大阪2児餓死事件

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2013年10月20日 (日) 14:36時点における219.75.235.53 (トーク)による版 (高校ラグビー界の名将”実父の下村大介氏が証言(2012年3月8日))

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下村早苗の風俗店写真

大阪2児餓死事件(おおさかにじがしじけん)とは、2010年7月に大阪市西区で起こった事件。

犯人の下村 早苗は、収監後に改姓し、現在は「中村 早苗」と名乗っている。

概要

事件発覚

餓死した下村早苗の子供たち

大阪市西区南堀江1丁目のマンションの一室で7月30日未明、10代前半の女児と男児の遺体が見つかった。「部屋から異臭がする」という女性の勤務先の風俗店の男性従業員からの110番で駆けつけた西署員が2人の遺体を発見した。遺体は腐敗が進み一部が白骨化していた。

府警は同日午後、この部屋に住んでいたファッションヘルス「クラブリッチエレガンス」の店員下村早苗容疑者(33)を死体遺棄容疑で逮捕し、発表した。府警は西署に捜査本部を設置し、殺人や保護責任者遺棄致死容疑の適用を視野に捜査。

下村早苗の父は、高校ラグビー界で有名な下村大介氏。

事件の経緯

学生時代の下村早苗
  • 3月30日 マンション住民から大阪市子ども相談センター虐待ホットラインに通報
  • 3月31日 大阪市子ども相談センター職員が訪問、接触できず
  • 4月1日 大阪市子ども相談センター職員が訪問、接触できず
  • 4月2日 大阪市子ども相談センター職員が訪問、接触できず
  • 4月5日 マンション管理会社に連絡するも住民の世帯構成など確認できず
  • 5月8日 再び住民から大阪市子ども相談センターに通報
  • 5月9日 大阪市子ども相談センター職員が再度訪問するも不在。子供の声聞こえず
  • 5月18日 再び住民から大阪市子ども相談センターに通報。午後に大阪市子ども相談センター職員が訪問するも不在。物音など一切聞こえず
  • 5月21日 桜子ちゃん、妊娠発覚
  • 6月中旬 下村早苗、2人の子供を部屋に残し、家出
  • 6月下旬 餓死したと見られる。 下村早苗、一度帰宅。死んでいるのを見て家出
  • 7月29日 下村早苗、再度帰宅。腐敗しているのを見て再び家出
  • 7月30日 下村早苗が勤務していた風俗店の同僚男性が部屋で2遺体を発見。同日午後、下村早苗を逮捕

事件まで

逮捕時の下村早苗
クラブリッチエレガンスでの源氏名はサヤ
下村早苗の風俗店写真

捜査1課によると、亡くなったのは下村容疑者の長女の羽木(はぎ)桜子ちゃん・中学校2年生(13)と、長男の羽木楓(かえで)くん・小学校6年生(11)。下村容疑者は2人の遺体を部屋に放置した疑いが持たれている。府警の調べに対し、下村容疑者は6月下旬ごろ、2人を残したままマンションを出たと供述し、「ご飯も水も与えなければ生きていくことはできないとわかっていた。私自身が育児放棄したことによって殺してしまった」と話している。

遺体は腐敗や白骨化しており、一部ミイラ化していた。司法解剖の結果、死因は不詳で、死後1~2カ月たっていた。胃や腸に食料は残っておらず、府警は少なくとも数日間は何も食べておらず、餓死の可能性もあるとみている。骨折や皮下出血など外傷はなかった。遺体発見時、2人は部屋の中央付近に裸で仰向けに倒れ、布団などは敷かれていなかった。

府警に対する供述によると、下村容疑者は風俗店に勤め始めた今年1月ごろ、店が借りているこの部屋に住み始めた。そのころから2人に教育を受けさせるのが嫌になり、「子どもなんていなければいいのに」と思うようになった。6月下旬ごろ、2人を残してマンションを出た後、友人宅を転々とした。今月29日午後6時ごろいったん部屋に戻り、2人が亡くなっているのを見つけたが、そのまま部屋を出た。

供述

下村は店関係者に「子供をほったらかしにしているので、死んでいるかもしれない」と話していた。「育児を放棄して殺してしまった」と容疑を認めているという。 「ご飯をあげたり、風呂に入れたりすることが嫌になった。子どもなんかいなければいいと思うようになった」「ご飯も水もあげなければ、子どもは生きていけないことは分かっていた」と供述しているという。

子供2人は昨年5月に離婚した元夫との子。下村容疑者が1人で育てていた。30日未明に発見された遺体は腐敗が進み、司法解剖で死因は特定できなかったが、死後1~2カ月で栄養不足が疑われ、死亡前数日は食事を取っていなかったとみられるという。遺体発見時、室内はごみが散乱し、冷蔵庫に食べ物は入っていなかった。   マンションの住民によると、この部屋やベランダからは、ごみが腐ったような異臭がし、1~2カ月前まで、中から「死ねええええええええ」と叫び声がしていた。 同市のこども相談センターには、虐待を疑う通報が3月以降3度寄せられ、職員が5月18日までに5度訪問したが応答がなく、室内に入れなかったという。

