海原壱一
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海原 壱一(かいばら かずいち、1935年 - )は海原建設社長、大阪府同和促進協議会理事、大阪府同和建設協会専務理事。部落解放同盟大阪府連合会羽曳野支部員。
1963年頃までは暴力団小三組の最高幹部の一人で、ピストル不法所持で警察に逮捕された前歴もある。また、実弟の海原明美は、山口組系菅谷組に多額の持参金をもって入会しており、羽曳野市の建築工事の入札に山口組の代紋をもって参加したこともある。
海原建設はもともと資本金500万円の小さな会社だったが、同和対策事業に食い込んで急成長を遂げ、1971年だけでも羽曳野市の同和建設予算約15億円のうち83.7パーセントにあたる12億5000万円を独占受注。創業からわずか7年間で資本金が9社合計2億9000万円に達する海原グループに発展した。
和歌山市太地にある時価3億円の別荘は6600平方メートルの一等地に建てられた鉄筋コンクリート造り2階建て(建坪348平方メートル)の豪邸で、大理石の風呂やプールやヘリコプターを備え、海原御殿と呼ばれた。海原一家は、プールに6頭のイルカとクジラを飼い、八尾空港に専有しているヘリコプター(時価1500万円)で別荘と自宅を往復する生活を送っていた。
出典
- 中原京三『追跡・えせ同和行為』p.135-136