流山女性殺害事件
流山女性殺害事件(ながれやまじょせいさつがいじけん)とは、1997年5月に千葉県流山市鰭ヶ崎で、田島由美さん(享年24)が橋詰雄介(当時17歳)に強姦強盗殺害された事件。関連した誤認逮捕事件が起きる。2012年1月に、犯人が発覚する。
目次
事件概要
1997年5月19日午後2時半ごろ、流山市鰭ヶ崎のマンションの3階で、背中を刺された田島由美さん(24)の死体が発見された。田島由美さんの自宅にての惨劇である。後に、事件直後に田島由美さんのキャッシュカードで男が現金20万円を引き出していることが、防犯カメラにて判明する。
誤認逮捕
田島由美さんがパジャマ姿で争った形跡が見られないことより、顔見知りの犯行が疑われ、田島さんの祖母(当時80歳)および姉夫婦(当時28歳歯科衛生士の姉と当時27歳義兄)が任意捜査を受けた後、同年6月に逮捕されることとなる。田島さんの祖母に対して熾烈な取調べがなされたことが、後にマスコミに明らかになる。祖母から「自供が得られた」とされている表現が散見される。
ATMで田島さんの口座から現金を引き出していた男は義兄と身長が異なっていたが(警察は「3人以外の共犯者」と考えていた)、物的証拠がなく、容疑を認めていた祖母が起訴直前に否認に転じた。千葉地方検察庁は処分保留で逮捕された3人を7月に釈放し、翌年1998年1月に、「嫌疑不十分」の不起訴処分としている。なお、2012年2月8日付けで、3人に対しては、「嫌疑なし」の不起訴処分に訂正した。
地検の不起訴処分について、三人の弁護人は「三人に会った瞬間から無実を確信していた。犯行を裏付ける客観的な証拠や供述があるとは思えなかった。不起訴処分は当然で、遅いぐらいだ」と話しており、警察の不手際が明るみになった事件でもある。
2012年1月18日、千葉県警察は、誤認逮捕であったことを認め、存命の姉夫婦に謝罪する。高齢である祖母は、2010年に死亡していた。
2週間信用されず「じゃ逮捕して」そして犯人に
「だんだん犯人にさせられていった」。
1997年に千葉県流山市で女性会社員・田島由美さん(当時24歳)が刺殺された事件で、誤認逮捕された田島由美さんの義兄(42)は当時の状況を語った。
義兄によると、家族は早期解決のため捜査に協力。田島さんと同居していた当時80歳の祖母は足が悪かったが、県警は「面倒みますよ」と連れて行き、事情聴取を重ねたという。そこで「自白」が生まれ、「私たちへの取り調べが厳しくなった」。
深夜に及ぶ任意聴取が約2週間続き、祖母が自白したと捜査員に言われた。
「狭い部屋で『やったんだろう』と言われ続けると、本当にやった気になってくる。『やった』と言ったほうが楽になれるとさえ思った」。信用されず、「じゃ逮捕してくれ」と投げやりに言ったら、犯行を認めたと受け取られて捜査員が慌ただしく動き、その日のうちに殺人容疑で逮捕されたという。
逮捕後の聴取で、知らないことは説明できず、怒る捜査員に「現場に行ってないのだから説明のしようがない」と正直に言うと、「じゃあ、何で『やった』と言ったんだ」とどなられた。その後、弁護士がついて祖母は否認に転じ、3人は釈放され、不起訴となった。「真実がやっとわかったという安堵もあるが、警察への不信は今もある」
田島さんの母(66)も「いつか汚名はそそがれると信じて生きてきた。ストーリーをでっちあげ、家族を誤認逮捕した警察は許せない」。祖母はすでに他界したが、生前「私はやってない」と繰り返していたという。
特別捜査班の捜査及び橋詰雄介の逮捕
