福岡一家4人殺害事件
福岡一家4人殺害事件とは、2003年6月20日に福岡市東区で起きた、中国人留学生3名による強盗殺人事件。
目次
事件の概要
2003年6月20日に、福岡県博多湾で4人の遺体が発見された。遺体には首を絞められた跡があり、捜査の結果4人の遺体は近くに住む一家の松本 真二郎さん(41)、妻・千加さん(40)、小学6年の長男・海君(11)、小学3年生の長女・ひなちゃん(8)と判明した。
発見現場近くの目撃証言と、犯行に使われた手錠とダンベルが販売された店舗の防犯カメラの映像から3人の容疑者が割り出されることとなった。3人は一家4人をベンツに乗せて、手錠をはめて遺体を海に沈めていた。
犯行グループのうち楊寧と王亮は中国に帰国していたが、中国公安当局の協力により逮捕起訴された。一人については別件で警察に拘束されていた。
遺族のなかには共犯がいる疑いがあるとして捜査に納得していない人もおり、再捜査を求めている。
福岡一家殺害を自供「中国人3人でやった」(2003年9月)
福岡市の一家4人殺害事件で、別の強盗致傷、詐欺事件で再逮捕された中国・河南省出身の元専門学校生、魏巍被告(23)(傷害罪で起訴)が、福岡県警の捜査本部の調べに対し、事件直後に出国した吉林省出身の元日本語学校生(21)ら2人から、「金になると持ちかけられ、三人で犯行に及んだ」と自供していることが16日、わかった。
魏被告は、知人女性が住む同市博多区のマンションから、遺体に付けられていた鉄製の重りを持ち出し、公共交通機関を使って運搬していたこともわかり、捜査本部は、この3人について、殺人、死体遺棄容疑での逮捕状請求に向け、詰めの捜査を進めている。
魏被告は、元日本語学校生や一緒に出国した同居の元私立大留学生(23)の遊び仲間。捜査本部は、この2人と、事件前後に携帯電話で頻繁に連絡を取り合っていた魏被告を割り出し、8月に知人女性を殴った傷害事件で逮捕。さらに、9月2日、携帯電話をだまし取った詐欺容疑で再逮捕し、同13日には、別の中国人の日本語学校生宅を襲撃した強盗致傷容疑で再逮捕した。
魏被告は調べに対し、「殺害事件は元日本語学校生と元私立大留学生の2人がやったと思う」などと話していた。しかし、最近になって、「2人に誘われ、3人でやった」と自供し始めたという。
さらに、被害者の同市東区、衣料品販売業・松本 真二郎さん(当時41歳)の妻、千加さん(同40歳)の遺体に付けられていた鉄製の重り(約30キロ)について、魏被告は「JR博多駅近くのマンションから持ち出した」と供述。JRやバスで運んだとみられる。
松本さんの自宅に残された足跡から、犯人グループは3人以上とみられるが、松本さん一家と魏被告ら3人の接点は見つかっておらず、捜査本部は犯行を指示した人物がいるとみて、背後関係を調べている。
一家4人の遺体は6月20日、同市東区の博多湾で発見された。2日前の同18日、松本さん宅から約1キロ離れた同区の量販店に設置された防犯ビデオに、犯行に使われた手錠やダンベルと同種の商品を購入する男の姿が映っており、似顔絵をもとに捜査した結果、男は元日本語学校生と判明した。
住んでいた同区のアパートから採取したアカなどのDNA鑑定の結果や目撃証言などから、捜査本部は、元日本語学校生が一家殺害に深く関与したと断定。死体遺棄容疑で逮捕状を請求する方針を固め、警察庁と協議を重ねていた。一連の捜査で、魏被告を含め、元日本語学校生の知人ら4人の中国人が逮捕されている。
犯人の中国人3人
2003(平成15)年6月20日午後、福岡・博多港箱崎埠頭付近の海中から一家の遺体が次々と発見された。やがてそれらの遺体は福岡市東区に住む衣料品販売業・松本真二郎さん(41)、妻・千加さん(40)、長男・海君(11)、長女・ひなちゃん(8)と判明。殺人事件として捜査がすすめられた。 まもなく中国人留学生だった王亮(ワンリャン:21)、楊寧(ヤンニン:23)、魏巍(ウェイウェイ:23)の3人が犯人とされ、魏は国内で、残る2人は中国で身柄を拘束された。
王亮(ワンリャン:21)
吉林省出身。父親は土木会社を経営し、裕福な家庭に育った。
2002年春、日本の大学進学を目指して福岡市内の日本語学校に入学し、同級生とともに寮で暮らし始めた。当初授業の出席率は96パーセントと高かった。(出席率が95パーセント以下になれば入国管理局に報告されるという。さらに低くなると強制送還される)
だが王はこの年の9月、同級生とトラブルを起こし、その時の学校の対応に不信感を抱き、ほとんど学校に出てこなくなった。同級生によるとこの頃から王の様子が変わっていったという。
2003年4月の時点で、王は松本さん宅から700メートルほどのところにある家賃2万円のアパートに楊とともに住んでいた。5月15日に日本語学校から、このままで除籍処分になると通告された。就学生が除籍処分されると、就学ビザを取り消され不法滞在になる。王は1度中国に帰り、両親に再編入のための授業料の工面を依頼していた。だが、両親が王に持たせたはずの授業料は学校に納めておらず、除籍処分となっていた。
