共同印刷争議

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共同印刷争議(きょうどういんさつそうぎ)は、1926年の1月から3月にかけて、共同印刷で起きた労働争議[1]。当時、出版労働組合参加の東京の印刷労働者の闘争では要求受け入れが相次ぎ、組合員は8,500人で関東地方で最大の組合となっていた[2]。経営者側はいちはやくロック・アウトを行い、争議団は共同印刷の工場やいくつかの寺院に分散してストライキをしており、労働者は夕方になると帰宅していた[2]

争議が1ヵ月以上に及び、闘争に進展がないことに焦りが出てきた頃に、会社重役の家に対する放火未遂事件が起こり、富坂警察署が争議参加者を何人か容疑者として逮捕し、それが拡大しそうになったときに、中野文夫が自首した[2]

争議は失敗に終って組合はほとんど瓦解したといい、出版労働組合の組合員数は350人に減少した[2]

付録

脚注

参考文献

  • 石堂 (1986) 石堂清倫『わが異端の昭和史』勁草書房、ISBN 4326151749