上本博紀
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上本博紀(うえもとひろき 1986年7月4日-)は日本のアマチュア野球選手。
広島県福山市出身で早稲田大学野球部所属。ポジションは二塁手。身長172cm、体重68㎏。右投げ、右打ち。
来歴
小・中学校
小学校4年生の時にソフトボールを始める。中学時代は地域の軟式野球のクラブチーム(松永ヤンキース)に所属し、1年生の秋から1番・セカンドに定着。
高校
広陵高校に入学後、1年・夏から二塁手のレギュラーに定着。広陵では実に16年ぶりの1年生レギュラーとして話題を呼んだ。
甲子園には1年夏、2年春・夏、3年春と4回出場。
西村健太朗(現・巨人)-白濱裕太(現・広島)バッテリーを擁して出場した第75回選抜高等学校野球大会(2003年)では、2年生ながらもリードオフマンとして走攻守に活躍、チームの優勝に貢献した。
あと1本ヒットを打てば選抜大会の個人最多安打数の記録に並ぶところであった。
同年、第85回全国高等学校野球選手権大会ではチームは2回戦で敗退するものの先頭打者本塁打を含む10打席連続出塁を記録し、強烈な印象を残して甲子園を去った。
また、その年に行われたアジアAAA選手権に日本代表として選出され、最優秀守備選手賞を獲得。
過去4回出場した甲子園では、1度も三振を喫してない。
甲子園での活躍から、「安打製造機」や「甲子園の申し子」などと呼ばれた。
大学
- 1年
春から2番・セカンドとしてレギュラーで起用される。 リーグ戦では、春季・秋季ともに全試合先発出場を果たし、2季連続でベストナインに選ばれた。 また、1試合6四死球という個人リーグ戦最多四死球の新記録も樹立した。
- 2年
春季リーグ戦の開幕当初は満塁本塁打を放つなど活躍するが、リーグ後半から秋季リーグ戦にかけて打率が低迷。周囲の期待も高かっただけに大きく不満の残る結果となった。 しかし、明治神宮大会ではリーグ戦の不調が嘘だったかのように本来のリードオフマンぶりを発揮し、早稲田大学を準優勝に導いた。
第35回日米大学野球選手権大会の日本チームメンバー、明治神宮外苑創建80年を記念して行われた東京六大学選抜vs東京ヤクルトスワローズ戦の六大学選抜メンバーに選出された。
- 3年
3年連続で二塁手の開幕戦・先発メンバーとなる。また、現在まで全ての公式戦において先発出場を果たしている。チームの秋春連覇に大きく貢献し、3季ぶり3回目のベストナインに選出された。
打撃成績
高校
- 2003年
秋季中国大会 36打数18安打 .500 打点10 盗塁10 三振3
甲子園通算 40打数20安打 .500 本1 打点7
アジアAAA選手権 19打数6安打
大学
- 2005年
春季リーグ戦 52打数15安打 .288 ベストナイン
秋季リーグ戦 47打数10安打 .213 ベストナイン
- 2006年
春季リーグ戦 59打数17安打 .288
秋季リーグ戦 46打数 9安打 .196
(神宮大会 12打数 7安打 5打点 1四球 1振)
- 2007年
春季リーグ戦 47打数17安打 .362 ベストナイン
通算 64試合 251打数68安打 .271 本3 打点34 盗塁23 四死球40 失策7
余談
- 高校時代のあだ名は「ウエポン」。
- 弟(崇司)も同じ広陵高校・野球部に所属している。ポジションは遊撃手。この春から左打ちに転向した。背格好が非常に良く似ている。なお、高校時代、打席に立つ度に流れた「ポパイ」のテーマは弟に引き継がれている。
- アジアAAA大会でタイに行った際、現地の人に間違われた。(本人談)
- 西武ライオンズのスカウトによる裏金問題では、現金を授受したのは『早稲田の内野手、高校時代にもドラフト候補となった』などと当初報道されていたことから、2ちゃんねるなどの掲示板で真っ先に疑惑を掛けられてしまうが、その後に報道された情報から全くの別人であることが判明。とんだ災難を被った。
外部リンク
- 東京六大学野球連盟 -公式サイト
- 早稲田大学野球部 -公式サイト
- 広陵の挑戦・フレッシュ二遊間 -中国新聞による応援記事