ヤンキーオリンピック
ヤンキーオリンピック | ||
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ヤンキーオリンピック ヤンキーオリンピック
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基本情報 | ||
出生名 | ||
別名 | ||
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出身地 | 日本 | |
死没日・地 | ||
ジャンル | パンク・ロック ロック コミックバンド パニック・パンク ポップ・パンク | |
職業 | ||
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活動期間 | 2000年 - | |
レーベル | 人間便器RECORDS | |
事務所 | ||
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公式サイト | ||
メンバー | ||
旧メンバー | ||
著名使用楽器 | ||
ヤンキーオリンピックは、九州を中心に活動する、インディースレーベル・人間便器RECORDS所属のバンドである。通称:ヤンオリ。1999年より活動していたバンド八代の1回目の解散後、2000年熊本市で松村・尾崎にて結成。初期は尾崎慶彦&ヤンキー・オリンピックと名乗っていた。
地元・熊本では「熊本の生ける(都市)伝説」と言われている。2016年7月1日、全国流通盤となる12曲入り3rdフルアルバムCD・YANKEE'S NOT DEADリリース。同年、尾崎の離脱に伴い、結成&オリジナルメンバーが松村のみになる。多メンバー(バンドに加えボディービルダー、パフォーマー、パーカション部隊)を売りにしていたが、現在はシンプルなバンド編成となる。2019年1月発売の1分V.A・SAME OLD SHORT TUNES 2に参加。メンバーチェンジを繰り返しながらも特段大きな活動休止もなく、結成以来毎年定期的なライブ活動を続け、 いつ?結成19周年を迎える。
目次
メンバー
2000年結成時のメンバーを「結成メンバー」、2001年春時点のメインメンバー9人を「オリジナルメンバー」とする。
現メンバー
- 結成&オリジナルメンバー、バンドリーダー。
- 熊本県八代市出身。AB型。1980年2月生まれ。
- 熊本インディーズレーベル・人間便器RECORDS代表。音楽イベント「人間便器NITE」シリーズのオーガナイザー。
- 通称「まら社長」。
- ヤンキーオリンピックの音源はすべて松村のセルフレコーディングで行われる。
- 「レーベル名が“人間便器RECORDS”という名前のため、怪しい組織・バンドと勘違いされてしまうが、割と真っ当な音楽団体である」とのこと。
- バンド八代時代は「マスク・ド・八代」と名乗っていたが、途中でマスクチェンジを行い「マグナムYATSUSHIRO」として活動していた。
- プロレス・格闘技好きで、自身も趣味でアマチュア格闘家として細々と活動しているが、戦歴はパッとしない。
- 2018年、アマチュアながら長年の夢であったプロレスデビュー。対戦相手の越中精子漏[1]とシングルマッチを行うも、13分54秒体固めで敗退。
- 得意技はラ・マヒストラル。
- 叔父は元・国際プロレスのレスラー松村幸治。
- DJ MARA名義でごくまれに活動。
- ヤンオリ、バンド八代以外では、SSS(2000-2001)、aloha(2001-2002)でも並行してバンド活動を行い作詞・作曲を担当していた。またHIP HOPユニット佐世保☆マーシーズ(2001-2003)ではラップを担当していた。
- 尾崎脱退前までは、松村・尾崎での共作が多かったが、現在は松村のみで作詞作曲を行っている(2019年より現行ボーカルである堀・ヒロショーの作曲活動に伴い、アレンジも担当)
- ライブ時のMCでの口癖は「さぁ、盛り上がってまいりました!」「皆さん、いかがでしょうか?」「根性あるやつ、(ステージに)上がって来いよ!」[2]
