カルロ・ファン・ネステ

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カルロ・ファン・ネステ(Carlo van Neste, 1914年[1]4月1日 - 1992年7月12日[2]は、ベルギーヴァイオリン奏者。[3]

アントウェルペンにてカール・ファン・ネステ(Carl van Neste)として生まれたが、第一次世界大戦時に名の「カール」がドイツ風であった為、「カルロ」に変更された[4]。アントウェルペン音楽院のヴァイオリン教師であった父ミシェル[5]に幼少期よりヴァイオリンの手解きを受ける。1925年にベルギー北部の海岸リゾートであるクノック=ル=ザウテのヴィラ「ル・シャントレル」に滞在中のウジェーヌ・イザイを訪問して演奏を披露し、「この素晴らしい子は、我々の流派に大きな足跡を残すだろう」と激賞された。同年、生地で初めてリサイタルを開く。その後、ブリュッセル音楽院で和声や対位法などを学びつつ、イザイにヴァイオリンを師事。また、パリのエコール・ノルマル音楽院に留学してジャック・ティボーの薫陶を受け、ジョルジェ・エネスクの個人指導も受けた。1933年にはヴェルヴィエ市からヴュータン賞、1934年にはリエージュ市からクライスラー賞をそれぞれ授与された。1937年のウィーン国際音楽コンクールでは銀メダルを授与された。1942年にブリュッセル王立音楽院の教授に就任[6]。1964年にはピアノ奏者のナウム・スルズニーとチェロ奏者のエリック・フェルドブッシュとでベルギー・エリザベート王妃三重奏団を結成[7]。同時代の作曲家の作品の演奏にも積極的に取り組み、フランシス・ブルギニョン、ローデウェイク・デ・フォークト、フロール・アルパールツ、ヴィクトル・レグリー、レイモン・シュヴルイユ、マルセル・プート、ジャン・アプシル、ルネ・デフォッセ、ジョゼフ・ジョンゲン、アルベール・ユイブレシュト、アルトゥール・ミュールマンスやゴッドフリートとフレデリックのデフリーゼ親子等の作品をレパートリーに入れていた。こうしたベルギーの同時代の作曲家の作品の擁護の姿勢が評価され、1973年にはベルギー作曲家連盟からフーガ・トロフィーが贈られている[8]。1989年には長年の功労を称える形でエリザベート王妃国際音楽コンクールでファビオラ王妃から金メダルを賜った。

ブリュッセルにて死去。

脚注

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  2. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
  3. Neste (2012) NesteDominique van [ CARLO VAN NESTE ] Homage to Carlo Van Neste Belgian Violin School Pavane Records 2012
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  5. アーカイブコピー - インターネット・アーカイブ
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