オッティ)を新たに年間3万6000台の予定で供給することを発表。同時に2社で軽自動車製造の新会社創設説も浮上したが、撤回となった。
    • 1月28日 - 新経営計画「三菱自動車再生計画」を発表。三菱グループ三菱重工業三菱商事東京三菱銀行に増資などの追加支援を要請。これによって三菱重工の出資比率が15%を超えるために持分法適用による連結対象会社となり、同社の傘下で再建を目指すこととなった。
    • 2月4日 - フランスPSA・プジョーシトロエン(PSA)に、日本で同年10月に発売されたアウトランダーを年間3万台規模でOEM供給すると発表。
    • 11月11日 - ダイムラー・クライスラーが全株式を売却。資本関係の解消。
    • 12月 - 市場低迷を理由に、中型・大型セダン市場から撤退。ギャラン、ディアマンテの国内生産・販売終了。
    • 12月12日 - 三菱重工業の持分法連結会社となる。
    • 12月14日 - 2006年度からWRCワークスチームの活動を経営再建に徹するため休止することを発表。
  • 2006年
  • 2007年
    • 1月5日 - 本社を品川グランドセントラルタワーから旧本社ビルであった第一田町ビル(東京都港区芝)へ再移転。
    • 4月20日 - 中国に於けるブランドキャラクターとしてジャッキー・チェンを起用
    • 4月26日 - 4年ぶりに2006年度当期利益の黒字転換を発表。
    • 6月 - 軽乗用車でもっとも長い歴史を持っていたミニカ(5ナンバー車)の生産が終了。(4ナンバーのバンは継続)
    • 7月1日 - 直系ディーラーの体系を全面的に見直し、越境合併を含む大幅な統合を行なった。
    • 8月23日 -  ギャランフォルティス発売。「ギャラン」の名が国内で復活。

主な開発・生産拠点

日本国内

海外

主要株主

グループ会社

主要連結対象会社

主要持分適用会社

国内現行車種

セダン

SUV/クロスオーバーSUV

ピックアップトラック

ミニバン/1BOX

コンパクトカー/2BOX

軽自動車

その他(ビジネスカーなど)

海外専売車種

今後の車種展開

「今後発売が予想される車種」及び「今後販売終了が予想される車種」、また同様の意味を持つ節の設置についてはプロジェクトとして禁止されています。以下の節の追加には、ソースの明記を義務化する(極力一次ソースを優先する。一般紙・テレビの情報もメーカーに取材した物で、サイトに明記した情報が有れば可とする。)。

メーカーより今後発売が公表されている車種

過去の国内販売車種

トラック・バス

三菱ふそうトラック・バスが分社する前に生産終了したもの

軍用車両

過去の海外販売車種

主な技術

エンジン

  • 3G8型
  • 4A3型
  • 4A9型
  • 4B1型
  • 4G1型
  • 4G6型
  • 4G9型
  • 4M4型

など

関連施設

これらの医療機関は、企業立病院であるが、三菱自動車工業関係者以外も利用可能。

キャッチフレーズ

  • 選ぶのはあなたです(1973年頃)
  • 技術と信頼の三菱(1974年頃)
    • 安全は人と車でつくるもの
    • 安全に走れ。それが一番早いのだ。
  • 燃費の差は技術の差(1981年頃)
  • 燃費は技術1982年頃)
  • 未来を開く技術と信頼1983年頃)
  • ふれ愛輝く(1984年頃)
  • BE BEST for good days いつもベストを(1985年頃・ギャラン店用)
  • sparkling now (1985年頃・カープラザ店用)
  • いい街 いい人 いい車1986年頃)
  • 新技術を、ときめきに。 NEW Motoring Wave1987年頃(6代目ギャラン、3代目ミラージュ発売期から)~1990年頃)
  • あなたと創る Creating Together(1993年頃)
    • もっとクルマをおもしろく。元気、三菱。
  • その差が、三菱。(1996年頃)
  • いいもの ながく(1998年頃)
  • Heart-Beat-Motors(2000年頃~2005年、欠陥騒動のあった2004年あたりからメディアでは使われなくなり、当時は企業キャッチコピーと呼ばれるものがCMに表示されていなかった。2001年5月ごろからは、「New History」というキャッチコピーも展開。)
  • 答は、クルマで出します。(2005年前期、CM以外では使われていない)
  • クルマづくりの原点へ。(2005年9月30日~現在)
  • ミツビシミテカラ(2006年9月~)

提供テレビ番組

現在

過去

特番

提供ラジオ番組

過去

関連項目

製品

人物

スポーツ関連

外部リンク

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