田上マサトシ ドラム
- 2007年頃加入。2009年頃一時脱退するも、2010年頃再加入。
- ガンプラ・ミニ四駆を中心に扱う模型店を経営していた。
- 「怒れる男」。
堀サトシ 四代目サイドボーカルを経て、現(二代目)メインボーカル・元ダンサー
- 熊本県八代郡出身。
- 2008年頃加入。ダンサーとして下積み後、サイドボーカルとして抜擢。
- メインボーカル尾崎脱退に伴い、2016年よりメインボーカルとして活動中。
- 某経済誌のライターでもある。
ヒロショー 三代目&五代目サイドボーカル、ダンサー。北九州在住。
- 2007年加入(ダンサー兼ローディーとして)。中松ヨシオ脱退後サイドボーカルへ。
- 2010年頃脱退したが、その後も不定期にパフォーマーとして参加。
- 2015年尾崎脱退に伴い、堀がメインボーカルに昇格したのを機に本格的にサイドボーカルとして復帰する。
- しゃがれ声が特徴。
- 親兄弟にはバンド活動を激しく非難されている。
- 2007年頃加入。2009年頃脱退。2015年より不定期にてサポートとして再加入。吉本ヒロキ離脱により、2018年より本格的に再加入。
- 現在は実家の家具屋を経営。
さっちん キーボード・コーラス・ジャンベ。熊本県人吉市在住。
- 2007年頃加入。パーカッションとして加入後、現在はキーボード、コーラスを担当。
- 毎回ライヴごとに違うコスプレを行う。
- 従兄弟にmonterimaメンバーがいる。
- 元Love Samba DEESメンバー。
- NHK紅白歌合戦に出演経験あり。
- 田上翠不在時は代わりにセリフ担当も務める。
現メンバー(不定期)
原本ファミコン パフォーマー。
- 2007年頃加入。その後は不定期に参加。
- ステレオタイプのアキバ系オタクキャラ設定。
- 初ライヴパフォーマンスよりヲタ芸でオーディエンスを沸かせ、そのパフォーマンス力への評価は非常に高く"狂気のパフォーマー"として恐れられている。
- バンド活動をしていることを妻子に一切話していない。
- 2002年加入。アマチュアアナウンサーとしても活動していた。
- 2度の産休を経て、2018年復活するも、不定期のスポット参加となる。
- さっちん不在時の代打として2018年末より不定期にサポート開始。
- 田上翠・さっちん不在時はセリフ担当も務める。
- ゾンビメイクを得意としている。
- 「疲れ果てた本田翼」「人吉の本田翼」の異名をとる。
旧メンバー
一部現行サポートメンバー含む。
尾崎慶彦 ボーカル・作詞・作曲・ベース(ベースメンバー不在時)
- 結成&オリジナルメンバー。
- 熊本県八代市出身。1979年11月生まれ。
- 映画(特にB級ホラー映画)に精通し、アマチュア映画評論家としても活動していた。
- 愛読書は映画秘宝。
- バンド八代時代は「ヒーロー・of・八代」としてベース・ボーカル・作詞・作曲を担当していた。
- 洋楽を中心に音楽通で、DJ OZAKI名義でも活動。
- 好きな食べ物は「スパゲティ」。
- 国語の教員免許を持っている。
- 無類のビール好きで、その酒量はメンバー随一。
- 2015年末に行われた3rdアルバム「YANKEE'S NOT DEAD」のレコーデイング以降、2016年よりバンド活動を離れている状況。
田中公平 タンバリン・ブッキングマネージャー。
- 結成&オリジナルメンバー。
- 初ライヴを直前に一度クビになるが、2回目のLIVEより復活。2011年脱退。プログラミング担当として加入するも、初期の段階で見切りを付けられタンバリンに専念。10年間叩き続ける。
- 元イベント団体shalom代表。元Perkin ermerボーカル。
- ライブ中全力でタンバリンをスティックで叩き続けるので歴代のドラマーに「公平さんのタンバリンがうるさくてドラムが叩きにくい」と陰で言われていた。
- 当時のあだ名は「タニシ」。
- 2019年4月、パフォーマー不足に伴い一夜限定で約8年ぶりにサポートを務める。
中松ヨシオ 二代目サイドボーカル・元ドラム・元パーカッション。
