「フランス」の版間の差分

提供: Yourpedia
移動: 案内検索
(rxy=森谷辰也=LTA:ASPELTA:DCHANCELTA:SASHOという動かせない事実。)
1行目: 1行目:
{{ウィキペディア}}'''フランス共和国'''(フランスきょうわこく、'''République française''')、通称'''フランス'''は、[[西ヨーロッパ]]西部に位置する[[共和制]][[国家]]。北東に[[ベルギー]]、[[ルクセンブルク]]、東に[[ドイツ]]、[[スイス]]、南東に[[イタリア]]、[[モナコ]]、南西に[[アンドラ]]、[[スペイン]]と国境を接し、西は[[大西洋]]に、南は[[地中海]]に面する。また、[[北海]]の[[ドーバー海峡]]を隔てて北西に[[イギリス]]が存在する。海外領土でも[[サン・マルタン島]]で[[オランダ]]と陸上国境を接し、[[南アメリカ|南米]][[植民地]]の[[仏領ギアナ]]では西に[[スリナム]]、南に[[ブラジル]]と陸上国境を接する。首都は[[パリ]]。[[欧州連合]]加盟国。[[国際連合|国連]][[常任理事国|安保理常任理事国]]。
+
<nowiki>{{ウィキペディア}}'''フランス共和国'''(フランスきょうわこく、'''République française''')、通称'''フランス'''は、[[西ヨーロッパ]]西部に位置する[[共和制]][[国家]]。北東に[[ベルギー]]、[[ルクセンブルク]]、東に[[ドイツ]]、[[スイス]]、南東に[[イタリア]]、[[モナコ]]、南西に[[アンドラ]]、[[スペイン]]と国境を接し、西は[[大西洋]]に、南は[[地中海]]に面する。また、[[北海]]の[[ドーバー海峡]]を隔てて北西に[[イギリス]]が存在する。海外領土でも[[サン・マルタン島]]で[[オランダ]]と陸上国境を接し、[[南アメリカ|南米]][[植民地]]の[[仏領ギアナ]]では西に[[スリナム]]、南に[[ブラジル]]と陸上国境を接する。首都は[[パリ]]。[[欧州連合]]加盟国。[[国際連合|国連]][[常任理事国|安保理常任理事国]]。
  
 
== 国名 ==
 
== 国名 ==

2020年1月8日 (水) 04:14時点における版

{{ウィキペディア}}'''フランス共和国'''(フランスきょうわこく、'''République française''')、通称'''フランス'''は、[[西ヨーロッパ]]西部に位置する[[共和制]][[国家]]。北東に[[ベルギー]]、[[ルクセンブルク]]、東に[[ドイツ]]、[[スイス]]、南東に[[イタリア]]、[[モナコ]]、南西に[[アンドラ]]、[[スペイン]]と国境を接し、西は[[大西洋]]に、南は[[地中海]]に面する。また、[[北海]]の[[ドーバー海峡]]を隔てて北西に[[イギリス]]が存在する。海外領土でも[[サン・マルタン島]]で[[オランダ]]と陸上国境を接し、[[南アメリカ|南米]][[植民地]]の[[仏領ギアナ]]では西に[[スリナム]]、南に[[ブラジル]]と陸上国境を接する。首都は[[パリ]]。[[欧州連合]]加盟国。[[国際連合|国連]][[常任理事国|安保理常任理事国]]。 == 国名 == 正式名称は、{{lang|fr|'''République française'''}}(<small>フランス語:</small> レピュブリク・フランセーズ)。通称、''{{Lang|fr|France}}'' {{Ipa|frɑ̃s}}。 略称、'''RF'''。 公式の英語表記は、{{lang|en|''French Republic''}} (フレンチ・リパブリク)。通称、{{lang|en|''France''}} (フランス)。 日本語の表記は、'''フランス共和国'''。通称、'''フランス'''。また、漢字による当て字で、'''仏蘭西'''(旧字体:'''佛蘭西''')、'''法蘭西'''などと表記することもあり、'''仏'''('''佛''')と略されることが多い。ちなみに、中国では[[簡体字]]で'''<span lang="zh">法兰西</span>'''、[[繁体字]]で'''<span lang="zh">法蘭西</span>'''と表記し、'''法'''と略される。また日本でも一部の有識者は仏の字を忌避して'''法国'''と書くことがある。 国名の''France''は、11世紀の『[[ローランの歌]]』においてまでは遡って存在が資料的に確認できるが、そこで意味されているFranceは[[フランク王国]]のことである。一方で987年に始まるフランス王国le Royaume de Franceに、Franceという名前が用いられているが、これは後代がそのように名付けているのであってその時代にFranceという国名の存在を認定できるわけではない。また中世の[[フランス王]]はREX FRANCUS と署名している。Franceは中世ヨーロッパに存在した[[フランク王国]]に由来すると言われる。その証左に歴代フランス王の代数もフランク王国の王から数えている([[ルイ1世]]と[[ルイ16世]]を参照)。作家の佐藤賢一は、[[ヴェルダン条約]]でフランク王国が西フランク、中フランク、東フランクに三分割され、中フランクは消滅し東フランクは神聖ローマ皇帝を称したためフランク王を名乗るものは西フランク王のみとなり、フランクだけで西フランクを指すようになったと説明している<ref>佐藤賢一『カペー朝 フランス王朝史1』(2009年、講談社、講談社現代新書)</ref>。[[ドイツ語]]では直訳すればフランク王国となる{{lang|de|Frankreich}}(フランクライヒ)を未だにフランスの呼称として用いている。これと区別するためにドイツ語でフランク王国は{{lang|de|Frankenreich}}である。[[ギリシャ語]]では古代のこの地域の名称であった[[ガリア]]({{lang|el|Γαλλία}})が使われている。 == 地理 == <!-- {{main|フランスの地理}} --> [[ファイル:GMT France 2.png|thumb|260px|フランスの地形図]] フランスの国土は[[西ヨーロッパ]]に位置する本土のほか、[[地中海]]に浮かぶ[[コルシカ島]]、[[南アメリカ|南米]]の[[フランス領ギアナ]]、[[カリブ海]]の[[マルティニーク]]、[[グアドループ]]、[[インド洋]]の[[レユニオン]]といった4海外県、さらには[[ニューカレドニア]]や[[フランス領ポリネシア]]など[[オセアニア]]の属領をも含む。その面積は[[西ヨーロッパ]]最大であり、可住地の広さは日本のおよそ3.5倍にも達する。本土の形状はだいたい[[六角形]]の形を成しており、これはフランスの公用語である[[フランス語]]にも影響し、六角形を意味する"l'Hexagone"が「フランス本土」を意味する。 [[ファイル:MountBlanc04.jpg|thumb|240px|left|フランス最高峰 [[モンブラン]]]] フランスの地形のおもな特色は、東から南にかけて山地や山脈という自然の国境がある他は、ところどころに高原や丘陵がみられるものの、国土の大半は概して緩やかな丘陵地や平野で可住地に恵まれていることにある。北部、西部に広がる、フランスでも最も広い領域を占める比較的平らな地域は、[[東ヨーロッパ]]から続くヨーロッパ中央平原の西端部にあたる。緩やかな起伏の平野で、高所でも標高200m程度の土地が広がっており、温暖な気候と併せて西欧最大の農業国フランスの基礎となっている。東部[[ドイツ]]国境には[[ヴォージュ山脈]]、[[スイス]]国境には[[ジュラ山脈]]が延びる。ヴォージュ山脈は[[ライン川]]の西岸に沿って流れ、ライン川がフランスとドイツとの国境となっている。南東部は[[中央高地 (フランス)|中央高地]]が広がり、北から南へ流れ下る[[ローヌ川]]を越えると、[[アルプス山脈]]につながっていく。南部[[イタリア]]との国境を成すアルプスの山々は、多くが標高4000m以上で、その最高峰が[[モンブラン]]である。アルプス越えには[[古代ローマ]]の時代からいくつかの道があるが、なかでも有名なのがサンベルナール峠である。南西部の[[スペイン]]国境には[[ピレネー山脈]]が延びる。峠がほとんど無いピレネー山脈は、フランスとスペインとの交易を困難なものにした。サントラル高地の最高峰はドール山 (1,866m)。ピレネー山脈の最高峰アネト山 (3,404m) はスペイン側にそびえる。フランス全土の最高峰はイタリア国境に位置する[[モンブラン]] (4,810m)。 主な河川は北から反時計回りに、[[セーヌ川]] (776km)、[[ロワール川]] (1012km)、[[ガロンヌ川]] (647km)、[[ローヌ川]] (812km)。<!-- 河川の長さはfrwpに従った --> === 気候 === フランスの気候は大陸性、海洋性、地中海性の気候区に分割される。[[海洋性気候]]は国土の西部で見られる。気温の年較差、日較差とも小さい。気候は冷涼であるが、寒くなることはない。国土を東に移動するにつれて気候は大陸性となっていき、気温の年較差、日較差が拡大していくと同時に降水量が上昇していく。本来の[[大陸性気候]]は[[東ヨーロッパ]]、つまり[[ポーランド]]や[[ルーマニア]]が西の限界であるが、フランス東部の高地、特にアルプス山脈の影響によって、大陸性気候が生じている。[[地中海性気候]]は国土の南岸で際立つ。気温の年間における変動は3種類の気候区のうち最も大きい。降水量は年間を通じて少ない。 == 歴史 == {{main|フランスの歴史}} === ローマの支配から王政時代 === [[ファイル:Siege-alesia-vercingetorix-jules-cesar.jpg|thumb|left|『ユリウス・カエサルの足元に武器を放るヴェルサンジェトリクス』]] [[ファイル:Chlodwigs taufe.jpg|thumb|聖[[レミギウス]]から[[洗礼]]を受ける[[クロヴィス1世|クローヴィス]]]] [[ファイル:Louis XIV of France.jpg|thumb|「太陽王」[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]]] 現在のフランスに相当する地域は、[[紀元前1世紀]]までは[[マッシリア]](現マルセイユ)などの[[地中海]]沿岸の[[ギリシャ人]]の植民都市を除くと、[[ケルト人]]が住む土地であり、[[古代ローマ]]人はこの地を[[ガリア]](ゴール)と呼んでいた。ゴールに住むケルト人は[[ドルイド]]を軸に自然を信仰する独自の文化体系を持っていたが、政治的な統一は存在しなかった。[[紀元前219年]]に始まった[[第二次ポエニ戦争]]では、[[カルタゴ]]帝国の将軍[[ハンニバル・バルカ|ハンニバル]]が[[南フランス]]を抜けて[[共和政ローマ|ローマ共和国]]の本拠地だった[[イタリア半島]]へ侵攻したが、ゴールには大きな影響を及ぼさなかった。 その後、カルタゴを滅ぼしたローマは西地中海最大の勢力となり、各地がローマの支配下に置かれた。ゴールも例外ではなく、紀元前121年には南方の[[ガリア・ナルボネンシス]]が属州とされた。紀元前1世紀に入ると、ローマの将軍[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]は[[紀元前58年]]にゴール北部に侵攻した。ゴールの諸部族をまとめた[[ウェルキンゲトリクス|ヴェルサンジェトリクス]]は果敢に抵抗したが、ローマ軍はガリア軍をを破ってゴールを占領し、ローマの[[属州]]とした。ゴールは幾つかの[[属州]]に分割され、[[パックス・ロマーナ|ローマの平和]]の下でケルト人の[[ラテン]]化が進み、[[ガロ・ローマ文化]]が成立した。360年にゴール北部の都市[[ルテティア]]は[[パリ]]と改名された。[[5世紀]]になると[[ゲルマン]]系諸集団が東方から侵入し、ガリアを占領して諸王国を建国した。 [[476年]]に[[西ローマ帝国]]が滅びるとゲルマン人の一部族である[[フランク族]]の[[クロヴィス1世|クローヴィス]]が建国した[[メロヴィング朝]][[フランク王国]]が勢力を伸ばし始めた。