トルクメニスタン

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'''トルクメニスタン'''は、[[中央アジア]]南西部に位置する[[共和制]][[国家]]。[[カラクム砂漠]]が国土の85%を占めており、国民のほとんどは南部の山沿いの都市に住んでいる。豊富な[[石油]]や[[天然ガス]]を埋蔵する。西側で[[カスピ海]]に面し、[[アフガニスタン]]、[[イラン]]、[[ウズベキスタン]]、[[カザフスタン]]と国境を接する。首都は[[アシガバート]]。[[永世中立国]]。20世紀の末から21世紀にかけて、[[ソビエト連邦|ソ連]]からの独立を果たした[[サパルムラト・ニヤゾフ|ニヤゾフ大統領]]による[[独裁政治|独裁]]が長く続いたが、その後は開放路線を歩んでいる。 == 国名 == 正式名称はトルクメン語で、''Türkmenistan''。公式の英語表記は、''Turkmenistan''。[[日本語]]の表記は、'''トルクメニスタン'''。漢字による当て字は'''土耳古斯坦'''。 トルクメニスタンは「[[トルクメン人]]の土地」を意味する。 == 歴史 == 首都[[アシガバード]]郊外には、人類最古の農耕集落遺跡のひとつである[[アナウ|アナウ遺跡]]、および紀元前2世紀または[[3世紀]]頃の[[パルティア]]王国(漢名「安息国」)の発祥地とされる[[ニサ_(トルクメニスタン)|ニサ]]遺跡がある。またこの時代、現在のアシガバードの位置に小さな集落があったが、その後[[サーサーン朝]][[ペルシア]]の領地となった。[[6世紀]]には[[遊牧民]]の[[テュルク系民族]]の領地となり、[[7世紀]]から[[ウマイヤ朝]]および[[アッバース朝]]の領地となる。[[9世紀]]から[[サーマーン朝]]、[[セルジューク朝]]、[[ガズナ朝]]、[[ホラズム王国]]などの領地となる。[[13世紀]]に[[モンゴル帝国]]が侵攻する。[[イル・ハン国]]や[[ティムール朝]]の領地となる。 [[16世紀]]以降、[[ヒヴァ・ハン国]]、[[ブハラ・ハン国]]、[[サファヴィー朝]]などに絶えず侵略される。 [[1869年]]に[[ロシア帝国|帝政ロシア]]軍が[[カスピ海]]東岸に上陸し、[[1873年]]に[[ザカスピ州|ザカスピ軍区]]を設置。同年、ヒヴァ戦争。[[1879年]]に第一次アハル・テケ遠征が行なわれ、[[1880年]]に[[カスピ海横断鉄道|ザ・カスピ鉄道]]が開通する。[[1880年]]から[[1881年]]の第二次アハル・テケ遠征では、[[1881年]]に[[アレクサンドル2世]]治下の[[ロシア帝国陸軍]]が[[アシガバート]]を占領し基地を築く。 翌[[1882年]]に[[アレクサンドル3世]]治下の帝政ロシアにより、[[カフカス総督管区]]内の[[ザカスピ州]]とされた。ロシア帝国への編入後、ロシア向け[[木綿|綿花]]栽培が拡大し、[[1910年]]頃よりロシアの[[綿工業]]の原綿の供給地の役割を果たし、現在も繊維工業や綿花栽培は主要な産業となっている。 [[第一次世界大戦]]中の[[1916年]]から[[1918年]]にかけて反ロシア大暴動([[バスマチ蜂起|バスマチ運動]])が起きる。[[1924年]]に[[トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国]]を民族別の共和国に再編し、[[トルクメン・ソビエト社会主義共和国]]として[[ソビエト連邦|ソ連]]構成国の1つとなる。[[ヨシフ・スターリン]]による[[農業集団化]]に反発した[[遊牧民]]の抵抗が[[1936年]]頃まで続いた。 ソ連時代末期の[[1990年]]8月22日に[[主権]]宣言を行い、10月27日には[[直接選挙]]による[[大統領]]選で単独候補の[[サパルムラト・ニヤゾフ]]最高会議議長が98.8%の得票率で当選した。[[1991年]]10月26日の国民投票でソ連からの独立に94.1%が賛成し、翌10月27日独立。[[1992年]]5月18日、最高会議が大統領権限を強めた新[[憲法]]を採択。1992年5月に[[ロシア]]・[[独立国家共同体|CIS]]諸国との[[集団安全保障条約]]の署名を拒否。 1992年[[6月]]、大統領選でニヤゾフ大統領が99.5%の支持で再選。[[1995年]]12月、[[国連総会]]において「[[永世中立国]]」として承認される(ロシアの影響力を排除する目的と言われる)。