- 結成&オリジナルメンバー。
- ヤンオリ初ライヴ時はドラムだったが、その後パーカッションに降格。2005年宇野の脱退によりサイドボーカルへ。
- 2007年脱退。
西尾純平 ベース。
- オリジナルメンバー。
- 2005年頃脱退。その後、数度ダンサーとしての参加が目撃されている。
- 「紙を食べる」等、意味不明なパフォーマンスが多かった。歴代ベーシストの中で唯一、楽器を放り出しパーフォーマンスに参加するベーシストであった。
- 元BARAKA(ex潜水艦)メンバー
宇野マサオミ 初代サイドボーカル。
- 結成&オリジナルメンバー。
- メンバー紹介では(サイド)ボーカルではなく「MC」としての表記が多かった。
- そのルックスより「ウノ・ヴィシャス」として女性ファンの人気を集めた。
- ライヴ本番中に「突如ステージからいなくなり、控え室で読書をする」等の奇抜かつ解りづらいなパフォーマンス得意としていた。
- 2005年頃脱退。
- DJ UNO 名義で活動していた。
飛騨ヒロユキ キーボード。
- オリジナルメンバー。
- 2001年加入。2006年頃脱退。1978年生まれで、当時メンバー最年長だったが、年下の尾崎・松村からは親しみを込めて「飛騨くん」と呼ばれていた。
- 当時ステージ上での放尿・脱糞・全裸・放火・器物破損(金属バットでキーボードを叩き割るなど)・ライヴハウス原付バイク爆走等々の体を張ったパフォーマンスで一目置かれる。
- 全裸でのパフォーマンスがあまりにも定着してしまい、誰からも突っ込まれなくなり、あまりのその自然さにメンバー・ファンから「妖精」と言われていた。しかし別のバンドを見に来ていた知り合いでない女性客から、そのパフォーマンスに「私は傷ついた」と裁判沙汰になりかけたことがある(チケット代金払い戻しで示談)。
- 持ち場を離れキーボードを弾かずに全裸で炊飯ジャーを持ち込み飯を食う、ライブハウスで全裸でシャンプーをする等々の奇抜な行為が多かった。
- 音楽イベント「MICちゃん」を主催していた。[3]
- アンダーグランド俳句サイト「いつも心に大作ちゃん」を主催し、好評を得る。
- 音楽イベント「TWO OF US」も主催していた。
- 全日本柔道監督の井上康生は小・中学校の同級生。
- 洋楽・映画等の知識に長けているが、独自の解釈が強い。
- 英文学部出身で英会話に長けていた。
- ヤンオリでのイメージが先行してしまい変人・奇人扱いを受けているが、非凡なギターの演奏力・歌唱力・音楽センス・音楽愛(すべてヤンオリ以外では)を持ち合わせていた。マルチプレイヤーでもある。また「どんな微妙なCDでも正座をして12時間×5日間は聞き込み、その後その作品が良いか悪いかを決める」「買ったCDは必ずギターで全曲完コピーをする」等極端な性格でもある。
- 上京後は下北沢に住み、自身のバンドにてボーカル・ギターとして活動していたが現在消息不明。
上村ケンスケ ドラム。
- オリジナルメンバー。
- 2001年加入。2008年頃脱退。
- パチスロにのめり込み所在不明になっていたが、2014年生存が確認される。
藤本筋肉君 ボディービル
- 現在長崎県在住。1980年5月生まれ。
- 2001年夏よりサポートメンバーとして加入(オリジナルメンバーではないがほぼ同時期に加入)。それ以降レギュラーメンバーとして活動。
- 2018年よりバンドを離れている状況。
- 元ほろよひボーカル・ギター。
- 一級建築士。
- アウトドア登山マニア。
- 島原市でDJイベント「COMPちゃん」を主催。
三雲コシロウ ドラム。
- 2007年頃加入。
- 当時はTHEローションズ、酔いどれフリークのドラマーとしても活動していた。
- 田上マサトシ再加入後も脱退扱いでなく、サポートメンバーとして活動していた。現在は一切の音楽活動から離れている状態。
樋口“マンハッタン”雄介 パフォーマー。
- 2002年春サポートメンバーとして加入後、レギュラーとして定着。
- 「ライヴの間ステージ上でひたすら飯を喰らう」というパフォーマンスが話題に。
- 2008年頃自身のバンド・赤裸々リーゼントに集中するため脱退。
