三菱ふそうリコール隠し

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三菱ふそうリコール隠しみつびしふそうリコールかくし)では三菱ふそうトラック・バスリコール隠しについて扱う。

概要

2000年に発覚した大規模な三菱自動車工業のトラック・バス部門(通称三菱ふそう、現在の三菱ふそうトラック・バス)のリコール隠しで市場の信頼を失い、再建途中にあったが、2002年に発生した大型車(大型トラック「ザ・グレート」「スーパーグレート」、大型バス「エアロクイーン」「エアロバス」)のタイヤ脱落事故について、構造上の欠陥およびリコール隠しの疑いが濃いことが明るみに出た。

2004年5月6日に大型車のタイヤ脱落事故で三菱ふそう前会長の宇佐美隆ら7人が神奈川県警察本部などに逮捕された。同日、国土交通省は三菱ふそう前会長の宇佐美隆ら5人と法人としての三菱ふそう・三菱自動車を神奈川県警察本部に告発した。さらに、6月10日には別の事故で元社長の河添克彦・三菱ふそう前会長の宇佐美隆ら7人が神奈川県警察本部・山口県警察本部などに逮捕された。

そのため、以下の制裁措置を受けている。

  • 国土交通省 - 1週間に1回の報告義務。車両の入札における指名停止。型式審査の厳格化。
  • 警察庁 - 車両の入札における指名停止。

その他、岐阜県岡山県京都府さいたま市倉敷市以外の一部の自治体と地方公共団体も購入禁止処分を発動している。東京都では同処分が2006年に解除された。

国土交通省による制裁により型式審査が厳格化されたため、2004年春以降に届け出た新型車の型式審査が未だに完了していないため、発売ができず、その結果、新排出ガス規制が施行された2004年9月1日以降は新型車の販売が一部を除き不可能な事態に陥っていた。なお、2004年9月28日に型式審査が完了し、国土交通省から販売を許可されたため、順次販売を再開している。

2006年12月13日には、横浜簡易裁判所で行なわれた刑事訴訟にて、過去の報告うち9件は虚偽と認めたが、国交相による報告要求が必要であるにもかかわらず職員がそれを怠り、実質上三菱ふそうに対する国交相からの正式な報告要求がなかったため三菱ふそう元会長の宇佐美隆氏や三菱自元常務の花輪亮男氏ら3名と法人に無罪判決が言い渡されている。閉廷後、被告側は「法を的確に運用した裁判所に敬意を表する。我々を苦しめた警察、検察に猛省を求める」とコメント。 記者会見した弁護団も「捜査に問題があった。初めからフレームが決まっていて、それにはめこむ形で取り調べたのでは」と強く捜査を批判した。

大型車の特殊性

大型車のタイヤ脱輪事故は珍しいことではなく、金属疲労によりタイヤを止めるクリップボルトが折れてタイヤが外れたり車軸が折損してタイヤだけ転がる等が多く起こっている。

これは多くは過積載や悪路の走行、車の不正改造等使用方法に起因するもので今回の事件でも三菱だけが一方的に責められることに懸念を示しているトラック業界や整備業界での意見でもある。実際に横浜母子死傷事故での問題の車両はNR装置(速度制限装置)を故意に外していたりフロントホイルにひびが入っていたり使用方法にも問題があったとの見解を示している(下記三菱車母子死傷事故初公判を参照)。

また、国土交通省が今回の事件を受けて1999年以降の脱輪事故の実態を調査したところ、ハブ破断によるものが54件であったのに対して、ボルトの折損による脱輪は211件に上ってたという調査結果を明らかにした。

事実、2006年12月5日大阪府守口市で発生した脱輪事故の場合では、運送業者が納車後に冬用タイヤへの付け替えを自主的に行なう際に、規格外のナットを使用したことが原因となっている。なお、今回の調査結果を受けて、国土交通省は省令を改正し、ボルトの適正な締め付けを義務化する方向で検討している。

しかしながら、2006年12月には、同社系列の整備工場259カ所のうち、約4割にあたる101カ所でハブの摩耗量確認を行なっていなかったことが同社の調査で明らかになった。同社サービス技術部門からの指示が、ハブの検証を行なう品質保証本部に伝わらないままであったことが原因で、社内での連携が潤滑に行なわれていない実態を明らかにした。

偏向報道とバッシング

2000年のリコール隠しに続き今回の事件も、タイヤ脱輪や車両火災等を利用した映像、記事を巧みに利用したマスメディアの過剰とも言える三菱バッシング、偏向報道が問題になった。特に車両火災事故については全国で毎年6,000~8,000台発生し、1日平均20台以上は事故に遭遇しているにも関わらず、今回の事件に便乗して三菱車の車両火災ばかりを特定して報道する姿勢が見られた。

