後藤健二
後藤 健二(ごとう けんじ、1967年 - )は、日本のジャーナリスト。
人物・来歴
- 1991年に法政大学を卒業。
- 東京放送系のテレビ番組制作会社を担当。
- 1996年に映像通信会社インデペンデント・プレスを設立。アフリカや中東などの紛争地帯の取材に携わる。
- 1997年に受洗し日本基督教団田園調布教会信徒となる。
- 2006年、紛争地域の子供を取材した『ダイヤモンドより平和がほしい』で、第53回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞[2]。
- 2011年の東日本大震災では、被災地の石巻市や気仙沼市で日本ユニセフ協会の記録員を務めた[3][4]。
- 2014年10月に妻が夫婦の2人目の子供となる男子を出産[5][6]。前妻との間にも一女を設けている[6]。
アル=ヌスラ戦線に拘束
中東での取材中でアル=ヌスラ戦線に拘束されたものの、1日で解放された[7]。
イスラーム国での拘束
2014年8月に「イスラーム国に拘束された湯川遙菜を救出するために中東に向かう」と家族に告げ、10月22日頃に日本を出国した[8]。10月24日にトルコ南部のキリスからシリアに入国し[9]、クリスチャントゥデイのコラムのメールを送信し、10月26日に掲載された[10]。10月25日にイスラーム国への入国の目的を語ったビデオメッセージをシリア人ガイドに託し[11]、シリア北部のアレッポ県から別のシリア人ガイドと共にイスラーム国の支配地域へと入った[9]。帰国予定の10月29日になっても戻らず、行方不明となった[12]。
2014年11月1日頃に「シリアに同行したガイドに裏切られ、武装グループに拘束された」とトルコの知人に電話連絡があった[13]。この数日後にイスラーム国の関係者を名乗る人物から数十億円の身代金を要求するメールが家族に届いた[13]。2015年1月20日になり、イスラーム国が日本国民と日本政府に向けたビデオにYと共に人質として登場し、Jihadi Johnとして知られるISISメンバーの男性が「72時間以内に2億ドルの身代金の支払いがないと両人質を殺害する」と述べた[12]。 1月23日、母親が記者会見を行ったが[14]、配布された声明文以外の無関係な反原発等の政治的主張も行った[15][16](中継を完全に放送したのはNHKBSのみ)。
1月24日午後11時に殺害されたYの写真を掲げる動画がインターネット上に流れ、後藤とされる声(英語)で湯川遥菜を殺害したという声明が出された。この中でイスラム国は「湯川を殺したのは安倍晋三である」という旨を述べている[17]。 また、同声明の中には2005年にヨルダンの首都アンマンで発生した爆弾テロ事件(2005年アンマン自爆テロ)の実行犯として収監中のサジダ・リシャウィの釈放を要求するものが含まれていた[18]。
湯川遥菜との関係
後藤健二と湯川遙菜の接点について、2014年7月末、湯川がトルコ経由でシリアに二度目の潜入をし、反アサドの自由シリア軍に拘束され、アジトで尋問を受けていた際、英語が堪能な後藤健二が湯川遙菜を救ったのが最初の接触だというのが定説だ。後藤自らが2014年8月にテレビで湯川遙菜との関係にを詳しくは説明しなかったものの、そのときが初対面であるかのような印象で語った。しかし、実際にはそうではなく、本人のブログから、2014年の湯川の中東渡航にはすべて後藤健二が同行していることが推測されている。外務省から渡航禁止令が出ている状況で湯川はシリアに一回目の潜入を果たした。湯川にとって紛争地入りの初体験であったが帰国後の報告に、「僕が入国して数日後、ジャーナリストの後藤健二さんが入国し、お会した」との発言がある。2014年8月の湯川遙菜事件の際にはこの事実はマスメディでも見落とされていた。4-5月のシリアに続き、6月下旬に湯川はイラクに渡航した。イスラム国がイラク北部に侵攻して勢力を拡大させ、米国が空爆で阻止をしようとしていた時期に当たる。湯川は日本に帰国後、現地のレポートを書いているが、6月29日の記事では、イスラム国と戦うクルド人部隊と撮影した写真に、後藤が収まっていた。このとき、後藤は同時に現地レポートを報道ステーションで行っている。この事実について、メディアは一切注目しなかったが、2014年4月のシリア、6月のイラク、7月のシリアでも、湯川と後藤は常に一緒だった。英語が堪能ではない湯川は、現地で活動するためには事情をよく知る通訳が必要性があったため、シリア、イラクともに、後藤が湯川遙菜のガイドとなって世話をしていたことが推測される。
