北条時幸

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北条 時幸(ほうじょう ときゆき、? - 寛元4年6月1日1246年7月15日))は、鎌倉時代中期の武将。父は北条朝時。母は大友能直の娘。通称は越後四郎・遠江修理亮。兄弟姉妹に光時時章時長時幸時兼教時時基朝賢北条時実のち宇都宮泰綱毛利広光足利泰氏新田頼氏小野宮通俊に嫁いだ女子など。官位官職は従五位下修理亮。子に時相幸継時元時藤時久政幸政基

略歴

鎌倉の名越に住む。寛元4年(1246年)の宮騒動では兄の光時に加担して執権北条時頼の排除を企む。だが同年5月25日に陰謀が発覚して時幸は病気を理由に出家する。その後6月1日に死去した。『葉黄記』では死因は自害とある[1]

脚注

  1. 安田、1991年、P549

参考文献