この他、メディアの報道ではタイヤが脱輪した車を「三菱製トレーラー」と記述されているものが多いがこれは誤記で「三菱製トラクター」と呼ぶのが正しい。トレーラーは牽引されるほうの車であり、トラクターは牽引するほうの車である。そして三菱ではトレーラーは製造されていない。このように所々にメディアの無知や誤認による誤報も数多く見受けられた。この姿勢は民放各局によるNHKバッシングに近いともいわれている。

三菱車母子死傷事故初公判

検察側冒頭陳述(要旨)
  • 犯行に至る経緯
三菱自の品質保証部門は、1977年ごろから運輸省に発覚した2000年7月ごろまで、不具合など品質に関する情報について、リコール等の改善措置を避けるため、運輸省に開示してもリコール等の改善措置にあたらない情報や、運輸省にすでに把握されている不具合情報だけをオープン情報として開示。その他は秘密情報として隠すなど、不具合情報を区別して管理する二重管理を行っていた。
特に、直接または二次的に人身事故の発生につながるものは、リコール等の改善措置にあたるおそれが大きいことを理由に、大半を秘匿情報としした。重大事故発生の危険性が大きいトラックやバスに関する情報はその大半を秘匿情報とした。
運輸省の立ち入り検査に際しては秘匿情報に関する書類を倉庫に移動するなどして隠した。1992年以降は運輸省の立ち入り検査の際にコンピューターを操作、秘匿情報を表示できないようにした。
二重管理の方法はマニュアル化し、関連部門や販売会社にも徹底した。
運輸省に情報の二重管理が発覚するのを免れるため、過去に同種の不具合はない旨報告するか、仮にオープン化するにしても比較的新しい情報のみに限って開示するにとどめるのが通例だった。
  • 犯行状況
    • 1件目のハブ輪切り破断事故
    1992月6月、三菱自製大型トラックが走行中、左フロントホイールハブが輪切り状に破断して脱輪する事故が発生。当時の新規生産車両に装着されていたCハブとは異なるBハブが装着されていた。
    三木被告は調査を指示したが、事故情報はリコール等の改善措置を回避するため秘匿情報として管理することとした。その後の調査でCハブにも亀裂の発生が見つかりB、Cハブの強度不足が判明した。
    • Dハブ量産化と対策会議
    そのため三木被告は1992年11月からクレーム対策会議を主催。設計部員からDハブを設計済みなことを聞き、通常3回以上は実施する試験を1回しか実施していない量産化を不十分と思ったが、了承した。
    三木被告はこの会議を早期に終了させたい上司の意向を受け、Cハブ以前のハブが装着されている既販車の対策は行わないことを決定、1993年7月に会議を打ち切った。ハブの摩耗量が判明していなかったのに、整備不良ハブ破断の原因だと結論づけ、フォローを終了した。
    • 2件目の事故
    1994年6月、大型トラックで同様の事故が発生。ハブが未対策で放置していたAハブで、摩耗量が最大でもわずか0.1ミリメートルだったと知ったが、三木被告はクレーム対策会議等で摩耗がハブ破断の原因と結論づけたことに従って秘匿、ホイールナットの締め付け不良による摩粍が原因とする結論を販売会社に送付、対策をしなかった。
    • 3件目以降の事故
    さらに1996年4月に3件目、同9月と11月にはDハブが破断する事故が起き、その後も事故が続発した。1999年3月までにハブ輪切り破断事故は三菱自が把握した限りで計15件発生し、うち9件がDハブの破断だった。
    • 虚偽報告 
    1999年6月の広島県の大型パス脱輪事故について『設計、製造上の要因はない』とする虚偽報告書を三木被告が作成。村川被告は虚偽だと知りながら運輸省への提出を了承した。
  • 事故発生後の状況
三菱自は母子死傷事故の発生後、国交省リコール対策室から原因調査と再発防止策の検討を指示され、その結果を報告するよう要求されたが、原因等について何ら調査することなく、従来通り整備不良に起因する摩耗が原因との主張を続けた。
リコールなどの改善措置をとらず、確たる根拠がないのにハブの摩耗量を無償点検して一定量に達しているもののみを有償交換する自主点検をし、その後無償点検に切り替えるなどの対策をとるにとどまった。
2002年6月27、28曰、国交省による川崎工場への立ち入り検査が行われ過去に交換基準値を下回る摩耗量のハブに破損が発生していたことが判明したが、その後も事故原因は整備不良に起因する摩耗との説明を繰り返した。
弁護側意見陳述(要旨)
村川元部長及び三木元部員には予見可能性はなく、結果回避のための義務も尽くしており、被告らの行為(不作為)と死亡などの結果との因果関係も認められない。いずれの点から見ても2人は無罪である。
  • 本件の対象になっているフロントホイールハブは強度の余裕不足のため、劣悪な使用条件の下で破損事故を発生させているものであり、絶対的強度不足による欠陥品ではない。しかも強度不足は、2002年にワーキンググループを作り数か月にわたって実験や試験を繰り返しても必ずしも明らかになったとはいえない状態である。ましてや起訴の対象となっている1999年6月ないし9月ごろには、三菱自動車内部でハブの強度に関して疑問は持たれていなかった。
  • ハブの破損事故に関しては、1994年のクレーム対策会議で「整備不良が原因であり、ハブの強度には問題がない」という社内的な結論が出ており、その後、この結論を覆すような新たな要素が加わらない限り、さらなる原因調査を再開できる状況ではなかった。
  • 1999年6月に発生した同社製大型バス走行中のハブ破損による前輪脱落不具合に関しては、当時の運輸省から短期間内での原因調査及び回答を求められたため、出来る限りの原因調査を尽くし、結果を報告した。
したがって、2人には予見可能性も結果回避可能性も認められない。
  • 本件事故車両には左フロントディスクホイールに大きな亀裂が生じており、同ホイールのナットの締め付けもばらばらだったうえ、NR装置(速度制限装置)も故意に外されていた。これらのことは長時間にわたって極端な整備不良が続いていたことや、過酷に使用されていたことを裏付けており、これらの要素がフロントホイールハブの強度に重大な影響を与えていたものと思われる。
したがって本件事故が左フロントホイールハブの破断によって発生したことは認められるが、その破断がハブの強度不足によるものと断定することはできない。
  • 村川元部長は1999年6月ないし9月ころ、市場品質部長として不具合情報に接する立場にあったが、トラックに関するハブの不具合情報を具体的に部下から報告されたことはなく、したがって、トラックなどの不具合情報からハブの強度に疑問を抱き、事故を予見することは困難だった。
  • 三木元部員は1996年4月から2000年3月31日までの間、一貫してバスのボディー、シャシー担当のグループ長であったが、同社内においてトラック部門とバス部門は縦割りになっていたことから、トラックに関して三木元部員が原因調査を行ったりリコールなどの改善措置を講じたりする権限はなかった。