下村早苗容疑者(33)が大阪府警の調べに、「ホストクラブで遊ぶのが楽しくて育児が面倒になった。もっと遊びたくて家を出た」と供述していることがわかった。府警は、ホストクラブ通いにはまったことが、ネグレクト(育児放棄)の直接動機になったとみて裏付けを進める。   下村容疑者は今年1月、大阪・ミナミの風俗店で働き始めた前後から周辺のホストクラブに通い始めた。4月頃には、複数の店をはしごするなどし、長女(13)と長男(11)を部屋に残したまま、2~3日間、外泊することもあったという。   複数のホストと交際していたといい、6月下旬に2人を置き去りにして家を出て行った後は、友人宅などを転々とし、妹宅を訪ねたり、地元の三重県に戻ったりもしていた。2人のことは「実家に預けた」「留守番させた」と答えていたという。   一方、府警は31日、この部屋を現場検証するとともに捜索した。室内の居住部分と玄関までの廊下を仕切るドアの縁に、粘着テープが張られた跡があり、府警は、下村容疑者が外出している間、ドアを固定して子供たちを室内に閉じ込めようとしていたとみている。

ベランダや室内には、スナック菓子やハンバーガーの袋、桜子ちゃんの生理用ナプキンが散乱していた。子どもにファストフードやお菓子ばかり与えていたとみられる。近くのピザチェーン店の男性店員によると、今年2月、下村容疑者宅にピザ1枚と5個入りのチキンナゲット二つ、オレンジジュース1本を2回、宅配したという。

しかし、間もなく、下村容疑者はお菓子すら与えなくなった。「子どもなんかいなければいい」。育児を面倒だと思う気持ちが強くなったのか。最後は食料も水もない部屋に、2人を置き去りにした。

警察が遺体を発見する数時間前の今月29日夕、下村容疑者は約1カ月ぶりに部屋に戻った。その時の様子を、府警に「子どもの体は茶色に変色して腐っていた」と淡々と話しているという。

1991年頃の下村親子の映像

DVDの画面で少し若い福澤朗がスタジオから中継先に叫んでいる。

「素晴らしいお父さんをもつ早苗ちゃん、あなた幸せだぜ、な。これからも家族仲良く。ちゃんと家に帰るんだぜ」

肩に掛かる茶髪。くっきりとアイラインを入れた目。ふっくらした頬。中学の制服を着た「早苗ちゃん」が緊張した不安げな顔でうなずく。傍らの父が照れくさそうに笑う。10年前に朝のニュースショーで作られた20分番組だ。

40代初めの男盛りの下村大介が、ラガーシャツの襟を立て、きれいに髪を撫で付け、夜の盛り場で家出をした中3の娘、早苗さんを探す。プリクラの機械のカーテンの下を覗き込み、カラオケ店の受付でモニターの画面にわが子の名前を見つけ出す。番組の筋立てはおおよそ次の通りだ。

……3人の娘を抱えるバツ2でシングルファーザーの高校教師が、19年前に不良の巣だったラグビー部を熱血指導で更生させた。全国高校ラグビーの花園出場常連校となり、子育ても頑張った。だが、中学生の長女は暴走族に入り家出を繰り返す。猛練習で今年も花園出場を果たし、ベスト16に進出。試合を観戦した娘は涙を流し、父を祝福した……

まさにこの時、誰かが早苗を親身にケアしていたらあの事件は起きなかった。問題は家出ではなく、家出先で何をしているのか、その心のありかだ。父親の大介も番組制作のスタッフも真剣に探った形跡がない。それは早苗への「ネグレクト」ではないか――。

早苗は、18年半後の夏、中学校2年生と小学校6年生のわが子を餓死させ、殺人罪で逮捕された。大阪ミナミの繁華街で働く風俗嬢だった。羽木桜子ちゃんと楓くん。子どもたちの傍らに僅かな食べ物を残し、寮だった単身者用マンションには50日余り帰らなかった。

大量のゴミに埋もれた部屋の中で、子どもたちは一部白骨化していた。冷蔵庫には、飲み物や食べ物を求めた、手の跡が残されていた。早苗さんは逮捕されるまで、近くのホテルで男性と過ごし、出身地の四日市や大阪市内で遊び回り、オシャレに気を配り、その様子をSNSに写真や文章で投稿した。風俗嬢のドレスで男性を誘う営業用の映像も流れた。遊びはしゃぐ母親と、猛暑のなかで餓死する子ども。

当時の非行仲間の話から浮かび上がる、早苗の中学時代は過酷だ。14歳で初体験をした。その後、相手を次々に変え、家出のお金を稼ぐために援交もした。中3では「回され」た。性の相談を受けた中学の担任が妊娠の有無の確認を手伝ったこともある。