楊寧(ヤンニン:23)
吉林省出身。父親は長春市の中日友好協会に勤め、母親は同市の製紙工場に勤務。
王とは両親同市が古くからの知り合いだった。2001年10月に就学ビザで来日し、日本語学校を卒業した後、私立大学国際商学部に入学し、アジアの貿易経済について学んだ。
2002年には1科目を履修しただけでさぼり、後期には病気と称して休学したが、実際は福岡市内のハンバーガーショップでアルバイトをしていた。
2003年4月に1度は復学したが、年間50万円余の学費が払えず、納入期限の6月末を前に「親から学費を受け取るために一旦帰国する」と大学側に説明して出国した。この時、実家には戻っていない。
魏巍(ウェイウェイ:23)
河南省出身。父は工場を経営する資産家。魏自身も高校卒業後、3年間人民軍で班長を務めた。その後大連の外国語学院で日本語を学び、日本留学後は先端技術を学ぶという希望を持ち、2001年4月、福岡の日本語学校に入学している。
2002年4月には予定通り、コンピューターの専門学校に入学した。ここでは成績もよく、奨学生候補だった。故郷には恋人もいて、ごく普通の学生だったが2003年になると一転して学校を欠席がちになった。
魏のアパートには中国人の女性が何人も出入りするようになり、4月には留学生仲間と中国人宅に押し入り、26万円を強奪、6月には知人の女性に暴力をふるったとして傷害容疑で逮捕された。この頃、インターネットカフェにしばしば通うようになり、王や楊と知り合った。
4月9日にはかつて住んでいたアパートへ強盗を押しこんだこともある。また、他人名義で携帯電話を契約する詐欺も働いている。金にも対して困っていない優秀な学生だった彼が、2003年春を境に突如犯罪行為を繰り返すようになっていた。
2003(平成15)年4月15日夜、福岡市中央区の日本語学校に魏と王、楊らが職員室に忍び込み、現金約5万円を盗んだ。そこは王が在籍していた学校だった。王、楊はその1月にも、同区のファストフード店に侵入し、現金230万円を盗んでいた。ここは楊のアルバイト先。4月9日には魏が別の中国人留学生2人と共謀し、中国人留学生から現金約26万円を奪うという事件も起こしている。
「3人で何かやろう」
5月上旬には、楊のアルバイト先だった同市博多区のラーメン店経営者襲撃を計画する。「面識があると発覚の危険性が高い」として断念したが、この時すでに「殺害して金を奪う」ことを念頭に置いていた。
松本さん一家
殺害された松本さん一家は、松本真二郎さん(41)、妻千加さん(40)、小学6年の長男海君(11)、小学3年生の長女・ひなちゃん(8)の4人暮らし。
松本さんは1962(昭和37)年福岡市で生まれた。私立博多高校を中退し、中州のクラブ勤めを経て上京。東京・麻布十番の焼肉店などで修行した後、1988年に福岡市中央区で韓国料理店をオープンさせた。この店は繁盛し、有名人なども多く来店、テレビでも紹介されるほど有名店になった。その後、東区にも別の焼肉店を開店し、売上も好調だった。
千加さんも福岡出身。九州女子高校を卒業後、1994年頃まで化粧品会社の美容部員として福岡空港の国際線ターミナル店で働いていた。真二郎さんと千加さんは高校時代から交際しており、1990年5月に結婚した。海くん、ひなちゃんも生まれ、幸せな家庭を築いていた。
しかし、最初の悲劇が起こった。2001年9月、BSE(牛海綿状脳症)騒動が起こり、その煽りを受けて経営していた両店は廃業に追い込まれた。真二郎さんは千加さんの親族と一緒に婦人服販売会社を始めるが、売上が低迷、さらに東区の焼肉店開店のために自宅を抵当に入れて借りた4000万円の返済も滞るようになった。
2003(平成15)年3月、夫婦は婦人服販売業の業績が上がらないことから、千加さんの親族から独立して、衣料品などをデパートに卸す仕事を始めた。その2ヶ月後、真二郎さんの知人から休眠中の会社「W」を継承して復活させた。千加さんを社長にして、衣料品販売業を本格的に乗り出した。
また失業し、金に困った真二郎さんは闇ビジネスと呼ばれる仕事にも手を広げていく。事件後、家宅捜索で福岡市中央区のマンションから大麻草が発見されている。真二郎さんは大麻草を栽培して、売りさばいていたとされている。
また真二郎さん一家は1994年から1996年にかけて、外資系生保会社と、1999年には国内の生保会社と、一家4人の生命保健契約を締結した。保健金額は真二郎さんが1億2000万円、千加さんが2500万円、海くんとひなちゃんが各2100万円の総額1億8700万円に上り、その月々の保険料は14万円近くになっていた。
ちなみに松本さん一家は王、楊、魏の3人とは面識はなかった。
殺害実行
松本さん一家殺害を王は楊に持ちかけた。また楊は事件前後に何度も魏と携帯電話で何かを話していた。
2003(平成15)年6月19日23:00頃、3人は松本さん宅の隣のマンションの塀を乗り越えて、勝手口から家に侵入した。まず2階の部屋をのぞいたが大人がいなかったために、子供部屋のベッドで寝ていた2人の子供の首を絞めた。