[[508年]]にメロヴィング朝はパリに遷都し、メロヴィング朝の下でフランク族は[[キリスト教]]とラテン文化を受け入れた。メロヴィング朝の後は[[ピピン1世]]が[[カロリング朝]]を打ち立て、[[カール・マルテル]]は732年に[[イベリア半島]]から進出してきた[[イスラーム]]勢力の[[ウマイヤ朝]]を[[トゥール・ポワティエ間の戦い]]で破り、イスラーム勢力の[[西ヨーロッパ]]方面への拡大を頓挫させた。[[シャルルマーニュ]](カール大帝)はイスラーム勢力や[[アヴァール族]]を相手に遠征を重ねて現在のフランスのみならず、[[イベリア半島]]北部から[[イタリア半島]]北部・[[パンノニア平原]](現在の[[ハンガリー]]周辺)までを勢力範囲とし、ほぼヨーロッパを統一した。シャルルマーニュの下でヨーロッパは平静を取り戻し、[[カロリング・ルネサンス]]が興った。800年にシャルルマーニュは[[西ローマ帝国]]皇帝の称号を[[ローマ教皇]]から与えられた。 シャルルマーニュの没後、フランク王国は三つに分裂し、ほぼ現在のフランス、[[イタリア]]、[[ドイツ]]の基礎となった。また、この時期に現代に続く[[フランス語]]([[古フランス語]])の形成が始まった。987年に[[西フランク王国]]が断絶すると[[パリ伯]][[ユーグ・カペー]]が[[フランス王]]に選出され、[[カペー朝]]の下で[[フランス王国]]が成立した。 彼の子孫の[[カペー朝]]、その後の[[ヴァロワ朝]]、[[ブルボン家|ブルボン朝]]は戦争と家領相続を通じて次第に国を統一していった。[[1209年]]に[[アルビジョア十字軍]]が開始され、異端とされた[[オクシタニア]](現在の南フランス)の[[カタリ派]]を殲滅した。その結果、カタリ派とともに独立性の強かった南フランスの諸侯も滅ぼされた<ref>[http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,897752-2,00.html Massacre of the Pure]. Time. April 28, 1961.</ref> 。[[ペスト|黒死病]]の大流行が起こる直前の[[1337年]]からフランスは[[イングランド]]との[[百年戦争]]を戦っている<ref>Don O'Reilly. "[http://www.historynet.com/magazines/military_history/3031536.html Hundred Years' War: Joan of Arc and the Siege of Orléans]". ''TheHistoryNet.com''.</ref>。フランスは幾度か大敗を喫して危機に陥ったが、[[ジャンヌ・ダルク]]の活躍などもあって最終的にはイングランド勢力を大陸から駆逐でき、またこの戦争を通じて王権が強化された。[[16世紀]]には新教・旧教の対立から大規模な内戦[[ユグノー戦争]]が起こっている。 王朝は[[17世紀]]の[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の時期に最盛期を迎えている。この時期のフランスはヨーロッパ最大の人口を有し、ヨーロッパの政治、経済、文化に絶大な影響力を持っていた。フランス語は外交の舞台での共通語となっていた。[[18世紀]]にはフランスの知識人の中から多くの[[啓蒙思想]]が生まれ、科学的な大発見がなされている。加えてフランスは[[アメリカ大陸|アメリカ]]、[[アフリカ]]、[[アジア]]に広大な海外領土を獲得していた。特に重要だった[[カリブ海]]の植民地の[[サン=ドマング]]においては、[[奴隷貿易]]によって導入された[[黒人]][[奴隷]]を酷使した[[サトウキビ]]や[[コーヒー]]の[[プランテーション]]が築かれ、1804年の[[ハイチ革命]]によって[[ハイチ]]が独立するまで莫大な歳入をフランスにもたらした。 === 王政から共和政へ === [[ファイル:Delaroche - Bonaparte franchissant les Alpes.jpg|thumb|[[ナポレオン・ボナパルト]]]] [[ファイル:De Gaulle-OWI.jpg|thumb|[[シャルル・ドゴール]]]] [[1789年]]に[[フランス革命]]が起きて王政は倒され、[[1793年]]に[[ルイ16世 (フランス王)|ルイ16世]]と[[マリー・アントワネット]]が処刑され、同時に数千人ものフランス市民が[[恐怖政治]]の犠牲となっている<ref>[http://www.nytimes.com/1989/07/09/travel/vive-la-contre-revolution.html?sec=travel Vive la Contre-Revolution!]. The New York Times. July 9, 1989.</ref> 。政治的混乱ののちに、[[1799年]]に[[ナポレオン・ボナパルト]]が共和国の権力を握り、[[第1コンスル|第1統領]]となり、やがて皇帝に即位して[[フランス第一帝政|第一帝政]]([[1804年]]-[[1814年]])を開いた。[[ナポレオン戦争]]と呼ばれる一連の戦争を通じてナポレオンの軍隊はヨーロッパの大部分を制覇し、彼の一族が新たにつくられた国々の王位に就いた。この戦争で数百万人が犠牲となっている<ref>[http://www.questia.com/googleScholar.qst?docId=5001329960 Napoleon and German identity]. Magazine article by Tim Blanning; History Today, Vol. 48, April 1998.</ref>。 [[ファイル:Eugène Delacroix - La liberté guidant le peuple.jpg|thumb|left|『[[民衆を導く自由の女神]]』[[ウジェーヌ・ドラクロワ]]画。]] [[1815年]]にナポレオンが[[ワーテルローの戦い]]に敗れた後、フランスは[[フランス復古王政|王政復古]]したが、王の権力は憲法に制約されていた。[[1830年]]、[[7月革命]]によって[[立憲君主制]]による[[7月王政]]が立てられた。この王政は[[1848年]]に終わり、[[フランス第二共和政|第二共和政]]に移行するが、[[1852年]]にルイ・ナポレオン([[ナポレオン3世]])が[[フランス第二帝政|第二帝政]]を開く。ナオレオン3世は[[ボナパルティズム]]的手法で国内を固め、[[インドシナ半島]]や[[メキシコ]]などに積極的に出兵したが、[[1870年]]の[[普仏戦争]]に敗れたナポレオン3世は退位し、[[フランス第三共和政|第三共和政]]に代わった。 フランスは17世紀以降、1960年代まで広大な海外[[植民地]]を有しており、その[[フランス植民地帝国|植民地帝国]]は[[イギリス帝国|大英帝国]]に次ぐ規模だった。[[1919年]]から[[1939年]]の最大時にはフランスは12,347,000㎢(フランス本国を含む)の領土に広がり、世界の陸地の8.6%を占めていた。 フランスは[[第一次世界大戦]]と[[第二次世界大戦]]の主戦場となっている。第一次世界大戦では140万人が犠牲となっており,<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7199127.stm France's oldest WWI veteran dies]. BBC News. January 20, 2008.</ref> 、この時は領土の一部だけが占領されたのにもかかわらず、第二次世界大戦よりも多くの犠牲を出した。戦間期には[[人民戦線]]政府によって様々な改革が試行された。第二次世界大戦では[[ナチスドイツ|ドイツ]]の[[電撃戦]]に敗れて、フランス本国は北部のドイツ占領地と南部の傀儡国家[[ヴィシー政権]]に分断されたが、[[シャルル・ド・ゴール]]率いる[[自由フランス]]が[[連合国]]についたため、辛うじてフランスは戦勝国の一員となった。 第二次世界大戦後に[[フランス第四共和政|第四共和政]]が成立し、経済は再建されたものの[[列強]]国としての国際的地位は崩れかけていた。フランスは植民地体制を守ろうとしたが、[[脱植民地化]]時代の潮流には逆らえず、すぐに苦境に陥ることになる。[[フランス領インドシナ]]の支配を回復しようとして、抵抗する[[ベトミン]]との間で[[第一次インドシナ戦争]]が勃発し、[[1954年]]に[[ディエンビエンフーの戦い]]でベトミンに大敗を喫してインドシナから撤退している。そのわずか数ヶ月後には、今度はより厳しい[[アルジェリア戦争]]に突入する羽目になる。 [[フランス領アルジェリア|アルジェリア植民地]]の維持の是非と、[[ピエ・ノワール|植民者]]の帰還<ref>[http://www.nytimes.com/2009/03/05/arts/design/05abroad.html?_r=1 In France, a War of Memories Over Memories of War]. The New York Times. March 4, 2009.</ref> を巡って国論は割れ、内戦になりかけていた。このため、弱体で不安定な第四共和政は強力な[[フランス大統領|大統領]]権限を含んだ[[フランス第五共和制|第五共和政]]へ移行する。この権限を持って[[シャルル・ド・ゴール]]は国内の統一を維持し、戦争終結へ踏み出した。[[1962年]]に和平交渉が妥結して[[アルジェリア]]は独立した。アルジェリアに先駆けて1956年には[[モロッコ]]と[[チュニジア]]が独立を達成していたが、[[インドシナ]]や[[マグリブ]]のみならず、[[ブラックアフリカ]]の植民地においても独立運動は進んだ。1958年の[[ギニア]]独立を嚆矢として、[[アフリカの年]]こと1960年にほぼすべてのアフリカ植民地が独立した。 [[1973年]]の[[石油危機]]以降、フランスは深刻な経済危機と低成長を経験しており、政権の交代が繰り返された。その為、[[1986年]]-[[1988年]]、[[1993年]]-[[1995年]]、[[1997年]]-[[2002年]]には[[コアビタシオン]](所属党派の異なる大統領と首相になってしまう、保革共存政権)が起こっている。 1950年代からの[[ドイツ]]との和解と協力によって、両国は[[ヨーロッパ経済共同体]](EEC)や[[1999年]]1月の[[ユーロ]]導入を含む[[欧州統合]]に中心的役割を果たして来た。フランスは[[ヨーロッパ連合]]の主導国の一つであり、ヨーロッパの政治的統合を強く支持しているが[[2005年]]の[[欧州憲法]]批准は[[国民投票]]で拒否されてしまった。[[2008年]]2月にこれを継承する[[リスボン条約]]が議会の承認を得ている。 == 政治 == {{main|フランス第五共和政}} [[ファイル:Declaration of Human Rights.jpg|thumb|left|150px|[[フランス人権宣言]]]] 現在のフランスは、[[直接選挙]]で選ばれる[[フランスの大統領|大統領]](任期5年、2002年以前は7年)に首相の任免権や議会の解散権など強力な権限が与えられ、立法府である議会より行政権の方が強い体制が敷かれている。このため、先進国の中でも日本などと並んで官僚機構が強いと言われることが多い。 また、大統領が任命する[[フランスの首相|首相]]は、大統領にも議会にも責任を負っており、共に行政権を持つ([[半大統領制]])。このため、大統領の所属政党と議会の多数派勢力が異なる場合、大統領自身が所属していない議会多数派の人物を首相に任命することがある。この状態を[[コアビタシオン]]と呼ぶ。こうした場合、大統領が外交を、首相が内政を担当するのが慣例となっているが両者が対立し政権が不安定になることもある。 議会は[[二院制]]を採用し、[[上院]]に当たる[[元老院 (フランス)|元老院]]と、[[下院]]にあたる[[フランス国民議会]]がある。元老院は間接選挙で選出され、任期は6年で3年ごとに半数を改選される。国民議会は直接選挙で選出され、投票に際して[[小選挙区制]]と二回投票制度が定められている。