山根健一
山根健一(ヤマネ ケンイチ、1969年12月27日生)元劇団東俳所属、元ジャニーズジュニア研修生、元暴走族総長、元任侠組織幹部、元ホスト経営者、元モデル、元任侠右翼団体会長である、元アウトロー有名人。現実業家。 身長180cm。O型。 神奈川県出身。 横浜市立永田台小学校、同市立永田中学校卒業、横浜市立港高校定時制卒業。
人物
学歴高卒。幼児からグレ始め、以後不良の道は全て歩み、逮捕歴、逮捕件数20件、少年時からの前歴・前科12犯。
(その内の10種類の事件の、10件が、新聞に10回記載される。 過去に逮捕され、拘留前釈放や、拘留後不起訴釈放や、 拘留後処分保留釈放など、計五回の、示談なしでの無罪放免の記録。(その内二回は、執行猶予中の逮捕)
世界一彫師である、三代目彫よしなどにて、全身の刺青を入れている。
数々の長身美人との、華麗なる交際歴も、自身のホームページやブログなどでもお馴染み。
山根良縁大出世ジンクスや、山根悪縁大災難ジンクスなどの、超常現象が度々自身のブログで証明されている。
酒・タバコ・ギャンブル・薬物を、昔から一切やらない、珍しいアウトローである。
来歴
異例経歴マルチ人間として、スポーツ万能、
1980年 小学校4年生~6年生まで、関東歴代(約300チーム中)トップクラス強豪少年野球チーム、永田台少年野球部最年少エースピッチャー、
1980年 横浜山元道院遠藤師範、最強武道、少林寺拳法を小学校4年~中学3年生まで習い一級茶帯取得、
小学生番長、
1983年 永田中学校、当時は珍しい1年で、初めてパンチパーマをかける(二日間だけ)、
各分野有名人日本一番多数輩出、小・中学校卒業、
その前後、落ち着いた時期があったがメキメキと頭角を現し、
1986 日本一劇団、劇団東俳所属、
1986年 日本一芸能プロダクション、ジャニーズ事務所研修生体験(二日間)[1][2] (研修生として、ジャニーズJr.一覧(ジャニーズ百科事典)に記載[3]
1987年 当時、日本一暴走族連合、横浜連合淋姦強姦永田一家入門
1988年 暴走族横浜連合淋姦強姦永田一家総会長(全日本麗心愚連盟横浜連合は
当時、チームと支部を合わせると、約40チームの約1000人)、
1989年 暴走族横浜連合淋姦強姦永田一家総会長引退。OBとして浜連集会は、たまに30歳まで参加する。
1989年初め 日本最大右翼団体大行社横浜支部行動隊、
1989年終わり 横浜西口ディスコPALLPALL店員
1990年 港高校定時制リーダー(日本最大マンモス校、当時全校生徒660人)、
1990 日本トップクラス任侠組織、稲川会三代目林一家(山際組行動隊副隊長)同年脱会。
など10代や20歳で経験すると共に、好奇心旺盛で、長身で端正な顔立ちのために、
1991年から出演の、ミリオン出版ヤンキーレディース伝説人気雑誌「ティーンズロード」出演。 翻訳家である母親譲りの血筋で、ライター、作家として、「健一の定時制高校のマブだち達」をレギュラー連載コーナー ページを6ヶ月連載。当校卒業により終了。ティーンズロードは23歳まで出演。
その他、TVや雑誌などに人材を紹介や派遣をするコーディネーターもこなし、
1993年 横浜東口ポルタ宝石店チャーミー田中」就職入店。同年退店。
1993年 当時日本トップクラス、横浜最大ホストクラブ「ナイト横浜」にプレイヤーとして入店。
1993年 弱冠23歳で青年実業家として、横浜最年少ホストパブ「ダンディー」・ホストクラブ「ナイルクレセント」社長として 独立し、店を経営し(約15人)、同年逮捕により閉鎖。
1995年 モデル(東京某芸能プロダクション所属)、モデル管理監督ディレクター(会場ブースの男女のモデル達を取り仕切り、まとめる役)、
1995年 愚連隊会長、
1995年 当時日本最大最強二次団体山健組である、山健一門であった、五代目山口組二代目臥龍会井上組組員、同年脱会
