東洋ボール殺人事件
東洋ボール殺人事件(トーヨーボールさつじんじけん)は、暴走族・関東連合と狂走連盟との抗争中、無関係の少年が殺害された事件である。未成年グループが起こした殺人事件というだけでなく、犯行に使われた車が女優三田佳子名義のものだったことでも世間の注目を集めた。
事件の概要
2000年5月13日午前1時ごろ、大田区池上3丁目のボウリング場「トーヨーボール」の駐車場において、友人たちとダンスの練習をしていた寿司職人見習いの少年・小笠原一也(18)は、突然複数の車と単車に分乗した20数人の暴走族グループ(関東連合)に襲撃される。友人たちが血まみれになりながらも散り散りに逃げ出し、小笠原一也も自分の車に飛び乗り逃げようとするも、慌てていたためにギアを入れ間違えてガードレールに乗り上げてしまう。関東連合はタイヤが宙に浮き身動きが取れなくなった小笠原一也の車に群がり、金属バットでガラスを割って運転席から無理やり引きずり出す。なおもガードレールにしがみ付き「勘弁してください!、勘弁してください!」と必死に懇願する小笠原一也に殴る蹴るの暴行を加えた上、後頭部をマグライトで殴打、ぐったりとした被害者を乗ってきた車に強引に押し込み連れ去った。
世田谷区にある「世田谷市場」の空き地に小笠原一也を連れ込んだ関東連合は、さらに凶器で顔面を殴り、頭部を踏んで路面に打ちつけ、至近距離で大型のエアガンを乱射し、頭髪をライターで焼き、舌をハサミで切るなどのおぞましい暴力を約1時間半にも渡って繰り広げる。やがて全く動かなくなった小笠原一也を再び車の荷台に押し込み、狛江市にある慈恵医科大学の看護婦寮前に放置して逃げ去った。偶然通りかかったタクシー運転手が、路上で倒れている瀕死の被害者を見つけ通報。救急車で三鷹市の杏林大学病院に搬送され救命措置がとられるも、脳挫傷とクモ膜下出血により14日午後9時半ごろに死亡した。
被害者・小笠原一也の姿は見るも無残に変わり果てており、全身青あざだらけで、頭部はバスケットボール状に腫れあがり、舌は半分ちぎれており、「あなたの息子さんかどうか確認してくれ」と警察に呼びだされた被害者の父親が「確認できない」と答えるしかなかったほどである。
関係者の証言
石元太一
本事件の実行犯の一人。石元は自伝『不良録』やコアマガジン社『実録悪い人』などで本事件について語っている。しかし、本事件を「自分のしでかした人生最大の過ち」と称しておきながら、被害者のことは「敵」「全狂連のメンバー」としか語っておらず、暴走族とは無関係な人物だったことには全く触れていない。あくまで「敵対する全狂連メンバーを襲撃したが、やりすぎて殺害してしまった」という体裁である。襲撃現場についても「入り乱れての乱闘」と表現し、まるで被害者側も反撃してきたかのように語っていた。また、被害者を現場から拉致した後に、拷問のようなおぞましいリンチを加えたことにも触れておらず、襲撃現場で金属バットで滅多打ちにしたのが致命傷だったかのような表現をしている。
さらには、襲撃現場には石元よりも上の立場の先輩がいたが、その先輩について「先輩の名前は一切出すな」と後輩に指示し、本事件に関わっておきながら、一切罪に問われていない先輩がいたことを明かしている。
柴田大輔
当時の関東連合の中心的人物の一人。柴田は自著『聖域』で本事件について触れている。襲撃の直前まで犯行グループと一緒にいたことを認めているが、「この日の僕は、なぜか襲撃に参加することをためらった」「何か言葉にできない強い“枷”が僕の中に働いた」「見立真一から『柴田も、もちろん見に行くでしょ?』と聞かれたり、石元太一から『柴田君も付いてきてください』と一言でも誘われたら参加していた」と語り、ネット上では「柴田が主犯格の一人」というのが既成事実となっているものの、本事件には関わっていないことを強く主張している。