ひなちゃんはほとんど無抵抗だったために、顔を2、3発叩いた後、軽く首を絞めて失神させただけで止めた。海君の方は目を覚まし、大きな声をあげて抵抗したため顔や頭を殴打したあと、2人がかりで押さえつけ、首を絞めて殺している。海君は発見後、顔が腫れあがっており、随所に青痣ができていた。
続いて、入浴中だった千加さんを襲った。千加さんは当然必死に抵抗したが、顔や上半身を殴打したうえ、髪を掴んで何度も壁や床に打ちつけた。千加さんは気を失って座りこんだが、かまわず殴りつづけ、最後にはビニール紐でで首を絞め、浴槽に顔を沈めてとどめをさした。千加さんの死因は溺死だが、顔は歪み、後頭部が陥没するほど強打され、上半身は痣だらけだった。
日付が変わって翌1:40頃、真二郎さんが帰宅してきた。愛車の「ベンツC200」に乗って、自宅の車庫前まで帰ってきた時、携帯電話で友人と会話している。真二郎さんは「今、家についた。これから駐車場にいれるから、後でかけ直す」と電話を切ったが、その友人に再び電話がかかってくることはなかった。
家に入ろうとしてきた真二郎さんを犯人達は玄関で待ち伏せていた。工事現場から盗んできた鉄パイプを、いきなり後頭部を殴りつけた後、前に向かって横から額を殴り、さらに左目周辺や頬を殴ったり、全身を蹴ったりした。さらに犯人達は2階で失神していたひなちゃんを担ぎ下ろし、父親の目の前でいたぶったり殴打しながら、真二郎さんに何かを聞き出そうとリンチを加え続けていた。
だが、真二郎さんはなにも答えず、「用がなくなった」ということで、ひなちゃんの首を絞めて殺そうとした。真二郎さんは土下座して、「娘だけは助けてくれ」と言ったが、彼らはこれを嘲笑し、殺害した。さらに真二郎さんの首を白いビニール紐で絞め、気を失った彼を浴槽に浸けて溺死させた。
3人は一家の遺体を運びやすくするため、まず真二郎さんの両手に手錠をかけ、首から足にかけて工事現場で盗んできた太い電線で縛り、ひなちゃんを背負わせる格好で固定した。また、ちょうど血のついて放置しておけない玄関マットがあったので遺体を覆い隠すために持ち出し、車を乗り捨てる際に近くの草むらに捨てた。
3人は一家4人をベンツに乗せ、その車に一緒に乗りこんだ。
博多港箱崎埠頭の岸壁に到着した3人は遺体を海に沈めるために、前もって用意しておいた重りを1個ずつつけ始めた。真二郎さんの腕とひなちゃんの足を手錠でつなぎ、その手錠のチェーンの部分に別の手錠をつないで、鉄アレイをつけるなど、万全を期した。千加さんと海くんはそれぞれ両手に手錠をかけ、鉄アレイをつけた。千加さんは服を着ていないので浮き上がりそうだったので、特別に鉄製の重りを針金で巻きつけていた。
遺体を捨てた後、真二郎さんのベンツを運転して久留米市に向かった。これはNシステム(自動車ナンバー自動読み取り装置)でも確認された。ベンツは「ブリジストン久留米工場」クラブハウスの専用駐車場に乗り捨ててあるのが発見されてい。3人はベンツ放置後、JR久留米駅から福岡に戻った。
20日午後、博多港箱崎埠頭付近の海中から一家の遺体が次々と発見された。これほど早く遺体が発見されることは、3人にとって誤算以外の何物でもなかった。
なお事件当日の行動については3人の供述をもとに書いたが、3人が責任をなすりつけ合ったり、供述そのものを変えているので、不確かな点も多い。
犯人判明
事件に使われた手錠は台湾製でレバー操作をすれば簡単に取り外しができる金属製のおもちゃ、鉄アレイは重量20kgのもので、それぞれ福岡市内にある量販店で売られていた。
この店の防犯カメラにそれらを買った人物が映し出されていた。その映像から似顔絵が公開されると、日本語学校の生徒が「同級生(王)に酷似している」と証言、ここで王とその交友関係が洗われるようになった。ここで楊の存在が浮上し、楊の携帯電話の通話記録から魏の存在も明らかになった。
また、遺体に付けられていた直方体の鉄製の重り(重量30kg)は魏が過去に頻繁に出入りしていた女性宅がある福岡市博多区の賃貸マンションの所有会社が非常階段への鉄製扉を開放させておくために特別注文したものだった。
事件後、魏は出国2時間前に空港へ向かう途中の路上で、別の暴行事件により身柄を拘束された。だが、この時すでに王は楊とともに福岡空港から上海に出国していた。この航空券は犯行の3日前に楊が用意していた。2人は中国の公安当局に身柄を拘束されることになった。
「窃盗目的で侵入した。黒幕は存在しない」(王、楊)
「松本さんは高級車を持っていて金持ちそうだったから狙った」
「5月下旬に王から『おまえは格闘技ができるだろう。それなりに荒っぽいが、カネになる仕事がある』と誘われ、楊を入れて3人で松本さん一家を襲った。家族4人の首を絞めて殺した後、遺体を松本さんのベンツで海まで運んで投げ捨て、その車も遠くまで捨てに行った。王は誰かに殺しを依頼されていたようで、私は成功報酬として約1万円を受け取っただけだ。残りの報酬はまだもらっていない」(魏)