- 本来は凄腕ギタリストでマルチプレイヤーでもあるが、ヤンオリではパフォーマンス(大食い)に専念。まれに松村がパフォーマンスに参加する際、ギターを弾くことがあった。
福田純子 キーボード。
- 結成メンバー。
- ヤンオリの曲は尾崎・松村共作の曲が基本だが、一曲のみ例外曲(「さよならの頃」)の作詞・作曲を担当。
- 初ライヴ後脱退するが、2001年飛騨が警察にお世話になりライブに参加できなった為、急きょキーボードとしてサポート参加したことがある。
長谷チャー パーカッション。
- オリジナルメンバー。
- 2005年頃脱退。
- 担当はパーカッションで常に「バスドラ」をステージ上に持ち込み「バスドラをバットで叩く」「バスドラ・バックドロップ」という非常に荒々しいパフォーマンスが話題になる。「ヤンキーサンセット~僕が馬鹿になる前に~」ではカズーを吹いていた。
- 下戸。
吉本ヒロキ ベース
- 2005年頃加入。2007年頃一時脱退後、2010年頃再加入。2018年より再び離れる。
- 2016年末加入。2017年1月初LIVE。2018年9月脱退。
ムラサキ筋肉君 ボディービル。
- 2017年始よりサポート開始。2018年まで精力的に活動していたが、転勤族の為2019年より離脱中。
- リーダーまらと同じ総合格闘技ジムに通っていたところスカウトを受けサポートボディービルダーへ。
- 長年ジャズドラマーとして活動しているがヤンオリでは披露する機会がない状況。
- 「筋肉天気予報」「筋肉、箱の中は何だろう?」等の小ネタを得意としていた。
- 総合格闘技九州チャンピオン。
坂本リューヤ ボディービル
- 2009年頃加入。
- 藤本筋肉君に見られる旧来のボディービルスタイルと異なり、「動くボディービルダー」として注目を集める。
- The Greedman’s Ensembleドラマー。
- 家族の強い反対により2019年より脱退中だが、リハーサルのみドラムサポートをすることがある。
他 旧サポートメンバー
- 西ちゃん:パフォーマー(当初はオリジナルメンバーになる予定だったが辞退)
- おにぎり:パフォーマー
- ヨータ:パフォーマー
- カリカリ松尾:パフォーマー
- 中島マーボ:三味線(バンド八代「ナマハゲ八代」(Dr)の正体)。元ほろよひギター。初期人間便器RECORDS関連作品のレコーディングエンジニア。中島自身は一度ライブで三味線奏者としサポートしたのみで、ヤンオリの活動には合流していない。2004年の上京後、a-Me代表(現在は別会社代表)を務め、国内外をまたにかけるWebデザイナーとなる一方、都内にて社会人ラップ選手権を中心に異ジャンルの音楽シーンでも活躍している。
- 河津:ドラム
- 健太:パフォーマー
- 石井筋肉君:ボディービル
- Wゆいちゃん:コーラス、キーボード
- 江上:ドラム
- 高田ダイスケ:ベース
- ジョージ:ベース(正式には結成メンバーだが初ライヴ前に脱退)
- こるり:アコースティックギター(正式には結成メンバーだが初ライヴ前に脱退)
- かずま:パフォーマー
- 中原:パフォーマー
- 日野:フラダンス
- 祥生:セキュリティー
- フチワキマスク:ボディービル・プロレス(正体は未だ不明)
他にも多数サポートメンバー(飛び入り含む)がいるが正確には把握されていない。
音源(アルバム、V.A)
ヤンキー・オリンピック LIVE 2000-2009
1st(2009年7月リリース) 2枚組ライブ盤 (NBR-007)
【Disk1】
- ヤンキー・スマイル
- 地獄甲子園
- 焼き討ちじゃ!
- 泥棒猫
- 免罪符
- 金玉mind
- コックリさん・リターンズ
- 怨霊伝説
- 冬将軍
- STAY WITH ME~ヤクザが追ってきた~
- ホモばあさん
- オベベ!ウババ!~猿になろう~
- おでん君
- 豚ひき小僧
- さよならの頃
- ヤンキーサンセット~君が馬鹿になる前に~
- I LOVE S#ARP
- ヤンキーオリンピックのテーマ
- Enjoy!~今夜はPARTYだ!~
【Disc2】
- S!E!X!