しかし、襲撃を受けた被害者が「犯行グループの中に柴田が居た」とはっきりと証言し、約半年間麻布署の留置所に入れられていたことも明かしている。
三田佳子
犯行に使われた車の所持者。事件後の会見で「息子(高橋祐也)は加害者(関東連合)にいいように使われていただけで、事件とは無関係である」と涙ながらに釈明。しかし、息子の高橋祐也には月に50万もの小遣いを渡し好き放題させていたこと、以前にも高橋祐也は覚せい剤使用で逮捕されていたことや、本事件直後にも自宅で薬物乱交パーティーを開いてまた逮捕されたことが猛バッシングを浴びる。結果、三田は芸能活動の一時自粛を余儀なくされた。
また被害者遺族から「事件の責任逃れをしている」と三田と高橋祐也を相手に民事訴訟を起こされている。
被害者の父親
10年前、東京大田区で暴走族グループ23人が、敵対する暴走族グループと間違えてまったく関係のない少年5人を突然襲撃する事件が発生した。襲われた少年たちのなかの1人Aさんは、約1時間半に渡り拉致され暴行を受けたあと解放されたが、脳挫傷で間もなく死亡した。
この事件で、傷害致死容疑で逮捕された暴走族グループのなかに、市川海老蔵殴打事件で逮捕された伊藤リオン容疑者(27)がいた。亡くなったAさんの父親・Bさんを訪ねると、10年前にリオン容疑者が関与したこの事件の顛末を聞いた。
大切な息子を失ったBさんの悲しみは底知れない。しかし、リオン容疑者に対しての恨み言は出てこなかった。
「伊藤リオンは、『申し訳ないことをした』『(亡くなったAさんが)毎晩夢に出てくる』っていって、とても反省してるといっているって聞いたよ。今回の事件(海老蔵殴打事件)があって、段ボール箱をひっくり返して当時の調書を読み返したんだよ。彼はそんなに芯から悪い人間じゃないと思いますよ。ワルはワルなんだけども、筋は通っている。警察や検事の供述書類を見ても、きっちりと事件のことを振り返って正直に話している。他の暴行犯の証言と比べてもあの男だけは正直だった。素直な感想もいっていたしね。そこで嘘をついているかどうかは、他の22人の供述と照らし合わせればすべてわかりますからね」
Bさんは息子の死を受けて、犯人グループ23人に対して、1人一律500万円の損害賠償請求の裁判を起こした。 他の人が「出所して真面目に払います」といったり、親が「息子が刑期を終えて出てきたら払わせます」といってうやむやにしてしまうなか、リオン容疑者はその賠償金もすぐに払ったという。
「伊藤リオンと、グループのリーダーの両親だけが500万円を1回で払って、あとの5~6人の家族が200万円ずつぐらいかな。あとは一銭も払ってもらってません[1]」
被害者と仲が良かった女の子も自殺
小笠原一也の高校時代の同級生の女の子が、この事件に大きなショックを受けて精神を病み、最終的に2001年7月30日にオーストリアのウィーンで精神分裂症の自称指揮者の男(33)と共に、ドナウ川に身を投げ自殺した。「私は19歳で死ぬ」と知人に漏らしており、実際にその通りになった。
自殺の方法があまりにもセンセーショナルだったので、作家の大崎善生の目に留まり『ドナウよ、静かに流れよ』というノンフィクション小説の題材になっている。
関連項目
TOP-Jの副代表を務めた人物が、雑誌メンズエッグ(大洋図書)のインタビューにて、東洋ボール殺人事件について言及している。
脚注
- ↑ リオン容疑者らに息子殺された父「リオンは筋の通ったワル」女性セブン2011年1月6・13日号。
関連リンク
発生から15年、語られてこなかった関東連合「トーヨーボール事件」凄惨な全容 デジタル鹿砦社通信
このページはウィキペディア日本語版のコンテンツ・東洋ボール殺人事件を利用して作成されています。変更履歴はこちらです。 |