2011年、千葉県警察で、この事件に対して、専従捜査班が組織される。
防犯設備の不足した油断の多いビルの最上階の部屋を狙って強盗してカードを奪うという点で類似の強盗事件で服役していた橋詰雄介の存在が浮上。流山事件における現場の遺留物のDNAが橋詰雄介の物と一致していたことが判明する。
15年前の殺害容疑で逮捕へ。当時17歳、犯行ほのめかす。服役中の男とDNA一致
流山市で15年前、パート職員、田島由美さん=当時(24)=が殺害された事件で、現場に残された遺留物のDNA型が、宮城県内の刑務所に服役中の橋詰雄介(32)のものと一致したことが2012年1月11日、捜査関係者への取材で分かった。
県警の事情聴取に対し、橋詰は田島さん殺害への関与をほのめかしているといい、県警は近く殺人容疑などで逮捕する方針。橋詰は当時17歳。1999年に柏市内で起こした強盗致傷事件で実刑判決を受けていた。
類似の強盗事件は1999年における柏市で起きた強盗殺人未遂・放火事件であり、橋詰雄介はこの事件で懲役15年で宮城刑務所に服役していた。この事件で橋詰雄介は被害者に対して包丁を突きつけながら「動くな。俺は1人殺しているから、殺すことは何とも思っていない」と脅していたが、捜査では流山女性殺人事件と結び付けられることはなかった。
2012年1月16日より、千葉刑務所に移送となる。2012年1月18日に、この流山女性殺害事件の被疑者として橋詰雄介(当時32歳)が逮捕される。橋詰雄介は流山の殺人事件当時は17歳だったため少年法により多くの報道機関で匿名報道となっているが、一部の報道機関では20歳時の1999年の事件で実名報道されていたことから流山殺人事件でも実名報道となっている。
2012年2月8日付けで、千葉地方検察庁は橋詰雄介を起訴する。
2012年11月より千葉地裁で裁判員裁判が開かれた。橋詰雄介は事件を大筋で認めつつも殺意を認めず殺人罪について否認した。検察は懲役15年を求刑した。2001年4月1日以降に施行された改正少年法では18歳未満でも強盗殺人罪を無期懲役判決を出すことができるが、1997年の事件のため少年法の規定により18歳未満の強盗殺人罪の刑の上限は懲役15年までとなっていた。
流山の女性強殺に懲役15年…否認の殺人認定
千葉県流山市で1997年5月、会社員田島由美さん(当時24歳)が殺害され、遺族が誤認逮捕された事件で、強盗殺人、強盗強姦などの罪に問われた当時17歳の橋詰雄介(33)の裁判員裁判の判決が2012年11月21日、千葉地裁であった。
斉藤啓昭裁判長は「強固な殺意に基づく残忍な犯行」として、求刑通り懲役15年を言い渡した。判決は、当時の少年法の有期懲役刑の上限。
判決によると、男は同年5月18日、同市鰭ヶ崎の田島さん方のマンションに侵入、田島さんを脅してキャッシュカードを奪って強姦した後、刃物で背中を1度突き刺し、首にタオルを巻いて締め付け殺害した。
橋詰雄介は公判で、「一度田島さんの家を出て、戻ったらすでに殺されていた」と殺人について否認した。斉藤裁判長は「捜査段階で殺害を認めた理由などが合理的に説明でき、供述調書は信用できる。遺体の状況などから田島さんは乱暴された直後に殺害された可能性が高く、殺害した犯人と認めるに十分」とした。
殺人者・橋詰雄介
当時、千葉県に、「欲しいモノは盗めばいい、盗みをジャマするヤツは殺せばいい」と思い込み一切躊躇わない17歳少年、橋詰雄介がいた。
