「草野マサムネ」の版間の差分

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(傷害事件: ガセだったのでさくじょ)
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* スピッツのほとんどの曲を[[作詞]]・[[作曲]]している。[[作詞]]、[[作曲]]の際の名義は本名の「'''草野正宗'''」を用いる。他アーティストへの楽曲提供もしている。聴き手自身でいろいろな解釈をしてもらいたいからと、自身で楽曲の解説をすることは少ない。
 
* スピッツのほとんどの曲を[[作詞]]・[[作曲]]している。[[作詞]]、[[作曲]]の際の名義は本名の「'''草野正宗'''」を用いる。他アーティストへの楽曲提供もしている。聴き手自身でいろいろな解釈をしてもらいたいからと、自身で楽曲の解説をすることは少ない。
 
* 歌手としても多くの作品に参加している。
 
* 歌手としても多くの作品に参加している。
 
== 傷害事件 ==
 
2004年10月25日、『スピッツ』としてラジオ番組に出る前、当時のマサムネの女性マネージャー(当時40歳)が、マサムネの尊敬する会社の社長や別メンバーを呼捨てにして話すのを聞き、さらにその女性が会社に入って当時既に5年目と知り、その女性を別室に無理やり連れ込み説教をしたが、反省の様子が全くないと腹を立て、拳や物で殴る、髪を掴んで壁に打ちつける、顔に唾を吐きかけるなどの暴行を加え、全治一ヶ月の頸椎捻挫を負わせた。また、頬骨も折った。
 
 
すぐさま被害女性は大阪府警大淀警察署に診断書を提出し、10月28日付で傷害容疑で告訴した。マサムネは警察に訴えられたと知ると、同日にマサムネ所属の事務所の東京支社で記者会見を開き、暴行傷害の容疑を認め、テレビカメラの前で「100対0で僕が悪いです」「被害者が芸能界を辞めろと言うならすぐに辞めます」と言って泣きじゃくって反省している様子を見せた。だが、記者からの質問に対してはひたすら「僕が悪い」を繰り返すだけで、質問には全く答えなかった。
 
 
  
 
=== 他アーティストへの提供曲 ===
 
=== 他アーティストへの提供曲 ===

2015年12月20日 (日) 21:49時点における版

草野 マサムネ(くさの まさむね、本名:草野 正宗(読みは同じ)、1967年12月21日[1] - )は、日本ミュージシャンロックバンドスピッツボーカリストおよびギタリスト

人物

概要

  • 身長167.5cm 体重53kg 血液型はO型。
  • 現在まで結婚の発表はないため未だ独身であるとされる。っつうかゲイ。
  • 弟と妹がいる長男である(ちなみにスピッツメンバーは全員が長男である)。草野家の長男は代々名前に「正」の字がつく。
  • 10代の頃から花粉症で、アレルギー性鼻炎持ち。
  • コンタクトレンズとメガネを使用している。
  • 栗原はるみの料理本を持っている。※ラジオにて発言、ちなみにウソ
  • スピッツの楽曲の歌詞において多くの場合一人称が「ぼく」であるのとは対照的に、自分のことは基本的に「俺」と言っており、「~っつうか」という言葉遣いもよく見られるのが特徴である。
  • 自身の性格について本人は、「あまのじゃくでひがみっぽい子分肌」と語っている。

来歴

  • 中学時代は陸上部の部長をしていた。(1年生の1学期まではテニス部)。
  • バンド初体験は高校の学友と組んだコピーバンド。
  • 東京造形大学に入学。同級生である田村明浩と意気投合し、バンドを結成。音楽サークル「重音」に所属する。先輩はカーネーション(後にアレンジャーとして参加する棚谷祐一が在籍)やフライングキッズなど。
  • THE BLUE HEARTSにショックを受けて音楽活動を休止(後述)。
  • 東京造形大学を中退し武蔵野美術大学へ入学するが、田村の自宅にファミコンがあったことから交流は続き、バンド再結成に向かう。