- 薄情者
- ドカタROCK~親方が殺された~
- ゲーム脳
- パンチラ君
- 人面犬
- シンナー・マジック
- ジハード~俺達の聖戦~
- バレンタイン・レ○プ
- ヤンキー・サプライズ
- 老婆心
- マラが街に帰ってきた
- 金玉マウス
- 新世紀
- 穴兄弟
- ウホッ!やらないか!?
- サンタがママをレ○プした
- 金玉 in my head
- ボーナストラック【ヤンオリTVカット事件のライブ音源が収録されている】
- 当初は2009年までの楽曲全部を収録予定だったが「ファッキン25才」「ヤンキーオリンピックのテーマ2」「農業LOVE」等のライヴ音源が見つからず断念。
- ライヴ未発表曲「ヤンキーランクアップ」「ストーキングLOVE~君の髪の毛でパンを焼く~」「さよなら詩乃ちゃん」「おっぱぶでおっぱいを」「MY FAVORITE ズリネタ」「Dear My SEX Friends」「爆走自転車」「ズボンはあるけどパンツがない」等も未収録。
- また2010年以降のライブ発表済新楽曲「どうせならハッピーエンドで」「笑ってはいけないヤンキーオリンピック」「バレンタインデーにチョコレート13個貰ったよ」「妖怪ウォッチ」「ラッキースケベ」「四十九日」「愛の国の人」「全員セックスが上手そう」「私をヤンオリLIVEに連れてって」「さよならジュリちゃん」「のぞき・ダメ・絶対!」「ヤンキーロマンチック」「金玉マラソン」「手榴弾」等もCD発売後のライブ発表の為未収録となっている。
デモリンピック
2nd(2009年9月リリース)(NBR-008)
- Enjoy!~今夜はPARTYだ!~
- 泥棒猫
- 人面犬
YANKEE'S NOT DEAD
3rd(2016年7月1日リリース) (NBR-009)
バンド初の全国流通盤
iTunes、Sportify、Google PLAY等のネット有料配信も同時開始。
- ウホッ!ヤラないか!?
- 地獄甲子園
- 老婆心
- シンナーマジック
- 泥棒猫
- 人面犬
- パンチラ君
- ラッキースケベ
- ホモばあさん
- 金玉 in my head
- 穴兄弟
- Enjoy!~今夜はPARTYだ!~
SAME OLD SHORT TUNES 2
V.A(2019年1月全国発売)。
同郷のNO KIDDINGのはからいで話題の1分オムニバスに参加。
59. 泥棒猫(ショートVer.)を収録
歴史
- 1999年より活動していた「バンド八代」の解散後新しいバンドをやろうと思った尾崎と松村は、2000年当時開催された「AIRJAM2000」のVTRを見て、その中でも特に印象に残った「鉄アレイ」の強烈な個性と、「LOW IQ 01」の多メンバー編成、「喜納昌吉&チャンプルーズ」の様な人名+バンド名的なネーミングにしたバンドしようと話し合う。結成当初の仮名は「尾崎慶彦&逆チャンプルーズ」。[4]
- 2000年11月、正式なバンド名決定時に、松村が「ヤンキー・スマイル」、尾崎が「○○・オリンピック」(○○は何だったか現在不明)とそれぞれ案を持ってきたため、二人は同時に「ヤンキー・オリンピック!!」と声を出し、バンド名決定の運びとなった。[5]
- 「九州のSLIPKNOT」と自らを謳い、メンバーにコードナンバーを付けていた時期があった。
- 当初は周りのバンドとの差別化をはかるため「テクノ・ビリー」(サイコビリー+テクノ?)という新しいジャンルの創造や、アコギ3本にシーケンサー・プログラミングという実験的なリハーサルを繰り返すがもちろんうまく行かず、ツインボーカル+ギター+ベース+ドラム+キーボードというバンドスタイルになっていく。
- 2001年1月初ライヴ後、松村・尾崎の前バンド「バンド八代」が再結成&フルアルバムリリース&レコ初ライヴのため4ヶ月ほどヤンオリ活動休止状態になる。しかし2001年春には新メンバー(オリジナルメンバー9人)で本格的に活動開始。