優先権は国民議会にあり、元老院は諮問機関としての色彩が強い。 主要政党としては、[[国民運動連合]](保守・右派)、[[フランス民主連合]](中道・若干右寄り)、[[社会党 (フランス)|社会党]](中道左派・社会民主主義)、[[フランス共産党]](左派)がある。また、以下は議席を持たないが、[[国民戦線 (フランス)|国民戦線]](極右・移民排斥)、[[革命的共産主義者同盟 (フランス)|革命的共産主義者同盟]](極左・トロツキスト政党)、[[労働者の闘争党|労働者の闘争]](極左・トロツキスト政党)も存在する。 [[2007年]][[5月6日]]([[中央ヨーロッパ夏時間|CEST]])に行われた大統領選挙では[[ニコラ・サルコジ]]が当選し、同16日に第6代大統領に就任した。 == 地方行政区分 == {{main|フランスの地方行政区画|フランスの地域圏}} フランスは26の地域圏に分かれる。フランス本土([[メトロポリタン・フランス]])の位置する[[ヨーロッパ]]の領土は22の'''地域圏'''(レジオン région)に区分され、その下に100の'''県'''(デパルトマン département)が存在する(各レジオンが2~8のデパルトマンに区分されている)。地域圏はメトロポリタン・フランスに21、[[コルシカ島|コルシカ]]に1つに分かれる。さらに海外の[[アメリカ大陸]]や[[インド洋]]などには、4つの'''[[海外県]]'''と、複数の'''[[海外領土]]'''がある。各県はさらにコミューンに分かれる。[[2009年]][[3月29日]]、アフリカ東部沖の[[コモロ諸島]]にある[[マヨット]](人口約20万人)を特別自治体から海外県への地位変更の是非を問う選挙が行われ、賛成95.2%で海外県となることが決まった。フランスの県としては101番目、海外県としては5番目である。 === 主要都市 === {{see|Category:フランスの都市}} 表は市内の人口順ではなく、都市圏の人口順に並べている。フランスの人口は、[[パリ]]への一極集中が目立ち、同市に次ぐ都市は規模が小さい。つまり、[[ジップの法則]]からのずれが目立つ分布となっている。 {| class="infobox" style="text-align:center; width:97%; font-size:80%" |- ! align=center style="background:#f5f5f5;" | ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[フランスの地方行政区画|行政区分]] ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口 ! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市圏人口 |- |align="center"| '''1''' |align="center"| '''[[パリ]]''' |align="center"| [[イル=ド=フランス]] |align="right"| 2,181,371 |align="right"| 11,819,000 |- |align="center"| '''2''' |align="center"| '''[[リヨン]]''' |align="center"| [[ローヌ=アルプ]] |align="right"| 472,305 |align="right"| 1,790,000 |- |align="center"| '''3''' |align="center"| '''[[マルセイユ]]''' |align="center"| [[プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール]] |align="right"| 839,043 |align="right"| 1,516,340 |- |align="center"| '''4''' |align="center"| '''[[リール (フランス)|リール]]''' |align="center"| [[ノール=パ・ド・カレー]] |align="right"| 226,014 |align="right"| 1,143,125 |- |align="center"| '''5''' |align="center"| '''[[トゥールーズ]]''' |align="center"| [[ミディ=ピレネー]] |align="right"| 437,715 |align="right"| 964,797 |- |align="center"| '''6''' |align="center"| '''[[ニース]]''' |align="center"| [[プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール]] |align="right"| 347,060 |align="right"| 933,080 |- |align="center"| '''7''' |align="center"| '''[[ボルドー]]''' |align="center"| [[アキテーヌ]] |align="right"| 232,260 |align="right"| 925,253 |- |align="center"| '''8''' |align="center"| '''[[ナント]]''' |align="center"| [[ペイ・ド・ラ・ロワール]] |align="right"| 282,853 |align="right"| 711,120 |- |align="center"| '''9''' |align="center"| '''[[ストラスブール]]''' |align="center"| [[アルザス]] |align="right"| 272,975 |align="right"| 612,104 |- |align="center"| '''10''' |align="center"| '''[[トゥーロン]]''' |align="center"| [[プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール]] |align="right"| 167,816 |align="right"| 564,823 |- | colspan="11" align=center style="background:#f5f5f5;" | 2006年国勢調査 |} == 国際関係 == アンシャンレジーム期からイスラム圏の[[オスマン帝国]]と同盟を結ぶなど独自外交を貫き、第五共和制成立後も[[冷戦]]構造の中でフランスの影響力を保つために[[北大西洋条約機構|OTAN]]の軍事機構からの脱退や、1973年から始まった[[フランス・アフリカ首脳会議]]の開催などアフリカ諸国との友好関係の強化が行われ、ヨーロッパにおいても[[西ドイツ]](当時)と共に欧州統合の旗手となった。冷戦終結後は欧州統合を深化し、[[欧州連合]]の主要国として存在感を高めている。また、アメリカ合衆国による2003年の[[イラク戦争]]には終始反対した。フランスが自国の勢力圏と見なす旧植民地のアフリカ諸国との関係においては、暴動や内戦の際に親仏政権の維持のための軍事介入が行われることなどもあり、現在も[[セネガル]]や[[ジブチ]]にはフランス軍の軍事基地がある他、1994年の[[ルワンダ虐殺]]や、2002年に始まった[[コートジボワール内戦]]にも介入している。1970年代以降の軍事介入の件数は30件以上にも及んだ<ref>山田文比古『フランスの外交力』集英社(集英社新書) 2005 pp.129-130</ref>。こうしたフランスの姿勢を[[新植民地主義]]であると批判する声もある。 21世紀に入り、日米を除く[[G7]]各国や欧州連合加盟各国が[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]と国交を結んでいる中、2007年1月現在もフランスは[[国交]]を締結していない。 === イギリスとの関係 === フランスと[[イギリス]]は歴史上錯綜した関係を持ってきた。[[イングランド]]は、[[ノルマン・コンクエスト]]を通じてフランス語を母語とし、フランス王国の公爵を兼ねる王に統治されることとなった。こうして、中世のイングランド王は同時にフランス王国の大貴族であり、その立場においてはフランス王の臣下であるという関係が長く続いた。なおかつアンジュー帝国とも呼ばれた[[プランタジネット朝]]のイングランド王は、王権の確立が遅れていたカペー朝のフランス王をしのぐ巨大な所領をフランス王国内に所持し、フランス王の勢力を圧倒した。またイングランド王家とフランス王家の姻戚関係もまた深かった。 こうした経緯から、中世のイングランド王家とフランス王家は、フランス王国における覇権をめぐって幾度となく抗争を繰り返すこととなった。[[ジャンヌ・ダルク]]が活躍したことで有名な[[百年戦争]]は特に長引いた抗争であり、イングランド王家が最終的にフランス王国内の基盤を喪失するにまで至った。この長期の戦争を通じてフランス人とイギリス人の間に、後の[[国民国家]]の創生につながる近代的な国民意識の母体となるものが胚胎したともいわれる。 こうした歴史的経緯から、フランス人とイギリス人の間には根深い対抗意識が根付くこととなった。英単語でフランスを意味する「フレンチ」がつく単語はあまり良くない意味であることが多く、フランス語でイギリスを意味する「アングレーズ」がつく料理は簡単かまずいかのどちらかであるといわれている。また[[アメリカ英語]]では「フレンチフライズ」というフライドポテトのことを、イギリス英語では「チップス」という。 ちなみに、英語での生きている牛 (cow) もしくはいきている豚 (pig) と死んだあとの食肉としての牛 (beef) と豚 (pork) の呼び方が異なる理由は、ノルマン・コンクエストによってイギリスを支配したノルマン系のイングランド貴族の母語がフランス語であり、被支配者であるアングロ・サクソン系の農民の育てた家畜は生きている間はアングロ・サクソン系の語彙で呼ばれ、肉となって調理され、貴族の食卓に上るとフランス語系の語彙で呼ばれるようになったのが由来である。即ち、ビーフとポークは本来フランス語である(ただし英語とフランス語のビーフ・ポークの綴りは異なる。 === 日本との関係 === {{Seealso|日仏関係}} ==== 歴史 ==== [[1858年]][[10月9日]]に、フランスから[[日本]]に外交使節団長として派遣されたジャン・バティスト・ルイ・グロ[[男爵]]によって、日本と最初の修好通商条約が当時の日本の幕府があった[[江戸]]で調印された。 その後、[[第一次世界大戦]]においては[[連合国]]として戦い、[[1919年]]の[[パリ講和会議]]では日本の提出した[[人種差別撤廃案]]に賛成するなど人権意識が高かった。その後の[[第二次世界大戦]]においては、フランスが早期に親独の[[ヴィシー政府]]となり、フランスが[[アジア]]に持っていた[[植民地]]である[[仏領インドシナ]]もヴィシー政権の影響下に置かれ、連合国軍の侵攻による[[マダガスカルの戦い]]では日本の救援を受けたことなどから、同じく植民地をアジアに抱えていたことで日本軍との戦闘を行った[[イギリス]]や[[オランダ]]とは異なり、戦後も日本との敵対感情は殆ど無いままであった。ただし、[[パリ解放]]後の大戦末期にインドシナで[[明号作戦]]により、日本軍とフランス軍は衝突した。なお、第二次世界大戦中の1940年、[[大日本帝国]]政府は[[皇紀2600年奉祝曲]]の作曲を、ヴィシー政権下のフランス政府を通して[[ジャック・イベール|イベール]]に依頼し、イベールは「[[祝典序曲 (イベール)|祝典序曲]]」を日本に捧げた。[[エールフランス]]は1952年11月に日本へ就航した。 現在も官民を問わず活発な往来が行われている他、経済的にも文化的にも深くかつ幅広い交流が行われているなど親密な友好関係にあり、首都のパリと日本の首都の[[東京都]]は姉妹友好都市関係にある。 ==== フランスにおける日本 ==== ヨーロッパ諸国の中でも、フランスは[[日本]]への文化的関心が高い方といわれている。