1996年 プロダクション退会
1997年 初め弱冠27歳で、横浜最年少最強任侠右翼団体好健会会長(約30人)、
1997年終り 井上組傘下櫻井総業組長の舎弟として復縁。
1999年 暴走族グループ横浜連合相談役(全日本麗心愚連盟横浜連合、浜連は全日本麗心愚連盟の
中心グループで、全日本は当時約4000人で、浜連は当時約800人)、
1999年 数社会社顧問、
2001年 弱冠31歳で多種人種団体山根会会長として元プロキックボクサー、プロボクサー、空手有段者、柔道有段者、
元Jリーガーなどの格闘家や、
元、暴走族総長数人、アウトロー有名人数人、
五代目山口組三代目山健組鷲坂組系現役組員や
五代目山口組二代目臥龍会系現役組長や組員や
五代目山口組弘道会系現役幹部や
元、五代目山口組古川組系組長や
稲川会碑文谷一家遠藤組現役組員や、
会津小鉄会現役組員など、
全国強力任侠組織の極道達などで構成された、超武闘派極悪組織で大同団結を図り、傘下の横浜成人愚連隊、政治結社好健会、 政治結社魂龍会の三団体(約50人)を
まとめていた。
過去様々な相手と数々の、喧嘩、タイマン、抗争、掛け合いに勝利し、様々な数々の、制裁加えや悪行や武勇伝や苦境や修羅場を経てきた。
そして、様々な世界で、驚異的な人徳と人脈と経歴の持ち主。
尚アンチ山根も存在するが、本人を支持、崇拝する多数の男女の山根派、山根信者、山根ファンが存在している人気者である。
そして今回、体験談を基に自身の半生を顧みるべく執筆活動にたずさわる。
表社会裏社会の各分野を制覇し、
2004年 34歳での刑務所入所を境に足を洗い、現在では、しっかりと更正し、
※運転回送経営(A{ア}運転回送サービス 事務所西区)
※芸能プロダクション経営(山根プロダクション 事務所西区)
※インターネット通信販売業(ネットショッパーオーク 事務所西区 代表山根企画秘書阿部 古物商許可番号第451370010631号 )
※新・中古車販売・一般修理・板金塗装・車検顧問(オートガレージ アスト 磯子区)
※(元顧問)医科器械店顧問2店(㈱増田医科器械店 本社南区 ㈱東洋医科工業 本社南区 東京支社文京区)
同顧問・瀬谷区三ツ境横浜桐峰会病院:故・松本義峯院長
株式会社山根企画代表取締役社長(会社事務所:横浜西区横浜西口事務所) として真面目な人生を歩んでいる。伝説の強力極悪カリスマアウトローの、偉大なる人間総合力人徳王者。
尚、家系は、日本一超エリート有名一族の山根・後藤一族で、先祖代々、東京大学出身が多く、母方が鉄道省局長であり、全国私鉄経営者連盟代表の財界人の 故・後藤悌次であり、 父方は、当時日本一の資産家で、故・山根銀一や、その実弟の日本一有名音楽評論家の故・山根銀二である。 他には親戚にあの元ペルー大使の青木盛久がいる。
『父方の、先祖代々山根一族 系統図一覧表』 ◎長男故人山根銀一(東京大学出身、元、工業倶楽部最高役員、当時の日本全国 日本一の金持ち、娘3女が元、ペルー大使青木盛久の妻) ◎二男 故人山根銀二(東京大学出身、元、日本一有名音楽評論家) ◎三男 故人山根銀三郎(慶応大学出身、元、会計士、健一の祖父) ◎四男 故人山根銀五郎(東京大学出身、元、九州の大学教授) ◎五男 故人山根銀六郎(東京大学出身、元、東京計器) ◎六男 故人山根銀七郎(東京大学出身、元、科学者) 三男銀三郎と中学校教師だった祖母の息子が、 ◎健一の故人父ヒデトシ(東京の高校時代、ヨット選手で全国大会出場、慶応大学出身、元、三井グループ勤務、元、従業員約100名本牧の海運会社取締役) ◎ヒデトシ実姉ミナコ(中国人の学者博士と結婚し、アメリカサンディエゴに永久在住) ◎ヒデトシ実弟マサトシ(元、世界トップクラスの大手会社勤務、元、スキーインストラクター)