主な著作
著書
- 『ようこそボクらの学校へ』NHK出版DVD+book 2003
- 『ダイヤモンドより平和がほしい 子ども兵士・ムリアの告白』汐文社(2005)ISBN 4811380010 産経児童出版文化賞フジテレビ賞受賞
- 『エイズの村に生まれて 命をつなぐ16歳の母・ナターシャ』汐文社(2007)ISBN 4811384741
- 『ルワンダの祈り 内戦を生きのびた家族の物語』汐文社(2008)ISBN 4811384970
- 『もしも学校に行けたら アフガニスタンの少女・マリアムの物語』汐文社(2009)ISBN 4811386116
ビデオディスク
- 『世界の学校シリーズ』(ケイエムコンサルティング)
- 『ワールド・エコ・トラベラー』(ケイエムコンサルティング)[19]
テレビ出演
脚注
- ↑ 「「私が代わりに人質に」=後藤さん母「政府信じる」―涙ながらに訴え・東京[時事」]2015.01.25 14:13 時事通信社 カテゴリー
- ↑ (2014-05-30) 【インタビュー】国際ジャーナリスト・後藤健二〜それでも神は私を助けてくださる〜」 クリスチャントゥデイ 2014-05-30 [ arch. ] 2015-01-20
- ↑ 「「果敢な記者」人質に 後藤さん、10月下旬に音信不通」朝日新聞2015年1月20日
- ↑ 「<2邦人殺害警告>仙台出身後藤さん無事祈る」河北新報2015年01月21日水曜日
- ↑ 「イスラム国拘束・後藤健二氏の母親が会見」ログミー2015.01.23
- ↑ 6.0 6.1 (21 January 2015) Japanese reporter's bid to save friend led to Islamic State abduction Reuters Tokyo 21 January 2015 [ arch. ] 24 January 2015
- ↑ 「かつて拘束も解放、後藤さんの判断に影響か 」ANN22日
- ↑ (2015-01-21) 「果敢な記者」人質に 後藤さん、10月下旬に音信不通 朝日新聞デジタル 2015-01-21 [ arch. ] 2015-01-21
- ↑ 9.0 9.1 (2015-01-21) 後藤さんが知人に「家族に連絡を」 NHKニュース NHK 2015-01-21 [ arch. ] 2015-01-22
- ↑ (2014-10-26) 戦争に行くという意味 後藤健二 : 論説・コラム : クリスチャントゥデイ クリスチャントゥデイ 2014-10-26 [ arch. ] 2015-01-21
- ↑ (2015-01-21) 「後藤さん シリア入り直前映像「必ず生きて戻ります」」 News i - TBSの動画ニュースサイト TBS 2015-01-21 [ arch. ] 2015-01-22
- ↑ 12.0 12.1 (2015-01-20) 「イスラム国」邦人殺害警告か 身代金要求 NHK 2015-01-20 [ arch. ] 2015-01-20
- ↑ 13.0 13.1 (2015-01-21) イスラム国拘束:後藤さん「裏切られた」トルコ知人に連絡 毎日新聞 2015-01-21 [ arch. ] 2015-01-21
- ↑ (2015-01-23) 後藤さんの母親 声明文で解放訴え NHK 2015-01-23 [ arch. ] 2015-01-23
- ↑ (2015-01-23) 【全文】「私はこの3日間、何が起こっているのかわからず悲しく、迷っておりました」ジャーナリスト・後藤健二さんの母・石堂順子さんが会見 2015-01-23 [ arch. ] 2015-01-24
- ↑ () 後藤さん母親「健二はイスラム国の敵ではない」涙の会見 “原子力のない国”持論も [ arch. ] 2015-01-25
- ↑ 「イスラム国」が写真公開 Yさん殺害か日テレNEWS24
- ↑ (01-25) 拘束の1人殺害”とする画像 ネットに投稿 NHK [ arch. ]
- ↑ () 後藤健二 未公開/絶版 画像 DVD ケイエムコンサルティング [ arch. ] 2015-01-20
- ↑ () 後藤 健二 INDEPENDENT PRESS [ arch. ] 2015-01-20
外部リンク
- 後藤健二(@kenjigotoip)- Twitter
- INDEPENDENT PRESS