西山事件
西山事件(にしやまじけん)とは沖縄返還協定を巡って、1972年に毎日新聞政治部記者・西山太吉と外務省の安川壮外務審議官付事務官・蓮見喜久子が逮捕された事件。沖縄密約事件、外務省機密漏洩事件とも言う。報道の自由について、いかなる取材方法であっても無制限に認められるかが裁判上の争点となったが、西山に懲役4月執行猶予1年、蓮見に懲役6月執行猶予1年の有罪が確定した。
30年後、米国外交文書の公開で、当時の外務省・大蔵省高官の偽証と、検察官の証拠隠しが明らかになったとして、国家賠償請求訴訟が提起されたが、民法の除斥期間を適用され、請求は棄却された。
事件の経過
- 1972年3月27日 衆議院予算委員会で社会党の横路孝弘議員・楢崎弥之助議員が外務省極秘電信を暴露。
- 1972年3月30日 外務省の内部調査で、蓮見は「私は騙された」と泣き崩れ、ホテルで西山に機密電信を手渡したことを自白。
- 1972年4月4日 外務省職員に伴われて蓮見が出頭、国家公務員法100条(秘密を守る義務)違反で逮捕。同日、同111条(秘密漏洩をそそのかす罪)で西山も逮捕される。
- 1972年4月5日 毎日新聞は朝刊紙上、「国民の『知る権利』どうなる」との見出しで、取材活動の正当性を主張。政府批判のキャンペーンを展開。
- 1972年4月6日 毎日新聞側は西山が蓮見との情交関係によって機密を入手したことを知る。しかしこの事実が公になることは無いと考え、「言論の自由」を掲げてキャンペーンを継続。
- 1972年4月15日 起訴状の「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」というくだりで、被告人両名の情交関係を世間が広く知るところとなる。ちなみに、この起訴状を書いたのは当時東京地検検事の佐藤道夫(現民主党参議院議員)であった。
- 毎日新聞は夕刊紙上で「道義的に遺憾な点があった」とし、病身の夫を持ちながらスキャンダルに巻き込まれた蓮見にも謝罪したが、人妻との不倫によって情報を入手しながら「知る権利」による正当性を主張し続けたことに世間の非難を浴び、抗議の電話が殺到。社会的反響の大きさに慌てた毎日新聞は編集局長を解任、西山を休職処分とした。
- 1974年1月30日 一審判決。事実を認めた蓮見には懲役6月執行猶予1年の、西山には無罪の判決が下される。検察は西山について控訴。
- 1976年7月20日 二審判決。西山に懲役4月執行猶予1年の有罪判決。西山側が上告。
- 1978年5月30日 最高裁判所が上告棄却。西山の有罪が確定。
- 最高裁は、報道機関が取材目的で公務員に対し国家機密を聞き出す行為が、正当業務行為と言えるかに付き「それが真に報道の目的から出たものであり、その手段や方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、正当な業務行為というべきであるが、その方法が刑罰法令に触れる行為や、取材対象者の個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙する等、法秩序全体の精神に照らし社会観念上是認することのできない態様のものである場合には、正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びる。」とし、取材の自由が無制限なものではないことを示した。
事件の影響
- 毎日新聞社の取材方法について国民的不信を買ってしまったこと、言うなれば庶民に対していかに報道の正義を理解させ、且つ、庶民の正義感を鼓舞すべき新聞社が、その正義を否定する不倫問題を取材記者が起してしまい、密約問題よりも男女関係のスキャンダルが注目されてしまった。*密約の追及を尻すぼみに終わらせてしまったこともあり、政府は今も密約の存在を認めていない。
- 事件後30年を経て「アメリカ国立公文書記録管理局保管文書の秘密指定解除措置」で公開された「ニクソン政権関連公文書」の中から密約の存在を示す文書が見つかった。しかし政府の態度は不変。
- マスメディアが金科玉条の如く唱えてきた「報道の自由」が、決して無制約なものではないということを自ら明らかにしてしまった。
- マスメディアの間にも思惑の違いがあった。事件に及んで報道の自由を主張するよりも、毎日新聞を批判することに多くのメディアは力を入れた。新聞系メディアへの対抗意識もあり、週刊誌、特に週刊新潮は川端康成の「美しい日本の私」に引っ掛けて「機密漏洩事件 ―美しい日本の美しくない日本人」と題した記事を掲載するなど、大々的に西山と毎日新聞叩きのキャンペーンを行った。新潮には毎日新聞社の内情などが次々に(しかも社員により)通報され、大成功を収めた。この事件で新潮は「一つの大新聞社が傾き、崩壊」するほどの成果を上げ、「言論によるテロリズムの効果」を会得したとさえ言われている(亀井淳「週刊新潮「50年」と沖縄密約報道」)。
