吉野敬介 嘘

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2015年5月30日 (土) 10:33時点におけるモンブラン (トーク | 投稿記録)による版

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吉野敬介 嘘(よしの けいすけ うそ)とは、吉野敬介の嘘である。吉野敬介とは、実際にはただの二浪で國學院二部だったのに、「元暴走族の特攻隊長で失恋を機に1日20時間勉強して偏差値25から86にあげた」という経歴をでっちあげることによって、90年代には代ゼミで絶大な人気を博して億単位でボロ儲けした予備校講師である。しかし、細かい設定を覚えていなかったためか著書で矛盾が出まくり、経歴が嘘であったことがバレたため(しかも、受かってもいない上位大学に“受かったけど蹴った”、という予備校関係者として最悪レベルの嘘)、今後は講師として真の実力が問われることになろう。もっとも、彼は経歴詐称に関して完全スルーで同様の経歴を主張し続けているため、いまだに彼の経歴が真実であると信じている人も少なくない。

ビリギャルが話を盛っていると話題だが、こちらは話を盛ったのではなくゼロから作り上げたのであり、また佐村河内守や石器捏造の藤村新一、IPS細胞臨床捏造の森口尚史と比べても、詐称期間は長いうえにその相手もほとんどが社会的弱者(大学受験という不安を抱えた未成年)なので、無垢な受験生のためにも早く真実を語り、嘘の経歴を宣伝文句にするのはいい加減やめて欲しい。

↓なお、彼の元信奉者の悲痛な叫び
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14109069564
↓また、「一生嘘を背負う人生」とも評されている
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10119492800

概要

自伝に生じている矛盾や嘘の証拠は、Wikipediaの吉野敬介欄を参照。

かつては彼の自称は真実であると信じられていたため、2007~08年頃までのWikipediaの吉野敬介欄は自称の経歴を前提に書かれていた。実際、その頃までに書かれた彼の本のamazonレビューでは、彼の経歴を信じている人が多数存在する。

その後は、アンチと信者との間で編集合戦がなされてきたが、Wikipediaで2012年末頃に、完全な彼のコロコロ変わる経歴と矛盾がはっきりと出典付きで記載されるようになったため、信者はぐぅの音もでなくなって編集合戦は終わった。もっとも、その過程でWikipediaの管理者である「Trigrav」は、吉野の話が大筋で正しいと信じ切っており、吉野の著作に存在する矛盾については、“Trigrav自身が正しいと思ったストーリーを選択して辻褄を合わせる”という中立性完全無視の編集をゴリ押ししようといていたが、何を根拠に“正しい”と思うストーリーを組み立てるのか聞かれても全く答えようとせず、のらりくらりと話題を変えてごまかすことに終始していたため、結局荒らし認定された。彼も吉野信奉者だったのだろう。

それでもなお、2chの学習塾・予備校板では、「№599」というコテハン名の熱狂的信者が生息しており、吉野が二部である証拠を出せと発狂していたが、実際に証拠(大学の学報)写真をアップされると、合成写真だの捏造だの言ってさらに発狂して後に引けなくなっている。もっともこのコテハンは、反論したくても国語力に難があって論理的に文章が書けず、小学生のような悪口しか言えないうえに、突然半導体講義を始めて自分は旧帝国立大学理系出身の研究者であると騙っていたが、誤爆とIDで地方国立を目指す理系の受験生であることがバレてしまったため(しかもその後も大学に合格できていないようである)、信者も経歴を詐称するのかと笑われている。

略歴

中学時代からグレ始めて、ケンカ・万引き・シンナー・暴力団との賭け麻雀・さらに覚醒剤で鑑別所に入れられるという超絶のワルで6000人を率いる暴走族の特攻隊長であった(という設定にした)。高校卒業後、中古車店で働くも失恋をきっかけに20歳の9月20日に大学受験を決意し、古文を極めたいとの思いから第一志望の國學院一部(2月合格発表など一部を前提とした記述がたくさんあるため)とし、9月から12月で国語の偏差値を25から86に上げ、立教や明治や学習院や法政など國學院一部よりも偏差値の高い大学に合格し、それにも関わらず第一志望の國學院に進学した(という設定にした)。その後は、大学で古文を極め、代ゼミの採用試験を受けるに当たり古文だけで300人という倍率の中から史上最年少・最高得点で合格した(という設定にした)。

なお、吉野の話が本当なら、逗子開成高校は、在学中3回停学になってさらに高校3年の夏休みに覚醒剤取締法違反で鑑別所送りになった生徒を、U先生の計らいで事件をもみ消して[1]3年で卒業させたことになる。