フランスの[[辞書]]には「[[サムライ]]」や「[[カラオケ]]」などの日本語が載っており、中には[[畳]]や[[布団]]を使い、食べ物では[[納豆]]や[[蕎麦]]を食べる日本通のフランス人も見かけられる。[[パリ]]の[[スーパーマーケット]]では[[カマボコ]]も販売されている<!--(その元となるすり身も「スリミ」とローマ字で表示されて売っている)--><!-- それは訳しようがないから -->。 近年では、現地のテレビ局により流される子供用アニメの多くが日本製であることから、若者の中では特に[[漫画|マンガ]]・[[アニメ]]が流行しており、[[アニソン]]を歌い、マンガとアニメキャラクターの[[コスプレ]]大会が行われるなど、日本のマンガとアニメに対するファンも少なくない。日本発のサブカルチャーの祭典である[[Japan Expo]]では、2008年度は3日間で8万人の動員を記録している。 なおフランスは日本を凌ぐほど[[柔道]]が普及しており、その競技人口は56万人を数え(日本は21万人)、世界最大規模である。その実力もかなりのものである。また、[[宗教]]では日本の[[寺院|寺]]が建てられ、日本で[[修行]]をして勉強したフランス人の僧侶がいる。 有名なフランス人の[[親日家]]としては、[[フランス第五共和政]]の第5代[[共和国大統領 (フランス)|大統領]][[ジャック・シラク]]があげられる。シラクは親日家であることを公言しており、公私あわせて40回以上もの来日経験を誇る。 ==== 日本におけるフランス ==== 日本では、フランスはファッションや美術、料理など、文化的に高い評価を受ける国として有名であり、毎年多数の日本人観光客が高級ブランドや美術館巡り、グルメツアーなどを目的にフランスを訪れている。また、音楽、美術、料理を学ぶためにフランスに渡る日本人も多く、[[在フランス日本人|在仏日本人]]は3万5千人に及ぶ<ref>[http://www.jetro.go.jp/biz/world/europe/fr/basic_01/ フランス - 概況] - JETRO</ref>。特に首都パリは文化、流行の発信地、『芸術の都』『花の都』としてのイメージが日本人の間に過剰に強く、イメージと現実とのギャップによる『[[パリ症候群]]』という[[適応障害]]にかかる日本人もいる。 経済面では、1992年から2000年にかけフランス側が対日輸出促進キャンペーンとして「ル・ジャポン・セ・ポシーブル」を展開したものの、2000年代の現在まで[[貿易]]額は漸増傾向を示すに留まり、2004年時点で貿易額は相互に60億ドル台から80億ドル台で推移している<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/france/kankei.html 最近のフランス情勢及び日仏関係] - 外務省</ref><ref>[http://www.jetro.go.jp/biz/world/europe/fr/basic_01/#6 フランス - 概況] - JETRO</ref>。日本から見た場合、対仏輸出の構成比は1.5%(各国中15位)であり、一方でフランスからの輸入も1.8%(同13位)と貿易における重要度、依存度は他の先進国中進国と比較してさほど高くない<ref>http://www.jetro.go.jp/jpn/stats/trade/excel/rank2004.xls 2004年日本の貿易相手国TOP50] - JETRO</ref>。これをフランスから見た場合、対日輸出が輸出全体に占める割合は1.6%であり、これは[[ドイツ]](14.5%)、[[スペイン]](10.2%)、[[イタリア]](9.2%)、[[イギリス]](8.8%)、[[ベルギー]](7.6%)といった[[ヨーロッパ連合|EU]]諸国、[[アメリカ合衆国]](7.2%)、[[中華人民共和国]](1.7%)に次ぐものとなっている<ref>[http://www3.jetro.go.jp/jetro-file/search-text.do?url=010022500402 フランス;貿易統計 輸出(国・地域別)] - JETRO</ref>。 しかし、直接投資においては、1999年の[[ルノー]]による[[日産自動車]]の買収に伴い、日産の[[最高経営責任者]]となった[[カルロス・ゴーン]]は一般の日本人にも知名度があり、これに[[プジョー]]を加え[[フランス車]]も、[[ドイツ車]]などと並んで日本では人気のある海外車種の一つである。他方、日本側も[[トヨタ自動車]]がほぼ同時期に北部[[ノール県]][[ヴァランシエンヌ]]に工場を建設しているほか、[[NTN]]など自動車部品メーカーの工場進出も行われており、近年では1990年代後半にかけて自動車業界を中心に相互に大きな投資が行われている。 他にも、[[1910年]]([[明治]]43年)には[[徳川好敏]]がフランスの[[飛行機]]の操縦技術を学び、フランスのある飛行機を持ち帰り、初飛行した。徳川は、日本人としてはじめてのパイロットである。[[1918年]]([[大正]]8年)1月の[[第一次世界大戦]]中にフォールフランス陸軍砲兵大佐を団長にした、63名のフランス航空教育団を日本に派遣した。日本での初飛行や航空教育は、所沢陸軍飛行場(現[[航空公園]])で行われた。また、日本海軍は当初フランスの海軍軍人を顧問としていたことから、フランス海軍の影響が強いと言われる。 == 軍事 == {{main|フランス軍}} [[ファイル:Gaule96.jpg|right||thumb|220px|[[フランス海軍]]初の原子力水上艦[[シャルル・ド・ゴール (空母)|シャルル・ド・ゴール]]]] [[ファイル:Drapeaux 1RE et 2REI Paris 2003.jpg.JPG|thumb|220px|[[フランス外人部隊]]]] フランスの国防政策は[[1959年]]に[[シャルル・ド・ゴール]]政権が制定した「国防組織法」によって運営されている。大統領が最高司令官であり、その指導のもとに内閣委員会が国防政策、[[将官]]の任免、総動員令や[[戒厳令]]の宣布などの意思決定機関として機能する。[[核兵器]]を有しており、[[フランス海軍|海軍]]の弾道[[ミサイル]]搭載[[原子力潜水艦]]により運用される。[[フランス革命]]からの[[徴兵制]]を廃止して[[志願制]]を採用した。 [[フランス軍]]は[[フランス陸軍|陸軍]]、[[フランス空軍|空軍]]、[[フランス海軍|海軍]]及び[[フランス国家憲兵隊|憲兵]]からなり、[[2002年]]の総兵力は44万人うち、陸軍17万人、空軍7万人、海軍5.6万人、憲兵9.8万人、その他機関4万人であった。 国外駐在兵力は約3万人で、うち[[太平洋]]地区の海外県([[植民地]])に約2万人、[[アフリカ]]に6,500人、[[国際連合]]など国際組織の指揮下に9千人がいる。 現在も[[フランス外人部隊]]8個[[連隊]]を保有する。南仏[[オーバニュ]]に司令部を置き、南仏各地も駐屯、[[コルシカ]]や[[ポリネシア]]にも一部が駐屯する。[[2002年]]12月から[[西アフリカ]]の[[コートジボワール]]に外人部隊2,500人が派遣され、戦闘状態にある。 === 陸軍 === 陸軍は地上作戦司令部、補給司令部、9個作戦[[旅団]]、2個補給旅団からなる。主要装備は[[戦車]]834輌、[[装甲車]]4,950輌、各種[[火砲]]802門、[[ヘリコプター]]498機である。 === 海軍 === 海軍は戦略作戦司令部と海上、[[対潜]]、[[掃海艇|掃海]]、[[潜水艦]]などの専門作戦司令部からなる。主要装備は[[弾道ミサイル]]搭載[[原子力潜水艦]]4隻、攻撃型原子力潜水艦6隻、[[原子力空母]]1隻、[[ヘリ空母]]1隻、[[ミサイル駆逐艦]]3隻、[[駆逐艦]]9隻、[[フリゲート]]20隻などである。 === 空軍 === 空軍は6個攻撃[[戦闘機]]中隊、7個戦闘機中隊、2個偵察中隊、14個輸送機中隊、5個ヘリコプター中隊、2個[[電子戦]]中隊からなり、主要装備は[[作戦機]]433機、[[早期警戒管制機]]4機、[[偵察機]]4機、[[空中給油機]]45機、[[輸送機]]131機などである。 === 憲兵 === 憲兵は以前は国防省に属していたが、現在は軍籍は国防省に残置した上で内務省に属し、警察業務を担当する。 == 経済 == <!-- {{main|フランスの経済}} --> [[ファイル:Paris 125..jpg|thumb|left|200px|[[パリ]]、[[ラ・デファンス]]はフランス経済の中心地である。]] フランスは[[国内総生産|GDP]]では[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[日本]]、[[中華人民共和国]]、[[ドイツ]]、[[イギリス]]に続く世界第6位([[2007年]]現在)の経済大国である。また[[観光]]客入国数では世界一、農産物輸出額では世界第2位を占める。[[農業]]は生産額世界第6位と依然としてフランスにおける重要な産業であり、EU諸国中最大の規模を誇っている。 [[第二次世界大戦]]後は[[モネ・プラン]]として知られる戦後の復興計画によって、鉄道や航空、銀行、炭田の国有化がなされ、自動車・電子・航空機産業についても国が主要株主となり、政府は石油と天然ガスにも投資した。[[1981年]]の[[ミッテラン]]大統領の[[社会党 (フランス)|社会党]]政権時代には産業国有化がさらに進められ、フランスでは政府が経済全体で果たす役割は大きい。[[1986年]]に保守派[[ジャック・シラク|シラク]]が首相になって国家の役割が縮小されたものの、[[アメリカ合衆国]]や[[イギリス]]などと比べても金融・保険・電力・運輸・国防産業などの分野で依然として政府は大きな影響力を有し、[[国家資本主義]]の色彩が濃い。 [[1990年代]]後半は、[[ヨーロッパ通貨統合]]に参加するために強硬な財政赤字削減策が実施されたが、国民の強い反発を招き、消費拡大による景気刺激策に方針が転換された。しかし、[[2000年]]を境に[[GDP]]の[[実質経済成長率]]は大きく低下して、財政赤字は2002年以降、連続して対GDP比3%以内という[[欧州連合|EU]]の財政協定の基準を大きく超えていた。1990年代の大きな問題だった12%をこえる[[失業率]]も、90年代末から改善されて[[2001年]]には8%台になったが、その後は再び悪化して2005年初めには10%を突破した。しかし、05年以降、世界経済の好調に助けられる形で経済は持ち直し、財政赤字は3%を切り、失業率も8%台にまで改善された。 2008年度版[[フォーチュン・グローバル500]]によると、総収入を指標とした全世界の企業ランキングリストのうち上位100位に含まれるフランス企業は、[[国際石油資本]]の[[トタル]](本社[[パリ]]、8位)、保険の[[アクサ]](パリ、15位)、金融の[[BNPパリバ]](パリ、21位)、金融の[[クレディ・アグリコル]](パリ、23位)、小売の[[カルフール]]([[ルヴァロワ・ペレ]]、33位)、金融の[[ソシエテ・ジェネラル]](パリ、43位)、自動車メーカーの[[プジョー]](パリ、66位)、電力会社の[[フランス電力公社]](パリ、68位)、電気通信事業者の[[フランステレコム]](パリ、84位)、水道や電力、ガス事業などを行う[[スエズ (会社)|スエズ]](パリ、97位)が並ぶ。 [[2009年]]3月、「経済危機のつけを労働者に回すな」をスローガンに、1月の前回100万~250万人を上回り、全国で300万人が統一行動を行った。サルコジ政権は、昨年12月260億ユーロ規模の経済活性化対策を発表した。さらに所得税減税など14億ユーロ規模の低所得者向け支援策を提案し、その後26億ユーロ規模に増額した。 === EUの中心メンバー === [[ファイル:European flag in the wind.jpg|thumb|フランスは[[欧州連合]](EU)加盟国であり、その[[単一市場]]の構成国である。]] [[欧州連合|ヨーロッパ連合]](英語表記ではEU、但しフランス語表記での略称は'''UE'''-''Union européenne''-<small>フランス語:ユニオン ウロペンヌ </small>となることに注意しなければならない。