非行に走る子が皆手当たりセックスをすることはない。それは“愛情飢餓”である。子どもは無償の愛で自信や安定感を身につける。それが得られないまま親になると、依存欲求が残り、わが子の依存を引き受けられない。ネグレクトにつながる可能性が高くなる。桜子ちゃんも、すでに上級生の男子生徒と初体験済みだった。

父親の大介は既に他誌で、6歳ごろの早苗が、2人の妹とともに、浮気をして家を出た実母からネグレクトを受けていたと証言している。早苗の非行や子どもへのネグレクトは、それが原因だと考えているようだった。

だが、たとえ幼いときに虐待を受けても、その後十分に愛され、人が信じられるようになれば、愛情飢餓を抜け出すことはできる。早苗はその後、どのように育てられたのか。どうしても父親に会いたかった。公判期日が決まった今年の1月、手紙を書き、電話をした。電話口の大介は逡巡の末、会うことを承知した。

取材の場所に現れた大介は、練習を抜けて来たといい、ジャージ姿だった。丁寧に遅刻の詫びをいい、礼儀ただしい教師然とした人だった。私が何より聞きたかったのは「娘の中学時代の生活がどのようなものか知っていたか」ということだった。だが、インタビューは最初から噛み合わなかった。

――早苗さんが強姦されたことを知っていましたか。

「当時は、知りませんでした」 大介はあっさり言った。

――早苗さんが学校に相談したことは。

「学校からは聞いた覚えはありません」

――学校は当時、もっと早苗さんの話を聞いて欲しいと、下村さんを呼んだこともあったようですが。

「呼ばれて行かなかったことはないと思います。あの学校は荒れていた。生徒がむちゃくちゃしているのに、教員は叱らない。先生に嘗められているんです。いうことをきかんかったら、しっかり指導して、きかすんが教員でしょう。同業者として、あり得ないと思ったので、親として話を聞くところまでいきませんでした」

大介との関係作りに困った学校は実母に頼った。中学2年で不登校が始まった。理由を尋ねられた早苗は「上級生20名に囲まれて、殴る、蹴るのいじめを受けている。先生はその後ろを見て見ぬ振りで通って行く」と話した。大介はすぐさま学校に抗議をする。中学側はその事実を認めなかった。

「先生らはホンマにやる気がないと腹が立ちました」

首謀者の生徒を呼んでもらい中学の教員の前で、自分の生徒指導のように話をした。その生徒は泣き出した。ただ、私は「20人の生徒が1人の生徒を袋叩きにする。その後ろを先生が逃げるように通って行く」という状況が書割りのようで不自然に感じる。

取材で繰り返し出たのが早苗の嘘だ。虐待を受けた子が嘘をつく例は多い。変わり身を早くして、叱られないようにするためだ。しかし、父は娘を信じた。早苗は中学の教師との信頼関係が作れなかった。教師側が親しくなったと感じても、翌日には「死ね!」と罵声を浴びせて、学校を飛び出した。

繁華街でたむろして、夜はカラオケや非行仲間の家に行く。バイクを乗り回して補導された。当時の仲間の一人は言う。

「早苗はテンション高かったから、おったら楽しかった。でも、よく嘘をついたから、仲間からは信用されていなかった。人の恋人を取ることもあったし。何でもしゃべるけど、大事なことや、助けのいることは何もしゃべらんかった」

トラブルになるとすぐに姿を消した。そんなとき仲間たちは「早苗が飛んだ」と言った。

結婚・出産・離婚

早苗は平成8年5月に当時大学生の羽木と交際を始め、同年12月に結婚。結婚半年後の9年5月に長女出産。桜子と命名。続いて平成10年10月に長男を出産。楓と命名する。

捜査関係者や羽木の両親によると、下村は、長女、桜子ちゃんが生まれた当初は、真剣に子供の面倒をみており、子供との充実した生活を自身のブログにもつづっていた。その後、長男、楓くんも生まれたが、長女が小学校6年生、長男が小学校5年生の平成21年5月に離婚し、母子3人で暮らし始めた。1人で2人の子供を育てながら、飲食店で勤務するようになった。

平成22年1月、飲食店よりも短時間で稼げる大阪・ミナミのヘルス店に転職。同時にヘルス法人が部屋を借り上げている現場マンションに転居する。店関係者によると「仕事に来るといってこなかったりで、まじめな勤務状況ではなかった」といい、嫌々働いていたとみられる。

