オスマン古典音楽

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'''オスマン古典音楽'''(オスマンこてんおんがく)は、[[オスマン帝国]]時代からの伝統をもつ、[[トルコ]]の伝統的芸術[[音楽]]のことであり、トルコでは'''トルコ古典音楽'''(Klasik Türk Musikisi)と呼ばれる。 他の[[西アジア]]の伝統的古典芸術音楽と比較すると、オスマン古典音楽は楽曲について[[マカーム]](西アジア音楽の[[旋法]])が規制する部分が弱く、即興と自由を重んじることが特徴であると言われる。 オスマン古典音楽は[[アラブ音楽]]と同じ西アジア古典音楽の伝統を受け継ぎ、アラブ音楽と同じように、古い時代の[[アラブ]]や[[ペルシア]]の音楽に加えて[[インド]]や[[ギリシャ]]の音楽の影響も取り込んだものである。使われる楽器も、[[ヨーロッパ]]の[[リュート]]のもとになった[[ウード]] ud、[[ツィター]]のもとになった[[カーヌーン]] Kanun、葦笛の[[ナーイ|ネイ]] Ney など、アラブ古典音楽と共通する。 なお、それ以外の代表的な楽器には以下があげられる。 * タンブール Tanbur ([[弦楽器]]。ロング・ネック・リュート) * ケマン Keman ([[バイオリン]]) * [[ケマンチェ|ケメンチェ]] Kemençe (小型のケマン。膝の上に立てて左手の爪で演奏する) * レバブ Rebab ([[胡弓]]に似た弓奏楽器) * サントゥール Santur (台形の木箱の上に金属線を張り、ハンマーで打って演奏する楽器) * クデュム Kudüm ([二つ一組の小型の太鼓で、撥で叩いて演奏する[[打楽器]]) * デフ Def ([[タンバリン]]に似た打楽器) アラブ音楽・ペルシア音楽の伝統がオスマン古典音楽としてトルコに根付く過程で、[[13世紀]]に現在の[[アフガニスタン]]で生まれた[[ペルシア人|ペルシア系]]の[[スーフィー]]詩人、[[ルーミー]]が[[アナトリア半島|アナトリア]](現在のトルコ)の[[コンヤ]]で開いた[[メヴレヴィー教団]]が果たした役割は大変大きい。メヴレヴィー教団は音楽と、音楽にあわせた舞踏によって忘我の境地に至り、スーフィーの目標である[[唯一神|神]]との合一をはかろうとする神秘主義教団であることから音楽との結びつきが強く、歴史的には多くのオスマン古典音楽の作曲家、演奏家はメヴレヴィー教団に所属していた。 オスマン帝国は長らく西欧と密接な接触をしていたにもかかわらず、いくつかの根付かなかった試みを除いて、[[20世紀]]に入るまで古典音楽は[[楽譜]]によって採譜されることはなかった。これは、音楽家たちが、楽曲を師匠から弟子へと稽古により伝授され、記憶されることによってのみ伝えられるものと考えており、記憶している楽曲の多さが音楽家のステータスとなることさえあったためである。そのため、オスマン古典音楽は500年以上の伝統をもつにもかかわらず、現在聞くことができる音楽の多くはかなり新しい時代に作曲されたものである。 日本ではあまりオスマン古典音楽が聴くことはできないが、サントゥーリー・エトヘム・エフェンディ Santurî Ethem Efendi ([[1855年]] - [[1926年]])作曲の'''シェフナーズ・ロンガ''' Şehnaz Longa と呼ばれる楽曲が、[[女子十二楽坊]]により「自由」という曲名で演奏され、[[テレビコマーシャル|テレビCM]]で流されたことがあった。 == オスマン古典音楽の作曲家 == * ガーズィー・ギライ Gazi Giray([[16世紀]]末) *: [[クリミア・ハン国]]の[[ハーン|ハン]]。作品にマーフル・ペスレヴ(Mahur pesrev)など。 * ソラックザーデ Solakzade([[17世紀]]前半) *: 作品にニーシャーブール・ペスレヴ(Nişâbur pesrev)など。 * ハーフズ・ポスト Hafız Post([[1630年]] - [[1694年]]) *: [[メフメト4世]]の宮廷で最高の楽匠と呼ばれた大音楽家。 * ブフーリーザーデ・ムスタファー・ウトリー Buhurizâde Mustafa Itrî([[1640年]] - [[1711年|1711]]/[[1712年]]) *: ハーフィズ・ポストの弟子で、[[詩人]]。 * アフメト・チェレビー Ahmed Çelebi([[17世紀]]後半) *: 作品にセギャーフ・セマーイー(Segah semai)など。 * デルヴィーシュ・ムスタファ Derviş Mustafa([[17世紀]]後半) *: 作品にニハーヴェンド・ペスレヴ(Nihavend pesrev)など。 * カンテミルオール Kantemiroğlu([[1673年]] - [[1723年]]) *: [[モルダヴィア]]公[[ディミトリエ・カンテミール]]のトルコ名。公子としてイスタンブール滞在中に数々の曲を作曲。独自の楽譜を考案、自作曲を書き残した。 * シェリフ・チェレビー Şerif Çelebi([[18世紀]]前半) *: 作品にラースト・ペスレヴ(Rast pesrev)など。 * [[セリム3世]] Sultan III. Selim([[1761年]] - [[1808年]]) *: オスマン帝国の第29代[[スルタン]]。古典音楽を数多く作曲し「セリム3世楽派」の祖とみなされた。 * ハマーミーザーデ・イスマイル・デデ Hamamizade İsmail Dede([[1777年|1777]]/[[1778年]] - [[1845年|1845]]/[[1846年]]) *: 古典音楽最高の作曲家で、「デデ・エフェンディ Dede Efendi」として知られる。[[マフムト2世]]の宮廷に仕えた。 * ハンパルスム・リモンジュヤン Hamparsum Limonicuyan([[1768年]] - [[1839年]]) *: [[アルメニア人]]。作曲家として知られている以外に、有名な歌手でもあった。イスタンブール生まれ。アルメニア教会で音楽教育を受け、セリム3世の宮廷で活躍した。セリム3世の求めに応じて1813年から1815年の間の2年間でハンパルスム譜という文字譜を考案した。 * デッラールザーデ・イスマイル・エフェンディ Dellâlzade Ismail Efendi([[1797年]] - [[1869年]]) *: イスマイル・デデの最も著名な弟子で、師につぐ大作曲家。美声で知られ、宮廷声楽家になった。 * タンブーリー・オスマン・ベイ Tanburî Büyük Osman Bey([[1816年]] - [[1885年]]) *: 音楽家の家庭に生まれ、8歳から宮廷に仕えた作曲家。 * ルファット・ベイ Rıfat Bey([[1820年]] - [[1888年]]) *: 宮廷で[[ムアッジン]]頭や音楽師範を務めた作曲家。 * ゼキャーイー・デデ・エフェンディ Zekâî Dede([[1824年]] - [[1897年]]) *: オスマン古典音楽最後の大作曲家。イスマイル・デデとデッラールザーデに学び、[[ムハンマド・アリー朝]]とイスタンブールの宮廷で活躍した。 * ハジュ・アーリフ・ベイ Hacı Ârif Bey([[1831年]] - [[1884年]]) *: 声楽曲の作曲家としてもっとも有名な音楽家。美声をもって知られ、長く宮廷に仕えた。 * シェヴキ・ベイ Şevki Bey([[1860年]] - [[1891年]]) *: 美声で知られ、ハジュ・アーリフ・ベイに学び声楽曲を多く残した。 * ハーリド・レミ・アトル Hâlid Lemi Atlı([[1869年]] - [[1945年]]) *: トルコ共和国期まで生き抜き、数多くの声楽曲を残した作曲家。 * タンブーリー・ジェミル・ベイ Tanburî Cemil Bey([[1871年]] - [[1925年]]([[1916年]]とも)) *: タンブール演奏者という意味のあだ名をもち、トルコ音楽史上最大の名手と呼ばれる音楽家。 == 関連項目 == * [[トルコ音楽]] {{jawp}} [[Category:トルコの音楽|おすまんこてんおんがく]] [[Category:オスマン帝国|おすまんこてんおんがく]] [[Category:民族音楽|おすまん]] [[Category:中近東の音楽|おすまんこてんおんがく]] [[Category:音楽史|おすまん]]