本項目では特に断りがない限りEUと表記する)の歴史的創立メンバーの1国であり、特に隣国[[ドイツ]]との経済的・社会的統合を推進している。フランスの金融政策は[[フランクフルト・アム・マイン|フランクフルト]]の[[欧州中央銀行|ヨーロッパ中央銀行]]で決定され、[[ナポレオン1世]]の時代以来使用されていたフランスの通貨[[フランス・フラン|フラン]]は、[[1999年]]の[[ヨーロッパ通貨統合]]への参加によって、[[2002年]]始めに完全に[[ユーロ]]に切り替わった。 === 農業 === 国土の36%が農地で、農業従事者は労働力の約3%。1955~2000年で農家の数は3分の1に減少し、相対的に1農家当たりの農地面積、経営規模が拡大した。EU最大の農業国である。穀物、根菜、畜産などすべての農業部門において世界の上位10位の生産高を誇る。穀物としては、[[コムギ|小麦]]、[[大麦]]、[[トウモロコシ]]、根菜としては[[ばれいしょ]]、[[テンサイ]]、畜産では[[ブタ]]、[[鶏卵]]、[[牛乳]]の生産が際立つ。このほか、[[亜麻]]や[[アブラナ|なたね]]の生産高も多い。[[テンサイ]]の生産高は世界一である。 === 鉱業 === 第二次世界大戦後までは、[[ルール地方]]の鉄と石炭が鉱業の大半を占めていた。21世紀初頭においては、既に鉄鉱石の採掘は行われておらず、金属鉱物資源は鉱業の対象となっていない。最も規模が大きい鉱物資源は世界シェア8位 (3.3%) の塩(700万トン、2002年時点)である。 有機鉱物資源では、石炭、石油、天然ガスとも産出するが、いずれもエネルギー需要の数%を満たす水準である。例えば石油の自給率は1.6%にとどまる。金属資源では、銀、金、その他の地下資源では[[カリウム|カリ塩]]、硫黄を採掘している。 === 工業 === [[ファイル:Airbus A380 Storm.jpg|thumb|260px|[[エアバス]] A380]] [[ファイル:Air france a318-100 f-gugb manchester arp.jpg|thumb|260px|[[エールフランス]]、フランスのフラッグ・キャリア]] フランスの工業は食品工業、製材、製紙、運輸、機械、電気機械、金属、石油化学工業、自動車産業が中心である。世界一の生産高を誇るワイン、世界第2のチーズのほか、バター、肉も五本の指に入り、製糖業も盛ん。製材、製紙はいずれもヨーロッパ随一である。石油化学工業は燃料製造、プラスチック、合成ゴム、タイヤと全部門にわたる。特に合成ゴムとタイヤ製造が著しい。 自動車製造業は世界4位の規模である。自動車の生産は古くから行われており、常に生産台数が世界で5番目に入る自動車大国でもある。主なメーカーとして現在日本の[[日産自動車]]を傘下に収める[[ルノー]]や、[[PSA・プジョーシトロエン]]などがある。造船業も盛んである。 フランスのいわゆる「フラッグ・キャリア」は[[エールフランス]]。[[EADS]]や[[エアバス]]、[[マトラ]]などの企業が代表するように航空宇宙産業も発達しており、ヨーロッパでは[[ロシア]]を除けば、フランスだけが宇宙船発射能力を持つ。 エネルギーでは[[原子力発電]]への依存率が世界で最も高い。電力のおよそ78%が原子力発電でまかなわれているのに対し、[[火力発電]]は約11%、[[水力発電]]は約10%にすぎない。発電用原子炉の数は[[アメリカ合衆国]]に次ぐ59基。2001年時点の総発電量5,627億kW時のうち、74.8%(4,211億kW時)を原子力が占める。原子力による発電量自体もアメリカ合衆国の7,688億kW時に次いで2位である。フランスの発電は原子力以下、水力14.7%、火力10.4%、地熱0.1%が続く。総発電量では世界第8位を占める。主な原子力発電所は、グラブリン原子力発電所(5,706千kW、[[ノール県]])、パリュエル原子力発電所(5,528千kW、[[セーヌ=マリティーム県]])、カットノン原子力発電所(5,448千kW、[[モゼル県]])。2001年現在で発電規模世界第4位、5位、6位を占める。 === 貿易 === フランスは伝統的に西ヨーロッパにおける最も重要な農業国である。さらに、第二次世界大戦後に工業関連企業を国有化することによって合理化が進み、EC域内の工業国としてもドイツに次いで重要な位置を占めるようになった。2003年における全工業製品の輸出額はドイツの約40%であった<ref>統計値は、''United Nations Statistical Yearbook 2004''、「世界国勢図会 2005/06」、矢野恒太記念会、ISBN 4-87549-435-1 による。</ref>。フランス工業(EC域内工業)の特徴は域内分業である。各産業は国内市場よりもEC域内市場を対象としており、フランスにおいても2004年における貿易依存度は輸出20.7%、輸入21.6%まで高まっている。2003年における輸出額は3660億ドル、輸入額は3696億ドルである。 輸出を金額ベースで見ると、工業製品が大半を占める。品目別では、自動車14.3%、電気機械11.2%、機械類10.4%、航空機5.4%、医薬品5.0%である。工業製品が80.4%、食料品が11.2%という比率になっている。主な輸出国は金額が多い順に、ドイツ、スペイン、イギリス、イタリア、ベルギーであった。 フランスは2004年時点の小麦の世界貿易(輸出)において、第4位(12.5%、1,489万トン)を占めていた。さらにとうもろこしの世界貿易では第3位(7.4%、616万トン)、砂糖では第4位(5.2%、234万トン)、[[チーズ]]では第2位(14.3%、58.3万トン)を占めている。しかしながら、農産物は工業製品に比べて単価が安いことから輸出全体に占める比率は高くない。同じことが工業製品である鉄鋼の貿易にも当てはまる。フランスは2005年の世界貿易(輸出)において、第4位(1,800万トン)を占めているが、フランスの総輸出額に占める割合は5%未満である。一方、単価の高い自動車は2004年における輸出シェアが世界第2位(426.9万台)であることを反映し、もっとも重要な輸出品目となっている。 輸入は工業製品が77.4%、原材料と燃料が13.8%、食料品が8.4%という構成である。輸出入とも工業製品が約8割を占める。品目別では、電気機械13.1%、自動車11.0%、機械類10.0%、原油5.1%、衣類4.1%。主な輸入国は金額順に、ドイツ、イタリア、スペイン、ベルギーであった。 1986年時点の貿易は、輸出1,191億ドル、輸入1,279億ドルであった。輸出に占める工業製品の比率は77.2%、食糧品は15.4%であることから、次第に輸出品に占める工業製品の割合が拡大して来たことが分かる。輸入品についてはこの傾向がより顕著である。 === 高失業率 === 近年<!-- いつからでしょうか -->は慢性的な高失業率に悩まされており、特に[[西アフリカ]]や[[中東]]、[[北アフリカ]]などの元植民地からの[[移民]]とその子孫の失業率が高いため、不満が鬱積したこれらの失業者による暴動が度々起きている。とりわけ[[2005年]][[10月27日]]に発生した移民の死傷事件は、これをきっかけに、パリを始めとしたフランス全土、さらに隣国のドイツやベルギーにも暴動が広がっている。→[[2005年パリ郊外暴動事件]]を参照。 就業者を上げるために、2006年3月に26歳以下の若者を2年以内の雇用なら理由なく解雇出来るという、青年雇用対策「[[初期雇用契約]]」(CPE)を制定したが、逆に「安易な首切りを横行させる」と若者を怒らせる結果となり、フランス国内の大学でのCPE反対の抗議活動が激化、若者が暴徒化し警官隊と衝突する事態に陥った。CPE反対に際しては[[労働団体]]も同調しており、抗議行動への参加や、3月28日には全国で[[TGV]]をはじめとする鉄道やバスなど公共交通機関の運休のほか、郵便局や公立学校などの公的機関、銀行や電力会社など幅広い業種で[[ゼネラルストライキ]]が行われ、交通機関などでマヒ状態に陥った。ドビルパン首相は撤回に応じないと表明したが、[[4月10日]]になり、シラク大統領がCPEの撤回を表明した。 == 国民 == <!-- {{main|フランスの国民}} --> [[ファイル:Point a Pitre.jpg|thumb|260px|[[グアドループ]]の市場。フランスの海外県や海外領土には多数の有色人種系の市民が存在する。]] 欧州最大の多民族国家であるフランスでは、本土では[[ケルト人]]・[[ラテン人]]・[[ゲルマン]]系の[[フランク人]]などの混成民族である[[フランス人]]が大半を占める。また、本土でも[[ブルターニュ]]ではケルト系の[[ブルトン人]]、[[スペイン]]との国境付近には[[バスク人]]、[[アルザス]]ではドイツ系の[[アルザス人]]などの少数民族が存在する。また、[[コルシカ島]]も[[イタリア人]]に近い民族[[コルシカ人]]が中心である。一方、[[西インド諸島]]や[[ポリネシア]]の海外県や海外領土では非白人の市民が多い。 伝統的にフランスは[[スペイン]]、[[ポルトガル]]、[[東ヨーロッパ|東欧]]諸国などから多くの[[移民]]・政治的[[難民]]を受け入れており、低賃金労働に従事する労働者もいた一方、フランスに移住した有数な才能の手で文化や科学を発達させてきた。近年では、[[アフリカ]](主に[[1960年代]]までフランスの[[植民地]]であった地域)・[[中近東]]からの[[移民]]が多い。彼らの中から政界・経済界や文化界、[[俳優]]・[[ミュージシャン]]・[[スポーツ選手]]など[[大衆文化]]の世界で活躍する人材が多く出ているが、フランスの黒人社会は[[アフリカ系アメリカ人|アメリカの黒人社会]]よりも社会進出は遅れており、ほとんどは「[[バンリュー]]」と呼ばれる[[スラム]]化した[[大都市]]郊外の[[団地]]に住んでおり、[[失業]]や犯罪率などが問題になっており、[[2005年パリ郊外暴動事件|パリ暴動]]のような移民との摩擦が起きる事もある。 なおフランスは早くから[[少子化]]対策に取り組み、[[国内総生産|GDP]]のおよそ2.8%にも相当する巨費を投じ国を挙げて出産・育児を支援する制度を様々に取り入れてきた。代表的なものとしては世帯員(特に子供)が多い家庭ほど[[住民税]]や[[所得税]]などが低くなる『N分N乗税制』や、公共交通機関の世帯単位での割引制度、20歳までの育児手当などがある。この結果、1995年に1.65人まで低下したフランスの出生率は2000年1.89人に、2006年には2.005人にまで回復した。現在[[先進国]]で出生率が2人を超えている国は他に[[アメリカ合衆国]]と[[ニュージーランド]]ぐらいであり、フランスはヨーロッパ一の多産国となった<ref> [http://www.insee.fr/fr/ffc/ipweb/ip1118/ip1118.html Insee Premiere n°1118 - Bilan demographique 2006 : un excedent naturel record](フランス語)</ref>。 ただ一方で子供を4人以上産めば事実上各種手当だけで生活する事が可能となり、結果として低所得者が多いアフリカ系の移民やイスラム系の外国人労働者を激増させているのではないかとの指摘もある。これに対して[[INSEE]](フランス国立統計経済研究所)は「移民の出生率は平均より0.4%ほど高いが、全体に占める割合が大きくないので大勢にそれほど大きな影響を与えているわけではない」と説明している<ref>[http://health.nikkei.co.jp/special/child.cfm?&i=2006011908281p4 フランスの05年出生数、3年連続増加・出生率1.94に] - NIKKEI NET、2006年1月19日</ref>。 === 言語 === 現行の憲法第二条によると、1992年から[[フランス語]]はフランスの唯一の[[公用語]]である。このことにより、フランスは西ヨーロッパ(ただし極小国を除く)において公認された公用語が一つしかない唯一の国家となっている。