ニヤゾフ大統領は[[個人崇拝]]による独裁体制をしき、[[2002年]]8月には終身大統領とされた。国内ではニヤゾフ大統領は「テュルクメンバシュ(トルクメン人の長)」を姓としている。2002年11月25日、アシガバートで大統領の車列が銃撃を受け、警護員1人が重傷を負った。この事件後のニアゾフ政権は、反対派を弾圧し、米ロなどの諸外国を非難するなど国際常識で考えられない行動に出た。 その後ニヤゾフ大統領は、[[2006年]]12月21日未明に66歳で死去した。その直後、同日中に大統領代行[[オヴェズゲリドゥイ・アタエフ]]が刑事訴追を理由に解任された。約2ヶ月後の[[2007年]]2月14日に大統領選が行われ、89.23%の得票率を獲得した[[グルバングル・ベルディムハメドフ]]大統領代行が、正式に第2代大統領に就任した。 == 政治 == === 行政 === 国家[[元首]]である大統領は憲法規定によれば任期は5年で、国民の[[直接選挙]]により選出される。だが1990年以来2006年末までニヤゾフが終身制の下で大統領職に就き、首相も兼任していた。ニヤゾフは、[[2008年]]から[[2010年]]頃に大統領選挙が行われると表明していたが、彼が死亡した為、死去後に大統領選挙が行われた。選挙の結果、得票率89.23%(2007年2月14日[[朝日新聞]])で他の候補を圧倒した[[グルバングル・ベルディムハメドフ]]大統領代行が、第2代大統領に就任した。2008年に憲法を改正した。 === 議会 === [[マジュリス]]と呼ばれる定数125議席の[[議会]]があるが、議員全員は大統領の承認を得る必要がある。議員は[[比例代表制]]に基づき国民の直接選挙で選出され、任期は5年である。 国権の最高機関として国民評議会(ハルク・マスラハトイ)が存在していたが、2008年の憲法改正により廃止され、権限は議会に移った。この際、それまで50議席だった議会定数は125議席に拡大された。国民評議会は、大統領による主宰の下、マジュリス代議員、閣僚、地方、司法権等の代表が入り、大統領不信任案を提出し、弾劾に関する国民投票を行う権限を有していた。 === 政党 === 旧[[トルクメン共産党]]の後身[[トルクメニスタン民主党]] (''Türkmenistanyň Demokratik Partiýasy, TDP'') による事実上の[[一党独裁制]]で、ニヤゾフ初代大統領が同党の議長を務めていた。 憲法では[[複数政党制]]が認められているものの、TDP以外の合法政党は'''[[農民正義党]]'''の1つしかない。この農民正義党はTDPの地方(農村)幹部により構成される[[衛星政党]]であるため、実質には複数政党制は機能していない。[[2004年]]12月19日の議会(マジュリス)選では、全50議席をTDPが独占した。 === 独裁 === ニヤゾフ大統領時代は完全な独裁体制が確立しており、欧米からは「[[中央アジア]]の[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]」といわれていた。 黄金のニヤゾフ大統領像は高さ14メートルで、[[太陽]]を追って回転する。[[言論の自由]]はなく、[[インターネット]]の一般利用も認められていなかった。これに対し、ベルディムハメドフ現大統領は、インターネット利用の開放などを行う事を約束している。さらに国民の多くは[[パラボラアンテナ]]により海外の[[衛星放送]]を受信している。 {{Main|サパルムラト・ニヤゾフ}} == 軍事 == [[トルクメニスタン軍]]は[[トルクメニスタン陸軍|陸軍]]、[[トルクメニスタン海軍|海軍]]、[[トルクメニスタン空軍|空軍]]の三軍から構成されている。 == 国際関係 == {{main|[[トルクメニスタンの国際関係]]}} == 地方行政区分 == {{Main|トルクメニスタンの行政区画}} [[Image:TurkmenistanNumbered.png|right|thumb|320px|トルクメニスタンの地方行政区分]] 5州(ウェラヤトゥ)と[[アシガバート]]市(Aşgabat)で構成される。 # [[アハル州]] - 州都[[アナウ]] # [[バルカン州]] - 州都[[バルカナバト]]、(ネビトダグ) # [[ダショグズ州]] 州都[[ダショグズ]] # [[レバプ州]] - 州都[[テュルクメナバト]] # [[マル州]] - 州都[[マル (都市)|マル]] * 順番は地図の番号と対応させている。 地方自治制度は、ゲンゲシュ(小会議)と地方公共自治機関が構成する。