今ならこのような劇画チックな経歴はすぐに怪しい点が指摘されるだろうが、当時は、著書に代ゼミの副理事長が推薦文を書くなど代ゼミから経歴の「お墨付き」が与えられていたことや、テレビで登場したときは当然その経歴があたかも真実のように紹介されること、そして、まさかあれほど堂々とした記述が嘘だとは到底思えなかったことなどから、当時は彼の経歴に疑問を差し挟む者はいなかった。また、不良が今よりももてはやされる時代背景もあって、彼の経歴は大いに受験生の心を打ち、90年代はもっとも有名な予備校講師であったといっても過言ではないだろう。

もっとも、当時から彼の経歴に疑問を挟んで検証した者はいたのかもしれない。しかし、当時そのような経歴詐称の告発を一般人がする術はなかったため、少なくとも経歴詐称が表に出ることはなかった。

しかし、インターネットが普及してくるのに従い、00年代前半頃には、卒業者名簿から実際に吉野が出たのは二部である、という情報がネット上で共有されるようになった。そうなってくると、二部のない立教や学習院といった國學院二部よりもはるかに偏差値の高い大学に合格して蹴ったという部分があまりに非現実的となるため、にわかにその経歴が疑われるようになる。くわえて、彼の出身高校はその年の学習院大学の合格者が0名と公表した事実もネットで共有されるようになり、そして何より00年代後半から出しまくった本人の著書によって合格大学や武勇伝の内容がコロコロ変わったことから、上記の大学合格ってひょっとして全部嘘で、二部しか受かっていなかったんじゃないかと疑問を持たれるようになる(國學院二部は一部の合格発表が終わった後でもまだ出願が間に合うのである)。その後も、國學院一部と学習院はその年の入試日が同じであることも判明した。

とはいえこの時点では、仮に二部だとしても偏差値25から4ヶ月で何らかの成果を残したのだから多少話を盛るくらいはいいだろう、と割り切ることはできた。しかし、吉野が自著を文庫化するにあたり写真の日付を削除し忘れていたため、4ヶ月での合格も真っ赤な嘘で、実際はただの2浪だったことまで判明してしまった。言われてみると、偏差値25というのも86というのも本人の自称であり、裏付けとなるような証拠は何一つない(代ゼミ講師だったのだから、代ゼミの模試結果の調達は簡単なのに)。そうなると、短期間で成績アップというのも嘘で、結局単なる二浪二部という通常は努力不足を指摘されるような経歴だったのに、完全にゼロから話を作ったとしか考えられないのである。

さらに、最初の著書では『代ゼミの講師になるのに普通試験はない』と書いていたのに、いつの間にか300倍の倍率を突破して合格したことになるなど(だいたい1991年卒はバブルの恩恵をいちばん受けた世代で大卒求人倍率が2.86という超売り手市場であり、そんな大人数が不安定な予備校講師をわざわざ目指すことがありうるだろうか?)、代ゼミの試験に合格した経緯まで整合性が合わなくなっていった。

まあ今思うと、著書には喫煙の写真とかは色々載せているのに、暴走族であることを示す写真は一切存在せず、喫煙写真も前に置いているのは酒とかシンナーではなくサントリーの烏龍茶であったり、自分が使った教科書やノートの写真は著書にあるのに偏差値86の模試の成績表は著書に載っていなかったり、その私大模試に載っていたと称する他の成績上位者の高校が(私大を目指す人がほとんどいない)開成・灘・ラサールだったと述べていたり、最初から疑問の目を持って見ていれば、整合性の合わない点は著書にいくらでも存在したのである

結局、名物講師だった金ぴか先生こと佐藤忠志が抜けてアイドル的講師が欲しかった代ゼミと、予備校講師としてアピールしたい吉野との利害が一致して、このような嘘の経歴が作られたのだろうか。この点は仮説の域を出ない。ただ、もし仮に代ゼミ主導で経歴詐称がなされたのであれば吉野にも酌量の余地はあるのだが、著書とは別に授業中の雑談ではさらに言いたい放題(旺文社の模試で偏差値92とか國學院時代に特待生だったとか。これらも嘘だということが客観的証拠によりバレている)であり、むしろ代ゼミを辞めてからの方が経歴詐称に拍車がかかって自己啓発本を出したり講演したりして金を稼いでいるのであるから、やはり酌量の理由にはならない。

関連項目

Bouncywikilogo.gif ウィキペディアにも、この項目「吉野敬介 嘘」が執筆されています。ぜひこちらも読んでみてください。
  1. 「おまえはバカじゃない」208頁