二階堂 頼綱(にかいどう よりつな)は、鎌倉時代中期の武士・政治家。鎌倉幕府の政所執事。父は二階堂行綱。通称は伊勢左衛門尉。官位官職は従五位下下総守[1]。
文永11年(1274年)に下総守、文永12年(1275年)に引付衆となる。建治3年(1277年)1月、幕命により伊豆権現衆徒の争乱を三善倫経と共に鎮めた。弘安4年(1281年)に政所執事になり、弘安5年(1282年)2月に評定衆となる。弘安6年(1283年)に45歳で死去[1]。