茨城大女子大生殺害事件
茨城大女子大生殺害事件(いばらきだいじょしだいせいさつがいじけん)とは平成16年1月に茨城大農学部2年、原田実里さん=当時21歳=が殺害された未解決事件。
殺害場所はどこなのか。原田さんは深夜になぜ外出したのか。目の悪い原田さんがコンタクトレンズを自宅に置いたまま出かける不自然さ…。発生から丸5年が経過しようとしているのに、これらの謎を解く糸口も見つかっていない。
概要
遺体が見つかったのは16年1月31日早朝のことである。原田さんはうつぶせで川に浮かび、衣服を身につけていなかった。黒いジャージーのズボンだけが足元に残されていた。司法解剖の結果、死亡推定時刻は31日午前0時~2時とみられる。死因は絞殺と判明するが、首や胸、肩にも深い刺し傷があった。捜査幹部は言う。
「犯人は首を絞めたあとに首を深く刺した。確実に殺そうとしたのだろう」
原田さんは遺体発見現場から約6キロ離れたアパートに住んでいた。その付近には幹線道路が通り、ロードサイド型の飲食店やショッピングセンターが並ぶ。事件発覚前日の30日午後9時ごろに帰宅した原田さんは自宅で、茨城大農学部4年(当時)の男子学生と飲食をした。男子学生は酔っ払ってそのまま寝てしまった、という。
原田さんの謎の行動が始まるのはこの後からだ。
31日午前0時ごろ、男子学生は原田さんが外出する気配を感じる。原田さんはすでにパジャマに着替えていたが、ジャージーとダウンジャケットが室内から消えていた。テーブルには原田さんの筆跡に似た字で、このような内容の書き置きが残されていた。
《友人に会いにでかける。遅くなる》
友人とは誰のことを指しているのか。いまだに不明だ。分からないのは、それだけでない。原田さんは視力が0.1だったが、めがねもコンタクトレンズも室内に残したまま外出しているのである。自転車は自宅から北西約3キロの土浦市内の電器店近くで発見された。このため原田さんは自転車に乗ったと思われるが、夜間に裸眼のまま、ここまで外出したというのはいかにも不自然なのだ。さらに携帯電話も財布も自宅に置いたままだった。原田さんは一体、どこへ、何をしに行こうとしていのか。
「よく笑う子で、周りへの気配りも忘れなかった。茨城から遠いのにもかかわらず、月に2回は東京でのミーティングに参加してくれた」
原田さんと同学年で当時、日本学生トライアスロン連合総務委員長を務めていた渡辺聖(たかし)さんは振り返る。原田さんは山口県防府市出身。平成14年4月に茨城大学農学部に入学し、トライアスロン部のマネジャーを務めていた。全国大会などを主催する学生連合でも総務委員として活躍。大会の登録管理や選手名簿作りなどに携わっていたという。遺体が発見される前日の1月30日も、東京都渋谷区の学生連合事務所で開かれたミーティングに参加していた。こうした熱心な仕事ぶりが認められ、翌年度には学生副委員長になることが決まっていた。社交的な性格から仲間からは「実里」と呼ばれ、慕われていた。渡辺さんは、殺害される前年の6月に栃木県那須塩原市で開かれた日本学生トライアスロン選手権で、手作りのカレーライスとサラダを仲間に振る舞っていた原田さんの姿が印象的に記憶に残っているという。
「なぜあの子が事件に巻き込まれなければならなかったのか…。有力情報が出ることを祈るのみです」(渡辺さん)
学生連合の林博志副理事長もいまだ真相が明らかにならない事件へのやりきれない思いを口にする。「犯人にもし良心の呵責があるのなら、1日も早く出てきて罪を償ってほしい」
「これまでに約1万人の関係者から事情を聴いたが、犯行に関わっている人物はいなかった」
捜査幹部はそう言う。捜査本部では、状況から顔見知りによる犯行とみて捜査を進めた。大学関係者やサークル仲間、アルバイト先…。だが、すべて事件とは無関係だった。発生当初、原田さんの交友関係をめぐってさまざまな憶測報道がなされた。だが、捜査幹部はこうした報道に首を横に振る。
「彼女は本当に真面目な女子大生でした。仕送りとわずかな額のアルバイト代だけで暮らし、1カ月の食費などをきちんと考えて、無駄遣いしないように生活していました。我々が把握できないような複雑な交友関係は一切ない」
事件発生当初、県警は本部捜査1課を中心に80人の捜査態勢を敷いていたが、現在は捜査本部が置かれる稲敷署の刑事課に引き継がれた。捜査の主体は寄せられた情報の潰しが中心になっている。「待ち」の捜査の感は否めない。捜査幹部の指摘通りであるならば、犯人は潰したはずの1万人の中にいる可能性もある。捜査はどこかで滑っていなかったのか。
遠く茨城の地で娘を殺害された原田さんの両親の思いは察するに余りある。今年2月には両親は山口県から現場近くを訪れ、情報を呼びかけるチラシを配るとともに、報道陣に心情をつづったコメントを寄せた。コメントにはこう書かれていた。
「当時のことが脳裏に焼きついており事件や故人のことを思わない日はありません。時に言いようのない気持ちにかられ、思考することができず頭の中が渦巻き呆然としていることがあります。本当に辛いことです」