湊伸治
湊 伸治(みなと しんじ、1972年12月16日 - )は、女子高生コンクリート詰め事件(通称コンクリ事件)の実行犯の一人。事件当時の少年C本人。
人物
兄と違って出来が悪く、父親から度重なる厳しい躾を受けた過去がある。父親の悪い部分を引き継いでしまったのか、弱々しい容姿とは裏腹にかなりキレやすい性格であり、(中学時代こそ普通にしていたが)高校入学当時から校内暴力を起こして1学期で退学処分にされる。その後、中学時代の知り合いである宮野・小倉(神作)・渡邉(それぞれ少年A(後に横山に改姓)・B(後に神作に改姓)・D)と共に暴力団の下部組織「極青会」を結成する。極青会での役職は書記であるが名目上の役職でしかなく、先述の三人同様、単なるパシリぐらいにしか扱われていない。
彼の家(足立区綾瀬)は不良や暴走族メンバーの溜り場と化しており、被害者はここで地獄の生活を強いられた。かなりの格闘フェチであり、被害者を暴行・虐殺した部屋にはキックボクシング器具があった。
本事件後、単車の窃盗容疑および別の婦女暴行罪で逮捕されて少年院に収監されていたが、収監中に共犯者の供述でコンクリ事件の犯行に加わっていた事が発覚したため、再逮捕された。
来歴
- 足立区立東加平小学校卒業
- 足立区立東綾瀬中学校卒業
- 東京都立化学工業高等学校(現・東京都立科学技術高等学校)中退(1年の1学期)
- 千葉県市川市に引越し
- 京都市伏見区に引越し
- ルーマニア人又はリヒテンシュタイン人と結婚
- 大阪府に引越し
- 会津に引越していたが現在家族もろとも行方不明
湊の家族
湊の家族も女子高生監禁に積極的に協力したので同罪
- 父・靖人−共産党系の病院の事務長をしていたが事件後退職。
- 母・ます子−靖人と同じ病院の看護師をしていたが靖人と同様退職。
↑この二匹は懲戒免職ではなく自主退職。日本共産党の党員であったが、除名でなく自主的に離党。
- 兄・恒治−1972年1月21日生。神作譲(旧姓小倉)の同級生。
この基地外一家は被害者は創価学会だから死んで当然という態度をとっていた(湊一家が自分を正当化するための真っ赤な嘘、もちろん本当に創価だとしてもそれで許されると思ってる湊一家の精神はかなりおかしい)。
湊の反吐が出る外道っぷり
- 出所後はムエタイ選手としてデビューし、綾瀬のタイ料理屋で試合していた。当然の事ながら味方は少なく、入場するたびに彼を快く思わない観客からブーイングを浴びせられていた。選手としてはそこそこの実力だったが、大した戦績も上げられないまま引退した。ちなみに観客に「コンクリ」というあだ名で呼ばれていた。
外部リンク
http://web.archive.org/web/20040731031947/www.geocities.co.jp/Athlete-Athene/5313/Light.htm