中国に逃亡した王と楊の裁判を日本で受けさせることができるのか。
中国の刑法10条には、日本と同様の国外犯の規定があり訴追は可能である。だが中国の裁判は場所主義なので、事件が起きた場所でないと裁判は起こせないという。この場合、犯行場所は日本であるから容疑者2人は日本で裁判を受けなくてはならない。 しかし、中華人民共和国の引渡し法では2000年に「中国国籍を持つ犯罪者は、引渡し要請があっても拒否しなければならない」ということが採択されている。これによると、王と楊は日本に引き渡せないことになる。中国政府は引き渡しに応じることなく「代理処罰」という形式で国内において裁くこともこれまで少なくなかった。
9月下旬、福岡県警と警察庁の捜査官が北京市を訪れ、中国の公安当局と捜査の方法を協議。その2ヶ月後に中国公安当局の捜査員が来日し、3人の供述内容のすり合わせを行った。この時、「金品を奪う目的で3人だけで犯行に及んだ。誰にも頼まれていない」という点で一致した。
2004年10月19日、王亮と楊寧の初公判が遼寧省の遼陽市中級人民法院(地裁)で開かれた。両被告とも起訴事実を認めた。
3人が松本さん宅に侵入する前の22:35頃、松本さん宅前に「アウディ」と見られる白い外車が停車し、助手席から背の高い女が降りて、松本さん宅に小走りで入っていくのを近所の男性に目撃されている。
車の運転席には50代くらいのオールバックで長髪の男が乗っており、車庫には松本さんの車はなく、別の車が停まっていた事もこの男性は覚えていた。また3人が殺害後、ベンツで福岡港に遺体を捨てにいくところを市内のタクシー運転手がその時の様子を目撃していた。
「アウディに続いてベンツが猛スピードで右折した。車のバランスがおかしく、トランクにすごく重たいものを積んでいて、運転に慣れない者がハンドルを握っているように感じた」
ベンツに乗る3人を先導するように走っていたアウディに乗る人物はいったい誰なのか。
3人の留学生は強盗目的で松本さん宅に狙いをつけ侵入したとしているが、家にあった10数万円の現金がとられておらず、また前もって手錠や鉄アレイを購入するなど、殺すという目的の方が強かったのではないか。ならば、面識のなかった松本さん一家を殺す動機は何か。
魏は「残りの報酬はまだもらっていない」と供述したが、いったいどこから出る報酬なのか。まさか松本さん宅から奪った少量の金品が報酬とはとても言えまい。
日中友好協会福岡県連合会(福岡市)によると、事件の影響からか、留学生向けの求人が2003年9月になると激減したと言う。アルバイトをしていた中国人学生がクビになるというケースもあった。
中国人留学生
今夏、中国・遼寧省南部の遼陽市。顔つきは幼く、話しぶりも子供っぽい。しかし、街中をオートバイで走り回り、暇があると外国製たばこを吹かす。自動車修理工の給料では考えられない羽振りのよさだった。
「何かおかしい」。
工場主は受話器を取り、地元公安局の番号を押した。偽名で働いていたこの男が、福岡市で松本真二郎さん(当時41歳)一家を殺害後、潜伏していた元日本語学校生、王亮(21)だった。
11月末の日中捜査当局の協議。一家殺害は、王と元私立大留学生、楊寧(23)、元専門学校生、魏巍(24)(傷害罪などで公判中)の3人による犯行と断定された。
王らは「生活に困ってやった」と供述。しかし、「金を奪うため、幼子のか細い首まで絞める必要があったのか。ほかに理由があったのでは」。そう思う捜査員もまだいる。
仲良く事業を営み、子供を優しく学校に送り出していた松本さん夫婦は「ベンツがあるから、金があると思った」との理由で狙われたという。「ベンツがあるから金持ちだなんて……。事業再建のため、生活は苦しかったのに」。遺族の一人は怒りに震える。
こうした理不尽な犯罪が増えている。3年前の夏。福岡県内で初めて、ピッキング盗を繰り返していた中国人グループが摘発された。
「こっそり入って、ごっそり持ち去る。それが彼らのやり方だ」。
当時、捜査員はそう漏らした。パソコン、デジタルカメラ、ネックレス……。福岡市近郊のワンルームマンションには盗まれた品々が所狭しと並び、まるでディスカウントショップのようだった。深夜、明かりがついていないマンションに忍び込む。使うのは開錠用の特殊な金属棒だけ。見張りを置き、住民が戻るとすぐ逃げ出せるようにしていた。姿を見せず、形跡も残さない。捜査員はある懸念を抱いた。
「こそ泥のままでいるだろうか。手段は必ずエスカレートする」
2002年7月、福岡県春日市の建設会社社長が帰宅直後、中国語を話す4人の男らにスタンガンを押しつけられ、約100万円入りのバッグを奪われた。不安は的中した。この年、県内で検挙された来日外国人は前年より約2割多い203人。その7割は中国人だった。中でも、強盗、傷害など凶悪、粗暴事件は25件を数え、3倍以上に増えた。「盗む」から「奪う」へと、犯罪形態は凶悪化した。