- 事件から経営危機に陥った毎日新聞は、日本共産党と創価学会との「和解」(宮本委員長と池田会長の会見)を仲介することを手土産に創価学会機関紙「聖教新聞」の印刷代行を受注。以後、創価学会の影響を排除しきれなくなった。
- 毎日新聞は経営難で1977年に東京放送(TBS)の株式を売却し、TBSは新聞社系の安定株主がいない放送局となってしまった。
事件のその後
2002年、米国公文書館の機密指定解除に伴う公開で日本政府が否定し続ける密約の存在を示す文書が見つかり、西山は「違法な起訴で記者人生を閉ざされた」などとして、2005年4月、政府に対し3300万円の損害賠償と謝罪を求めて提訴したが、2007年3月27日、東京地裁(加藤謙一裁判長)は「起訴から20年以上が経過した後の提訴で、原告の損害賠償請求権は消滅している」と、民法の除斥期間を適用し、密約の有無については判断を示さず請求を棄却した。
2006年2月8日、対米交渉を担当した当時の外務省アメリカ局長吉野文六が、「復元費用400万ドル(当時の換算で約10億円)は、日本が肩代わりしたものだ」と発言したと北海道新聞が報じ、同日の共同通信の取材に対し「返還時に米国に支払った総額3億2000万ドルの中に、原状回復費用400万ドルが含まれていた」と述べ、関係者として初めて密約の存在を認めた。また24日、朝日新聞の取材に対し、当時の河野洋平外相から沖縄密約の存在を否定するよう要請されたと証言。これに対し河野元外相は「記憶にない」とコメントした。
日本政府が密約の存在自体を否定し続ける背景ならびに根拠については、全く不明となっている。すなわち、密約を否定する理由についても日本政府は一切明らかにしていないのである。この事をマスメディアから追及された際にも、日本政府及び外務省は「とにかく無いから無いのだ」と同語反復によって否定し、回答拒否を貫いている。このような政府の全面否定に対して、マスメディア側も最近は「なぜ否定し続けるのか、理由がわからない」と簡潔に批判するに留まっている。
この事件はマスメディアが金科玉条の如く唱えてきた「報道の自由」が、決して無制約なものではないということを自ら明らかにしたばかりか、報道被害に対しての責任追及もまた不可避の存在であることをも明白にした。実際、名誉毀損その他の報道被害に対しての訴訟がこの事件以降相次ぐようになっている。西山事件はマスメディアが政府機関のみならず、一般大衆に対しても脇を見せてしまった最悪の事例という側面も持ち合わせているのである。
2008年9月2日、西山、筑紫哲也、原寿雄、澤地久枝、我部政明など支援者63人からなる『沖縄密約文書開示請求の会』が、沖縄密約に密接に関連する3件の秘密書簡について外務財務両省に対し開示請求を行なった。なおこれらはアメリカ国立公文書記録管理局において既に実在が確認されている。10月3日、外務省が「不存在」の回答をし、西山サイドは行政処分取り消しを求めて提訴した。
2009年6月、元外務事務次官4人が密約の存在を肯定。このうち村田良平は共同通信の取材に実名で証言した。更にこの4人は密約の存在を“伝えるべき首相・外相”と“伝えてはならない大臣”を選別していた事も明らかになった(伝えられていたのは自民党出身の大臣のみで、社会民主党の村山富市には伝えていなかった)。7月、2001年4月の情報公開法施行を前に、外務省で大量の文書廃棄が行なわれ、処分・再生紙化された中には密約関連の文書も含まれていた疑いがある事を朝日新聞がスクープ。
事件を題材とした作品
- 『密約 外務省機密漏洩事件』澤地久枝/岩波現代文庫(中公文庫版は絶版)
- 『密約 外務省機密漏洩事件』(上記のテレビドラマ化作品、のちに劇場公開)goo映画
- 『運命の人』山崎豊子/文藝春秋
- 『加治隆介の議 12巻』弘兼憲史/講談社ミスターマガジンKC
関連項目
外部リンク
- 西山太吉国賠訴訟(藤森克美法律事務所)
- 国会議事録
- ルポ 西山太吉国賠訴訟(週刊金曜日)
- ビデオニュース・ドットコム
- 天木直人のホームページ『メディアを創る』: 「元毎日新聞記者西山太吉氏の言葉」(2006年5月20日)
- 東京新聞:「憲法は、今 沖縄「密約」の果てに 在日米軍再編の原点」上・“国家犯罪”再び問う(2006年5月1日)、中・『きれいごとすぎた』(2006年5月2日)、下・『米の言いなり』今も(2006年5月3日)
- 日刊ベリタ:「沖縄返還密約『吉野文六証言』の衝撃と米軍再編」(2006年4月1日)
- 朝日新聞:別刷 be 連載 逆風満帆「元毎日新聞記者 西山太吉」(1)(2)(3)(4)
- 福島みずほ公式ホームページ「参議院予算委員会質問」: 「沖縄返還に関する密約問題について」(参・予算委員会、2006年3月13日)
- 北海道新聞:「1971年 沖縄返還協定 『米との密約あった』」(2006年2月8日)
- 衆議院第68国会:予算委員会議事録第19号(1972年3月27日)
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