実家で両親と暮している元夫の羽木は「誰とも会いたくない」と話し、声をかけても返事もないという。デンソーに勤務し、愛車はアウディとのこと。

2007年頃のブログ

ヘルス嬢・下村早苗は、離婚前の2007年12月~2008年年4月、インターネットの自らのブログに、わが子へのあふれる愛情をつづっていた。

長女の桜子ちゃん(13)が小学校4年生だった2007年12月。熱中したいことは「桜子と一緒に桜子の服を探しに行って、着せ替え人形のようにオシャレすること」と記した。年末には1年間の思い出を書き残した。「ハタチになって1週間後、待望の娘を出産。だんだん大きくなるおなか、私はひとりじゃないんだと、思わせてくれた小さな命。わが子に対面したときは、言葉にならないほど嬉しかった」

桜子ちゃんが発疹を出した時には、「子供が元気ないことほど、心が痛いことはありません」。回復し、元気にはしゃぐ様子を見ながら、「可愛い娘と毎日をのほほんと過ごせることが本当に幸せ」と、母親らしい喜びをにじませた。

長男の楓くん(11)を身ごもったことを知った1998年3月は、毎日のようにブログを更新。「来年は、もうひとり家族が増えてお花見だなあ」と、誕生を心待ちにしていた。翌4月には、「桜子が無事に生まれてとなりにいて、そしておなかの中には赤ちゃん。幸せに思う。これってわたしも母親として少しは成長できたんだろうか」まだおなかにいた楓ちゃんへのメッセージもつづった。「ただ、無事に産まれてきてくれたら、それでいいよ」――。

最後の記載から約2年後、下村は「子供の世話が嫌になった」と、2人を部屋に置き去りにした。

京都援交10に出演

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やせこけた若い2人は、ワンルームマンションの一室で寄り添うように倒れていた

ごみが散乱する室内に全裸で横たわり、一部白骨化するなど長期間放置されていた。下村は、同僚にネグレクトを認め「ほったらかしているから、死んでいるかも」と言い残した。

「子育てをどうしたらいいか分からない。死にたい」。

女性は勤務先の風俗店従業員に相談し、約1週間前から欠勤していた。遺体発見の直前に、この従業員が電話を入れると

「ごみだらけやから見に行かんといて」

と告げ、子供が死んでいることをほのめかした。

「ここ1カ月は何も聞こえなかった。もしかしたらとは思っていたが…」

同じ階に住むバイト男性(27)は、こう言って肩を落とした。現場の部屋は「ごみ屋敷同然」といい、ベランダには大量のごみが積み上げられていた。ひどい異臭で、窓も開けられない状態だった。また、悲鳴に近い声が、昼夜を問わず廊下に響いていた。2軒隣に住む女性(27)は

「尋常じゃなく眠れないくらいだったが、6月ごろからやんでいた。もしかしたら虐待かな、と管理会社に連絡した」と打ち明け、「本当にショックです。どうにかしてあげたかった」

マンションがある南堀江地区は、大阪有数のファッション街。

大阪市の児童虐待ホットラインには今年3月以降、この部屋から「子供の声がする」という通報が相次いで寄せられていた。こども相談センターの職員らが5月中旬までに計5回家庭訪問したが、インターホンに応答はなく、声も聞こえなかったため、連絡するようメモを残して立ち去っていた。センター担当者は「できる対応はした。結果は残念で、重く受け止めている」とコメントした。

5月中旬には、マンション住民から虐待を疑う110番通報が寄せられていたが、現場に向かった西署員も異常を確認できなかった。一方、女性の勤務先の風俗店は報道陣に「何も分からない」と繰り返した。

6月初旬~小中学生放置でホスト狂いに遊び回る

母親の下村早苗が、子どもを置き去りにしたとされる6月下旬以降、海水浴に行ったり、酒を飲んで踊る「クラブ」で遊んだりしていたことが、知人らへの取材でわかった。ネット上の会員制サイトに友達らと遊ぶ様子の写真を100枚以上掲載していた。

6月初旬から7月29日まで、2ヶ月間も小中学生2人を、自宅マンションの部屋に監禁放置し、故意に殺害した疑い逮捕された。早苗の境遇や育児の大変さや、離婚と、殺人とは別問題だ。小中学生2人は、必死で助けを求めている間、複数のホストに狂い、深夜まで遊び歩く。

それにして、子ども2人を部屋に閉じ込めている間、遊び放題。6月29日夜~30日未明、サッカーW杯日本代表のユニホームを着てパラグアイ戦をテレビ放映する店を訪れた様子や、南アフリカ大会で話題になったブブゼラを持つ姿などの写真約20枚も投稿していた。

さらに「夏は遊ぶぞ」「ジェット(スキー)いこね」。7月19日の日記には神戸の須磨海岸を訪れたことを「今年初海なう~」と報告し、友人たちとはしゃぐ姿を掲載していた。

大阪・ミナミのクラブで友人らと酒を飲む写真も多く、7月24日、「ノリで」訪れたという未明の大阪城公園での写真も掲載されていた。最後の写真は逮捕2日前の7月28日。夜明けの空の写真とともに、一言「元気ですか」とつづっていた。」

“第3の被害者”部屋所有者の苦悩(2010年8月)