趣味・嗜好など

音楽的影響

音楽活動

  • スピッツのほとんどの曲を作詞作曲している。作詞作曲の際の名義は本名の「草野正宗」を用いる。他アーティストへの楽曲提供もしている。聴き手自身でいろいろな解釈をしてもらいたいからと、自身で楽曲の解説をすることは少ない。
  • 歌手としても多くの作品に参加している。

他アーティストへの提供曲

※カバーは除く。

作詞のみ。アルバム『TRANSISTOR GLAMOUR』収録。
作詞のみ。アルバム『froggie』収録。
もともとはスピッツがアマチュア時代に演奏していた曲。2ndアルバム『名前をつけてやる』の時にレコーディングされたが収録には至らず、歌詞を一部変更して提供した(その後、『花鳥風月』にオリジナルを収録)。
  • テディベアに埋もれてrosy
1994年、スピッツとしてライブで一度だけ演奏され、1年後にrosyに提供となった。プロデュースは、後にスピッツの9thアルバム『ハヤブサ』を手がける石田ショーキチ
これももともとはスピッツがアマチュア時代に演奏していた曲(後に『花鳥風月』でセルフカバー,シングル『流れ星』になった)。ちなみに辺見えみりはスピッツの大ファンであり、この曲と同名のアルバムでは「夢じゃない」「ハニーハニー」「サンシャイン」もカバーしている。
  • 愛のしるしPUFFY
これも後に『花鳥風月』でセルフカバー。メロディーはもともと『フェイクファー』の候補曲として書いていたもの。奥田民生から依頼を受けたため、同じく依頼を受けたトータス松本と電話で相談してお互いに提供することを決めたという(トータス松本は「ネホリーナ・ハホリーナ」を提供)。
作曲のみ。作詞は松本隆。後にイベントでセルフカバーした。2015年には松本隆のトリビュートアルバムで草野が歌う音源が発表された。(後述)
映画『害虫』主題歌。映画監督の塩田明彦から作詞作曲の依頼を受けた(ちなみに、塩田監督の『月光の囁き』に、スピッツの「運命の人」が主題歌に抜擢された経緯がある)。
作曲のみ。アルバム『Lady Miss Warp』収録。
  • 恋のエチュードPUFFY
アルバム『Splurge』収録。ダイハツのCMソングにもなった。
アルバム『宴 ~party~』収録。編曲と演奏にはスピッツのメンバー全員が参加。よなは徹とは過去に、スピッツの「ナンプラー日和」(11thアルバム『スーベニア』収録)でコラボレーションしている。また、スピッツにもライブでのみ演奏された楽曲に「夜明け」というものがあるが、提供曲とは異なる楽曲である。

ソロでの参加作品

※スピッツのメンバー4人での参加については、スピッツの項目を参照。

  • スナオになりたいね種ともこ(シングル/1993年2月21日)
カップリング曲「今さら I LOVE YOU」にバッキングボーカルで参加。
  • WHAT'S UP?森純太(2000年3月10日)
6曲目「18の夏」にアコースティックギターで参加。
亀pact discの1曲目「灰色の瞳」(加藤登紀子長谷川きよしのデュエット曲のカバー)で椎名林檎とデュエット。
スペシャルディスクの1曲目「Sleep John B」(ザ・ビーチ・ボーイズの「Sloop John B」のカバー)にコーラスで参加。
アコースティックギターとサビ部分の作詞、ボーカルで参加。アルバム『よろしくお願いします』ではアルバムバージョンで収録。
太田裕美の「木綿のハンカチーフ」をカバー。編曲はスキマスイッチ常田真太郎
11曲目「わかれうた」(中島みゆきのカバー)で平井堅とデュエット。
2曲目「水中メガネ」を歌っている。[2]

関連項目

脚注

テンプレート:スピッツ