DJ TARBO
DJ TARBOはTARBOという名前で世界から日本の至る所で音楽活動(DJ、シンガーソングライティング)、小説活動、精神カウンセラーをしている。
福島県いわき市出身。本名は「白井貴紀(シライタカノリ)」、英語名「Jason Charles Thomas」
韓国語名「권타범」読みは「クォン・タボム」で、Kwon Jasonという名前で世界を歩き回る。3カ国語話者である。
TARBO (ターボ) とは小学4年生(当時1999年)から呼ばれ続けているあだ名から取ったものである。
尊敬する人はMatchbox TwentyのフロントマンRob Thomasと高校時代の3年間お世話になった恩師であり、
好きなアーティスト及び影響を受けたアーティストはBoA、ユンナ、Owl City、OneRepubluc、Matchbox Twentyである。
好きなスポーツはバドミントンと野球。
(東北楽天ゴールデンイーグルスの大ファンである。好きな選手は、背番号#00阿部選手、#23聖澤選手、#37嶋捕手であると自らのTwitterで述べている)
好きな食べ物はフライドポテト、唐揚げ、あんまん、お萩。そして精神障害者である。精神障害者手帳3級等。
好きな言葉は「RUN」であり、他人は他人であり、自分はありのまま自分自身の道を走るという意味を心留めている。
好きな言葉とは別に座右の銘は「一期一会」である。
現在はどこの芸能事務所にも在籍せずにフリーで活動している。
バイオグラフィー
福島県いわき市に生まれ育つ。生年月日は1990年1月14日B型である。
中学1年生(当時2002年)の6月、日韓共同サッカーワールドカップ及び当時人気を誇っていた韓国人歌手BoAの影響により独学で韓国語の学習を始める。
初めて買ったK-POPのCDはBoAの2集「No.1」である。それから、K-POPの魅力やハングルの文字体に興味を持ち、音楽と共に学習をするようになるが、
当時両親は反韓だったため韓国語学習を阻止され、テキストなどを捨てられ英語学習に励むようになる。
それでも彼はBoAのように3カ国語話者になる夢は捨てずにいた。まずは英語だと彼は悟っていた。
tvkにて放映されているBillboard Top40が当時、福島県では深夜の時間帯に放映されており、その番組の影響により洋楽の虜になる。
初めて買った洋楽のCDは現在DJにも関わらず、Avril Lavigneの「Let Go」だった。そしてEvanescenceの「Fallen」に浸ると同時に様々な洋楽を聞くようになり、
お小遣いを貯めてはCDにお金を費やすこととなる。BIllboard Top40で気になった洋楽はとことんチェックしていたのが彼の日課でもあった。
自己の英語スキルを向上させるため福島県立平商業高等学校、国際経済科(現在は少子化により廃学科になってしまった)に
進学すると英語のみならずパソコンや商業処理等の資格をたくさん取得するようになった。
部活動はバドミントン部に所属しながらも勉学と部活動の文武両道を行い高校3年間推薦により学級委員長であった。
TARBOの栄光としては2007年に全て訪れた。全国商業高等学校対抗英語スピーチコンテスト大会の
福島県立平商業高等学校代表に選ばれるが、福島県予選で落選。
全国商業高等学校協会主催「電卓実務検定試験」そして「ワープロ実務検定試験」をどの学科よりも最も早く1級を取得する。
趣味で書いていた小説を福島県いわき市教育委員会主催文学賞「吉野せい賞」に応募したところ、そして商業高校生にも関わらず奨励賞を受賞し、人生初の賞状を得る。
それから校内で一躍有名になる。受賞した作品名は「Where Is The Love?」という家族愛を取り戻す内容であった。
取材時に彼は「タイトルの中にLOVEと書いてあるため、恋愛小説や官能小説と勘違いされることが多く参った」と語った。
高校時代3年間お世話になった恩師の人生アドバイスにより大学進学に向けて英語及び英会話に力を入れるようになった。
しかし、保健体育と国語と数学が非常に苦手であり常にこれらの3つの教科は赤点だったという。
「三者面談の時、テスト答案を返しながら進路を進学か就職にするか決めるのがあって、国語15点、英語98点という結果で、
進路相談担当教員に『お前は日本人か?』と怒鳴られたのを非常に覚えている」と彼は答える。