現場となった1室は、現在も捜査員以外の一切の立ち入りが禁じられている。この部屋を投資目的で所有していた大阪市内の資産家夫妻は、自分名義の部屋で最悪の児童虐待事件が起きたことへの強いショックとともに、2児の母親で、殺人容疑で逮捕された下村早苗の関係者と誤解されることにも苦しむ日々だという。   事件が発覚したのは先月30日。マンションの3階の部屋から「異臭がする」との110番通報があり、駆け付けた大阪府警西署員が下村の長女、羽木桜子ちゃん(13)と長男、楓くん(11)の遺体を発見した。2人は悪臭ただようゴミだらけのリビングの真ん中で、密室の暑さに耐えきれず服を脱ぎ捨てた状態のまま寄り添うように倒れていた。   翌日、2人を1カ月半も部屋に閉じこめたまま家に帰らなかった風俗店従業員の下村容疑者が逮捕され、耳を疑うような虐待の実態が明らかになった。だが、心の底から「耳を疑った」のは部屋の貸主だった60歳代の資産家夫妻だった。事情を知る大阪市内の不動産関係者がこう話す。   「夫妻は純粋な投資目的でこの部屋を所有しただけで、実際には一度も生活していません。名義をとったうえで不動産業者に仲介を頼んだところ、別の不動産業者を通じて借り主として手を挙げたのが、下村容疑者が勤務する風俗店グループの運営会社でした。しかし、夫妻が契約した書類にはイベント運営関連会社の社員寮などと記されていたそうです」

この運営会社は傘下の風俗店に部屋を又貸しし、入居した下村容疑者の給料から毎月9万5000円を天引きしていた。こうした複雑な契約関係から、事件発覚前に現場を数回訪れた児童相談所員も、最後の一歩を踏み出すことができなかった。そして貸主の夫妻は現在も、苦悩の日々を送っているという。   「夫妻が一番苦しんでいるのは、彼らが下村容疑者や彼女の勤務先の風俗店と深い関わりがあったのではないかと知人らに誤解されていることです。夫妻はいま、対人恐怖症に近い状態です。運営会社との契約は解除しましたが、“自分の部屋”に入ることもできず、何も手が付けられない状態です。最大の被害者は言うまでもなく子供2人ですが、夫妻を始め、この部屋に関わったすべての人々もまた被害者と言えます」(同)

現場の部屋には、流し台の隣に小さな線香台が設けられ、捜査員が訪れるたび線香を上げているという。部屋を下村に又貸ししていた風俗店運営会社は、「担当者が辞めてしまい何も分からない」と話している。

虐待女の熱血父“身元引受”拒否「この期に及んでも家庭顧みず」

猛暑のマンションの1室に、13歳の長女と11歳の長男を2カ月近く放置し死亡させたとして、殺人容疑で逮捕された風俗店従業員、下村早苗(33)。現在は大阪府警本部に拘置されているが、府警との連絡窓口となる親族代表の役割を、実の父親・下村大介氏が拒んでいた。下村容疑者の人格形成には、父親の放任が影響したと言われているが、逮捕後も放任状態は続いている。

犯罪で逮捕された容疑者に関しては、親族の代表者が警察とのやり取りや容疑者の所持品引き取り、生活必需品の差し入れなどを引き受けるのが一般的。だが、下村容疑者の父親・大介氏は大阪府警の要請を拒否した。母親は容疑者が幼いころに離婚しており音信不通である。

「責任放棄とも言えます。下村容疑者の父親は勤務先の高校のラグビー部指導に入れあげて家庭を顧みる余裕がなかった。離婚後は小学生だった容疑者が妹2人の世話をしていたそうです。結局、容疑者は中学入学後、素行不良になった。さらに高校卒業後、父親は容疑者を東京の知人に預けてしまった。そうした経緯がある娘へのかかわりを、父親は拒んでいるのです」(捜査関係者)

父親は下村容疑者の母親を含め、少なくとも2度の離婚をしている。現在は三重県内に住んでおり、大阪府警に拘置されている容疑者と面会したり差し入れすることは、それほど大きな負担にはならないはずだ。

「父親自身はラグビーの競技経験がないにもかかわらず、勤務先の高校ラグビー部を全国屈指の名門に育て上げたほどの人です。教育に関する講演も多くこなしており、周囲からは熱血教師と思われていました。その実の娘が世間を震撼させる事件を起こしただけでも驚きなのに、父親は自らの責任も放棄した。親族代表は結局、大阪府内に住む自分の父親、つまり下村容疑者の祖父に押しつけてしまいました」(同)

渦中の父親・下村大介氏は、事件発覚当初は取材に応じていたものの、その後は学校にも出勤していない。

ヘルス店に勤めるまで

名古屋でキャバクラ嬢として勤めながらの子育ては大変だった。

子どもたちは次々に熱を出し、医者には「お母さんと離れたくないイヤイヤ病ではないか」と言われた。仕事を休めば収入が下がる。
  2009年10月に早苗さんは新型インフルエンザに罹患する。幼い子どもが命を落とすというニュースが流れていた。

