玉名程三
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玉名 程三(たまな ていぞう、1861年6月5日 - 1937年11月6日)は物理学者、旧第三高等学校教授である。東京物理学講習所(後の東京物理学校、現在の東京理科大学)の創立者の一人である。旧名は名村程三である。
経歴
1861年(文久元年)6月5日 、 肥前国長崎に生まれる。1877年(明治10年)、東京大学仏語物理学科に入学する。1872年8月3日、文部省が学制を発布し、大学南校は第一大学区第一番中学となる。名村程三、三守守、保田棟太が入学した。同年8月には開成学校から外国語による普通教育課程が切り離され、新設の東京外国語学校に移され、名村程三は東京外国語学校に移動した。東京開成学校は廃止した仏語諸芸学科に代わり同年8月には仏語物理学科を新設した。1877年、東京開成学校は東京医学校と合併して東京大学と改称し、法学部、文学部、理学部、医学部の4学部を置いて発足した。 1880年(明治13年)名村程三は東京大学仏語物理学科第3期を卒業する。1881年(明治14年)、東京物理学講習所の創立者の一人となった。1888年(明治21年)、 東京物理学校の教員を辞し、鹿児島へ赴任する。1900年(明治33年)、 第三高等学校物理学教授となる。1911年(明治44年)、第三高等学校を辞する。晩年は、京都に在住した。
エピソード
- 東京理科大学の維持会員の中では、最後まで生存したが、昭和12年11月6日の玉名の死去で東京理科大学の創始者維持同盟員は全員が死去した。