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そのファイトスタイルから「ザ・クリップラー」、「凶獣」の異名を取る。
 
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[[ダイナマイト・キッド]]に憧れカナダの[[ハート道場]]でトレーニングし、[[1985年]]デビュー。バッド・ニュース・アレンこと[[アレン・コージ]]の薦めで[[1987年]]に初来日に[[新日本プロレス]]の練習生となる。リングネームは当初は'''ダイナマイト・クリス'''の名を与えられたが、本人は自分はまだ未熟だとしてダイナマイト・キッドの名を冠するのは恐れ多いとして、'''ペガサス・キッド'''っとして覆面レスラーとして活動。
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: ベノワの代名詞的技。腕を全力で振り切っており、非常にキレ味がいいため、ナイフエッジと呼ばれた。
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: 新日本時代やWCW時代のフィニッシャー。WWEに移籍後も当初は大一番でまれに使用していたが、WWEでは技の規定が厳しい為に使用が控えられた。

2016年2月9日 (火) 21:20時点における最新版

クリス・ベノワ(Chris Bnoit 1967年5月21日-2007年6月24日)はカナダ出身のプロレスラー。小柄ながらもヘビー級に負けないパワーと卓越したレスリング技術の持ち主であった。身長175cm、体重100kg。

概要[編集]

打・投・極の三拍子に加え、飛び技も使える万能型レスラー。どんな相手でも怯まず立ち向かうファイトスタイル。日本のスタイルとカナダ系(ダイナマイト・キッドブレット・ハートを代表とするスタイル)を併せ持つ。新日本在籍中は屈強な肉体から繰り出すパワーで他の軽量級レスラーを圧倒し、アメリカ時代は逆に日本仕込みのグラウンドテクニックで大柄な相手に立ちまわる頭脳プレイも見せる。それを武器に、IWGPジュニアヘビー級王座WCW・世界ヘビー級王座WWE・世界ヘビー級王座等数々のタイトルを手中に収め、数々の名勝負を生み出した。

特にWWE時代、カート・アングルとの名勝負は「ドラマのRAW、試合のスマックダウン」と称された。

そのファイトスタイルから「ザ・クリップラー」、「凶獣」の異名を取る。

来歴[編集]

デビューから頂点まで[編集]

ダイナマイト・キッドに憧れカナダのハート道場でトレーニングし、1985年デビュー。バッド・ニュース・アレンことアレン・コージの薦めで1987年に初来日に新日本プロレスの練習生となる。リングネームは当初はダイナマイト・クリスの名を与えられたが、本人は自分はまだ未熟だとしてダイナマイト・キッドの名を冠するのは恐れ多いとして、ペガサス・キッドっとして覆面レスラーとして活動。

後に獣神サンダー・ライガーに敗れ覆面を取られて以来、素顔で活動。1993年ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア優勝を期にワイルド・ペガサスに改名。ライガーを始め、大谷晋次郎エル・サムライ二代目ブラック・タイガーことエディ・ゲレロらと鎬を削った。1990年にはIWGPジュニアヘビー級王座を獲得した。

1995年、アメリカに拠点を移し、ゲレロやディーン・マレンコらと共にECWに参戦。サブゥーとの試合中、誤ってサブゥーの首を折ってしまったため、ザ・クリップラー(壊し屋)の異名がつき彼の代名詞となった。マレンコとのタッグでECW世界タッグ王座を獲得するなど結果を残したが、ポール・ヘイマンが就労ビザを一向にとらなかったため、マレンコ、ゲレロと共にWCWに移籍した。

WCWに移籍後、数々のレスラーに勝ったが、政治的な事を嫌い、ニュー・ワールド・オーダー等メインストリームに乗る事が出来ず、燻っていた。この頃ケビン・サリバンの妻でマネージャーウーマンと恋仲になり、事実上略奪婚をしている。サリバンとはこの不倫騒動の最中にストーリー上でも抗争していた。その後、1999年再び表舞台に立ち、US王座テレビジョン王座など様々なタイトルを獲得していった。またリック・フレアーを筆頭としたフォー・ホースメンのメンバーとしても活動した。2000年1月16日、WCW・世界ヘビー級王座を時期王者決定トーナメントにて優勝し獲得も、翌日に返上、WWEに移籍した。