元夫と実父にそれぞれ子どもを預かって欲しいと助けを求めたが、どちらからも仕事があると断わられた。
 

同じ頃、第二子の楓くんの11歳の誕生日を祝いたいと元夫を動物園に誘ったが、これも断わられる。しかも、当日は誰からもお祝いのメールや電話がなかった。
  「私や桜子(長女)や楓のことは、なかったことにしたいのかなと思いました」
  それまで子育てを頑張って来た早苗が新しく恋人を作るのは、それから約1週間後だ。月末には職場を変わった。借金が返せなくなり、子どもを見てくれた友人とも疎遠になる。早苗の中で何かが壊れた。
  2010年1月18日、早苗は二人の子供を留守番させて、大きな荷物を持って、大阪ミナミの老舗風俗店に面接に行った。

この時は楓くんはぷくぷく太っていた。

対応した同店主任のMは「子どもたちのために学資保険に入りたい」と応募動機を語る早苗さんを「まじめな人だと尊敬した」と事件後供述している。
  Mは店から徒歩10分ほどのところにある単身者向けマンションを寮として提供し、子どもたちのために受け入れてくれる学校を探した。   Mはこの日、早苗さんとセックスをした。待遇を決め、生活全般を管理する彼を早苗さんは拒否できない。それに中学時代に性暴力を体験しており、男性の性的な働きかけを断わりにくい。レイプされる恐怖より、無抵抗を選んでしまう。
  そのまま、新人女性として仕事に入った。同店は、全身を重ねあわせて客を愛撫するマットプレーを売り物にしていた。風俗のなかでもハードな職場だ。深夜12時に仕事が終わり、家に帰った。
  仕事中、早苗はレイプされたこともあったようだ。若い女性が次々参入し、風俗嬢同士の競争は厳しい。仕事そのものが激しいストレスだ。   3月に入って、客としてきたホストと恋仲になった。マンションに戻らない時間が長くなる。
  「家に帰ると、桜子と楓がいるのが嫌だった。桜子と楓が嫌いなのではなくて、(二人の周囲に)誰もいない。その時の状況全てが嫌だった」
   早苗は桜子ちゃんに幼い頃から自分を重ねていた。桜子ちゃんは、幼い時、母に置いていかれた自分自身だ。自分の姿を直視できない。
   弁護士が聞く。

「6月9日に2食分を残して部屋を出ましたね」

「戻らないつもりは全然ありませんでした」

「一般的には、食事と水がないと死んでしまうことはわかりますね」

 泣きながらうなずく。

「それが50日間続きますが、頭に浮かびませんでしたか」

「考えないようにしていました」

「今思うと、どんな感じですか」

「考えが浮かばないわけではないので、上から塗りつぶすような感じでした」

「子どもたちがいなくなって欲しいという考えは?」

「ありません」

 子供相談センター

下村容疑者がことし1月、風俗店で勤務しながら家族3人で住み始めてすぐのころ。昼夜問わずに泣く子供の声が周囲に響き、部屋のインターホンの受話器が外れていたのか、未明の廊下に、インターホンから叫ぶ子供の声が漏れることもあった。

ある住人は「複数の気違い叫んでいる感じ。目が覚めることが何度もあった」。実際に住んでいたのは気違いではなく、中学2年生と6年生だった。

事件のあったマンション住人が3~5月にかけ虐待ホットラインに3回通報し、児童相談所の大阪市子ども相談センター(大阪市中央区)が同時期に5回訪問したが室内の状況はつかめなかった。2008年施行の改正児童虐待防止法で強制立ち入りが可能となったが、強制立ち入りは出頭要求に2回応じなかった場合などに、児童相談所が裁判所に許可状請求して行う。出頭要求には保護者や子供の名前が必要だが、今回は分からず強制立ち入りできなかった。

厚労省担当者は「名前が分からないと難しい。あまりないケースだ」と困惑。マンションを訪問した同センター職員は「物音も子供の声もなかった」と話した。

下村早苗の父・下村大介

中学生の頃の下村早苗
中京テレビで家出少女として取材されていた下村早苗

下村大介(三重県四日市市)は、四日市市のラグビー強豪校である、三重県立四日市農芸高校の有名監督。
三重県立四日市農芸高校のホームページなどによると、ラグビー部は年末年始の全国高校ラグビー大会に15度の出場を誇る名門。
三重県立四日市農芸高校で保健体育の教員を務める下村早苗の父親、下村大介は、ラグビー部の監督として27年間、指導にあたっている。
下村大介は、今年は3年生の学年主任も務めており、同校事務員によると「熱血漢で生徒の信頼も厚い」。