ただし、フランス本土と海外領土を併せると[[オック語]]などの幾つもの[[ロマンス語]]系の地域言語が存在するほか、ブルターニュではケルト系の[[ブルトン語]](ブレイス語)、[[アルザス]]では[[ドイツ語]]の一方言である[[アルザス語]]、コルシカでは[[コルシカ語]]、海外県や海外領土では[[クレオール語|クレオール諸語]]など77の地域語が各地で話されている。近年まで、フランス政府と国家の教育システムはこれらの言語の使用を留めてきたが、現在は様々な度合いで幾つかの学校では教えられている。その他にも移民によって[[ポルトガル語]]、[[イタリア語]]、[[マグレブ・アラビア語]]、[[ベルベル語|ベルベル諸語]]が話されている。 [[フランス語]]はフランスのみならず、旧植民地諸国をはじめとした多くの国で広く使用されている言語であり、フランス語圏は[[フランコフォニー]]と呼ばれる。 フランスは[[点字]]が生まれた国でもある。 === 宗教 === [[ファイル:Sainte chapelle - Upper level.jpg|thumb|260px|[[ゴシック建築]]の[[教会堂]]で、フランスの宗教建築を代表する[[サント・シャペル]]]] 宗教面では、国民の約7割が[[カトリック教会|カトリック]]といわれている。[[カトリック]]の歴史も古くフランス国家は[[カトリック]]教会の長姉とも言われている。代表的な教会は[[ノートルダム大聖堂]]、[[サン=ドニ大聖堂]]などが挙げられる。[[パリ外国宣教会]]はその宣教会。フランス革命以降、公共の場における政教分離が徹底され、宗教色が排除されている。 近年旧[[植民地]]からの移民の増加により[[ムスリム]]人口が増加し、知事も生まれた。フランスではフランス革命以来の伝統で[[政教分離]]([[ライシテ]])には徹底しており、[[2004年]]には公教育の場でムスリムの女子学生のスカーフをはじめとして[[ユダヤ教]]のキッパなど宗教的シンボルを禁止する法案が成立し、主にフランス国外のムスリムからは反発されている。 === セクト(カルト)教団対策 === フランスでは政府として[[カルト教団]]に対処している。非宗教性と中立性を謳ったライシテの概念、欧州人権条約等に配慮して実施されている。MIVILUDESという組織を中心に各省庁が連携して犯罪対策とその予防、洗脳対策などを基準に[[セクト]](カルト)団体に対処している。セクトとされる基準は犯罪性と被害者の存在と人権侵害である。セクトの選別基準に教義や宗派は関係しないし憲法等に織り込まれたライシテの概念からそのようなことはできない。2005年時点に置いてはセクト特有の犯罪を取り締まるための法律をより一般的な刑法へと発展させようとする方向も見せている。 フランス政府は地道な実績を積み上げている。特に悪質な団体を取り締まるために反セクト法(アブピカール法、セクト弾圧法、カルト防止法等数多くの俗称で呼ばれた、正確な日本語訳は「人権及び基本的自由を侵害するセクト的運動の防止及び取り締まりを強化する2001年6月12日の法律第2001-504号」である)を制定し、被害者救済を確立するために判例を積み重ね、犯罪の未然防止や活動内容の監視の為に各県に専門部署を設置したり、子どもへの教育と称して洗脳や酷い教育が行われていないか監視するための部門を設置するなど多岐にわたる。裁判や法律の制定を通じて、セクト被害やその救済という概念を刑法に作り上げようとしている。 フランスのセクト対策に関しては疑問の声も多い。人種差別や宗教差別、人権無視に報道の自由の侵害など、少数派に対し不寛容な「人権の祖国」フランス政府の実態に対する疑問も提起されている。ただし疑問の声を提起する論者は、新聞記事の存在を無視する傾向が強い。新聞記事とこれらの疑問の声の間には内容に大きな乖離があり、信頼性については疑問符が付く。フランスのセクト対策は日本の大手新聞でも紹介されている。 フランス政府のセクト選別基準はライシテを回避するため、犯罪性や人権侵害が基準になっている。このカルト対策を宗教弾圧だとする意見もあるが、宗教に干渉しているのでなく、政府は犯罪を取り締まっているのである。しかしフランス政府は単純な取り締まりだけを考えているわけでもない。報告書に見られるように、セクトは大衆の需要を満たし大衆の望むものを提供しているからこそ繁栄しているのであり、単純に弾圧できるものではない。またある団体の行動や習慣を異常と見るか、多文化と見るかも非常に難しい問題であると記述されている。多文化と異常行動の線引き、この難しい問題に対しフランス政府は西欧的人権や被害者の存在に根拠を置くことでバランスを取っている。 フランス国内でも、セクト対策は宗教弾圧になりうる危険性があり、ライシテの根幹にもかかわる問題の為に、多数の議論を巻き起こし、この過程で「進化するライシテ」「新しいライシテ」等の概念が示された。 フランス政府のセクト対策に係わる日本語訳資料については、[[s:フランス政府セクト対策一覧]](WikiSource)参照。 === 教育 === {{main|フランスの教育}} [[ファイル:Sorbonne DSC09369.jpg|thumb|220px|ソルボンヌ大学]] 6歳から16歳までの10年間が無償の[[初等教育]]と前期[[中等教育]]期間となり、6歳から11歳までがエコール・プリメール(小学校)、11歳から16歳までが[[コレージュ]](中学校)となる。その後3年間の[[リセ]](高等学校)による後期中等教育を経て[[高等教育]]への道が開ける。2003年の推計によると、15歳上の国民の識字率は99%である<ref>https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/fr.html 2009年3月30日閲覧</ref>。 高等教育機関には一般の[[総合大学]]や[[単科大学]]の他に[[グランゼコール]]と呼ばれるエリート学校があり、代表的な高等教育機関としては[[パリ大学]](1211年)、[[モンペリエ大学]](1289年)、[[ストラスブール大学]](1631年)、[[リヨン大学]](1809年)、[[高等師範学校 (フランス)|エコール・ノルマル]]、[[エコール・ポリテクニーク]]、[[パリ国立高等鉱業学校]]、[[エコール・サントラル]]などが挙げられる。 フランスでは、コミュニケーションを重視した国語教育が、小学校での最重要の教育目標になっている。また、一部のエリート大学や[[グランゼコール]]を除き、リセ卒業時に行われる[[バカロレア資格|バカロレア]]に合格すれば任意の大学に入学できる代わり、進級認定は厳格である。 == 文化 == {{main|フランスの文化}} [[ファイル:Tour eiffel at sunrise from the trocadero.jpg|right|thumb|180px|[[エッフェル塔]]は[[パリ]]、およびフランスのシンボルで、[[1889年]]にパリで行われた[[パリ万国博覧会 (1889年)|第4回万国博覧会]]のために建造された。]] [[ファイル:French taste of wines.JPG|right|thumb|180px|[[フランスワイン]]]] 文豪[[スタンダール]]、[[オノレ・ド・バルザック]]、[[ヴィクトル・ユーゴー]]をはじめ中世より文学が発達しており、音楽も盛んである。絵画や[[ファッション]]の分野では数世紀の間欧州世界をリードする地位にあると言われ、近年においてもファッションにおいては[[イタリア]]と並び世界をリードする地位にある。また、長年芸術面で欧州世界をリードする地位にあることから、パリを中心に多くの諸外国の芸術家やクリエイターを引きつけている。 特徴的な社会風土としてよく挙げられる点は、強烈な[[中央集権]]社会、[[エリート]]主義社会、および[[役人|役人社会]]([[官僚主義]])であることなどである。世界でも屈指の強固さを持つ官僚主義に裏打ちされたその社会構造自体を指して、しばしば批判的な意味を含めたうえで『官僚天国』『役人王国』などと形容されることがある。 === 食文化 === {{main|フランス料理}} 食文化の面では、豊かな農産物と王制時代の宮廷文化を背景にした[[フランス料理]]が有名であり、上流階級のフランス料理の他にも地方毎に様々な特色を持つ郷土料理が存在している。蕎麦の[[クレープ]]や、[[ケーキ]]などの菓子文化も発達した。バケットやバタール、[[クロワッサン]]などのフランス発祥の[[パン]]も、日本では[[フランスパン]]と呼ばれて親しまれている。[[チーズ]]、[[ワイン]]の生産国としても名高く、[[アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ|AOC]]法によって厳格に品質管理された[[フランスワイン]]は広く国内外に親しまれている。[[カフェ]]文化が育ったのもフランスであり、17世紀後半に生まれたフランスのカフェ文化は、現在まで広く世界中に根付いている。 === 文学 === {{main|フランス文学}} {{See also|フランス・ルネサンスの文学}} [[ファイル:Victor Hugo.jpg|left|thumb|180px|[[ヴィクトル・ユーゴー]]]] 中世においては[[騎士道]]を歌い上げる[[叙事詩]]が文学の主流を担い、11世紀に『[[ローランの歌]]』が成立した。 ルネサンス期には[[フランソワ・ラブレー]]が活躍し、『[[ガルガンチュワとパンタグリュエル]]』を著した。その後の絶対主義時代からフランス革命期にかけて[[マルキ・ド・サド]]などが活躍した。 19世紀には『[[赤と黒]]』の[[スタンダール]]、[[オノレ・ド・バルザック]]、[[ヴィクトル・ユーゴー]]、『[[三銃士]]』の[[アレクサンドル・デュマ・ペール]]などが活躍した。『[[八十日間世界一周]]』、『[[海底二万里]]』で知られる[[ジュール・ヴェルヌ]]は[[サイエンス・フィクション]]の先駆者となった。 第一次世界大戦後の戦間期には、『[[帰郷ノート]]』などで知られる[[マルティニーク]]出身の[[エメ・セゼール]]は、[[セネガル]]出身の[[レオポール・セダール・サンゴール]]らと共に、科学的人種主義によって不当な扱いを受けていたアフリカ系黒人の文化の再評価を図る[[ネグリチュード]]運動を担った。 === 哲学 === {{See also|フランス現代思想}} [[ファイル:Frans Hals - Portret van René Descartes.jpg|thumb|180px|「[[我思う、ゆえに我あり]]」のコギト命題で知られる[[ルネ・デカルト]]]] 中世において[[神学]]者の[[ピエール・アベラール]]は[[唯名論]]を唱え、[[スコラ学]]の基礎を築いた。後にスコラ学は[[シチリア王国]]出身の[[トマス・アクィナス]]の『[[神学大全]]』によって大成された。一方正統カトリック信仰とは異なる立場で南フランスでは一時[[グノーシス主義]]の影響を受けた[[カタリ派]]が勢力を伸ばしたが、[[アルビジョワ十字軍]]によるフランス王権の拡張やカトリックによる弾圧によってカタリ派は15世紀までに滅んだ。 ルネサンス期には[[ミシェル・ド・モンテーニュ]]が活躍し、『エセー』を著してその中で[[アメリカ大陸]]や[[アフリカ]]の住民を擁護した。しかし、モンテーニュの非西欧世界への視線は非西欧を「文明」として捉えることはせず、後のルソーに先んじて「高貴な野蛮人」として扱うものに留まった。 宗教改革や対抗宗教改革後の17世紀には[[ジャンセニスム]]や[[ガリカニスム]]が隆盛を迎え、[[ブレーズ・パスカル]]、[[ジャック=ベニーニュ・ボシュエ]]らが活躍し、それぞれの立場からカトリック信仰を擁護した。また、『[[方法序説]]』を著した[[ルネ・デカルト]]によって[[近代哲学]]が成立した。 18世紀には[[信仰]]よりも[[理性]]を重視する[[啓蒙思想]]が発達し、[[ジャン=ジャック・ルソー]]、[[シャルル・ド・モンテスキュー]]、[[ヴォルテール]]、[[フランソワ・ケネー]]らが活躍した。これらの思想家は[[清]]の[[儒教]]の影響などもあって、それまでのキリスト教会が担っていた神聖な権威よりも理性を重視する[[合理主義]]的な考察を進め、君主による[[絶対主義]]を否定する[[アメリカ独立革命]]や[[フランス革命]]の理論的支柱となった。