水野銈治
提供: Yourpedia
2020年4月29日 (水) 15:18時点における由亜辺出夫 (トーク | 投稿記録)による版 (wiki:ja:水野銈治 2016年4月19日 (火) 13:15の 宇井木辺出夫 による版を転記)
水野 銈治 | |
---|---|
渾名 | |
生誕地 | 日本 愛知県 |
死没地 | |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1911 - 1942 |
最終階級 | 憲兵少佐 |
部隊 | |
指揮 | |
戦闘 | |
戦功 | |
賞罰 | |
除隊後 | |
廟 |
水野 銈治(みずの けいじ)は、日本の軍人。最終階級は憲兵少佐。1941年に第2野戦憲兵隊の分隊長としてマレー作戦に参加、1942年2月、シンガポール占領後のシンガポール華僑粛清事件で市内の粛清を指揮したことで知られる。1942年に第25軍憲兵隊昭南東分隊長を務めた後、召集解除。1948年3月、同事件の戦犯裁判で終身刑判決を受ける。[1]
経歴
- 愛知県出身[2]
- 23期
- 1911年 歩兵少尉
- 1915年 中尉
- 1918年 憲兵中尉、名古屋分隊長
- 1921年 大尉、三島分隊長
- 1924年 板橋分隊長
- 1925年 予備役
- 年月不詳 召集少佐
- 1941年 召集第2野戦憲兵隊付、マレー作戦参加
- 1942年 昭南東分隊長、召集解除
- 1948年3月12日、イギリス軍シンガポール裁判で、シンガポール華僑粛清事件により終身刑判決を受ける[2]。
脚注
参考文献
- 茶園 (1995) 茶園義男 茶園義男 [ シンガポール英軍法廷・華僑虐殺事件起訴詳報 ] 不二出版 1995
- 茶園 (1989) 茶園義男 茶園義男 [ BC級戦犯英軍裁判資料 ] 下 不二出版 1989
- 大西 (1977) 大西覚 [ 秘録昭南華僑粛清事件 ] 金剛出版 1977-4