パスカン・ゲリラ・ラヤット・サラワク
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パスカン・ゲリラ・ラヤット・サラワク(サラワク人民ゲリラ運動、インドネシア語:Pasukan Gerilya Rakyat Sarawak、PGRS)は、1960年代後半にボルネオ島のサラワクで活動していた共産主義ゲリラ[1]。1969年以前にサラワクから追い詰められて西カリマンタンの国境山中に集結[2]。インドネシア政府が軍に討伐を要請したが、広大な森林地帯に潜伏しているため戦果が挙がらず、PGRSによってポンチアナク市の石油貯蔵施設の爆破が試みられるなどした[2]。このため1969年頃、西カリマンタンの奥地では、各地に軍による監視所が設置されていた[2]。
付録
脚注
参考文献
- 赤道会 (1975) ポンチアナク赤道会『赤道標』JPNO 73012073