原谷 俊二郎(はらたに しゅんじろう、生年不詳 - 1925年?)は、石川県出身の社会主義者[1]。
小松中学出身。春辺会に入会していた。[2]
古寺町の美川屋という旅人宿に下宿していたことがあった[3]。
『種蒔く人』やクラルテ運動に共鳴していた[4]。
東京帝国大学へ進学[3]。
1924年頃、西大久保にあった同人塾の塾生だった[5]。
同年7月中旬に喀血して病臥し、郷里に帰って療養[6]。病状は一進一退を繰返したが、1年ほどしてから死去した[6]。