酒井忠順
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この項目では、小浜藩主について説明しています。旧庄内藩主家については「酒井忠順 (実業家)」をご覧ください。 |
酒井 忠順(さかい ただより)は、若狭小浜藩の第11代藩主。小浜藩酒井家12代。
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1791年(寛政3年)3月14日、第9代藩主・酒井忠貫の次男として生まれる。1806年(文化3年)に父が死去したとき、若年だったため、父の養子であった酒井忠進が後を継ぎ、忠順はその養子となった。1807年(文化4年)12月、従五位下、修理大夫に叙任する。1828年(文政11年)、忠進の死去により後を継いで藩主となる。同年12月、従四位下に昇進する。
この頃、小浜藩には30万両の借金があったため、忠順は10万石の格式を簡略化して財政再建に取り組んだが、1833年(天保4年)に領内大凶作で一揆が起こり、失敗してしまった。1834年(天保5年)2月5日、養子の酒井忠義(忠貫の五男)に家督を譲って隠居する。
1853年(嘉永6年)1月17日に死去。享年63。