『母方の、後藤一族一覧表 西東京市(旧保谷市)東伏見 集結在住』 ◎健一の故・祖父(母方)は(医者) その祖父の医者の妻であった、故人祖母の子供が5人兄弟で、 まず娘が、 ◎健一の母四女朋子(青山学院大学英米文学科出身、元、翻訳家、元、自宅英語、ピアノ講師) ◎故人長男マサヒロ(開業医) ◎長女レイコ(元、東京某短期大学の教授) ◎二女キョウコの娘二女ジュンコ(元、スチュワーデスCA) ◎マサヒロの息子長男ユタカ(現役医者) 二男ツカネ(現役開業医)
健一の実弟は、早稲田大学出身で、タレント兼カリスマコピーライター糸井重里氏の会社に4年間勤めて、現在青山に会社事務所を構える社長である。
尚、作者と本人の因果関係は不明だが、横浜暴走族伝説の漫画『特攻の拓』のマー坊(鮎川真里)のモデルとも言われており、
ルックス(身長だけ違う)、丁寧な喋り方、普段は穏やかだがキレるとイケイケな性格、
横浜暴走族総長、レディース達の憧れ、横浜の高校のカリスマ、弱い者イジメをしない、
薬物大嫌い、甘党、などなど、全て瓜二つでソックリと言われている。
主な出演歴
メディア出演歴
【雑誌・写真集】
・1989年月刊チャンプロード
・1989年月刊投稿ライダー
・1989年かっ跳びチューニング写真集
・1991年月刊ティーンズロード(レギュラー出演)
・1994年年月刊GON!(横浜の七色仮面 山根健一特集)
・1994年週間プレイボーイ(世界一お洒落な横浜暴走族 山根健一特集)
・1999年月刊BURST
・2000年吉永マサユキ写真集(申し訳ございません)
・2000年ファッション雑誌THRILL
・2000年全世界発行有名雑誌COLORSに日本代表映像として出演
・2014年週刊FRIDAY(関係者事件取材)
・2014年サンデー毎日(関係者事件取材)
・2016年週刊FLASH (エグザイルリーダー兼LDH社長 HIRO(五十嵐広行)特集 ツーショットによる、便乗掲載)
【ビデオ】
・1994年暴走列島1994
・1994年ザ・レディース暴走紅烈伝
【テレビ】
・1986年ドラマ桃尻娘
・1992年NHK薬物特集報道番組(山根本人と後輩達でシンナーについて語る)
・1993年フジテレビ笑っていいとも(昔ヤンキーに見えないコンテスト優勝で瞬間最高視聴率30.7%を記録。ビデオリサーチ調べ)
・1993年その後チャンピオン大会出場
・1994年TBS明るい改造計画(ゴールデンタイム放映。レディース総長の憧れの先輩)として出演
・2014年テレビ朝日スーパーJチャンネル(関係者事件電話取材出演)
【モデル】
・1995年お台場国際展示場(フィッティングモデル)
・1995年幕張メッセ(フィッティングモデル)
・1995年モデル管理監督ディレクター(会場ブースの男女のモデル達を取り仕切り、まとめる役)
資格
横浜山元道院遠藤師範少林寺拳法を小学校4、5年生~中学3年生まで習い一級茶帯取得。
(小学生から入門の場合は、無級からスタートで、次が八級からであり、白、黄、緑、茶、黒帯の順番である。中学3年生最高取得限度は二段黒帯の為、本人は第3位取得記録)
・原付・普通自動二輪・普通自動車・普通二種免許
・2016年5月13日46歳から、より総合強化とメタボ対策により、横浜東口エイワキックボクシンググループエイワ金融会社が、元スポンサーだった、日本トップクラス ボクシングジムの、横浜西口大橋ジムの前身である、その横浜東口エイワキックボクシングジムにて、キックボクシングも始める。
その他
・16歳から角松敏生の大ファンであり、角松凍結解凍前の曲を好み、自称世界一の角松ファンと豪語する程の角松フリークでもある。
・趣味は海魚釣り
・インターネット掲示板【2ちゃんねる】内の『アウトロー板』にて、約17年間において、個人スレッド数と、掲示板レス数世界記録が続いており、時には、炎上もしてしまう。
