マニー・パッキャオ

提供: Yourpedia
2010年8月8日 (日) 06:38時点における小内山晶 (トーク | 投稿記録)による版

移動: 案内検索
マニー・パッキャオ
パッキャオ.jpg
基礎データ
本名 Emmanuel Daprigran Pacquiao
通称 Pacman
階級 ライトフライ級 - ウェルター級
身長
リーチ
国籍 フィリピンの旗 フィリピン
生年月日 1978年12月17日(2024-1978)+((11-12)*100+(10-17)>=0)-1歳)
出生地 フィリピン南コタバト州
ジェネラルサントス市
没年月日
死没地
所属
構え サウスポー
入場曲
アマチュアボクシング戦績
総試合数
KO・RSC勝
無効試合
獲得メダル
オリンピック 0 0 0
世界選手権 0 0 0
ヨーロッパ選手権 0 0 0
アジア選手権 0 0 0
世界ユース選手権 0 0 0
世界ジュニア選手権 0 0 0
世界女子選手権 0 0 0
0 0 0
獲得タイトル
全日本選手権優勝 0
全日本社会人選手権優勝 0
全日本女子選手権優勝 0
全国高校総体優勝 0
全国高校選抜優勝 0
国民体育大会優勝 0
0
0
0
プロボクシング戦績
総試合数 56
51
KO勝 38
3
2
無効試合
テンプレートを表示

マニー・パッキャオManny Pacquiao、パッキアオ、パキャオとも表記される、1978年12月17日 - )は、フィリピンブキドノン州(現南コタバト州)ジェネラルサントス市出身のプロボクサー。本名:エマヌエル・ダピドゥラン・パッキャオ。現WBC世界ライト級王者であり、WBC世界スーパーフェザー級王者である。
IBF世界スーパーバンタム級王者(2001年 - 2004年)、元WBC世界フライ級王者(1998年 - 1999年)。アジア人として初めて4階級を制覇した。パウンド・フォー・パウンドランキングではフロイド・メイウェザー・ジュニア引退後は1位につけている。母国フィリピンでは国民的英雄であり、パッキャオが4階級制覇を達成した試合のフィリピンでの視聴率は63.8%を記録した。

人物

パックマン」の愛称で知られ、世界の強豪と互角に渡り合う実力を持ち、アメリカ本土で活躍している。サウスポースタイルからステップインをして放つ左ストレートに破壊力があり、軽量級で人気を得ている。アジア人として初めてHBOPPV放送でメインイベントを務めるなど、世界的に活躍する選手の一人である。ボクシング王国として知られるメキシコの名ボクサーを次々と倒して名を挙げた事から「メキシカン・キラー」とも呼ばれる。パッキャオは祖国フィリピンの国民的英雄であると同時に、フィリピン人ボクサーが米国で活躍する契機となり、軽量級のアジア人ボクサーへの注目と評価を高めることにも貢献した。政治への進出を目指している事も知られており、グロリア・アロヨ大統領とも仲が良い。2007年5月には下院選挙に出馬したが落選。ボクサー引退後に再び政界進出を目指すと語っている。また、歌手デビューも果たしている。

来歴

1995年1月22日にプロデビュー。12戦目で初黒星を喫するまで、フライ級バンタム級の間を行ったり来たりしていた。この敗戦以降はフライ級に留まる。1998年12月4日、27戦目でチャッチャイ・ダッチボーイジム(タイ)から8回KOでWBC世界フライ級王座を獲得。2度目の防衛戦でメッドグン・3Kバッテリー(タイ)に3回KO負けを喫する(※前日計量の体重超過で失格し試合前にタイトル剥奪)。敗因は減量苦が限界に達しコンディションを崩したためと言われる。

その後、スーパーバンタム級まで一気に3階級上げ、WBCインターナショナル王座を獲得。これを5度防衛し、2001年6月23日に、元王者のエンリケ・サンチェスの欠場で世界王座挑戦のチャンスを得て、IBF世界スーパーバンタム級王者レーロホノロ・レドワバと対戦する。パッキャオはレドワバから3度ダウンを奪い、6回TKOで2階級制覇を達成する。

IBF王座を4度防衛し、2003年11月15日に、伝説的ボクサーの一人と評されていたマルコ・アントニオ・バレラ(メキシコ)と対戦。下馬評はバレラ有利だったが、パッキャオは1回にダウンを喫したが、左ストレートを武器にバレラのガードを破って3回にダウンを奪い返し、11回TKOで快勝した。この番狂わせで世界的な評価と注目を獲得した。バレラ戦の6ヶ月後、WBA・IBF世界フェザー級統一王者ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と対戦。この試合でパッキャオはマルケスを1回に3度もダウンさせたが、猛反撃を受けて結局、引き分けに終わる。