- バンドスタイルに多人数のパーカッション[6]という目新しいスタイルを確立。所属レーベルのテーマである「ライブは運動会だ!」[7]というコンセプトをもっとうに、激しいステージングを展開していた。
- 2001年夏 地元の障害者支援センター夏祭りで野外LIVEを行う。「とても元気になった!」という声をもらい、さらにバンド活動に邁進する。
- 2001年地方テレビ局主催の「ヤングバンド選手権」に出場するも、あまりの危ういパフォーマンスによりヤンキーオリンピックのみTV放映カットとなる【ヤンオリTVカット事件】。その際、審査員長からのコメントとして「そこら付近のパンクバンドより全然危ない」という好評をもらう。[8]
- FUJI ROCK FESTIVAL出演後のファンタジーズコアに「今年見た国内外バンドの中で5本の指に入る」という評価をもらったことがある。
- 初期の楽曲には曲中(サビ前)でのコント(もしくはセリフ等)が多く、メンバー曰く「ヤンオリ十八番のSTOP&GOの展開」とのこと。
- また初期の楽曲歌詞中で誰かが死ぬ内容が多かった。メンバー曰く、「いつ死ぬかわからないので、今を全力で生きて欲しい」というメッセージとのこと。
- 2001年より所属レーベル人間便器RECORDSと「人間便器NITE」を主催。毎度150~250名集客と熊本では異例の集客力を誇る。当時あまり九州地方で見かけられなかった「バンド+DJ」イベントの走りとなる。[9]
- バンド名変更プランが出た際「尾崎ワイワイワールド」という案が出たが却下となる。
- ライブ会場の入口に「当LIVEではいかなる場合も責任は取りません」という趣旨の張り紙をしていた時期がある[10]
- 2001年 及び 2002年 地元の某国立大学の学園祭LIVEに招待されるもメンバー飛騨が「キーボードを弾かずに全裸で釣りをする」等の謎のパフォーマンスを行い、それ以降お呼びがかからなくなる。
- 2002年3月 及び 2003年3月に2度大々的に「解散LIVE」を行うが、何食わぬ顔で翌月よりライヴ活動を再開した。
- 2002年12月「マキシマムザホルモン」の前座の話をもらうが、自主イベント「人間便器NITE#5~X'mas Special(250名集客)」と日程がかぶったため辞退し、後に大きく後悔。
- 2003年、松村の転勤によりライブ活動が減り、「人間便器NITE#7」[11]にて、松村を除いたメンバーにDJとギタリスト(樋口マンハッタン)を加入させ「ドクロ猫」という別名義バンドで一度ライブを行ったことがある[12]。
- 2004年3月より3ヶ月に1回のペースで「一夜限りの再結成LIVE」を行い、その後も何食わぬ顔で活動を続ける。
- 2005年 ヤンオリLIVE動画を中心にインターネット無料配信開始(人間便器RECORDS提供の「人間便器TV」内にて)。YouTubeが開始される前でアマチュアバンドの動画無料配信の先駆けとなる[13]。
- 2005年頃よりメンバーが熊本・福岡・宮崎・長崎・鹿児島・大阪・神奈川と本格的にバラバラになってきたが、遠方より毎度の集合、メンバー入替&サポートメンバー追加により今日まで活動継続中。
- 2006年 佐賀県の某国立大学のイベントに招待されるもメンバー飛騨が「キーボードを弾かず、全裸でノックをする」等の謎のパフォーマンスを行い、それ以降お呼びがかからなくなる。
- 2006年 ライブ回数が少ないことの解決策と、少しでも自分達のライブを見てもらいたいという思いからYouTubeでの無料動画配信でもスタート。当時本国アメリカでもYouTubeが開始されたばかりで、日本版YouTubeもなくまだ日本語非対応の時期でのスタートとなり、国内バンドライブYouTube動画配信の先駆けとなる。当時南米やヨーロッパを中心に各国ユーザーより多数のコメントをもらう[14]。
- 当時のメンバー飛騨のパフォーマンス(及び酒癖)は有名で、機材破壊が多くライブハウスへの弁償が続く時期があった。