そして、2007年に再度韓国語を学習し始める。ユンナの1集「告白するのに良い日」からのリード曲「パスワード486」を衛星放送で見て、BoAに続き、韓国人の彼女の虜になる。
大学受験を現役で合格し、茨城県にある私立常磐大学国際学部英米語学科に入学する。当時2008年。
実際のところ彼は「駒沢大学」か「神田外国語学校」を志望していたが、両親に反対され、茨城県水戸市にある常磐大学に専願し合格する。
英語と韓国語を同時に学習するようになった。韓国語の授業は全てオールAだった。
英語に関しては言語学を専攻し、「第二言語習得研究論」を学ぶ。
構内にある国際語学学習センターのイベントに積極的に参加し、英会話のスキルを一気に伸ばした。
「外国人と触れる機会があまりにも多く性格がアメリカ人のようになってしまった、
社交辞令出来ないし喜怒哀楽も顔にすぐ出るし、行動に出てしまう。何より、靴を履いたままソファーや椅子に乗るようになった。
箸よりもフォークとナイフ。」と話す。
大学2年次(当時2009年)に彼に人生最大の事件が起きる。人間関係によるトラブルに何度も巻き込まれ、
かつ当時教職課程だったため授業数が他の生徒よりも多く履修し、自分に負担を掛け過ぎてしまい不眠障害に陥る。
一時的な症状だと勘違いし、早期発見出来ず、最終的にうつ病と診断される。
それでも国際交流や勉学の文武両道を行い、学科代表に抜擢され大学モデルになる。
そして大学のポスターモデルに起用されJR常磐線及びJR水郡線などの車両に顔を広めることとなる。
2010年、大学の留学プログラムに参加しUniversity of California, Irvine(UCIと略す)こと「カリフォルニア大学アーバイン校」に留学する。
初の渡米、海外ということで学校側は彼の病気を考慮し反対を申し出るが、彼はそれを押し切ってカリフォルニア州へホームステイすることを決意する。
異国の地で知り合う様々な国籍の人たちと友達になり、改めて世界を知ることとなった。
「UCIに在学中は英語や言語学そして文化の学習よりも人との出会いをたくさん学んだ。出会いと別れを繰り返して一期一会を何よりも学んだ。」
「また、カリフォルニアの環境や人々の人情が自分の性格にマッチングしていたせいか、薬を飲まなくてもカリフォルニアでは元気でやっていたんだ」と彼は笑って話す。
UCIでの全授業、科目をオールA+という好成績でプログラムを卒業した。国際センターから留学を延長すべきだと指摘されたが両親の反対により帰国する
カリフォルニアから帰国すると病状が悪化する。
対人恐怖症や双極性、躁鬱まで悪化し、学校側は彼に対し休学を申し出、彼はそれを受け入れ半年間休学することになる。
2011年3月11日、東日本大震災で地元である福島県に大ダメージを受けるのを知り、彼自身大きなショックを受け、
病状は更に悪化し、自律神経が乱れ、学校側から精神病院に入院するよう求められる。
しかしながら彼は断り、全財産を使い、自分の人生を探るために2010年にカリフォルニアへバックパックへ向かう。
帰国後、親族に「不謹慎」と打ちのめされ、自殺を試みるが失敗に終わってしまった。
そのせいか、耳たぶに大量のピアスの穴を開けることとなり、軟骨等含め最大15個を血まみれになるまでに開けた。
2011年最上学年になり、学科の後輩によって勇気づけられ、再び自身を取り戻し、うつ病を克服した。
「3つ年下の1年生たちとやけに気が合い、改めて人生の楽しさを知ったよ。彼らは本当にそれぞれ個性的でユーモアで年齢関係無く毎日過ごしていたよ。」
「同年代の友達とも上手くやれるようになって、気がつけば英米語学科の全学年の後輩たちが
カフェテリアに集合して、語ったり、勉強の教え合いやゲームなどをしたよ」
しかしながら、2010年の休学期間のせいで教職課程で必要な「教育実習事前指導」を受けることが出来ず、4年次になって教職課程を諦めざる得なかった。
その分、国際交流や学科に貢献するためオープンキャンパススタッフ、英語スピーチコンテストスタッフ、留学生カウンセラー兼日本語教師などといった活動に力を入れる。
無事、2012年3月に大学を4年で卒業し、茨城県水戸市を離れ、東京都へ就職により上京することとなる。
IT兼広告会社に内定をもらっていたが、1年目にて脱サラし、日本大学通信教育学科に入学する。
