西淀川区女児虐待死事件

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殺害された松本聖香ちゃん(捜索にも使われた画像だが、すでに暴行を受け顔や唇が腫れている)

西淀川区女児虐待死事件(にしよどがわくじょじぎゃくたいしじけん)とは2009年に発生した女児虐待死事件。

概要

母親・松本美奈
同居していた小林康浩

2009年4月7日大阪府大阪市西淀川区の小学4年生の10歳女児松本聖香ちゃんが行方不明となり、親によって家出人捜索願が出され、大阪府警が捜査。

その後、女児母親 松本美奈(当時34歳)と同居男性 小林康浩(当時38歳)、知人男性 杉本充弘(当時41歳)の3人を任意で事情聴取。小林康浩が「聖香が家のベランダで死んだので、遺体を奈良県に埋めた」と供述。4月23日奈良県奈良市の山中にある墓地で、供述通り聖香ちゃんの遺体が見つかった。そして女児母親・松本美奈と同居男性・小林康浩と知人男性・杉本充弘が死体遺棄罪で逮捕された。

聖香ちゃんは生前の1月中旬から顔にアザがあることを被疑者に追求すると、聖香ちゃんは同居男性と女児母親から日常的な虐待を受けていたこと、また3月下旬以降は同居男性によって被害女児がベランダに放置されていることが日常的に行われていたことが判明する。捜査関係者によると、聖香ちゃんは、小林被告に「出て行け」とどなられるたび、「家において下さい」と懇願していたが、知人の杉本充弘被告(41)(死体遺棄罪で起訴)の供述では、その際、小林被告は聖香さんを正座させ、「お願いです。話をさせて下さい」と前置きするよう命じていた、という。

また死亡当日の4月5日午前、小林被告がベランダに出た際、聖香さんは「ヒマワリを探してる」とうわごとを言っていたという。

5月13日に3人が死体遺棄罪で起訴され、6月10日に女児母親と同居男性は保護責任者遺棄致死罪で起訴された。2人の殺人罪での起訴を見送った理由として、2人が被害女児をベランダに閉め出した後も毛布や食事を与えていたことから殺意の認定が困難としたためである。保護責任者遺棄致死罪の刑事審理は5月21日から始まった裁判員制度の対象となる。

大阪地裁は2010年7月21日に女児母親に対して懲役8年6ヶ月の判決を、同居男性に対して懲役12年の判決をそれぞれ言い渡した。

幸せな家庭求め

「聖香を守るべき私が守れず本当に悪いことをした」。美奈容疑者はこれまでの調べにこう供述しているが、その言葉と裏腹に娘を助けることはしなかった。

かつて衣料品製造会社を経営していた父親によると、美奈容疑者は大阪市旭区で育ち、小学生時代に大阪府枚方市に転居。府内の私立高から短大に進んだ。

だが、父親はこう振り返る。「美奈がどの高校に行き、どこの大学に通ったのか知らない。私は父親の役目を放棄していた」。父親は美奈容疑者が10代のころ、妻と不仲になり自宅に寄りつかなくなっていた。

愛情に飢えていた美奈容疑者は平成9年、前夫(38)と結婚。父親は工場のある和歌山県御坊市に2人を呼び寄せた。美奈容疑者は10代のころの寂しさを埋めるかのように幸せな家庭を築き、11年に長女(10)を出産、翌年には聖香さんと三女(9)の双子を授かった。

しかし、幸せな生活は長く続かなかった。工場経営が厳しくなり、美奈容疑者らは16年に前夫の実家がある大阪市西淀川区に引っ越した。

失われるやさしさ

「どこに行ってもみんなのアイドルでいつもにこにこしていたね。まだまだ甘えん坊の聖ちゃんだけど、優しい聖ちゃんのままでいてください」 同区の保育所で18年3月に行われた修了式で、聖香さんに言葉を贈った美奈容疑者。そのころはわが子に愛情をたっぷり注ぐ母親そのものだった。

父親は「小学生になってもおんぶをしていた。怒りたくなるぐらい甘えさせていた」と振り返る。 だが、美奈容疑者が夫婦で開業したお好み焼き店もうまくいかず、住宅ローンも重なって生活が困窮するとともに、母親のやさしさは失われていった。

修了式から数カ月後、生活費のために夜もファミリーレストランでアルバイトを始めた。大阪・北新地でホステスも始めた。家事はおろそかになり、19年ごろには台所は食べ残しで虫がわく状態。汚れた服を着た聖香さんが「ごはんを食べさせて」とマンションの住人に訴えたのもこのころ。前夫との関係も冷え切っていった。

暗転

そんなとき近くの飲食店で出会ったのが小林容疑者。聖香さんを連れて同居を始めた昨年秋、前夫と離婚した。やさしく接してくれる小林容疑者の姿は美奈容疑者にとって、娘以上に大切な存在に写ったようだ。

「お母さんを助けたいし、おじちゃん(小林容疑者)の仕事も手伝いたい」と話していた聖香さんを小林容疑者はしつけと称して暴行、虐待は激しさを増した。「夜は怖いので朝まで待って」。4月4日夜、衰弱しながらも懇願する聖香さんをベランダに引きずりだすのを美奈容疑者は止めなかった。聖香さんは5日午後、ベランダで息絶えたが、そのころ美奈容疑者は美容院に出かけていたという。

