坂口美奈子
提供: Yourpedia
2013年4月7日 (日) 09:29時点におけるスイポ (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「'''坂口 美奈子'''(さかぐち みなこ、1965年8月12日 - )は、東海地方を中心に活動するローカルタレント・[[ラジオパー...」)
坂口 美奈子(さかぐち みなこ、1965年8月12日 - )は、東海地方を中心に活動するローカルタレント・ラジオパーソナリティ。本名非公表(坂口は結婚前の姓。既婚者であるが入籍の有無を公表していないため)。愛知県岡崎市出身。短大在学中に「Eたまギャルズ」の一員としてタレントデビュー。タレント事務所には所属しないフリーランスのタレントとして活動している。
出演
テレビ番組
- ぴーかんテレビ 元気がいいね! (東海テレビ)
- すっぴんテレビ(東海テレビ)
- I stage (テレビ愛知)
- 新キッズ・ウォー2 (CBCテレビ)
- おもいっきり○ミエTV (三重テレビ)
ラジオ番組
- NORINORIあふたぁぬーん(東海ラジオ)
- ラジオテリアPM3 (東海ラジオ)
- 土曜はごきげん天野良春ショー(東海ラジオ)
- さか松ゲン(東海ラジオ)
- 2COOL! (東海ラジオ) - 事故により途中降板となった2006年放送分も含め、番組開始以来5シーズン連続出演している唯一のパーソナリティである。また、全シーズン通して全曜日担当しているのは坂口と山浦ひさしと東海ラジオアナウンサーの青山紀子である。
- 2004年版(2004年10月 - 2005年3月) - 水曜日担当。
- 2005年版(2005年10月 - 2006年3月) - 月曜日・火曜日担当。
- 2006年版(2006年10月 - 2007年1月11日) - 火曜日・金曜日担当。
- 2007年版(2007年10月 - 2008年3月) - 月曜日担当。
- 2008年版 - 木曜日担当。
- 松原・坂口の土曜はど〜よ!? (東海ラジオ)
- ミナコレ! (東海ラジオ)
- Music Selection (東海ラジオ)
- かにタク言ったもん勝ち(東海ラジオ) - 元東海ラジオアナウンサー蟹江篤子が休暇中の時のピンチヒッターとして出演。
その他、80年代後半から90年代後半にかけて全国各地のレーシング会場におけるレースクイーンイベントのMCを一手に務めた関係で、古参のレースクイーンマニアで彼女の名を知らない者はいないとされるテンプレート:誰2。
活動休止から復帰まで
平成19年1月から9月までタレント活動を休止。転落事故により一時意識不明の重体に陥るほどの重傷を負ったためであるが、この間の経緯は下記の通り。
- 2007年1月15日 - 出演予定であった『かにタク言ったもん勝ち』を突然出演をキャンセル。この際「個人的な事情」とのみ説明があり、翌日『ぴーかんテレビ 元気がいいね!』もスタジオ出演がなくリポートのVTRのみの出演となった。
- 2007年2月17日 - 『土曜はどーよ』の番組中に家族からのコメントが紹介され、初めて事故負傷による休養であることを公表。
- 2007年3月23日 - 『2COOL!』で、降板前のパートナーであった大澤広樹が一連の顛末を説明した。事故当時はタレント復帰の目途が立たないほどの重傷を負い、2月の公表時点ではまだ本人からのコメントが寄せられる状態にはなかった。その後実父が「驚異的な回復」と語るほどの回復ぶりを見せた。とのことだった。また休養後初めて本人のコメントが紹介され、10月の復帰を目途にリハビリに励んでいるとのことだった。
- 2007年3月30日 - 『土曜はどーよ』の最終回の冒頭にて本人からコメントが寄せられる。
- 2007年6月20日 - 『宮地佑紀生の聞いてみや〜ち』にサプライズの形で約半年振りに東海ラジオに出演。
- 本人が東海ラジオへ回復の挨拶をしに来局した所を宮地佑紀生に呼び止められ急遽出演となった。この中で今回の件について、「転落事故によりかなりの箇所を骨折し入院していた。」という説明のみ行った。「杖がないとまっすぐ歩けない状態(杖があっても歩行困難のときもある)との事で完全復帰はもう少し先になりそうだが、1日も早く体を直して復帰したい」とコメントしていた。
- 2007年9月12日 - 『2COOL!』のパーソナリティーへの復帰(4シーズン目の起用)が決まり、東海ラジオ秋改編の記者会見に出席した。6月のサプライズ出演を除き8ヶ月ぶりに公の場に復帰した。
- 2007年10月8日 - 『2COOL!』(月曜日)で1月13日『土曜はどーよ』以来の東海ラジオの番組に復帰。
- 2008年10月7日 - 『ぴーかんテレビ』に1年10か月ぶりに出演。
パーソナリティ・キャラクターなど
