石川県田鶴浜町女子高生殺人事件
石川県田鶴浜町女子高生殺人事件(いしかわけんたづるはままちじょしこうせいさつじんじけん)は1990年2月に石川県七尾市(旧田鶴浜町)で起きた殺人事件である。
概要
1990年3月1日早朝、石川県七尾市(旧田鶴浜町)上野ケ丘の自宅別棟のベッドの上で、田鶴浜女子高校(現田鶴浜高校)に通う最部桂子さん(18歳)がトレーナーにスウェットパンツ姿でうつぶせになり、口から血を流して倒れているのを母親が発見、近くの病院に収容したがすでに死亡していた。金沢大学医学部での司法解剖の結果、口と鼻を押さえられた窒息死で、死亡推定時刻は2月28日午後10時ごろとわかった。
最部桂子さんの死体はガムテープで縛られ、クロロホルムをかがされており、スタンガンで傷つけられたあとがあった。また、下あごの中央付近に1cm程度の打撲痕と右耳下に軽い擦適傷があった。室内に物色された形跡がないことから、犯人はレイプ目的で侵入し、寝ていた最部桂子さんに薬物をかがせたが、騒がれそうになったため敷布団に押しつけて殺害したとみられる。
最部さん方は町営住宅だが、1軒分が狭いため約20m離れた2軒を借りており、死体が見つかったのは最部桂子さんが勉強用に使っている西端の部屋。玄関と勝手口が開いており、錠をこじ開けたような跡もなかった。
最部桂子さんは2月28日午後5時ごろ、母親と夕食を食べた後、自室の方に戻っていた。翌日朝、最部桂子さんが起きて来ないため、母親が呼びに行ったとき、最部桂子さんはベッドの中で毛布をかぶり、頭の部分だけ出した状態でうつぶせに倒れていたという。
偽名を使ってクロロホルムやスタンガンを通信販売で購入していた30代の男が捜査線上に浮かんだが、事件の4日後に飛び降り自殺。犯人につながる遺留品がほとんどなく、目撃情報も乏しいことから捜査は難航、2005年3月に時効が成立した。
殺された最部桂子さんは1990年3月8日に田鶴浜女子高を卒業する予定で、4月からは愛知県小牧市内の病院に通いながら同市医師会の付属准看護学校に通学することが決まっていた。