2005年3月19日、階級をスーパーフェザー級に上げ、バレラにWBC世界スーパーフェザー級王座を明け渡したばかりの元3階級王者エリック・モラレスと対戦。善戦したが0-3で判定負けする。半年後のWBCインターナショナルスーパーフェザー級王座決定戦で6回TKOで勝利すると、2006年1月21日エリック・モラレスと再戦。10回TKOで雪辱を果たす。同年11月18日にモラレスとのラバーマッチは3回TKOで完勝し、ライバルとの決着をつけた。

2007年10月6日マルコ・アントニオ・バレラとの再戦で12回判定勝ち(バレラは試合後に引退を表明)。

2008年3月15日ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と4年半ぶりにWBC世界スーパーフェザー級王座を賭けて再戦、3回にダウンを奪うがマルケスの猛反撃もあって初対決時を上回る大激闘・名勝負の末、2-1のスプリット・デジションでパッキャオが勝利、王座を奪取すると共にアジア人として初の3階級制覇を達成した。

2008年6月29日デビッド・ディアス(メキシコ)と対戦、初回から一方的に攻め続けて9回KO勝利、WBC世界ライト級王座を獲得すると共にアジア人として初の4階級制覇を達成した。

2008年8月28日オスカー・デ・ラ・ホーヤとのビッグマッチが決定した。12月6日、ラスベガスのMGMグランドで、ウェルター級リミットの体重でノンタイトル12回戦を行う。