- 実年齢よりずいぶん若く見える容姿と声ゆえに男性ファンが多い一方、放送での攻撃的ではっきりした物言いに共感を覚える女性ファンも多い。しかしながら「放送を離れると内向的で繊細である」と本人は言っている。
- B'zの大ファンであり、ロックを中心にかなり音楽には精通している。他には、槇原敬之の曲も好きで、自身の担当日の翌日に槇原敬之の特集が行われる事について、坂口はかなり悔しがっていた(2008年度の『2COOL!』内にて)。しかし、ヒップホップ系の音楽に関してはどうにも疎いようだ。
- 映画フリークで、かなりの洋画好き。自身の番組でも映画の紹介コーナーを持つ。映画を紹介する時は、本人曰く「素の自分に近い」どこかアンニュイなキャラクターで作品を語る。メグ・ライアンの大ファンでもある。
- マジシャンタレント・タクマとは約20年にわたっての旧知の仲。彼女が「Eたまギャルズ」でデビューした頃、当時「コント涙・恋笑隊(るい・れんしょうたい)」の組んでいたタクマと知り合い、以来20年近くの交流がある。その縁からタクマが毎年行っている必笑ライブでは二人で「おばあちゃんコント」を演じている。ちなみにそのことについて、自分のことを「女優」と名乗るが「代表作は?」の問いに「おばあちゃんコントです」と落とすネタを持っている。なお、かにタクのコーナー名にもなり、タクマの持ちギャクと思われている「まあ、どういう風!?」はもともと坂口の口癖である。普段は標準語を使うが、タクマとかにタク言ったもん勝ちで共演するときには名古屋弁を用いる。本人は「タクマの顔を見ると名古屋弁で話したくなる」と語っている。
- 「美奈子」と呼び捨てされ「呼び捨てするな!」と応酬するトークのパターンがある。これは「さか松ゲン」で、年下の源石和輝がやり始めた事がきっかけだった。源石以外では、同じく年下の森貴俊・吉川秀樹も「美奈子」と呼び捨てにした事があるが、2COOL!で大澤広樹から「坂口!」と上の名前で呼び捨てにされた事もある。坂口自身は、下の名前で呼び捨てされる事にはタレントとしておいしい思いを感じる一方、強い抵抗感も持っている様である(特に吉川が呼び捨てにした時は、リスナーからの反響が非常に大きかった反面、坂口本人は本気で怒っていた)。ちなみに、年上のパーソナリティーから呼び捨てにされた事はない。
- 下ネタが苦手でかにタクのピンチヒッターで安蒜豊三と共演した際、下ネタを連発した安蒜に「松原(敬生)さんが恋しいと思ったのは初めてだ」と絶叫。
- タクマや蟹江篤子アナ曰く「大食い」で、必笑ライブでバナナを3秒で完食する芸を見せ、楽屋で大福を3個ペロリと平らげると言う。また週2回は焼肉を食すると大澤アナは語っている。好物は、赤福、きよめ餅、くさ餅などのお餅・あんこ系。「○○、大〜好き!」が口癖で、ラジオでも坂口が口にするとスタッフがエコーを掛けてくれる。
- 平成16年11月3日放送のぴーかんテレビ 元気がいいね!1000万人の常識クイズで、700位のキリ番に入りソウル旅行を獲得したことがある。
- 生まれつきの遠視で、幼いころから牛乳ビンのようなメガネをかけていたが、メガネザルなどのあだ名を付けられイジメにもあったという。思春期のころはメガネをかけるのが嫌で家を出るとすぐにメガネを外し、学校ではメガネをしていなかったとのことである。そのことがトラウマになったのか、つい最近までは裸眼で仕事をしていたという。尚、今は仕事ではコンタクト、私生活ではメガネをしているが、メガネ姿は「大切な人」以外には絶対見せないとのことである。
- 3回の結婚歴があり、現在の結婚相手は東京在住のタイヤメーカーに勤務する一般人。結婚前「(坂口は)名古屋で必要とされているので、名古屋で仕事をしなさい」と言われ、結婚以来仕事があるときは名古屋、ないときは東京の往復生活を続けており、本人は「別居婚」と言っている。『2COOL!』の生放送中に相手から「今、映画観ているの?」というメールが届くなど、別居婚ならではの笑い話もある。ラジオでは「惜しいダンナ」「残念なダンナ」として紹介している。
- 岡崎ライオンズクラブの会長を歴任するなどの岡崎財界きっての実業家夫妻の間に生まれた3人兄弟の末っ子。2人の兄を持つが、上の兄が布池教会で式を挙げた時、THE BLUE HEARTSの『リンダリンダ』を披露宴の入場曲にした。なお、実父は現在も岡崎市内で不動産業を営んでいる。
- 物事を斜めから捉える傾向の強い彼女だが、超能力については存在を信じている。催眠術にもかかりやすいようで、小学校のとき催眠術のマネをしていたら本当にかかってしまっているのか、家族が知らない振りをしているのかわからなくなってしまったという逸話がある。また幽霊の存在を信じ苦手としているようで、小学校のときに借りた幽霊の本を返すことが出来ず、押入れに隠していたらその押入れを開けることも出来なくなり、卒業後に母親が学校に返しに行ったというエピソードがある。