しかし、同時に啓蒙主義によってもたらされた合理主義は[[植民地]]の[[サン=ドマング]]や、18世紀末から19世紀末にかけて啓蒙思想を理論的支柱として独立した[[アメリカ合衆国]]や[[ラテンアメリカ]]諸国において、理性を持たない「半人間」という扱いをうけた[[黒人]]や[[アメリカ先住民]]([[インディアン]]、[[インディオ]])を、「より理性的な」白人が合理的に奴隷化し、収奪することを合法化する思想ともなった<ref>[[エドゥアルド・ガレアーノ]]『[[収奪された大地 ラテンアメリカ五百年]]地』大久保 光夫訳 新評論 1971,1986 pp.102-104</ref>。 フランス革命中に活躍した平等主義者[[フランソワ・ノエル・バブーフ]]は、その思想の先見性から[[共産主義]]の先駆者と位置づけられた。『[[人権宣言]]』の説く「人間」に、女性が含まれないことを指摘した[[オランプ・ド・グージュ]]は[[フェミニズム]]の先駆者となった。 啓蒙主義を理論的支柱としたフランス革命が一段落した19世紀前半には[[アンリ・ド・サン=シモン]]や[[シャルル・フーリエ]]によって[[社会主義]]思想が唱えられた。彼等の思想は後に[[カール・マルクス]]と[[フリードリヒ・エンゲルス]]によって[[空想的社会主義]]と呼ばれた。同じ頃[[オーギュスト・コント]]は[[実証主義]]を唱え、実証主義は19世紀後半のラテンアメリカ諸国の政治や文化(1889年の[[ブラジル]]の共和制革命など)に大きな影響を与えたが、[[資本主義]]経済の確立を唱えた実証主義は、ラテンアメリカにおいて、社会進化論などと共に国家が資本主義的な利用を図るために「野蛮」な[[インディオ]]の共有地や解体し、半奴隷労働を強制することを理論的に支えた。19世紀半ばに[[ピエール・ジョゼフ・プルードン]]は[[無政府主義]](アナルキスム)を体系化し、無政府主義は[[ミハイル・バクーニン]]によってマルクスとエンゲルスの[[史的唯物論]]([[科学的社会主義]])に対抗する社会主義思想となった。[[帝国主義]]の時代において、このような19世紀までの社会主義思想も含めた多くの社会思想は、[[マルクス主義]]者の[[ポール・ルイ]](ポール・レヴィ)や、哲学者の[[フェリシヤン・シャレ]]のような数少ない例外を除いて[[植民地主義]]は「野蛮」な非西欧の「文明化」に奉仕するものだとして、真剣に植民地支配やその結果である収奪、暴力を批判する思想とはならなかった<ref>平野千果子『フランス植民地主義の歴史 奴隷制廃止から植民地帝国の崩壊まで』人文書院 2002/02 0pp.65-pp.81,pp.236-pp251</ref>。 第一次世界大戦後の戦間期には[[アンリ・ベルクソン]]や[[ジョルジュ・ソレル]]らが活躍した。一方、植民地からはマルティニーク出身の[[エメ・セゼール]]やセネガル出身の[[レオポール・セダール・サンゴール]]が科学的[[人種主義]]によって不当に評価を低く見られていた黒人とアフリカ文明を再評価する、ネグリチュード運動が提唱された。 [[ファイル:Beauvoir Sartre - Che Guevara -1960 - Cuba.jpg|thumb|220px|[[シモーヌ・ド・ボーヴォワール]]、[[ジャン=ポール・サルトル]]、[[チェ・ゲバラ]]([[1960年]]、[[キューバ]])]] 第二次世界大戦後には[[実存主義]]哲学が隆盛を迎え、[[ジャン=ポール・サルトル]]やマルティニーク出身の[[フランツ・ファノン]]は反[[帝国主義]]の立場から[[アルジェリア戦争]]に反対すると共に、[[アルゼンチン]]の革命思想家[[チェ・ゲバラ]]の[[ゲバラ主義]]や[[毛沢東]]の[[毛沢東主義]]と共に[[植民地]]や[[第三世界]]における[[マルクス主義]]による革命闘争の理論的支柱となった。実存主義者の[[シモーヌ・ド・ボーヴォワール]]はフェミニズム運動を牽引した。1950年代から1960年代のフランスでは、知識人を中心に毛沢東主義が流行した。 実存主義の後には、1960年代からスイスの[[言語学]]者[[フェルディナン・ド・ソシュール]]や、[[人類学]]者[[レヴィ・ストロース]]、[[ヘーゲル]]学者[[アレクサンドル・コジェーヴ]]によって[[構造主義]]が隆盛を迎え、[[ルイ・アルチュセール]]、[[ミシェル・フーコー]]、[[ジャック・デリダ]]、[[ジル・ドゥルーズ]]、[[エマニュエル・レヴィナス]]などが活躍した。[[オーストリア]]の[[フロイト]]が大成した[[精神分析]]学は、20世紀後半に[[パリ・フロイト派]]を立ち上げた[[ジャック・ラカン]]によって新たな段階に至った。構造主義の後には[[ポスト構造主義]]が隆盛を迎えたが、1994年の[[ソーカル事件]]により、構造主義やポスト構造主義の「知の欺瞞」が暴露され、衒学的な姿勢は厳しく批判された。ただし、このような限界がありながらも、未だにフランス初の[[ポストモダニスム]]は[[アラン・バディウ]]のようなフランス人のみならず、[[アメリカ合衆国]]の[[ガヤトリ・チャクラヴォーティ・スピヴァク]](デリダ派)や[[ジュディス・バトラー]](フーコー派)[[スロベニア|スロヴェニア]]の[[スラヴォイ・ジジェク]](ラカン派)らに批判的に継承され、発展を続けているのも事実である。 脱植民地化時代のマルティニークにおいてはセゼールやファノンの後継者である[[エドゥアール・グリッサン]]の全世界論や、[[パトリック・シャモワゾー]]、[[ラファエル・コンフィアン]]らの[[クレオール主義]]が唱えられた。 1990年代には、かつてチェ・ゲバラと共に[[ボリビア]]での革命運動に参加した[[レジス・ドブレ]]によって[[メディオロジー]]が唱えられるなど、ポストモダニスム以外の哲学のあり方も変化している。 === 美術 === {{main|フランス美術}} {{See also|20世紀美術}} [[ファイル:Louvre Aile Richelieu.jpg|right|thumb|180px|[[ルーヴル美術館]]]] フランスは芸術の国として広くその名を知られており、国内、海外を問わず多くの芸術家がフランスで創作活動を行った。[[フィンセント・ファン・ゴッホ|ファン・ゴッホ]]や[[パブロ・ピカソ]]、[[ル・コルビュジエ]]などはフランスで創作活動を行った芸術家達の内の極一部である。 18世紀末から19世紀初めにかけては[[新古典主義]]により[[古代ギリシア]]・[[古代ローマ]]の文化の復興運動が進められ、[[フランス革命]]を描いた[[ジャック=ルイ・ダヴィッド]]などが活躍した。 19世紀前半には[[ロマン主義]]や[[写実主義]]が隆盛を迎え、[[ウジェーヌ・ドラクロワ]]や[[ギュスターヴ・クールベ]]らが活躍した。 19世紀後半には[[印象派]]、[[象徴主義|象徴派]]、[[ポスト印象派]]、[[ジャポニスム]]が隆盛を迎え、[[エドゥアール・マネ]]、[[クロード・モネ]]、[[ポール・セザンヌ]]、[[ポール・ゴーギャン]]らが活躍した。 20世紀初頭には[[フォーヴィスム]](野獣派)、[[キュビスム]]、[[アール・ヌーヴォー]]、[[アール・デコ]]が隆盛を迎え、[[ジョルジュ・ブラック]]や[[アンリ・マティス]]らが活躍した。 1918年に[[第一次世界大戦]]が集結し、それまで世界の中心的地位を占めていたヨーロッパが衰退すると、戦間期には[[シュルレアリスム]]などそれまでの西欧の美術様式に逆らった美術運動が発展した。 [[第二次世界大戦]]後に[[冷戦]]構造の中で[[アメリカ合衆国]]が西側世界の中心となると、フランスの文化的な地位は相対的に低下したが、終戦直後から1950年代にかけて[[アンフォルメル]]や、1960年代に全盛を迎えた[[ヌーヴォー・レアリスム]]などでフランスの芸術運動はアメリカ合衆国と激しく主導権を争った。 === 音楽 === {{main|フランス音楽}} [[ポピュラー音楽]]においては20世紀初頭から1950年代にかけて[[ミュゼット]]や、いわゆる[[シャンソン]]として知られる音楽が流行し、[[エディット・ピアフ]]や[[イヴ・モンタン]]、[[シャルル・アズナヴール]]などが活躍した。また、戦前は[[アルゼンチン]]の[[タンゴ]]が流行し、アルゼンチンでは「[[パリのカナロ]]」などの名曲が作られた。 1960年代から1970年代にはアメリカ合衆国や[[イギリス]]の[[ロック (音楽)|ロック]]の影響を受け、[[ミッシェル・ポルナレフ]]や[[シルヴィ・バルタン]]、[[フランス・ギャル]]などが活躍した。 1980年代以降はフランスの旧植民地から、出稼ぎにやってきた人々や活動の拠点を母国からフランスに移した音楽家も活躍し始め、[[セネガル]]の[[ユッスー・ンドゥール]]、[[マリ共和国]]の[[サリフ・ケイタ (ミュージシャン)|サリフ・ケイタ]]、アルジェリア系の[[ラシッド・タハ]]のような音楽家が活動している。 === 映画 === {{main|フランス映画}} {{See also|ヌーヴェルヴァーグ}} フランスにおける芸術の中でも近年とりわけ重要視される文化は映画である。フランスで映画は、第七芸術と呼ばれるほど、深く尊敬を集め親しみある存在である。毎年5月には南仏の都市[[カンヌ]]において[[カンヌ国際映画祭|カンヌ映画祭]]が開催され、世界中から優れた映画関係者が集まり華やかで盛大な催しが行なわれる。 * [[ジャン=リュック・ゴダール]] * [[フランソワ・トリュフォー]] * [[リュック・ベッソン]] ===ファッション=== ファッションの大衆化が進んだ[[19世紀]]以降、特に20世紀に入ってからはフランスのファッションブランドが世界を席巻しており、[[ジバンシィ|ユベール・ド・ジバンシィ]]や[[イヴ・サンローラン]]、[[クリスチャン・ディオール]]、ガブリエル(ココ)・シャネルなどの[[ファッションデザイナー]]による[[オートクチュール]]や[[プレタポルテ]]の他、これらのファッションブランドが展開する香水やバッグなどが人気を博している。他にも、[[ルイ・ヴィトン]]や[[エルメス]]などの旅行用品や馬具のブランドが衣類や靴、バッグ、小物、香水などのラインを出し世界中で人気を博している。 また、[[パリコレクション]]が世界中の[[ファッション雑誌]]やバイヤーからの注目を集めていることから、フランス以外の諸外国のファッションデザイナーの多くがコレクションへの参加を行っており、日本からも[[コム・デ・ギャルソン]]([[川久保玲]])や[[ケンゾー]]([[1999年]]まで[[高田賢三]])、Yohji Yamamoto([[山本耀司]])などの多数のファッションブランドが毎年参加しているなど隆盛を極めている。 これらのファッションにおけるフランスの隆盛は、フランス文化を諸外国に広めるだけでなく、外貨獲得にも大きく貢献していることから、現在では業界そのものが政府による大きなバックアップを受けている。 === 世界遺産 === フランス国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が26件、[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が1件存在する。さらにスペインにまたがって1件の複合遺産が登録されている。詳細は[[フランスの世界遺産]]を参照。 === 祝祭日 === {| class="wikitable" style="margin:auto;" ! 日付 !! 日本語表記 !! フランス語表記 !! 