捜査員を悩ませたのは、大半が被害者と面識のない中国人らによる犯行だったことだ。通常は、事件につながるトラブルや被害者の交友関係を徹底的に調べ、容疑者を浮かび上がらせる。殺人、強盗といった「強行犯」捜査のベテランは30年もこうした手法を繰り返してきた。だが「外国人犯罪には一切通用しない」と言い切る。
一家殺害事件でも、松本さん一家の周辺捜査からは、王容疑者らにたどりつく情報は得られなかった。手がかりとなったのは、量販店の防犯カメラがとらえた王容疑者の映像だった。捜査幹部は力を込める。「人から入る捜査だけでは解決は難しい。ささいな物も見逃さず、徹底分析しなければならない」。捜査手法の変革を迫られている。
4万人を超える外国人が住む福岡。「アジアの玄関」を標ぼうし、留学生らが増える一方、外国人犯罪も増加し、その内容も凶悪化の一途をたどる。王容疑者ら中国の若者はなぜ凶行に及んだのか。周辺を探り、国際都市の現状と課題を報告する。
遅刻をとがめられた中国人留学生は、悪びれる様子もなく言い放った。「家では親が起こしてくれた」。窓からごみを平気で投げ捨てる学生もいる。「日本語より先に常識を教えなければならない」と福岡市内の日本語学校職員は嘆く。
日本での生活に耐え、必死に学問を修める。かつてのこうしたイメージも、中国の生活水準の上昇とともに変わりつつある。同市内の日本語学校長は「他人との交流を避け、テレビゲームに興じる。昔より軟弱になった気がする」と話す。
ある日本語学校の職員は、中国の大都市で開く保護者説明会で、必ずこう念を押す。
「中国で勉強しない子供が、留学したからといって、急に勉強熱心になることはありません。子供の成績を振り返り、よく考えて決めて下さい。『送り出せば何とかなる』と安易に考えないで」
だが、会場には苦笑が広がるだけだ。
福岡市の一家4人殺害を自供している王亮(21)、楊寧(23)両容疑者の出身地・吉林省長春市。トヨタなどとの合弁企業の看板が立ち並ぶ経済開発地区のそばに、レンガ造りの長屋がひしめく一角がある。旧満州(現中国東北部)時代の建物という。外壁がはがれ、壊れかけた木戸のある家で、王は育った。楊も近くの団地に実家がある。事件のことは知れ渡っており、住民たちは「何も知らない」と口をつぐむ。
2008年に五輪開催を控えるなど、国内総生産(GDP)の伸び率が二けたに迫る勢いの中国。しかし、東北部は経済が低迷し、失業が深刻な社会問題だ。仕事のない若者の間には、留学生のアルバイトが認められている日本のことがよく話題に上る。
「日本に行けば日本語が身につく。それに、金も稼げる」。ある男子留学生が打ち明ける。約100万円の入学金は親族から集め、アルバイト代を返済と生活費に充てる。だが、そこに深い落とし穴がある。
元専門学校生、魏巍(24)らと一緒に中国人留学生のアパートに押し入り、約26万円を奪ったとされる鮮魚店店員、高翔(26)の初公判が4日、福岡地裁で開かれた。「両親が借金して渡航費用などを出したため、日本で少しでも多くの金を稼ごうと思ったが、うまくいかず、金銭に窮するようになった」と、検察側は指摘した。
福岡市・中洲の雑居ビルの一室。薄暗い室内は黄色いカーテンで細かく仕切られ、約10台のマッサージ台が並べられていた。カーテン越しに、女性が話す片言の日本語が漏れる。30歳代の女子留学生が「警察がうるさいから、最近は表通りに立てない」と声をひそめた。
毎日午後7時から翌日午前4時まで働く。約10万円の月収のほとんどは、アパートの家賃や光熱費、食費に消えていく。「留学生には認められていない仕事だけど、規則を守っていたら生きていけない」。学校のことを聞くと、笑みを浮かべてはぐらかした。
みんなが金稼ぎに走っているわけではない。「『お弁当温められますか』って言い方、おかしいですよね」。大学進学を目指して受験勉強中の男子留学生(24)は、コンビニエンスストアでの会話にも耳を澄ます。日本語教師になるのが夢で、正しい、生きた日本語を身につけたいからだ。
だが、今回の事件が、留学生に対する見方を大きく変えたのも事実だ。「事件のことは知ってます。でも、中国人みんなが悪い人ではありません」。女子留学生(23)のぎごちない日本語が痛々しく耳に響く。
「博多区美野島一の一四の二七の二〇六」
場所はJR博多駅近く。だが、訪ねても、たどり着くことはできない。アパートはおろか、番地も架空だった。福岡市の一家殺害を自供した魏巍と一緒に強盗事件を起こし、公判中の解飛(25)。2001年4月に入学した福岡市の専門学校に、この住所を届けた。それから約2年。2003年5月に行方不明になるまで、学校はまったく気付かなかった。「実は、ほかにも音信不通の学生が10人以上いる。管理体制を批判されても仕方がない」と職員の1人は漏らす。
聞き慣れない言葉が、耳に飛び込んでくる。カラオケ店やテレホンクラブの派手な電飾看板がきらめき、未明まで若者のけん騒に包まれる同市天神の「親富孝通り」。ベンチに腰掛け、語り合う若い男女、声高に携帯電話に向かう茶髪の青年。ほとんどが中国語だ。