テレビ番組の取材なども受けたことがあり、下村大介は四日市市内では名を知られた人物だった。
ラグビー部は夏休み中も練習を行っているが、この日午前に行われた練習に下村大介は姿を見せなかった。

下村早苗の父親、下村大介さんは、今回の事件を受け

「(下村早苗容疑者の離婚から)1年以上、娘にも孫にも会っていなかった。(娘らが)どこにいるのかも、はっきりしなかった」と話した。

また、下村早苗容疑者と父親、下村大介さんらが以前に暮らしていた住宅近くに住む60代の男性は、学生時代の下村早苗容疑者について「派手な格好をしていてグレたような感じがあった」と振り返った。

下村早苗容疑者は2006年12月に結婚、昨年5月に離婚しているが、府警捜査1課によると、下村早苗容疑者は子供2人を置き去りにして家を出た理由について「自分の時間が欲しかった。育児放棄が原因で殺してしまった」と供述。

今年6月下旬頃から下村早苗は妹や友人宅などを転々としていたが、7月上旬頃には元夫に電話をかけ「仕事をしながら子育てするのは大変でしんどい」と訴えていた。

熱血指導でラグビー部を花園常連校に育て上げた父親、下村大介さんがいながら、下村早苗容疑者は子育ての悩みについて、父親に相談したり助けを求めたりすることはなかったという。

下村大介の一番目の奥さんは、85年卒業の下村大介氏の教え子で、長女の下村早苗容疑者含め三姉妹の母親であり、二番目の奥さんとの間には子供はいない。下村早苗容疑者の母親(=最初の奥さん)が出て行った原因はDV。

下村早苗容疑者の母親は、高校出たてで世間も知らずに教師の下村と結婚してDVで離婚して出て行き、今頼られても自分が生きていくのに精一杯で、孫の面倒までは見れなかった。家を出たのは下村早苗が小学校低学年のとき、今はおそらく再婚しており、下村早苗にとっては頼ることが出来なかった。

そして下村大介氏は昨年3回目の結婚。お相手は高校卒業したてのラグビー部マネージャーである。

2012年公判開始

実の子の遺体発見後にもセックス

風俗店の紹介写真

2010年6月に大阪市のマンションで児童2人が置き去りにされ死亡した事件の裁判員裁判は2012年3月7日、大阪地裁(西田真基裁判長)で被告人質問があり、殺人罪に問われた母親・下村早苗被告(34)が、遺体を発見した後に連絡を取った知人男性と会い、性交渉していたことが分かった。

被告人質問で下村被告は、弁護側から長女・桜子ちゃん(死亡時13歳)と長男・楓くん(同11歳)に対する未必の殺意の有無を問われ、「それは違います」とはっきりとした口調で殺意を否定した。だが、遺体発見当時、すぐに警察には通報せず、知人男性に連絡したうえで、一緒にドライブに出かけた先で写真を撮り、性交渉まで行ったことの事実確認を弁護側から求められると「そうです」と認めた。

一方、検察側は2010年1月ごろに名古屋から大阪に転居した理由について、下村被告の不在時に桜子ちゃんが水道の蛇口をひねってコップに入れた出来事に言及。謝罪や修繕はおろか、家賃も払わないまま“夜逃げ”するという非常識な行動も明らかになった。

午前中に行われた証人尋問では、児童2人が受けた苦痛について精神科医が下村被告はうつむいて聞いていた。

高校ラグビー界の名将”実父の下村大介氏が証言(2012年3月8日)

2010年6月に大阪市のマンションで児童2人が置き去りにされ餓死した事件の裁判員裁判第4回公判は2012年3月8日、大阪地裁(西田真基裁判長)で開かれ、殺人罪に問われた母親・下村早苗(34)の実父の高校教諭下村大介氏(61)が証人として出廷し、下村早苗の悲惨な生い立ちを語った。

高校ラグビー界の名監督としても知られ、今年度の全国大会でも勝利に導いた下村氏は証人尋問で、下村早苗が5歳ぐらいだった時の出来事を告白した。当時からチームを率いており、合宿から帰宅すると「知らない男が布団の中にいた」。下村早苗の母は夫・大介氏の浮気が原因で離婚したが、妻も同様だったという。

その後、下村早苗の実母は長女の早苗ら3姉妹を連れて家出し、別居。午前2時ごろに下村早苗から実母がいつもいないと電話があったことも。別居当時、下村早苗が暮らしていた住居は、室内飼育の犬の汚物の臭いがきつく、子供らの服は汚く髪の毛もベトベト。大介氏は「(当時の下村早苗は亡くなった孫の)桜子や楓と同じ無表情でした」と振り返った。

下村大介氏は離婚して3人を引き取ることにしたが、つらい状況は続いた。下村早苗が小学3年当時に再婚した相手には連れ子がいたが「運動靴を買ってもナイキと(自分の3姉妹は)ワゴンセールで売ってるような靴。Tシャツもディズニーキャラクターのものと安いシャツ」。差別的に扱われ、大介氏はのちに離婚した。証言の間、下村早苗は何度も涙を拭っていた。

