橋北中学校水難事件

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橋北中学校水難事件(きょうほくちゅうがっこうすいなんじけん)または津海岸集団水難事件(つかいがんしゅうだんすいなんじけん)は、1955年7月28日三重県津市津市立橋北中学校の女子生徒36人が、同市中河原海岸(文化村海岸)で水泳訓練中に溺死した水難事故

当時の新聞(朝日新聞毎日新聞)の見出しには、「津水死事件」「集団水死事件」「津の女生徒水難事件」「津の中学生水難事件」、週刊誌では「津海岸集団水死」(週刊朝日)、また「津海岸女生徒水難事故」(判例時報、446)、ネット上では「津海岸水難」(毎日フォトバンク)、「三重県津市の橋北中学校の生徒の水難事件」(衆議院会議録情報 第022回国会 法務委員会 第44号)といった名称が見られる。

概要

水泳訓練の計画

橋北中学校では、学校行事の一つとして毎年夏季に水泳訓練を実施してきたが、1955年(昭和30年)に津市教育委員会が夏季水泳訓練を同市内小中学校に正課の授業(正確には特別教育活動)として実施させることとしたため[注 1]、7月15日の職員会議でその実施計画の大綱を決定した。その概要は以下のようなものであった。

訓練は津市中河原地先の通称文化村海岸において、7月18日より28日までの10日間、午前中に施行するものとし、参加生徒約660名は、男女別にしさらに水泳能力の有無によって区別したうえ、ホームルームを中心とした組別に編成することとして男子7組(うち水泳能力のない組3組)女子10組(うち水泳能力のない組9組)の全17組とした。

さらに教諭16名と教諭の手不足補充のため事務職員1名とに各1組を担当させ、別に陸上勤務者として教諭2名を置き、水泳能力も指導の経験も充分な教頭(昭和30年4月着任)と体育主任の教諭(1952年(昭和27年)4月新任)の2名を生徒全般に対する指導者とした。

校長(1948年(昭和23年)着任)は担当生徒数が多い女性教諭の補助も引き受けた。若い体育主任は水泳場設置・訓練の実施進行の担当者でもある。

脚注

注釈

  1. 全体としての予算は22校で22万円、橋北中には1,000円を配布、同校の便所と脱衣場は市教委の直営工事とした。

出典

参考文献

  • () [ 日本海洋学会誌 ] 11 4 日本海洋学会 00298131 全国書誌番号:00018372
  • 最高裁判所事務総局 編 (1958) 最高裁判所事務総局 編 [ 第一審刑事裁判例集 ] 最高裁判所事務総局 1958 04165977 全国書誌番号:00014161
  • 『津市民文化』編集委員会 編 (1986) 『津市民文化』編集委員会 編 [ 津市民文化 ] 13 津市教育委員会 1986 全国書誌番号:00028285

関連項目

  • 離岸流
  • 丘けい子『海を守る36人の天使』(1968年集英社) - 本事故をモチーフとしたフィクション(コミック作品)
  • 紫雲丸事故 - 本事件の2ヶ月前に発生した海難事故(修学旅行中の小学生・中学生ら100人を含む168人が犠牲となった)。紫雲丸事故と本事件が契機となり、全国の小中学校へのプール設置が推進されたと言われる。