聖香さんの遺体と対面した父親は、表情が木の仏像のように感じられたという。「恨みがましい顔や怨念のこもった顔じゃなかった。きょとんとした感じで、母親を小林容疑者から守っているような顔にみえた」とつぶやいた。

碓井真史新潟青陵大教授(心理学)の話「心の寂しさを埋めるような恋愛は、女性を従属的にさせる。美奈容疑者が正にそうで、父や前夫とのきずなを失い、気持ちに余裕がないときに出会った小林容疑者に精神的に依存してしまったのだろう。聖香さんへの虐待を制止できず、別れようともしなかったのはそのためだと考えられる」

虐待

聖香ちゃんは生前の1月中旬から顔にアザがあることを被疑者に追求すると、聖香ちゃんは小林と母親から日常的な虐待を受けていたこと、また3月下旬以降は小林によって聖香ちゃんがベランダに放置されていることが日常的に行われていたことが判明する。

小林と母親は2009年3月中旬以降、聖香ちゃんに対して深夜に及ぶ非常に激しい折檻を毎晩長時間にわたって加え続けた。木刀やプラスチック製バットで殴打する、ドアに叩きつけるなど。

また、毎晩ベランダに締め出し、寒空のもと防寒・寝具なしで寝ることを強要した。聖香ちゃんは硬く冷たい床にシート一枚という劣悪な環境下に連日晒された。そのため睡眠がまったく取れず異常な睡眠不足状態に陥った。あまりの睡眠不足で、室内で行われた折檻の途中に眠りに落ちてしまうこともあった。このことは怒りを買い虐待をエスカレートさせてしまう。

死亡した日の聖香ちゃんは、肌着一枚の上に直接スウェットの上下に裸足という服装で9.6度という寒さのベランダに放置された。裸足のままベランダに締め出されるなど、冬の夜ならば震えが止まらないような服装であったことが窺える。

一日の食事は残り物の白米で作った塩などの味付けの無いおにぎりひとつのみ、もしくはバナナ一本のみしか与えられず、栄養失調状態であった。また、水分摂取も著しく制限された。水分は、一日に500mlしか受け取ることができず、これは一日の必要量を大幅に下回る。

また喘息を患っており、喘息の薬を一切受け取れなかった聖香ちゃんにとって、水分の不足は大変な苦痛であった。この食事制限・水分制限は毎日のことで、そのため聖香ちゃんは連日寒さに凍えながら異常な空腹と喉の渇きに苦しみ、喘息の発作を起こしても薬も与えられず水も飲めないという激しい苦痛に晒され、苦しみつづけた。

検察をして「9歳の女の子が一身に受けるにはあまりにも強烈な虐待で、被害女児の味わった苦しみは想像に余りある」と言わしめた一連の激しい虐待・ネグレクトにより聖香ちゃんは酷く衰弱し、立つこともままならなくなってしまう。トイレに行きたくてもトイレに行くことができず、失禁すら度重なった。聖香ちゃんが衰弱死した前夜も、衰弱しきっている聖香ちゃんに対し、置き去り(失禁)、殴打・平手打ち、正座の強要、ナイフによる恫喝、玄関からの締め出し、ベランダへの放置という苛烈な虐待が行われた。

ここで寝る。おやすみなさい

大阪市西淀川区で2009年4月、松本聖香さん=当時(9)=を虐待し衰弱死させたとして、保護責任者遺棄致死と死体遺棄の罪に問われた母親の松本美奈被告(35)の裁判員裁判の第3回公判が2010年7月14日、大阪地裁(樋口裕晃裁判長)であった。

13日の公判で証言を拒否した内縁の夫、小林康浩被告(39)=起訴=の供述調書が証拠として採用され、検察側が朗読。ベランダに放置された聖香さんの痛ましい最期の様子が語られると、傍聴席からすすり泣きが漏れた。

聖香さんは死亡前夜に小林被告から激しい暴力を受けてベランダにほうり出されたまま、翌日午後3時過ぎに亡くなったとされる。検察側は、小林被告が見たベランダでの聖香さんの様子について

「横たわったまま右手を動かし『ひまわりを探している』と言っていた」

「(死亡直前の)午後3時前に『まだここで寝んの』と聞くと『ここで寝る。おやすみなさい』と言った。その後、身動き一つしなくなった」とする調書を読み 上げた。

また、松本被告について「一番激しくたたいたりけったりしたときも、そばで『何でわからへんの』と聖香をしかっていた」などとする部分を朗読し、松本被告 が虐待に同調していたと強調した。

一方、この日は弁護側の情状証人として松本被告の父親(66)が出廷。事件当時の松本被告について「生活環境が苦しく、鬼の顔になっていた」と振り返った。

大阪地裁は2010年7月21日に女児母親に対して懲役8年6ヶ月の判決を、同居の男に対して懲役12年の判決をそれぞれ言い渡した。

関連項目