別所 (八王子市)

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別所(べっしょ)は、東京都八王子市の地名。現行行政町名で別所一丁目・二丁目が設置されている。郵便番号は192-0363(八王子南郵便局管区)。人口は一丁目・二丁目の合計で22,239人(住民基本台帳 2013年3月末現在[1])である。

地理

東京都八王子市の南部に位置し、東で多摩市中沢松木、西で南大沢、南で多摩市唐木田町田市上小山田町、北で堀之内と隣接する。団地やマンションが建ち並び、別所谷戸の風景は一部を残して見られない。多摩ニュータウンの中では比較的新しいマンションなどが多い。南部にはぐりーんうぉーく多摩がある。

河川

  • 別所川
大栗川の支流。長池を水源としている。

ダイダラボッチ伝説、浄瑠璃姫伝説など、数々の伝承が伝わる池。現在は公園として整備されている。
  • 築池

地価

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、別所1丁目18番3の地点で17万6000円/m2となっている。[2]

歴史

江戸時代多摩郡柚木領の一部であり、別所村とされた。当初は天領だったが寛文4年(1663年)に旗本土屋氏の知行地となった。その後、天和2年(1682年)に土屋氏が転封されると天領に戻り、元禄11年(1698年)に旗本・松平氏の知行地となり、明治維新を迎えた。

明治元年(1868年)に神奈川県に別所村として組み込まれ、1878年(明治11年)から県内に 南多摩郡が置かれるとその一部となった。1889年(明治22年)に町村制施行に伴って由木村が成立したため同村内の大字となる。1964年昭和39年)に由木村が八王子市に編入されて八王子市別所となり、現在に至る。

地名の由来

古代の日本では薬師堂などのある土地を別所と名付ける事が多く、当地には蓮生寺があった事からこの名が付いた。

浄瑠璃姫

昔、別所に豪族が住んでおり、浄瑠璃という姫がいた。戦乱の中家族が亡くなり、途方に暮れてしまった姫は、悲しみのあまり日頃から厚く信仰し守り仏としていた薬師の像を抱いて、長池に身を投げて死んでしまった。その後、長池からこの姫が抱いていた薬師像が池から取り出され、薬師堂の本堂である薬師瑠璃光如来になったと伝えられている。かつては、毎年5月5日に浄瑠璃姫をしのび、盛大な祭りが開かれていた。[3]

蓮生寺と薬師堂

薬師堂は、1588年(天正16年)の火災で焼け、1705年(宝永2年)に再建したもの。松平二郎左ヱ門寄進の薬師の木像は秘仏とされ戸帳を固く閉じ、住僧といえども簡単に見ることができなかった。山門は取り払われてあとかたもないが、護良親王筆の「由木山」の扁額がある。蓮生寺の草創は古く、吾妻鏡によると源頼朝由良御前のお腹にいたとき、腹帯を持って上がった円浄京都から来て創った寺だと言われており、頼朝は円浄を鎌倉に呼び、別所の田畑1町歩を与えてその面倒を見たという。[4]

沿革

交通

鉄道

別所には鉄道路線は通っていないが、北部だと堀之内との境にある京王相模原線京王堀之内駅、南部だと小田急電鉄多摩線唐木田駅、西部だと京王相模原線南大沢駅が近い。

バス

道路・橋梁

施設

教育機関

商業施設

公園・緑地

  • 長池公園 - 里山が保全され、東京四谷にあった四谷見附橋を生きた文化財として移築し、八王子八十八景のひとつである長池見附橋がある。
  • 蓮生寺公園
  • 浄瑠璃緑地
  • 別所公園
  • 別所坂公園
  • 別所夕陽が丘緑地
  • 秋葉台公園
  • 別所くすのき公園
  • やまざくら公園
  • 松木公園
  • 九兵衛坂公園

その他

脚注

参考文献

外部リンク