戦績

日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1995年1月22日 4R 判定 ティティング・イグナシオ フィリピンの旗 フィリピン プロデビュー戦
2 1995年3月18日 4R 判定 ピノイ・モンテジョ フィリピンの旗 フィリピン --
3 1995年5月1日 6R 判定 ロッキー・パルマ フィリピンの旗 フィリピン --
4 1995年7月1日 2R TKO デール・ダシアート フィリピンの旗 フィリピン --
5 1995年8月3日 6R 判定 フラッシュ・シンバジョン フィリピンの旗 フィリピン --
6 1995年9月16日 3R KO アルマン・ロルシ フィリピンの旗 フィリピン --
7 1995年10月7日 8R 判定 ロリト・ラロア フィリピンの旗 フィリピン --
8 1995年10月21日 2R TKO レナト・メンドネス フィリピンの旗 フィリピン --
9 1995年11月11日 3R TKO ロドルフォ・フェルナンデス フィリピンの旗 フィリピン --
10 1995年12月9日 10R 判定 ローランド・ツユゴン フィリピンの旗 フィリピン --
11 1996年1月13日 5R TKO リト・トレホス フィリピンの旗 フィリピン --
12 1996年2月9日 3R KO ルスティコ・トーレカンポ フィリピンの旗 フィリピン --
13 1996年4月27日 10R 判定 マーロン・カリーリョ フィリピンの旗 フィリピン --
14 1996年5月20日 4R TKO ジョン・メディナ フィリピンの旗 フィリピン --
15 1996年6月15日 4R TKO バート・バティラー フィリピンの旗 フィリピン --
16 1996年7月27日 2R TKO イッポ・ガラ インドネシアの旗 インドネシア --
17 1996年12月28日 2R TKO イ・サンユル 大韓民国の旗 韓国 --
18 1997年3月8日 1R KO マイケル・ルナ フィリピンの旗 フィリピン --
19 1997年4月24日 1R KO 李旭基 大韓民国の旗 韓国 --
20 1997年5月30日 6R TKO アリエル・オーストリア フィリピンの旗 フィリピン --
21 1997年6月26日 5R KO チョクチャイ・チョクビワット タイ王国の旗 タイ OPBFフライ級王座獲得
22 1997年9月13日 10R 判定 メルビン・マグラモ フィリピンの旗 フィリピン --
23 1997年12月6日 1R KO タノンディ・シンワンチャ タイ王国の旗 タイ 防衛1
24 1998年5月18日 1R TKO 寺尾新 日本の旗 日本 --
25 1998年12月4日 8R TKO チャチャイ・ダッチボーイジム タイ王国の旗 タイ WBC世界フライ級王座獲得
26 1999年2月20日 3R TKO トッド・マケリン オーストラリアの旗 オーストラリア --
27 1999年4月24日 4R KO ガブリエル・ミナ メキシコの旗 メキシコ 防衛1
28 1999年9月17日 3R KO メッドグン・3Kバッテリー タイ王国の旗 タイ WBC世界フライ級王座陥落
29 1999年12月18日 2R TKO レイナンテ・ハミリ フィリピンの旗 フィリピン WBC INT Sバンタム王座獲得(決定戦)
30 2000年3月4日 4R KO アーネリル・バロテリオ フィリピンの旗 フィリピン 防衛1
31 2000年6月28日 1R TKO 蔡昇坤 大韓民国の旗 韓国 防衛2
32 2000年10月14日 10R TKO ナデル・フセイン オーストラリアの旗 オーストラリア 防衛3
33 2001年2月24日 5R TKO 千里馬哲虎 日本の旗 日本 防衛4
34 2001年4月28日 6R KO クマンペット・キャットボラフォン タイ王国の旗 タイ 防衛5
35 2001年6月23日 6R TKO レーロホノロ・レドワバ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 IBF世界Jフェザー級王座獲得
36 2001年11月10日 6R 負傷 アガピト・サンチェス ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国 防衛1/WBO世界Jフェザー級王座挑戦
37 2002年6月8日 2R TKO ホルヘ・エリセール・フリオ コロンビアの旗 コロンビア 防衛2
38 2002年10月26日 1R TKO ファーブラコム・ラキットジム タイ王国の旗 タイ 防衛3
39 2003年3月15日 5R TKO エリクザーン・イェシュマンベトフ カザフスタンの旗 カザフスタン --
40 2003年7月26日 3R KO エマヌエル・ルセロ メキシコの旗 メキシコ 防衛4
41 2003年11月15日 11R TKO マルコ・アントニオ・バレラ メキシコの旗 メキシコ --
42 2004年5月8日 12R 判定 ファン・マヌエル・マルケス メキシコの旗 メキシコ IBF/WBA世界フェザー級王座挑戦
43 2004年12月11日 4R TKO ファーサン・3Kバッテリー タイ王国の旗 タイ IBF世界フェザー級王座挑戦者決定戦
44 2005年3月19日 12R 判定 エリック・モラレス メキシコの旗 メキシコ WBC/IBA世界スーパーフェザー級王座決定戦
45 2005年9月10日 6R TKO エクトール・ベラスケス メキシコの旗 メキシコ WBC INT スーパーフェザー級王座獲得(決定戦)
46 2006年1月21日 10R TKO エリック・モラレス メキシコの旗 メキシコ 防衛1
47 2006年7月2日 12R 判定 オスカー・ラリオス メキシコの旗 メキシコ 防衛2
48 2006年11月18日 3R TKO エリック・モラレス メキシコの旗 メキシコ 防衛3
49 2007年4月14日 8R KO ホルヘ・ソリス メキシコの旗 メキシコ 防衛4
50 2007年10月6日 12R 判定 マルコ・アントニオ・バレラ メキシコの旗 メキシコ 防衛5
51 2008年3月14日 12R 判定 ファン・マヌエル・マルケス メキシコの旗 メキシコ WBC世界スーパーフェザー級王座獲得
52 2008年6月29日 9R KO デビッド・ディアス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBC世界ライト級王座獲得

獲得タイトル

エピソード・その他

  • 弟のボビー・パッキャオもプロボクサー。
  • 1998年5月18日に日本のリングにあがり、ノンタイトル戦で寺尾新(八王子中屋)を1回TKOで下している。
  • ボクサーとして成功する前は建設作業員をやっていた。

関連項目

外部リンク

前王者
チョクチャイ・チョクビワット
第26代OPBF東洋太平洋フライ級王者

1997年6月26日 - 1998年9月(返上)

次王者
メルビン・マグラモ
前王者
エリック・モラレス
第18代WBCインターナショナルスーパーフェザー級王者

2005年9月10日 - 現在

次王者
N/A
前王者
チャッチャイ・ダッチボーイジム
第32代WBC世界フライ級王者

1998年12月4日 - 1999年9月17日

次王者
メッドグン・3Kバッテリー
前王者
レーロ・レドワバ
第11代IBF世界スーパーバンタム級王者

2001年6月23日 - 2003年(返上)

次王者
イスラエル・バスケス
前王者
ファン・マヌエル・マルケス
第28代WBC世界スーパーフェザー級王者

2008年3月15日 - 現在

次王者
N/A
前王者
デビッド・ディアス
第27代WBC世界ライト級王者

2008年6月28日 - 現在

次王者
N/A