地元の大学予備校が付近に集まり、浪人生が行き来したことから、かつては「親不孝通り」と呼ばれていた。だが、1980年代に入り、同市内の別の場所に全国大手の予備校が相次ぎ進出。さらに、少子化の影響もあり、通りから浪人生の姿が消えていった。取って代わったのが、日本語学校の経営を始めた予備校や専門学校が大量に受け入れた留学生だった。中曽根内閣が1983年に「留学生10万人計画」を打ち出したことも追い風になった。
福岡県内の留学生は、2002年5月1日現在、3,759人で、約7割の2,576人が中国人だ。10年前に比べ4倍、中国人は8倍に急増した。中国で拘束中の王亮(21)、楊寧(23)両容疑者や、魏被告もこの通りに近い日本語学校や専門学校に在籍していた。
興味深い数字がある。2002年県内で窃盗などで摘発された来日外国人203人のうち、留学生(就学生を含む)が4割を占めた。全国では、摘発後、不法滞在が判明した容疑者が半数に上り、対照的だった。
「経営を優先して安易に学生を増やし、水ぶくれ状態の学校がある」。ある日本語学校の職員は、こう打ち明ける。
留学生の管理不徹底、犯罪の急増――。こうした実態を踏まえ、法務省入国管理局は2004年の入学者から、在留資格審査を厳格に行う方針を打ち出した。2004年1月に入学を受け入れる関東地区では、異例の400人近い不認定者が出て、日本語学校側から悲鳴が上がっている。
一家殺害事件を重く見た九州の日本語学校は、入管の方針を先取りした。26校の代表が9月、福岡市で臨時会議を開き、学費などの支払い能力を厳しく審査することを申し合わせた。
ある日本語学校は、親の年収の基準を10万元(約130万円)から12万元(約160万円)に引き上げた。学生が確実に学費を納め、日本での生活にも困らないための措置だ。その結果、2004年4月入学の合格者は、例年より2割少ない160人にとどまったという。
「経営には痛手だが、信頼回復のためには仕方がない」と同校幹部。別の日本語学校の経営者は「募集や管理がいい加減だった学校は、間違いなく淘汰される」と危機感を募らせる。
日本留学熱と、国の政策という追い風に乗り、肥大を続けてきた日本語学校。4月入学者が大半を占める福岡入国管理局の認定審査結果は、年明けに判明する。
JR広島駅から乗った新幹線の中で、中国人の男子留学生は黙り込んだ。2000年の夏。「除籍処分にしたから、もう日本では学べない。ビザも一か月後に切れる。帰国した方がいい」。長い沈黙に、日本語学校の職員は言葉を継いだ。「不法就労で稼ごうと思っても、金はたまらない」。帰国を承諾したのは、博多駅に到着するころだった。
福岡市の学校に在籍していた留学生は、仲間と広島県に出かけ、自動販売機荒らしを繰り返して逮捕された。執行猶予付きの判決を受け、ビザが切れていた仲間は強制送還。しかし、在留期間が残っていた留学生は、すぐに日本を去る必要はなかった。
福岡市の一家殺害を自供した王亮は、2002年末から日本語学校を無断欠席し、5月に除籍された。楊寧も4月以降、大学に姿を見せなかった。凶行を起こしたのは、その直後だった。
「学ぶ意欲のない学生からは、在留資格を取り上げるべきだ」。日本語学校の認定権限を持つ財団法人「日本語教育振興協会(日振協)」(東京)の佐藤次郎理事長は、こう指摘する。
通学実績がない場合、在留資格を取り消す入管難民法の改正案が、2003年3月、通常国会に提出されている。だが、名古屋刑務所の受刑者死傷事件で紛糾。法務省関連法案の審議が遅れて継続審議に回され、10月の衆院解散で廃案になった。次期国会に提出されるかは、まだわからない。
留学生(就学生を含む)は、在籍する学校によって管轄する行政や機関が異なる。大学、短大は文部科学省、専門学校は都道府県、日本語学校は日振協。その「壁」が、留学生の実態把握を難しくしている。
9月下旬、「留学生及び就学生の在籍管理について」という通知が、福岡県内の日本語学校などに届いた。発信者は県私学振興課長。「生活面を含めた指導を行う」「アルバイト内容の把握に努める」。事件後、県が取った対応策はこの通知一枚だけだ。
「各学校の認可を取り消す権限は県にない。補助金も出しておらず、制裁を課すこともできない」と担当者は言う。福岡市も「学校が学生をきちんと指導するのが筋。対策は考えていない」と、にべもない。
首都・東京。11月7日、文科省や東京入国管理局、警視庁、日振協などの担当者が、都庁33階の会議室に集まった。「留学生・就学生の違法活動防止のための連絡協議会」の初会合。主催者としてあいさつしたのは、都の竹花豊副知事だった。
都は、石原都知事の強いリーダーシップで、様々な治安回復策に取り組んでいる。都私学部の担当者は言う。「権限はない。でも、都民のためにできることはする」
警視庁によると、2003年9月までに、都内で検挙された来日外国人刑法犯のうち、留学生の占める割合は40%。1998年前(年間25.7%)に比べ、急増ぶりが目立つ。その傾向は、福岡も同じだ。
半月後、福岡市内でも、留学生と就学生の犯罪抑止をテーマにした会議が開かれた。主催は、福岡県警と福岡入国管理局。各学校、自治体などの担当者約百人が出席し、意見交換した。だが、二時間を超える会議で、県や市の幹部が発言することはなかった。