略年

  • 1990年6月 - 大型車で確認できる最初のクラッチ系統の破損事故が発生
  • 1992年6月 - 大型車で最初のハブ破損事故が発生
  • 1996年5月 - クラッチ系統について「リコール対策会議」。欠陥を認識したが、リコールは届け出ず、2000年にかけて「ヤミ改修」を続ける
  • 1999年6月 - 広島県内でバスのハブが破損し、車輪が脱落
  • 1999年7月~8月 - バスの車輪脱落で個別対策会議。旧運輸省に「整備不良」と報告することを決定
  • 2000年7月 - 三菱ふそうのクレーム隠し事件が発覚(この時の社内調査で発覚した欠陥の多くを隠蔽→2004年に発覚)
  • 2002年1月 - 横浜市でハブ破損による母子死傷事故
    三菱自動車(現在の三菱ふそう)側はトラックの異常は運転者の整備不良だと主張。
  • 2002年1月~2月 - 母子死傷事故をめぐる「マルT対策本部会議」が技術的根拠もなく、ハブの交換基準を決定
  • 2002年 国交省にハブについて虚偽報告
  • 2002年10月16日 - 横浜市でトラクターのクラッチ系統が破損。国交省には「整備不良が関係。多発性なし」と報告
  • 2002年10月16日 - 山口県内でクラッチ系統の破損でブレーキが利かなくなった冷蔵車が暴走し、運転の男性が死亡。三菱自動車(現在の三菱ふそう)側はトラックの異常は運転者の整備不良だと主張。
  • 2004年5月27日 - 横浜区検・地検が道路運送車両法違反(虚偽報告)などの罪で、三菱ふそうトラック・バスの宇佐美隆・前会長ら5人を起訴
  • 2004年6月2日 - 大型車の欠陥問題で三菱ふそうが29人の処分を発表
  • 2004年6月14日 - 新たに43件のリコールを発表。国土交通省の欠陥リークを受けて、発表せざるを得なくなった三菱ふそうが1週間後の14日に発表。この欠陥が原因の事故は、人身事故が24件、火災事故は101件
  • 2005年4月15日 - 前年9月届出のリコールに対する再リコールを発表。原因を解明できぬままリコールを実施したため、対策実施済み車に火災事故4件発生。加えて再リコールに先立つ緊急点検における作業手順の徹底不足による、2件の火災事故発生が明らかになる
  • 2006年12月13日 - 横浜簡易裁判所で行なわれた刑事訴訟にて、三菱ふそう元会長の宇佐美隆氏や三菱自元常務の花輪亮男氏ら3名と法人に対して無罪判決が言い渡されている。

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