しかし、うつ病が悪化し、大学の勉学に身が入らず、2013年に退学を決意する。
「学生時代うつ病が一時的に治ったあの奇跡は、もしかして、好きなことをして楽しんでいたからではないか?」と自問自答し、
大学3年に野球部の親友と始めたDJクルーを思い出し、独学でDJプレイを習う。
2013年3月にTwitterを通じて野球部の親友を差し置いて名古屋のクラブでDJデビューをする。
オーガナイザー曰く、ピッチングと選曲に気を配るようとアドバイスを受けたものの、名古屋のオーディエンスから大きな支持を得ることとなる。
その後、福島県いわき市にて4月から11月まで毎月第2日曜日に行われる、野外イベント「いわきPark fes」にてDJを引き受ける。
DJを行う中、ソングライティングにも力を注ぎ、東京都渋谷のライブハウスにてライブを2回行う。
それぞれの場所で音楽活動を行うとともにDJオファーが日に日に増えていく。
他のDJとは異なって1つの音楽ジャンルに捕われず、DJプレイ場所の雰囲気やオーディエンスの特徴を捉え、RockやPopsにDance、K-POP、Hiphop、R&Bなど
オリジナルのプレイスタイルを見せつけることとなり、オファーが増え、自身のFacebook Fan Page "TAKKK"にてファン数1000人を超えるようになる。
また自伝小説"THE TIME OF MY LIFE"が出版社により好評価を頂き、小説の創作活動も欠かさずに行うこととなり、
今や音楽活動と小説作家として地道に進歩している。そして、自分のうつ病を研究するために心理学のあらゆる検定資格をとり、
自身のTwitterなどを通じて精神障害患者にカウンセリングなども行う。
DJになったきっかけ
大学2年次(当時2009年11月)硬式野球部と親しく、洋楽仲間を結成していた。
そのうち最も仲の良い親友に誘われ、水戸市内のクラブへ足を運び様々なDJと親しくなり、2人でDJを始める。
たまたまパソコンが壊れているということもあり、DJプレイには欠かせないApple製品にIT機材を全て替え、同時にDJ機材も揃える。
TARBOが選んだDJスタイルはPCDJである。理由としては洋楽やK-POPのmp3といったデジタル音源をたくさん持っていたからである。
また、パソコンを巧みに操ることが出来るため、あえてアナログDJやCDJではなくPCDJを選んだ。
「PCDJならその場の雰囲気やオーディエンスの様子を見ながら楽曲の選曲が出来る。
パソコンやUSBにたくさん楽曲を蓄えておけば、雰囲気も様子も伺えるし、リクエストにもすぐ応えられる。」
「大抵、リクエストとして頂く楽曲は全世界で有名な洋楽がほとんどだから」と語る。
様々なDJのMIX CDを頼りにBillboardやUK Official Chartで得た洋楽(オールジャンル)用いてDJ TARBO名義で
MIX CD "THE WORLD WITHOUT US"を一時的にリリースした。
しかし当時のスキルでは、その作品は受けが悪かった。R&BにBalladそしてHipHopにパーティチューンと雑なMIX CDだったからだ。
悪評価をバネに音楽機材をApple社推薦パイオニアのコントローラに切り替え、ミックスやピッチングを調整のトレーニングを独学で行った。
DJ活動記録
2010年10月 常磐大学ET主催Halloween Party in 茨城県水戸市
2011年10月 常磐大学ET主催Halloween Party in 茨城県水戸市
2012年2月 COME ON JAPANESE in Hollywood (見学ゲスト)
2013年3月 eight (FLASH&FLASHY) in 愛知県名古屋市
2013年5月 いわきパークフェス in 福島県いわき市
2013年6月 いわきパークフェス in 福島県いわき市
2013年7月 いわきパークフェス前夜祭パーティ in 福島県いわき市
2013年7月 いわきパークフェス in 福島県いわき市
2013年7月 福島県いわき市震災復興祭 水風戦ブース担当 in 福島県いわき市
2013年10月 いわきパークフェス in 福島県いわき市
2013年10月 gohobi -Halloween Events with 夜明け市場- in 福島県いわき市
2013年12月 SHIROGANE TABLE -Christmas Party & Birthday Event- in 福島県いわき市