備考 |- |[[1月1日]]||[[元日]]||Jour de l'An || |- |3月 - 4月||[[復活祭]]日曜日||| Pâques ||[[移動祝日]] |- |3月 - 4月||[[復活祭]]翌日の月曜日|| Lundi de Pâques ||移動祝日 |- |5月1日||[[メーデー]]|| Fête du Travail || |- |5月8日||[[第二次世界大戦]]戦勝記念日|| Le 8 mai || |- |4月 - 6月||[[キリストの昇天|キリスト昇天祭]]|| Ascension ||移動祝日 |- |5月 - 6月中の日曜日||[[ペンテコステ|聖霊降臨祭]]|| Pentecôte ||移動祝日 |- |5月 - 6月||聖霊降臨祭の翌日の月曜日|| Lundi de Pentecôte ||移動祝日 |- |7月14日||[[革命記念日]]|| Fête Nationale || |- |8月15日||[[聖母の被昇天|聖母被昇天祭]]|| Assomption || |- |11月1日||[[諸聖人の日]]|| Toussaint || |- |11月11日||[[第一次世界大戦]][[休戦]]記念日||| Fête de l'Armistice || |- |[[12月25日]]||[[クリスマス]]||| Noël || |} == スポーツ == {{main|フランスのスポーツ}} フランスの3大競技は[[サッカー]]、[[自転車]]、[[ラグビー]]である。他にも[[モータースポーツ]]、及び下記のスポーツが盛んである。 ; [[テニス]] : [[ローラン・ギャロス]]が代表するテニスも盛んで、世界的に著名な選手や監督、指導者も多い。四大大会の一つである[[全仏オープン]]はグランドスラム唯一のクレーコートとして有名。現在は[[ジル・シモン]]、[[リシャール・ガスケ]]、[[ガエル・モンフィス]]、[[ジョー・ウィルフリード・ツォンガ]]、[[ファブリス・サントロ]]、[[セバスチャン・グロージャン]]等数多くのトップ選手のいる強豪国でもある。 ; [[ゴルフ]] : ゴルフ場は多いのに[[ゴルフ]]は競技人口が少なく、当のフランス人たちも不思議な現象と捉えている。 ; [[柔道]] : Judo と綴られる柔道は、競技人口が日本を上回るといわれる程の人気がある。 ; [[競馬]] : [[ロンシャン競馬場]]で[[凱旋門賞]]が[[芝]]コースでは世界最高峰の[[競馬の競走|競走]]として知られる。また、[[繋駕速歩競走]]が盛んであり、[[平地競走]]・[[障害競走]]よりも人気があるといわれている。[[ヴァンセンヌ競馬場]]で行われる[[アメリカ賞]]は世界最高峰の競走で知られる。(詳細については[[フランスの競馬]]を参照) 他には[[ペタンク]]が年中よく親しまれており、アルプス地方では[[スキー]]などのウィンタースポーツが伝統的に盛んである。 === サッカー === フランスで人気のスポーツの1つとして、[[サッカー]]が挙げられる。フランスはこれまでに、[[FIFAワールドカップ]]2大会と[[UEFA欧州選手権]](通称EURO)2大会の開催国になった。[[UEFA欧州選手権1984|1984年欧州選手権]]で優勝した[[サッカーフランス代表|フランス代表]]の流麗なサッカーは「シャンパン・フットボール」と形容された。2回目の自国開催となった[[1998 FIFAワールドカップ|1998年ワールドカップ]]では大会初優勝を遂げ、直後の[[UEFA欧州選手権2000|2000年欧州選手権]]でも優勝した。メンバーの多くを移民の末裔や海外県出身者が占める代表チームは、国民統合の象徴的な存在にもなった。 国内の1部リーグには[[リーグ・アン]]がある。[[バロンドール]](欧州年間最優秀選手賞)を受賞したフランス人選手には、[[レイモン・コパ]]、[[ミシェル・プラティニ]]、[[ジャン=ピエール・パパン]]、[[ジネディーヌ・ジダン]]などが挙げられる。 また、[[国際サッカー連盟|FIFA]]初代会長の[[ロベール・ゲラン]]、ワールドカップ創設の功労者[[ジュール・リメ]]、欧州選手権の提唱者[[アンリ・ドロネー]]([[:w:Henri Delaunay|Henri Delaunay]])、[[UEFAチャンピオンズリーグ|ヨーロピアンカップ]]の提唱者[[ガブリエル・アノ]]([[:w:Gabriel Hanot|Gabriel Hanot]])、UEFAの会長となったプラティニなど、国際サッカーの発展において重要な役割を果たしたフランス人は数多い。その後、サッカー人口が増加した。 === バスケットボール === {{main2|[[:Category:フランスのバスケットボール選手|フランスのバスケットボール選手]]を}} 近年数多くの[[NBA]]選手を輩出しており、中でも[[NBA]]史上初の外国人選手のファイナルMVP受賞者となった[[トニー・パーカー]]が有名。U-18代表など下のカテゴリーの世界選手権でも銅メダルを獲得するなど、躍進目覚しい。 国内には[[リーグ・ナショナル・バスケットボール|LNB]]と呼ばれるプロバスケットボールリーグを持つ。[[バスケットボールフランス代表|代表]]はこれまでに[[オリンピック]]出場6回、[[バスケットボール世界選手権|世界選手権]]出場5回を誇る。2000年[[シドニーオリンピックにおけるバスケットボール競技|シドニーオリンピック]]では銀メダル獲得。決勝戦で[[ドリームチームⅣ]]と呼ばれた[[バスケットボール男子アメリカ合衆国代表|アメリカ]]を後一歩の所まで追い詰め、それまでの「アメリカ圧勝」の図式を崩した。この苦戦を機に、「[[ドリームチーム]]」という名前は使用されなくなった。 [[バスケットボール欧州選手権]](通称『[[ユーロバスケット]]』)では、[[2005年バスケットボール男子欧州選手権|2005年]]に銅メダル獲得。[[バスケットボールフランス代表|代表チーム]]の課題は、[[NBA]]選手が多い為、オフシーズンの代表招集に主力が全員揃わない傾向にある。[[バスケットボールフランス代表|代表チーム]]のニックネームは「Les Bleus」。 === サイクルロードレース === [[ファイル:TourDeFrance 2005 07 09.jpg|right|thumb|220px|毎年7月に3週間以上かけて行われる[[ツール・ド・フランス]]]] {{main2|[[:Category:フランスの自転車選手|フランスの自転車選手]]を}} 世界最大で[[グランツール|三大ツール]]の一つである[[ツール・ド・フランス]]が行われ、人気のスポーツである。ツール・ド・フランスの歴史は古く、[[1903年]]に第1回大会が行われて以来、二度の大戦によって1915年から1918年及び、1940年から1946年の中断があるものの、2008年で95回を数える。しかし、近年ではフランス出身の選手はあまり活躍しておらず[[1985年]]の[[ベルナール・イノー]]を最後に総合優勝者は出ていない。その他フランスで行われる主な大会としては、[[パリ~ニース]]、[[パリ〜ルーベ]]、[[ドーフィネ・リベレ]]、[[ツール・ド・フランス]]、[[GP西フランス・プルエー]]、[[パリ~ツール]]がある。 === ラグビー === フランスにおいてラグビーは富裕層と南部を中心に人気を誇っている。国内ではサッカーと人気を二分するスポーツであり、欧州においても[[イギリス]]に次ぐ強豪国である。フランス代表は流麗で華やかなラグビーを展開することから、「シャンパン・ラグビー」などと呼ばれている。2007年にはワールドカップ(W杯)を自国開催したが、準決勝で敗れ、初優勝はならなかった。フランス政府は全国9カ所に、少年層から青年層までの有望選手が勉強しながら育成できる施設をつくっている。 === モータースポーツ === [[ルノー]]や[[プジョー]]といった最古の量販車メーカーを抱えることもあって、[[自動車]]が実用化されだした[[20世紀]]初頭から早くもフランス国内では自動車レースが盛んに行われるようになり、[[1906年]]には世界初のグランプリレース、[[フランスグランプリ]]を開催している。他にも、[[1923年]]に初開催された[[ル・マン24時間レース]]、近年はフランス国内がコースに含まれなくなったが[[1979年]]初開催の[[ダカール・ラリー|パリ・ダカール・ラリー]]でも知られる。自動車会社としては、ルノー([[ルノーF1]])がF1、プジョーが主にラリーで活躍しているほか、[[マトラ (自動車)|マトラ]]、[[リジェ]]といった比較的小規模なメーカーもF1やル・マンで存在感を示している。多くのドライバーも[[モータースポーツ]]黎明期より数多く輩出しており、そのため優れた結果を残したドライバーも数多い。 === クリケット === フランスにおいて[[クリケット]]はマイナー競技といわれているが、自国開催の[[パリオリンピック (1900年)]]において[[パリオリンピック (1900年) におけるクリケット競技|クリケット競技]]が唯一行われており、イギリス代表と対戦している。 == 脚註 == {{脚注ヘルプ}} {{Reflist|2}} == 参考文献 == * [[福井憲彦]](編)『新版世界各国史12 フランス史』山川出版社 2001/08 (ISBN 4-634-41420-1) * 平野千果子『フランス植民地主義の歴史 奴隷制廃止から植民地帝国の崩壊まで』人文書院 2002/02 (ISBN 4-209-51049-5 C3022) * 梅本洋一 /木下長宏 /大里俊晴 (編)『現代フランスを知るための36章』明石書店 2000 (ISBN 4-7503-1281-9) * 安達功 『知っていそうで知らないフランス 愛すべきトンデモ民主主義国』平凡社(平凡社新書) 2001 (ISBN 4-582-85114-2) * [[篠沢秀夫]]『フランス三昧』中央公論社(中公新書) 2002 (ISBN 4-12-101624-6) * ミュリエル・ジョリヴェ『移民と現代フランス フランスは「住めば都」か』鳥取絹子訳 集英社 (集英社新書) 2003 (ISBN 4-08-720189-9) * 小田中直樹 『フランス7つの謎』文藝春秋(文春新書) 2005 (ISBN 4-16-660427-9) * 山田文比古『フランスの外交力』集英社(集英社新書) 2005 (ISBN 4-08-720310-7 C0231) * [[柴田三千雄]]『フランス史10講』岩波書店(岩波新書) 2006 (ISBN 4-004-31016-4 ) * 紅山雪夫『フランスものしり紀行』 新潮社(新潮文庫) 2008 (ISBN 4-10-104327-2) * 小倉孝誠 『パリとセーヌ川 橋と水辺の物語』中央公論社(中公新書) 2008 (ISBN 4-12-101947-4) * ピエール・ガクソット『フランス人の歴史』 全3巻 (みすず書房) * [[アンドレ・モロワ]]『フランス史』上・下 (新潮文庫) * アンドレ・モロワ『フランス革命』読売新聞社 1950 == 関連項目 == {{ウィキポータルリンク|フランス}} {{Wikiquote|フランス}} * [[フランス語]] * [[フランス関係記事の一覧]] * [[フランス人の一覧]] * [[フランス君主一覧]] * [[フランスの行政区画]] * [[フランコフォニー]] *[[::w:Francophile]]:[[フランコフィル]] == 外部リンク == {{Commons&cat|France|France}} * 政府 ** [http://www.gouvernement.fr/ フランス共和国政府ポータル] {{fr icon}} ** [http://www.ambafrance-jp.org/sommaire.php3?id_rubrique=7 在日フランス大使館] {{ja icon}} * 日本政府 ** [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/france/ 日本外務省 - フランス] {{ja icon}} ** [http://www.fr.emb-japan.go.jp/jp/ 在フランス日本国大使館] {{ja icon}} * 観光 **{{Wikitravel|li=n}} ** [http://jp.franceguide.com/ フランス政府観光局] {{ja icon}} * その他 ** [http://www.jetro.go.jp/world/europe/fr/ JETRO - フランス] {{ja icon}} ** [http://allomarcel.blogspot.com/ リアルタイムフランス情報] {{ja icon}} {{Wikipedia/ja}} [[Category:フランス|*]] [[Category:G8加盟国]] [[Category:欧州連合加盟国]] [[Category:フランス語圏]]