『面識あり(一期一会も含む)や、仲良しや、関係者である著名人・芸能人・プロスポーツ選手』
ジャニー喜多川・タモリ・研ナオコ・今田耕治・諸星和己・五十嵐HIRO(エグザイルリーダー)・斉藤由貴・斉藤隆治・ 清水宏次朗・哀川翔・あべこうじ・飯島愛・篠原涼子・ももいろクローバーZ高城れに・高田万由子・関根勤・勝俣州和・ 堀部圭亮・宮川一郎太・柳沢慎吾・Def TechのMicro(マイクロ、本名:西宮佑騎)・黒沢博(ヒロシ&キーボー)・紺野樹里(T-BACKS)・山口まなみ(80年代グラビアタレント)・セクシーアイドルグループいじめっ子倶楽部(ブレンダ・木戸こずえ)・比嘉ひとみ(セクシーアイドルグループ「シーエックス」)・山口初夏(80年代グラビアタレント)・B・C・G・かすみりさ(アイドルグループ元恵比寿マスカッツメンバーで現在AV 女優)・三条みく(AV女優)・前薗小百合(元セクシーアイドル、当時ジャニーズジュニア前薗宏一郎の実妹)・島田珠代・友成好宏(角松敏生専属バックバンド キーボード)・少年忍者・前薗宏一郎(当時ジャニーズジュニア)・佐藤正人(元、ジャニーズジュニア)・大内(当時ジャニーズジュニア)・木村木(Vシネマ 俳優)・サニー北野(歌手)・倉持明(元ロッテオリオンズピッチャー、現、野球解説者)であり、元、AKB48で現在タレント倉持明日香の父親)・遠藤一彦(元、横浜大洋ホエールズエースピッチャー)・松岡功佑(元横浜大洋ホエールズ内野手)・内藤雄太(元、横浜ベイスターズ内野手)・副島孔太(元、ヤクルトスワローズ)・ 吉村禎章(元、読売ジャイアンツ外野手、現、野球解説者)・デーブ大久保(元読売ジャイアンツ内野手、元、東北楽天ゴールデンーイーグルス監督、現、野球解説者、タレント)・ラフィーニャ(横浜Fマリノス)・昆奈緒(永田中学出身元タレント)・バンドLiLi(ミユキ)・六ッ川姉妹(ダンスユニット)・吉江豊(プロレスラー)・田端信之(プロボクサー元、日本ウエルター級チャンピオン)・竹迫望美(元、女子プロレスラーアイドル) ・ビーバップハイスクールパート2~5愛徳高校大前均太郎役上野・パート5・6立花高校番長菊永役高橋・パート2城東高校副番長テル役白井光浩・パート6極東高校生徒役内田ショウゴ・志藤健(東証一部上場 株式会社ヨロズ代表取締役社長 )・井手大介(DJ、MC、モデル、ミュージシャン )・杉山れおな(山根プロダクション所属グラビアアイドル)
典拠・注釈
•山根健一
1969年12月27日生まれ。横浜市南区永田出身。O型。元「劇団東俳」所属(1986年時)。 3歳年下の劇団の同僚・大内(後に「十川 (そがわ)」姓に改名)が ジャニーズJr.になったため、 山根も大内を通じて16歳の時にジャニーズの合宿所に一泊だけし、ダンスレッスンも一度だけだが体験した(1986年時)。
同じ1986年には、劇団東俳の仕事で単発ドラマ『桃尻娘』(1986年2月27日、フジテレビ)にもエキストラ出演した。 (同ドラマの続編『帰って来た桃尻娘』
(1986年8月28日)には三好圭一が出演) この頃、地元池袋の、山根と同じ年の、当時グラビアタレントだった、山口まなみと交際してた。
横浜市立永田台小学校、同市立永田中学校、そして私立横浜隼人高校を経て、 横浜市立港商業高校(定時制)を卒業。(港商業高校では2歳下の後輩にジャニーズJr.の佐藤正人も在籍。[1])
その後、1993年(23歳時)に横浜市中区にてホストクラブ「DANDY」と「ナイルクレセント」を一時経営。 この両店では、ジャニーズのダンスレッスン体験の際に 出会って以来親しくなっていた元Jr.の前薗宏一郎も、副社長 兼 ホストとして勤務していた。 [2]
外部リンク
- 山根健一ブログ(規約違反で凍結)
- 山根健一オフィシャルブログ
- 自伝本「修羅の青春記」ホームページ