熊本大学生誘拐殺人事件
熊本大学生誘拐殺人事件(くまもと・だいがくせいゆうかいさつじんじけん)は、殺害後、身代金を要求した誘拐殺人事件。戦後日本の身代金誘拐で成人男性が殺害されたのは初めて。事件解決後、主犯が拘置所から職員と共謀して脱獄未遂事件を起こした。
誘拐事件
1987年9月14日、田本竜也は3人と共謀して、熊本県玉名市をドライブ中だった大学生(小学校時代の同級生)を同乗していた女性共々言葉巧みに誘い出し、同市内の山中で大学生を撲殺。大学生が生きているかのように装い、大学生の両親に5000万円の身代金を要求。同乗していた女性については殺さず、12日間ホテルに監禁し、暴行をおこなっていた。
9月25日、警察は女性を無事保護し、共犯3人を逮捕。田本は後日警察に出頭して逮捕された。
裁判で共犯3人が田本に命令されてやったことを主張、田本は「主犯でない」と否定したが、1988年3月30日、熊本地裁は田本に死刑判決、共犯3人のうち、坂井正則には無期懲役、結城忍には懲役20年、坂本聖也には懲役18年の判決が出る。田本と無期懲役を言い渡された坂井は控訴するが、他の2人は控訴せず服罪。1991年3月26日、福岡高裁が控訴棄却、田本は上告したが、1998年4月23日、最高裁にて田本の死刑確定。2002年9月18日、田本の死刑執行。享年36。死刑執行時は養子縁組により苗字を「田本」から「春田」へ改姓していた。
脱獄未遂事件
上告中の1996年12月、福岡拘置所に勾留中の田本が夜間、窓の鉄格子を切断しているのを看守が発見。実は田本が別の看守Aと共謀して脱獄を計画していたことが発覚する。田本とAは年齢が近いことから友人のような間柄となり、田本が冗談交じりに脱獄計画をAに語っていたが、やがて親に一目会って必ずかえってくるという田本の言葉を信じたAが金切りノコや現金3千円を渡していた。
看守が囚人の脱獄を援助するという前代未聞の事件の裏には、Aが関東地方の拘置所で長年勤務して、親の病気により帰郷して福岡拘置所勤務となり、看守同士の人間関係に悩んでいたことが判明。脱獄事件調査中に、当時の所長が所長室で自殺未遂を起こし、病院に運ばれた直後、飛び降り自殺。またAは懲戒免職となり、逃走援助未遂で実刑判決を受けた。今回の脱獄未遂事件により、Aを含め福岡拘置所の職員12人が減給などの処分を受けた。
関連書籍
- 別冊宝島1419『死刑囚最後の1時間』(宝島社)