大介氏は、下村早苗が幼いころに自身が離婚や再婚を繰り返したことで不安定な家庭生活を送らせた、と証言。「子育てには自分なりに最善を尽くしたつもりだったが、こんなことになり、孫には申し訳ない。自分も罪を背負って一生償っていきたい」と述べた。

また、下村早苗の鑑定を行った関係者も証言し、弁護側証人の心理療法士は「被告は実母の慢性的なネグレクト(育児放棄)などの影響で、一種の解離性障害があった」と指摘。これに対し起訴前の鑑定人は「被告に精神障害はなく、犯行は被告の意志で行われた」との見解を示した。

「違います」小声で殺意を否定(2012年3月)

幼い顔に、2児の母親だった面影はなかった。わが子2人への殺意を否認した下村早苗。検察、弁護側双方の冒頭陳述からは、とても母親と思えない行動が次々と明らかにされた。

午後1時半、下村は刑務官2人に伴われて法廷に姿を現した。薄い青色のブラウスに黒いワンピースを重ね着し、黒いパンツ姿。事件当時と比べふっくらし、化粧っ気のない顔は年齢より幼く見える。一つに束ねた長い髪の先は、茶色いままだった。

西田真基裁判長にうながされ、証言台に進み出る。起訴状の朗読が終わり罪状認否に移っても、涙で言葉にならなかった。裁判長は起訴内容を区切りながら、確認していく。

「『育児放棄した』というのは?」
「その通りです」
「『子供2人の栄養状態が悪化していた』のは?」
「その通りです」
「『2人が死亡することを承知しながら』は?」
「違います」

小声ながらも殺意に関する部分は否定し、弁護人の隣の席に戻った。続く冒頭陳述で、検察側は育児放棄の実態を明らかにしていく。

長男の楓ちゃんを出産して7カ月後、同級生との浮気が原因で離婚。大阪市内の風俗店で働き始めてからも、客のホストら男性3人と交際し、クラブ遊びを続けた。そして50日ぶりに帰宅し、変わり果てた姿のわが子2人を見つけた平成22年7月29日の夜。下村は男性と神戸に出かけて夜景の写真を撮り、そのままホテルに宿泊した。

1審判決は懲役30年(2012年3月16日)

大阪市内のマンションで幼い姉弟2人の遺体が見つかった虐待死事件で、殺人罪に問われた母親の無職、下村早苗被告(24)の裁判員裁判の判決公判が16日、大阪地裁で開かれた。西田真基裁判長は下村被告には殺意があったと認定、懲役30年(求刑無期懲役)を言い渡した。

検察側は論告で、「被告は幼い子供に食事を与えず、部屋の扉に粘着テープを貼って閉じこめたまま約50日間帰宅しなかった」と指摘。被告には殺意があったとし、「わが子2人を飢餓状態にさらし続けた前例のない事件で、2人の絶望感は筆舌に尽くしがたい」と非難した。

一方の弁護側は最終弁論で、「被告は幼いころに受けた育児放棄などが影響し、恐怖を無意識に避ける特殊な心理状態にあって死ぬことに意識が働かなかった」と反論。殺意はなく、保護責任者遺棄致死罪にとどまると主張した。

下村被告は最終意見陳述の際、涙を流し「もう一度2人を抱きしめたい。こんなひどい母親ですが、私はこれからも2人の母親でいます。一生2人を背負って、罪を償って生きていきます」と述べていた。

二審も懲役30年。母親の殺意認める(2012年12月)

一審大阪地裁で懲役30年(求刑無期懲役)の判決を受けた母親の中村(旧姓:下村)早苗(25)の控訴審判決が2012年12月5日、大阪高裁であり、森岡安広裁判長は一審判決を支持し、同被告の控訴を棄却した。

中村側は一審から一貫して殺意を否定し、保護責任者遺棄致死罪が相当と主張していたが、森岡裁判長は「長女らが死に至ることを認識、認容していた」とした上で、「積極的に殺害を意図したのではなく、死んでもやむを得ないという未必の殺意であっても、刑法上の殺意は否定されない」と指摘。殺人罪を適用した一審判断に誤りはないとした。量刑についても「犯行は残酷であり、長女らの絶望は想像を絶する。重すぎて不当とは言えない」と述べた。

2児放置死、母親の上告棄却…懲役30年確定

殺人罪に問われた母親の中村(旧姓・下村)早苗(35)について、最高裁第2小法廷(小貫芳信裁判長)は2013年3月25日の決定で被告の上告を棄却した。

懲役30年とした1、2審判決が確定する。中村は2010年6月、自宅の居間の扉に粘着テープを張り、玄関を施錠して長女の桜子ちゃんと長男の楓(かえで)くんを閉じこめたまま外出し、餓死させた。