スルタン・サンバス

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スルタン・サンバスインドネシア語Sultan Sambas)は、西カリマンタンサンバス一帯を支配したスルタン[1]

1943年当時まで350年の長い伝統を持ち、広大な地域を所有していた[2]。水(陸)稲地、ゴム園ヤシ園、長い海岸線の沿線における各種権益や、通交税(人頭割税)等から得られる財源も豊富で、年予算額も大きく、ポンチアナク州内のスルタンでも随一と言われていた[2]

1943年当時のスルタンは47-48歳で、家庭には90歳になるという老母があって、孝養ぶりが現地の人の間で好評だった[2]第1次世界大戦の頃、ジャワ島に遊学中、一時、売薬を経営する日本の商社の店員として住み込んでいたことがあったといい、少し日本語を解する、ユーモラスなスルタンだった[2]。棉花の試作に熱心で、手持ちの古い手動式の紡織機で試織をすることもあった[2][3]

付録

脚注

  1. 赤道会 1975 22
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 赤道会 1976 41
  3. 赤道会 1975 22に、スルタン・サンバスについて、温厚な美青年で、よく現地住民に親しまれていた旨があるが、スルタン・ムンパワの嗣子に言及している可能性がある。

参考文献

  • 赤道会 (1976) ポンチアナク赤道会『続赤道標』JPNO 73015036
  • 赤道会 (1975) ポンチアナク赤道会『赤道標』JPNO 73012073