1997年5月19日も、帽子をかぶり、サングラスの強盗グッズを用意し、金のありそうな家、逃げやすく防犯設備の不足した油断の多いビルの最上階を狙い、流山市を徘徊していた。そして、狙いを定め、誰もいないと思って千葉県流山市鰭ケ崎の雑居ビル3階に、玄関で靴を脱ぎ、そっと入り込んだ。
すると、そこには不運にも、そこに住む田島さん(当時24歳)が居間にいた。橋詰が、空き巣から強盗に替わるのに時間はかからなかった。偶然、その部屋にあった包丁を手にすると、「オトナシク金を出せ!」と、田島さんに迫った。
その状況にびっくりしていた田島さんは、言われるままに財布からキャッシュカードを渡し、暗証番号も教えた。ところが、展開は田島さんの予想をはるかに超えた最悪なものになった。
橋詰は田島さんを強姦し、「顔を見られた。捕まる!」と思いたち、後ろからいきなり刺したのである。その一刺しが、田島さんの心臓を捉えた。声も出せず、抵抗もできず、その場に田島さんは崩れ落ちてしまった。
意気揚々とすぐ近くのATMに行き、それでも防犯カメラに鮮明に映らないように工夫しながら、橋詰は現金を引き出した。それでも、その後は、しばらく「人を殺したんだから、捕まったら、どうしよう?」としばらくは、オトナシクなっていたに違いない。
しかし事件は橋詰にとって、予想外な展開となる。自分に捜査の手が及んでこないばかりか、自分の代わりに田島さんの家族が逮捕されたのである。おかげで、橋詰はホッとしただけでなく、自信満々の一人前の強姦強盗殺人魔となり、それ以来、逮捕されるまでの2年間に余罪を犯していく。
千葉柏市マンション強盗傷害・放火事件
橋詰は、強盗を学び、パチンコやゲームセンターで友人を介して知り合った仲間を持っていた。そして、いつのものように手慣れた段取りで、空き巣に入るターゲット宅を物色していた。
1999年8月27日午後7時ごろから8時35分ごろまでの間、千葉県柏市東の8階建てマンションの最上階マンション8階の会社員(当時33歳)宅に、目をつけた。まず、同じく留守だった隣室の玄関横の格子窓を壊して侵入し、指輪などを盗んだ。それから、ベランダ伝いに目的の部屋に侵入。
現金などを盗もうとしていたところ、帰宅した会社員妻(当時27歳)に見つかるも、逆に彼女の手足などを麻ヒモで縛ったうえ、タオルで目隠し。
そして、「大人しくしろ。俺は1人殺しているから、殺すことなんて何とも思っていないんだからな」と包丁で脅し、暗証番号を聞き出しながら、現金48,000円とキャッシュカード2枚を強奪。
ところが、妻の目隠しが取れ2人とも顔を見られたため、橋詰が彼女の首を絞めたうえ、台所にあったサラダ油をまいて火をつけ、そのまま逃走。彼女は自力でベランダまで逃げ、助けを求めたため、約30平方mを焼いただけで間もなく火は消し止められ、クビなどに約2週間のケガをしたものの無事。そして、その目撃情報が橋詰たちの逮捕に直結した。
橋詰逮捕
1999年9月9日、千葉県警柏署は、住所不定・無職の橋詰雄介(当時20歳)を強盗傷害、現住建造物等放火、殺人未遂などで、松戸市常盤平陣屋前に住む、無職の西沢大(21歳)を強盗傷害、窃盗などで逮捕。
しかし警察は、マンション最上層階に押し入りキャッシュカードを奪うなど手口に共通点があったにもかかわらず、逮捕時に橋詰が「すでに1人殺している」と言ったことを把握し起訴状にまで記載されたのに、「千葉流山女性強盗殺人事件」への関与を疑うことなく、捜査を終了していた。
少なくとも、ここで橋詰DNA鑑定をし照会さえしておけば、「千葉流山女性強盗殺人事件」で捏造逮捕され無念のままに祖母が他界してしまうことにはならなかった。橋詰は、強盗殺人未遂などの罪で懲役15年の判決が確定した。