- 2007年頃よりライブハウスのバンド紹介等で「熊本の生ける伝説」という紹介をされることが多くなる。後にヤンオリ自らアレンジを加え「熊本の生ける(都市)伝説」と謳っている。
- 2007年頃 メンバー飛騨の脱退により、割とまともなバンドとなる。
- 2007年7月 1stアルバムとして2枚組ライブ盤「ヤンキー・オリンピック LIVE 2000-2009」をリリース(現在入手困難)。
- 2007年9月 2nd「デモリンピック」をリリース(現在入手困難)
- 2008年 松村が隣県より熊本へ転勤で戻ってきた際「お帰りまら社長」というバンド&DJイベントが開催されたことがある。
- 2009~2012年 4年連続でGARLIC BOYSの来熊LIVEの前座を任せられた。
- 2010年 所属レーベル人間便器RECORDS10周年イベント「人間便器NITE#8」を敢行。集客240名。
- 2011年 「人間便器NITE(#9)」が開催されるが、ヤンオリや人間便器RECORDSは直接関係しておらず、名義・ブランド無断使用での開催となる。直前でヤンオリに出演オファーが来るも出演を断った。
- 2012年頃より、初期の激しさを売りにしたスタイルから、曲・パフォーマンス共にポップな面が強くなってきている。
- 2013年 Ustreamでの生ライブ配信を実験的に開始。当時予想以上のアクセスが上がり話題となる[15]。
- 2014年 所属レーベル人間便器RECORDS15周年イベント「人間便器NITE#10」を敢行。集客220名。
- 2015年 結成15周年記念LIVE「YANKEE'S NOT DEAD」を開催。190名集客[16]。
- 2016年2月「SONY MUSIC ARTISTS」とTV局主催のオーディションの最終先行候補に残るものの「行進にチャンスをお譲りください」とのコメント共に最終LIVE審査には残れなかった[17]。
- 2016年7月1日初の全国流通盤となる12曲入り3rdフルアルバム「YANKEE'S NOT DEAD」をリリース。[18]
- 2016年8月、仲間のバンド・DJを集め熊本震災復興支援イベント&3rdアルバムレコ発イベント「YANKEE'S NOT DEAD,KUMANOTO'S NOT DEAD」を開催。190名集客。CDの売上の一部とLIVEの利益全額を義捐金として寄付した。ヤンオリメンバー内には実父の震災関連死、実家全壊を経験した者もいたが、「一日でも早くヤンオリの様な馬鹿らしいバンドを見て心から笑えるような日が来れば」という思いから実施された。
- 2016年、結成&オリジナルメンバーでありメインボーカル・作詞作曲担当である尾崎の脱退により、結成メンバーが松村のみとなる。バンド継続が危ぶまれたが、その後も精力的に活動を継続中。
- ラジオ番組にて3rdフルアルバム「YANKEE'S NOT DEAD」より3曲オンエアされる[19]。
- 2017年 地元熊本の先輩である餓鬼レンジャーと初共演。
- 2017年 ZEPHYEN presents「A.V.E.S.T. Project ACT オーディション」に参加するも、箸にも棒にもかからなかった。
- 2018年 クリトリック・リスと共演。
- 2019年1月、NICOTINE 、GELUGUGUなどが参加する(全国65バンド)1分V.A「SAME OLD SHORT TUNES 2」に「泥棒猫(ショートVer)」で参加。
- 2019年4月、レギュラーメンバーでのパフォーマー・パーカッション・ボディービルダーが不在になるが、人材発掘や旧メンバーの掘り起こしを進めている。
人間便器RECORDS
人間便器RECORDS、人レコは、ヤンキーオリンピックが所属するインディーズレーベルである。
- 正式な設立は2000年6月頃だが、実質的な活動は1999年より行っていた。
- 現在も法人化はされていない。