2013年12月 COUNTDOWN PARTY in 韓国ソウル特別市
2014年2月 Wedding Party in 東京都代官山
2014年4月 いわきパークフェス in 福島県いわき市
2014年5月 いわきパークフェス in 福島県いわき市
2014年6月 Study Tour Event in 韓国ソウル特別市
2014年7月 いわきパークフェス in 福島県いわき市
2014年10月 Halloween Party at SOUPE in 福島県いわき市
2014年11月 いわきパークフェス in 福島県いわき市
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シンガーソングライティングについて
高校1年次(当時2005年)、人間関係に悩んで、一時期登校拒否になった時があった。
その時にMatchbox TwentyのUnwellという曲に出会い、Rob Thomasの存在を知る。
そして彼がどんな人生を送って来たのか、彼が描く音楽スタイルに惚れ込んだことがきっかけであり、
高校1年からリリックをたくさん書き始めるようになる。
2007年、高校3年生にはリリックを集めた1冊のリリック本(物語のようにリリックが繋がっている)を手作りで作成する。タイトルは「恋愛条件」
2009年、大学2年次に友人に頼まれバンドへリリックを提供する。「Face Down」「Battlefiled」の2作品を提供する。
2010年9月、歌に自信が無くても音楽への情熱が強く、音楽活動を自ら行うようになる。
当時はTHE-DREAMの影響を受けてTHE-TARBOで活動していた。
2011年、卒業論文や国際交流リーダーに専念するため音楽活動を休止するが、すぐに活動を開始する、それに伴いTHE-TARBOからTakkkに改名。
Takkkという名前で活動していたため、現在のFacebook Fan Pageのアーティスト名がTakkkのままである。(Facebookの規定によりファン数が多い場合変更が不可能)
2012年より心機一転、原点に戻りTARBOという名前で音楽活動を行う。
2014年7月にTARBOとして初ミニライブステージ「1st stage "Atlantis"」を行う。
Atlantisと名付けた理由として彼は「2014年7月今まで様々な人間関係を通り抜け、
裏切られては裏切って、犠牲にされては犠牲にして、いつしか過去を振り返らなくなった。」
「その過去を自分で打ち消してしまった。でも過去には戻れない、未来も過去も自分で作るものだ、だから記憶に呪文を掛ける旅をイメージして欲しく、
大西洋にあったと言われているAtlantis大陸の名を取った」と述べている。
小説創作活動について
中学2年生(当時2003年)に夏休みの課題のうちに長編小説作成があり、チャレンジ精神が誰よりもあった彼は長編小説作成を選んだ。
そして学内で選考を行い、福島県いわき市教育委員会主催「吉野せい賞」に提出するとのことだった。
彼が書いた人生初の小説は「Sea of Love」という作品で、中学2年生にして人生関係の複雑さを表現した作品である。
残念ながら学内選考は通ったものの、「吉野せい賞」では一次選考で落選となる。
負けず嫌いな彼はまた更に書き続け、中学3年次(当時2004年)には「Haunted Park」という自殺した幽霊から人生を学ぶ作品を書いたが落選。
高校2年次(当時2006年)に「Sooner Or Later」という物語を描いた、「遅かれ早かれ自分の過ちに気づく」という物語だが、また落選。
しかし高校2年次は3年生の部活引退により部活動(バドミントン部)が忙しくなる。
後輩にスコアの書き方や線審や主審の仕方などのトレーニング、後輩指導と、主務の仕事に携わっており、
他校の部活仲間とも時を過ごすことが多くなる。
そんなある日、高校時代の親友でもあり部活仲間が夢に出て来た物語こそ、彼自身初の文学賞受賞となった「Where Is The Love?」である。
この物語は2006年から2007年に掛けてゆっくりと書き上げた物語である。
2007年に奨励賞を受賞し、2007年11月3日に受賞者パーティに出席及び授与式に出席。