WWF(現WWE)に移籍後、同じく移籍したエディ・ゲレロディーン・マレンコペリー・サターンらと共にラディカルズなるユニットを結成。ストーン・コールド・スティーブ・オースティンザ・ロックカート・アングルらと抗争した。2001年にはかつての戦友であったクリス・ジェリコとのタッグで世界タッグ王座を獲得も、同年6月PPVキング・オブ・ザ・リングで行われた、ストーン・コールドとジェリコとのWWE王座を賭けた三つ巴戦で首を負傷。一年以上欠場となる。

2002年7月の復帰後、早々にWWE・インターコンチネンタル王座を獲得。当初はRAWに所属もスマッククダウンに移籍。カート・アングルとの名勝負を連発し番組人気に貢献した。アングルとのタッグでWWEタッグ王座を獲得した。

2003年ブロック・レスナーと抗争しトップポジションに絡み、2004年度のロイヤルランブルでのランブル・マッチで一番手で優勝を果たす(1995年大会のショーン・マイケルズ以来史上二人目)。スマックダウンGMのポール・ヘイマンによってWWE王座の挑戦権を永遠に奪われていたためRAWに移籍し世界ヘビー級王座に挑戦する。レッスルマニア20のメイン戦にて、王者トリプルH、同じく挑戦者ショーン・マイケルズと死闘の末、世界ヘビー級王座を獲得した。しかし同年8月に行われたサマースラムにて、ランディー・オートンに王座を奪われる。

2005年スマックダウンにドラフトで移籍。オーランド・ジョーダンからUS王座を獲得する。その後は、US王座戦線にてブッカー・TJBLらと抗争を繰り広げる。その間に3回同王座に輝いた。

2007年6月11日、RAWで行われたドラフトにて、スマックダウンから第3のブランドとして復活したECWにて移籍した。形は違えども、約12年ぶりにECWに戻った。

死去[編集]

2007年6月24日、CMパンクとのECW王座戦に出場予定も「家庭の事情」を理由に急遽欠場。翌25日にジョージア州の自宅にて、妻子と共に遺体で発見された。40歳であった。

26日地元警察が調査の結果無理心中であったことが判明。動機としては彼が服用していたステロイド剤の副作用による鬱状態とする説などが挙がっていたが、慢性的な外傷性脳損傷が原因であるとの見方を示した。

その後事態を重く見た首脳部が彼に関するデータを一切削除し、記録の改ざんや過去のエイズの出演部分もカットされ、一時的に彼はWWEの歴史から抹消された。

しかし、後にビンス・マクマホンが「今後彼をプロモートすることはあり得ないが、彼が歴史上に存在したことは否定できない」とし、今後は必ずしも映像や記録から削除しないと云う方針を示し、公式HPにて歴代王者には名前が復活している。

主な得意技[編集]

クリップラー・クロスフェイス
ベノワの代表的なフィニッシュ・ホールド。アメリカでは彼が一番有名な使い手で、彼の通称を前に冠してクッリプラー・クロスフェイスと呼ばれている。永田裕志ナガタロックⅡとして使用している。鬼気迫る表情で相手を締め上げる。この技で多くの強豪からタップを奪い、数多くのタイトルを獲得した。彼の鬼気迫る表情から「凶獣」と呼ばれている。
ダイビング・ヘッドバット
尊敬するダイナマイト・キッドのフォームを忠実に再現しており、この技を繰り出すと実況陣から「ダイナマイト・キッドばり!!」と形容されることが多い。首切りポーズからトップロープに上るのも特徴的。飛距離も非常に長く対角線を超える。金網頂上やラダー頂上から放つことがある。
ジャーマン・スープーレックス
3連発放つことがあるが、大勝負の時は10連発放つことがある。
ワイルドボム
新日本プロレス時代に多用された、非常に速い速度で叩きつける変形パワーボム。WWE時代は自身より体格が勝るレスラーが多く、使用されなかった、幻の技である。
ナイフエッジ・チョップ
ベノワの代名詞的技。腕を全力で振り切っており、非常にキレ味がいいため、ナイフエッジと呼ばれた。
ドラゴン・スープレックス
新日本時代やWCW時代のフィニッシャー。WWEに移籍後も当初は大一番でまれに使用していたが、WWEでは技の規定が厳しい為に使用が控えられた。