- 近年、「人レコ=ヤンオリ」というイメージが強いが、元々はバンド八代が1stマキシシングル「バンド八代」を発売するために設立されたレーベルである。後にバンド八代2ndマキシシングル「P・U・(N)・K」、7バンド収録のオムニバスアルバム「人間便器ナイト」、バンド八代フルアルバム「BAND YATSUSHIRO」を続けてリリースした。
- 「人間便器NITE」シリーズや別ブランドのライブ、イベントを主催している。
- オムニバスCDには諸事情により参加できなかったが、上京前のmercydoもかつて所属し、バンド八代やヤンキーオリンピックとライブ活動を共にしていたことで有名[20]
- 2005年にはバンドPerkin Ermerのマキシシングルもリリースした。
- 三重県在住で関西エリアを中心に年間100本近くのライブをこなす花垣亮志も、熊本在住時は人レコと行動を共にしていた時期がある。
- 2016年のヤンオリ3rdフルアルバム「YANKEE'S NOT DEAD」リリースの際、レーベル名が流通の障害になる事を危惧し、販社としてPANIC MANHATTAN RECORDSを設立。
脚注
- ↑ 越中精子漏選手は松村が16歳の時初めて生で見た学生プロレスの選手で、22年越しの再会となった。
- ↑ 本当に客が上がって来すぎ、ステージ・機材がグチャグチャになる事がある。
- ↑ MICちゃんの由来は、釣り餌「生ミック」の“ミック”と映画俳優アーノルド・シュワルツェネッガーの愛称「シュワちゃん」の“ちゃん”を足したもの。
- ↑ 喜納昌吉&チャンプルーズのテーマである「すべての武器を楽器に」というコンセプトをもじり「すべての楽器を武器に」というコンセプトで進める予定だった。
- ↑ 後に「ヤンキー・スマイル」は曲名として使われる。
- ↑ 初期は各自本格的なパーカッションを使用していたが、毎度ライブ時の破壊行為によって故障していく
- ↑ イースタンユースの「ライブは運動会ではない」という発言より由来。
- ↑ ライブ司会をしていた某局女性アナウンサーからは「何でこんなバンドになったんですか?」「他のバンドは皆まじめにやっているのに」とのコメントだった。
- ↑ 特にロックDJだけでなくTECHNO、HOUSE、HIPHOP、R&BなどのDJとを共存させたイベントの先駆けとなり、「ジャンルをクロスオーバーさせ、モッシュピットとダンスフロアが交互に発生するパーティー」として当時地方紙等で大きな話題となる
- ↑ 上記メンバー欄「飛騨、妖精じゃなかった事件」以降の解消策として
- ↑ 当時#6でイベントとしてはファイナルを迎えていたが、中島・尾崎により一夜限定で復活さたが、人間便器RECORDS及び松村は関わっていなかった
- ↑ 2001年頃、松村・尾崎・宇野・飛騨によって活動していたバンド「髑髏猫」とは別バンド。
- ↑ 現在はYouTube以外のコンテンツでアップロードされた動画はすべて削除されている
- ↑ 2000~2006年期のライブ映像は過激動画が多く、現在は当時のライブ動画は削除され、一部しかアップロードされていない。
- ↑ 現在は基本行っていないが、突発的に行うことがある
- ↑ 後に「YANKEE'S NOT DEAD」は3rdアルバムのタイトルとして使用される
- ↑ その際ソニー審査員に「往年の渋さ知らずズ、JAGATARAを彷彿とさせ、大人の凄みをひしひしと感じさせてくれて、それを持続していく気力・体力・音楽愛がすごい」というコメントをもらう。
- ↑ 当初熊本エリアは2016年4月先行発売だったが、CD納品日が熊本震災と重なり県内の物流機能がマヒしていたため発売延期となった
- ↑ ただし大人の都合か、1.2倍速程度でのオンエアーとなる
- ↑ mercydoは2003年上京。下北沢を中心に全国区で活躍し、グリープハイプなどもmercydoの前座をしていた。後にメンバーチェンジを行いUK.PROJECTからデビューし、2009年解散した。 代表曲「クロエ」はJOYSOUND等のカラオケに現在も収録されている。