「不良中国人のアジトじゃないか」。
福岡市城南区の2DKのアパートの一室で、不動産業者は思わず声を上げた。布団や食器、中国語の新聞などが散乱し、壁には「福」の字を逆さまにした赤い紙が張られていた。「福が来る」という意味で、中国の家庭でよく見られる光景だ。
契約は、30歳代の日本人女性。元夫が同居人だったが、実際は7人前後の中国人が住んでいたという。女性と元夫は2003年春、知人の紹介を受け、強盗事件で公判中の高翔(26)、交際中の中国人女子留学生と、それぞれ偽装結婚した。090金融に手を出すなど借金に追われ、報酬の50万円が目当てだった。日本人配偶者という在留資格を「買った」高はその直後、一家殺害を自供した魏巍(24)と一緒に中国人留学生宅のアパートに押し入り、約26万円を奪った。
福岡市でビル清掃のアルバイトをしている女子留学生は、一家殺害事件後、担当するオフィスビルを変えられた。「入居している会社の支店長が『中国人は怖いから嫌だ』と言うんだ」「私のどこが悪いのですか」。いくら抗議しても、取り合ってもらえなかった。
別の男子留学生は、昨年夏、中華料理店で働いた時のことが忘れられない。「中国人は貧しいし、言葉も通じない。ちゃんと勉強しろよ」。なじったのは、仕事をさぼってばかりいた同じ年ごろの日本人アルバイトだった。
「こんなことがなくなるように、県民の意識を育てる政策を県に進めてほしい。学校がつぶれないためではなく、国が生き残るために必要なはず」。日本語学校の職員が力を込める。
博多区のレストラン。厨房で黙々と食器を洗い、調理の手伝いに動き回るのは、中国人留学生だ。「40人いる従業員の2割は中国人留学生。店にとって、なくてはならない大事な働き手」と店長が言う。
2000年、国連人口部はあるリポートを発表した。少子・高齢化が進む日本の人口は、2050年には1億490万人に落ち込む。1995年の生産年齢(15―64歳)の人口を維持するには、今後年間約60万人の移民が必要。全人口の30%を、移民が占めることになる。日本経団連も、先月発表した外国人労働者の受け入れに関する提言(中間報告)で、日本の活力を維持するため、留学生数をさらに増やし、国内で就職してもらえる環境を整備するよう提案している。
だが、アルバイト先の新聞販売店で、だれよりも早く出勤し、進んで後片付けをしていた王亮(21)が、一家殺害に及んだのも事実だ。
「大学の推薦合格の決まった人、おめでとうございます」。
2003年12月10日、博多区の日本語学校の教室で、担任教師の声が明るく響いた。一般入試は、これからが正念場を迎える。新聞記事を使った実践的な授業にも熱が入る。
そして来春、新たな留学生たちが、福岡に降り立つ。
中国人留学生、夢破れ転落(2010年2月)
あれから7年がたった。魏巍(ウェイ・ウェイ)被告(30)は福岡拘置所にいる。同じ在日中国人の留学生2人とともに2003年、福岡市の一家4人を殺したとして一、二審で死刑判決を受け、上告審を待つ。
記者は30日までに魏被告と9回会った。丸刈りで、銀縁のめがねをかけた魏被告は視線をほとんど合わさない。雑談では「そうですね」と少しだけ口を開くが、事件の問いにはまったく答えない。
2005年の一審判決の数日後、日本人女性(67)が魏被告に面会した。福岡県に住み、キリスト教を信仰している。更生を願い、かつて別の殺人事件の受刑者を養子にした。2008年に魏被告も養子にし「生きて償って」と求めている。 女性は魏被告の両親にも会い、連絡を取り合う。魏被告とは面会を重ね、手紙を数十回やり取りした。そこから浮かぶのは、ごく普通の留学生が簡単に犯罪にかかわった実態だ。直接の動機は金だが、背景に親への遠慮や友人との義理、自身のメンツがある。
河南省出身の魏被告は地元の高校卒業後、大連で日本語を学んで2001年に来日した。貿易を勉強したかった。工芸家の父にも「近い先進国」と勧められた。福岡市の日本語学校に入り、翌年と翌々年に福岡大を受けたがだめだった。
日本に残りたいが、学費や生活費を自分で工面できない。来日から2年間で300万円以上をくれた親には「今度だけはどうしても助けを求めたくない」と頼れなかった。日本に行く直前、親族数十人が壮行会を開いてくれた。大きな期待を背負っている。このままでは帰れないが、日本に頼れる人はいない。悩む日が続いた。そんなとき、専門学校の教室でネットカフェのチラシを見つけ、行ってみた。そこは中国だった。同胞が大勢いて、夢に出てきた中国語が飛び交っていた。「日本にいることを忘れられる。休める『港』だった」。港は、4カ月後に待ち受ける転落への出発地となる。
1歳上の中国人店長は優しかった。専門学校に掛け合って授業料を半額にしたうえ、学費にと30万円を貸してくれた。店長は兄に思えた。いまも「『恩』の一言しかない」と養母あての手紙に書く。
