バールのようなもの
バールのようなものとは、窃盗事件あるいは殺人事件などにおいて使用される器物の形容として、しばしば日本の報道で用いられる表現である。
バールについて
ここで言う「バール (crowbar) 」は、多くの場合先がL字型に屈曲した鋼製・棒状の工具、鉄挺(かなてこ)のことである。
曲がった部分を支点として不動点(地面)に押し付けるなどして、てこの原理を利用し、大きな力を出しやすいように作られており、また、切り込みの入った扁平な先を利用し、釘抜きや家屋の解体などにも多用される。詳細についてはバールの項を参照のこと。
バールのようなものについて
バールあるいはそれと同様の機能を持った道具を用いて、ドアをこじ開けるなど建造物が破壊されたり、ATMや金庫、自動販売機など破壊され荒らされたり、人が傷つけられたりすることがある。
こうした犯罪事件が報道される際、犯人がまだ捕まっていないなどの理由で凶器が不明なケースもある。状況から使用された凶器はバールかもしれないと推定されても、実際に使用されたのがバールであるかバールでないか不明であるから、仮に報道で「凶器はバールであり…」と断定した場合、これは厳密には誤りとなる。犯行にバール以外の道具を用いたという可能性を切り捨てることになるからである。つまりこの文脈で「バールのようなもの」と「バール(そのもの)」とでは意味が違うのであり、報道機関には正確さが求められるゆえに、使用された凶器が不明な段階では「凶器はバールのようなものとみられ…」と曖昧さを持たせて報道することになる。
したがって、その「バールのようなもの」の正体は何かと問うのは無益である。なぜならば、それがバールのようなものである以上のことは、現物が発見されて事実が確認されるようなことがなければわからないことだからである。バラのような香りの正体はバラかもしれないし、単なる芳香剤であるかもしれないのと同じように、「バールのようなもの」の正体はバールそのものであるかもしれない一方で、バール以外の別の物かもしれない。
これは「拳銃のようなもの」などについても同じことが言える。拳銃とおぼしき道具をもって人を脅した事件が起きた場合、確認されていない段階ではそれが実銃かおもちゃの拳銃(→遊戯銃・模造銃)か、あるいはまったく関係ない類似する形状の物、ないし目撃者の全くの錯覚による誤認であるかは不明なため、正確を期するためにこのような表現がなされるのである。
しかし、「バールのようなもの」が特徴的であるのは、その言葉に包含される一連の物の代表例として、バールが真にふさわしいものであるかどうかにある。当然の事ながら、バールのようなものという表現が成立するためには、バールと聞いて大多数の国民がすぐにそのものを想起できる必要があるが、その点に疑問が存在するのである。これは「包丁のようなもの」「拳銃のようなもの」という表現と比較したときに明白である。
なお、破壊された物品に残された傷跡から「バールのような物でこじ開けた跡が…」といった報道がされることがあるが、これは「バールでこじ開けた様な跡」とはあまり報道されないようである。これは、その跡を残した器物が不確かではあっても、「こじ開けた跡」があること自体は確かだからである。
正体
この「バールのようなもの」の正体は何かと問うことは無益である。なぜならば、それが「バールのようなもの」である以上のことは、現物が発見されて事実が確認されなければ判らない、「正体不明である」ことを前提とした語だからである。加えて、正体が判明した時点でそれは「バール」もしくは「バールでは絶対にない物体」のいずれかとなり、「バールのようなもの」という表現は相応しくなくなる。
実態としては次のようなものが考えられるが、必ずしもこれらとは限らない。
語としての特異性
「バールのようなもの」が特徴的であるのは、その言葉に包含される一連の物の代表例として、バールが真にふさわしいものであるかどうかにある。
てこの原理を使うのに実際には専用の道具は必須ではないため、その専用工具であるバールの一般的認知度は必ずしも高くはない。そのため、バールと聞いても視聴者がすぐにそのものを想起できるかどうかに疑問が存在する。正体不明であることが前提の語とは言え、形容に用いたもの自体がそもそも正体不明では、例える意味が薄い。
また、警察での記者発表や調書においては「バール様(よう)のもの」と発音・表記される。これが「バールのようなもの」をさらに「ようなもの」たらしめている一因とも言えよう。
実例
関連作品
「バールのようなもの」は1994年に清水義範の短編小説の題材にもなった。文藝春秋から出版された短編集の表題作として、清水義範を代表する作品の一つに数えられる。短編集『バールのようなもの』(ISBN 4163158006)は1995年に単行本として出され、1998年には文春文庫に入れられた。
関連項目
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