ゲンゲシュは、小都市、町村の代表機関である。ゲンゲシュ議員は、5年の任期で選出される。 === 主要都市 === {{Main|トルクメニスタンの都市の一覧}} == 地理 == [[ファイル:Turkmenistan-map.png|thumb|300px|トルクメニスタンの地図]] === 地形 === [[国境]]線の長さは3,736km。カラクム砂漠が面積の多くを占める。[[ウズベキスタン]]との国境付近に[[アムダリヤ川]]が流れており、そこから[[カラクム運河]]が分かれていて、[[灌漑農業]]などに利用されている。最高地点は東部のウズベキスタン国境にそびえるアイリババ山 (海抜3139m)である。 === 気候 === ほぼ全域が[[砂漠気候]]である。[[夏]]は40~50度、[[冬]]は0度以下まで下がるなど、[[年較差|夏と冬の寒暖の差]]、[[日較差|日中と夜間の寒暖の差]]が激しい。昼と夜で20度を超える温度差になることもある。夏季に雨はほとんど降らない。 == 経済 == 主な産業は、[[天然ガス]]、[[石油]]、[[綿花]]栽培、[[繊維工業]]。特に天然ガスは狭い国土にもかかわらず世界第4位の埋蔵量の資源国である。これらの資源の輸出により潤沢な資金流入があるため、独裁国家には珍しく国民は非常に裕福といわれることがある。しかし、一人当たりの[[国内総生産|GDP]]が5000[[ドル]]なので裕福とはいえない。かなりの額が大統領周辺に消えているのではという指摘がある。見かけ上[[失業率]]は高い(30%前後)が、経済が豊かなことと、政府による治安維持が行き届いているため、現状ではとても治安はよく、近隣諸国と違い[[テロリズム|テロ]]事件等もおこっていない。[[経済成長]]率は潤沢な資源のおかげで高成長を見せている。さらに、[[独裁者]]の政策方針により、国民の収入自体はそれほど裕福ではないものの、食料品・日用品や住居等の[[物価]]が低く抑えられているほか、教育・医療費・電気やガス・[[水道]]などが無料とされている。このため、実質的な収入金額以上には国民生活は安定していると言える。 === 鉱業 === トルクメニスタンは他の中央アジア諸国と比較した場合、鉱物資源に乏しいと言える。例えば、金属鉱物資源は採掘されていない。 ただし、有機鉱物資源、特に[[天然ガス]]に恵まれている。2013年版[[BP統計]]によると埋蔵量はイラン、ロシア、カタールに次ぐ世界第4位の17.5兆立方メートルを誇る。2002年時点の天然ガス産出量は1944千兆ジュールであり、これは世界シェアの2%に達する。[[輸出]]額に占める天然ガスの割合は[[2000年]]時点で49.7%。[[原油]](802万トン)にも恵まれている。輸出額に占める石油製品と原油の割合は合計30.2%である。したがって、輸出に占める鉱業(一部、[[化学工業]]が含まれる)セクターの割合は8割に達する。なお、[[石炭]]はほとんど採掘されていない。 === 観光 === [[メルヴ]]や[[ニサ_(トルクメニスタン)|ニサ]]といった[[シルクロード]]の[[遺跡]]が有名だが、全体として[[観光業]]はあまり発展していない。[[査証|観光ビザ]]の取得手続きは煩雑である。政策により物価はとても安く滞在しやすい。 [[日本]]からの観光については、[[シルクロードトラベルインフォメーションセンター]]が渡航の手配をしている。 == 交通 == {{Main|トルクメニスタンの交通}} {{節stub2}} == 国民 == {{Main|トルクメニスタンの人口統計}} === 民族構成 === [[トルクメン人]]が[[人口]]の大半を占めるが、[[ロシア人]]や[[ウズベク人]]も多い。現在はロシア人は減少傾向にある。 トルクメン人 (85%)、ウズベク人 (5%)、ロシア人 (4%)、その他 (6%) (2003年) === 言語 === [[トルクメン語]] 72%、 [[ロシア語]] 12%、[[ウズベク語]]9%、その他7%。 トルクメン語が[[公用語]]だが、ロシア語が広く通用する。トルクメン人でも長く都市部に住んでいる者やエリートなどの中にはロシア語を[[母語]]とし、トルクメン語が満足に話せない者もいる(ニヤゾフ元大統領自身もそのうちの一人であった)。 === 宗教 === [[イスラム教]][[スンナ派]]が大多数。[[正教会]]も一部存在する。 === 教育 === 2011年の推計によれば、15歳以上の国民の[[識字率]]は99.6%(男性:99.7%、女性:99.5%)である<ref name=2013cia>[https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/tx.html CIA World Factbook "Turkmenistan"]2013年9月8日閲覧。</ref>。 === 保健 === 2013年の推計によれば、国民の[[平均寿命]]は69.16歳(男性:66.18歳、女性:72.29歳)である<ref name=2013cia/>。 == 文化 == {{Main|トルクメニスタンの文化}} [[アハルテケ|アハル・テケ]]というトルクメニスタン名産の[[ウマ|馬]]はトルクメニスタンの誇りとされ、かの[[アレクサンドロス3世|アレクサンダー大王]]もお気に入りだったという。この他、[[絨毯]]も名産品の一つ。 === 食文化 === {{Main|トルクメニスタン料理}} === 音楽 === {{Main|トルクメニスタンの音楽}} [[ペルシア]]、[[インド]]の音楽の影響下にある独自の[[民族音楽]]がある。 また、ソ連時代から[[ジャズ]]や[[軽音楽]]のバンドの活動もあり、打楽器奏者 Rishad Shafi をリーダーとするバンド Gunesh Ensemble のレコードがソ連国営レコード会社から発売されていた。同バンドは高度な演奏技術を持ち、トルクメニスタンを代表するバンドとして西側諸国でも高い評価を得ている。 === 世界遺産 === {{Main|トルクメニスタンの世界遺産}} トルクメニスタン国内には、[[国際連合教育科学文化機関|UNESCO]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が3件存在する。 === 祝祭日 === {| class="wikitable" |- !日付!!日本語表記!!現地語表記!!備考 |- ||1月1日||新年||lang="tk"| || |- ||1月12日||記憶の日||lang="tk"| || |- ||2月19日||トルクメニスタン国旗の日||lang="tk"| || |- ||3月8日||トルクメニスタン(国際)女性の日||lang="tk"| || |- ||3月21日、22日||[[春分の日]]||lang="tk"| || |- ||4月第1日曜日||「[[水の滴、金の粒]]」の日||lang="tk"| || |- ||4月最終日曜日||トルクメニスタン競走馬の日||lang="tk"| || |- ||5月8日||1941-1945年[[独ソ戦|大祖国戦争]]戦死者追悼日||lang="tk"| || |- ||5月9日||勝利の日||lang="tk"| || |- ||5月18日||再生、統一、マフトゥムグルの詩の日||lang="tk"| || |- ||5月最終日曜日||トルクメン絨毯の日||lang="tk"| || |- ||7月第3日曜日||ガッラー・バイラマの日||lang="tk"| || |- ||8月第2日曜日||メロンの日||lang="tk"| ||これはニヤゾフ元大統領がメロン好きだから定められた。 |- ||9月第2土曜日||石油・ガス、エネルギー、地質産業職員の日||lang="tk"| || |- ||9月第2日曜日||トルクメン・バフシーの日||lang="tk"| ||バフシーとは、弾き語りをする音楽師 |- ||10月6日||追悼、全国民服喪の日||lang="tk"| || |- ||10月27日、28日||トルクメニスタン独立記念日||lang="tk"| || |- ||11月第1土曜日||健康の日||lang="tk"| || |- ||11月17日||学生の日||lang="tk"| || |- ||11月最終日曜日||収穫の日||lang="tk"| || |- ||12月第1日曜日||善隣の日||lang="tk"| || |- ||12月12日||中立の日||lang="tk"| || |- ||12月21日||初代トルクメニスタン大統領、偉大なるサパルムラト・テュルクメンバシュ記念日||lang="tk"| ||2007年3月2日制定 |- ||政府が決定||クルバン・バイラムの日||lang="tk"| || |- ||政府が決定||オラザ・バイラムの日||lang="tk"| || |} === 月名と曜日名 === 2002年、ニヤゾフ元大統領の独断により、月の名称と曜日の名称が独自のものに変えられた。国民には不評で、2008年4月現在、元に戻す法案が準備されている。 {| class="wikitable" |+トルクメニスタンの月 |- !月!!日本語表記!!現地語表記!!備考 |- | 1月 || テュルクメンバシュ ||lang="tk"| Türkmenbaşy || ニヤゾフの言葉によれば、彼自身を賛美するためではなく、トルクメン人にとっての最初の月だからだという。 |- | 2月 || バイダク ||lang="tk"| Baýdak || 「旗」、2月に国旗を制定したため |- | 3月 || [[ノウルーズ|ノヴルーズ]] ||lang="tk"| Nowruz || [[イラン暦]]新年 |- | 4月 || グルバンソルタン ||lang="tk"| Gurbansoltan || ニヤゾフの母親の名前。これは議員からの「提案」 |- | 5月 || [[マフトゥムグル]] ||lang="tk"| Magtymguly || トルクメニスタンの国民的詩人 |- | 6月 || オグズ ||lang="tk"| Oguz || 歴史上の人物。トゥルクマーンによる国家をはじめて築いたとされるオグズ・ハーン |- | 7月 || ゴルクート ||lang="tk"| Gorkut || 歴史上の人物。トルクメンの叙事詩の英雄 |- | 8月 || [[アルプ・アルスラーン]] ||lang="tk"| Alp Arslan || 歴史上の人物。[[セルジューク朝]]を拡大させたスルタン |- | 9月 || [[ルーフナーマ]] ||lang="tk"| Ruhnama || ニヤザフが9月にルーフナーマを書き終えたから |- | 10月 || ガラシュスィズルィク ||lang="tk"| Garaşsyzlyk || 「独立」、トルクメンが1991年に独立した月 |- | 11月 || [[アフマド・サンジャル|サンジャール]] ||lang="tk"| Sanjar || 歴史上の人物。大セルジューク朝最後のスルタン・サンジャール |- | 12月 || ビタラプルイク ||lang="tk"| Bitaraplyk || 「中立」、永世中立国となった月 |} {| class="wikitable" |+トルクメニスタンの曜日 |- !曜日!!日本語表記!!現地語表記!!備考 |- | 月曜日 || バシュギュン ||lang="tk"| Başgün || 主要な日 |- | 火曜日 || ヤシュギュン ||lang="tk"| Ýaşgün || 若き日 |- | 水曜日 || ホシュギュン ||lang="tk"| Hoşgün || 善の日 |- | 木曜日 || ソガプギュン ||lang="tk"| Sogapgün || 敬虔の日。死者に祈りを捧げる日 |- | 金曜日 || アンナギュン ||lang="tk"| Annagün || 全国民が[[ルーフナーマ]]を読む日 |- | 土曜日 || ルフギュン ||lang="tk"| Ruhgün || 精神の日。読書や観劇で精神を高める日 |- | 日曜日 || ドゥインチギュン ||lang="tk"| Dynçgün || 休息の日 |} == 著名な出身者 == * マフトゥムグル・ファラージ([[1733年]] - [[1797年]]) - トルクメニスタンの国民的[[詩人]]と言われる。首都アシガバートのメインストリートは「マフトゥムグル通り」と名づけられている。[[バルカン州]]にはマフトゥムグル県が置かれている。なお、出身地は[[世界遺産]]の「[[ゴンバデ・カーブース]]」で有名なゴンバデ・カーヴース(現[[イラン]]、[[ゴレスターン州]])である。 == 脚注 == {{Reflist|2}} == 関連項目 == * [[トルクメニスタン関係記事の一覧]] == 外部リンク == {{Commonscat|United States|United States}} ; 政府 * [http://www.turkmenistan.gov.tm/ トルクメニスタン政府] ; 日本政府 * [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/turkmenistan/ 日本外務省 - トルクメニスタン] {{DEFAULTSORT:とるくめにすたん}} [[Category:トルクメニスタン| ]] [[Category:トルキスタン]] [[Category:独立国家共同体]] [[Category:内陸国]] [[Category:共和国]] [[Category:中央アジア]]