店長を慕う中国人の中に王亮(ワン・リアン)・受刑者がいた。魏被告は、店長の紹介で王受刑者と知り合い、王受刑者と同居していた楊寧(ヤン・ニン)・元死刑囚と友人になった。その後、店長らと強盗や盗みをした。最後に一家を殺して約37,000円を奪った。魏被告の取り分は1万円だった。
王受刑者と楊元死刑囚は事件前、帰国を考えていた。王受刑者は「たくさんのお金を私にかけてくれた親に申し訳ない。せめて少しでも金を持ち帰ればメンツが立つ。楊も同じ思い」と供述した。その手段に強盗殺人を選び、「2人では足りない」と魏被告を誘った。
「命で謝罪するつもりです。足りないことはわかっていますが、これ以外にできることがありません。何ができるかわからず悩んでいます」。
魏被告は養母への手紙にそう書くが、事件には触れない。拘置所で面会した父(56)に対しても同じだ。床に正座してうつむき、一言も発しなかった。父は「息子の命を救うことは望まない。最大の希望は事件の真相を知ることだ」と語る。利用されやすい、悪い仲間と知り合った――。思い当たる理由はある。だが息子からは「悔」と1字のみ書かれた手紙が1通来ただけだ。
養母も自らの言葉で事件を語るよう求める。だが1月に届いた手紙で「お母さんが別の道に導かれようとなされても、なかなか望み通りに行けません」と拒む。
事件被害者の遺族の1人は「寝ている孫まで殺した。これほどひどい事件を普通の留学生が起こしたことに納得できない」と話す。この憤りと疑問にも答えていない。
裁判経過
- 2005年1月24日 - 遼寧省の遼陽市中級人民法院(地裁)は楊寧に死刑、王亮に無期懲役を言い渡した。
- 2005年5月19日 - 福岡地裁は魏巍に死刑を言い渡す。
- 2005年7月17日 - 楊寧、死刑執行。享年25。
2007(平成19)年3月8日、福岡高裁・浜崎裕裁判長は「非業の死を遂げた4人の無念さは察するに余りあり、残虐で冷酷な所業としか言えない」と述べ1審判決を支持、控訴を棄却した。
楊寧被告人は1審で死刑判決を受け、控訴棄却を経て2005年7月12日に死刑執行された。一方、王亮被告人は遼寧省遼陽市人民検察院により無期懲役が確定した。
日本で逮捕起訴された魏巍被告人は1審の福岡地裁で事実を認めた後、ほぼ黙秘を通し、死刑判決を受けた。2審では、一転して動機や犯行過程、3人の役割、遺族への謝罪などを詳細に証言したが、控訴は棄却された。上告したが2011年10月20日に最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は上告を棄却して死刑が確定した。
日中の捜査共助と問題点
同事件は主犯格2人が中国に逃亡したため、中国との捜査共助が最大の焦点となった。結果的には日本国内の反響の大きさに配慮した中国当局が積極的に協力したため、早期逮捕が実現したが、一方で他の事件では日中間の捜査協力がほとんどなされていない実態や、アメリカ、韓国以外と犯罪人引渡し条約が結ばれていない現状も指摘され、国際化する犯罪に各国捜査当局の対応が遅れている点が浮き彫りとなった。
また、福岡地裁で行われた魏巍被告人の公判では、中国公安当局が作成した王亮、楊寧両被告人の供述調書が日本の裁判で初めて証拠採用された。これまで日本の刑事裁判では、海外の捜査当局が作成した調書は「証拠能力なし」とされることが多かったため、この判断は「国際犯罪の捜査に道を開く」と評価されたが、黙秘権が存在しない中国の調書を問題視する意見もあり、議論を呼んだ。
報道と名誉毀損
写真週刊誌「フライデー2003年10月10日号」の記事で、千加さんの実兄で会社役員・梅津 知敏さん(49)を匿名で挙げて、黒幕とするようなことが書かれてあった。このことから、梅津さんは講談社を相手取って、3300万円などの損害賠償請求の訴えをおこしていた。
2005(平成17)年7月27日、東京地裁・長秀之裁判長は、「極めて不十分な取材で、安易に記事を作成して犯人という印象を与えており、重い過失がある」と、880万円の支払いと、同誌に判決結果の広告を掲載するよう命じた。
また梅津さんは文芸春秋などに1億1000万円の賠償を求める訴訟を起こした。「週刊文春」に6回にわたって掲載された記事で、梅津さんが松本さんと金銭トラブルになり、中国人に指示したというものである。
2006(平成18)年9月28日、東京地裁・金子順一裁判長は、「原告らが事件の真犯人であるかのように記載した記事は、いずれも真実とは認められず、取材も不十分だった」と述べ、文芸春秋側に1100万円の支払いを命じた。
遺族側が勝訴し、その賠償額が過去の例と比較して高額になっている点が話題になった。
2005年8月29日、東京地裁は、「週刊新潮」(新潮社)に対して330万円の支払いを命じた。新潮側は控訴したものの、2006年2月に行われた東京高裁の判決で、親族の事業にも影響を来したとして、賠償額を770万円に倍増させる異例の判決が下された。その後も新潮側は争う姿勢を見せたが、2006年8月に最高裁は上告を棄却、高裁の判決が確定した。
2006年9月28日、東京地裁は、「週刊文春」(文藝春秋)に、1100万円の支払いを命じた。