「市で偉い人との会食もあってマスコミから写真も撮られて緊張のあまり鼻血を出して救護室に運ばれたのを覚えているよ」と時効トークを笑いながらしてきた。
受賞をきっかけに小説創作への情熱に力が入り、たくさんの物語を書き続けた。
「Good Is Good」野球肩を負いながらも野球引退試合に挑むドキュメンタリー小説(最終選考で落選)
「母さんの日記〜MAMA」母親と息子の成長日記である、舞台は茨城県土浦市。
「Welcome To My Life?」うつ病を患ってから初の創作であり、どうして自分だけうつ病?をモチーフに描いた物語で自分をまるで移した作品である。
「僕を死んだことにしてください」いじめ、虐待によって精神障害を負った主人公が自殺目的で旅へ出る物語の中、同じ状況の青年に出くわし、人生を見つめ直す作品である。
「Ninja's Flow」彼自身初のSF小説である。弱虫小僧が山の秘密を知り忍者になり街の平和へ繋げる物語である。
「死にたいという言葉しか」ストレス社会の中、自殺を図った新卒青年の心を探った作品である。(最終選考で落選)
「STEP」父親は某有名野球選手、その息子の野球人生を描いた作品である。
「人生の天然色」1946年8月15日終戦記念日までの日本と韓国との関係、アメリカとの関係の半分ノンフィクション作品。(現在選考中)
「本当の理由たち」同性愛を含んだ物語で幼なじみ3人が三角関係だったということに気づき友の絆を描いた作品(現在作成中)
「違って、でも一緒」生活保護を受ける家族と支える仲間たちとの人情を描いた作品(現在作成中)
2013年2月 TARBO自伝「THE TIME OF MY LIFE」がある出版社にて好評価を得る。
TARBO自身の最も好きなこと
LushとBody Shopがとても好きで、愛用している。
日本大学在学中はLushで働いていたことも。
原料の成分に非常に詳しく、Lush製品とBody Shop製品を使い分けながら、ヘアケア、フェイスケア、ボディケア、メイクなどしている。
「バスタイムはほとんどLush製品で長風呂します、特に泡風呂が大好きで、
バブルバーやFUNにシャワージェルで泡風呂を作って、ぬるま湯の長風呂が本当に大好きです。そして体はLushの石けんを使っています。」
「ヘアケアはBody ShopもLushも併用して使っていて、フェイスケアにおいて、マスクはBody Shop製品がメインでスクラブはLushです。」
「以前、ある店舗で皮膚年齢を調べてもらったら17歳って!きめ細かい皮膚だと言われました!特に腕!」
ボディケアはBody ShopのスクラブやLushのボディトリートメントで整えているとのこと。
またお風呂上がりのフェイスケアは完全Body Shop製品であり、季節や肌のコンディションに合わせて製品を極めている。特に美容液が好きらしい。
ボディケアはBody Shopのボディバターを使っている。
TARBO自身がアップデートする動画サイトVineにてそれらが紹介されていることが多々ある。
今後の展開
TARBO公式YouTubeチャンネル
TARBO公式ホームページが作られる模様。
レコーディング予定あり、デジタル配信楽曲「SEA OF LOVE」が2014年秋にリリースする予定である。この曲は7月「Atlantis」で公開されている楽曲でもある。
今のところインディーズ活動を行いながら、病気と生活していく。
脚注
DJ TARBO本人インタビュー
自伝 THE TIME OF MY LIFE
http://www.twitter.com/TheTarbo
http://www.facebook.com/tak.tarbo
https://vine.co/u/1071882275853324288
http://ameblo.jp/paralyzer/
ブログタイトルヒストリーとして
2008-2011 "THE TIME OF MY LIFE"
自分自身、人生を紹介するためのブログを伝記に出来たら、という思いで名付けたタイトルである。
2011-2012 "JOURNEY TO THE END OF MY LIFE"
うつ病を患い精神障害者として生きる今日を描くため「人生最後までの旅行」というタイトルである。
2012- "RUN"
他人は他人、自分は自分、自分の道を鼓動が燃え尽きるまで走り続けるという意味のあるタイトルである。