白虹事件
白虹事件(はっこうじけん)とは、大阪朝日新聞(現朝日新聞)が1918年に起こした筆禍事件。
当時、大阪朝日新聞は大正デモクラシーの先頭にたって言論活動を展開し、特にシベリア出兵や米騒動に関連して寺内正毅内閣を激しく批判していた。1918年8月25日、米騒動問題に関して開かれた関西新聞社通信大会の報道記事の中に「白虹日を貫けり」という一句があったが、これは内乱が起こる兆候を指す故事成語であったため、不穏当だと判断した大阪朝日新聞編集幹部はすぐさま新聞の刷り直しを命じた。しかし、すでに多数の新聞が出回った後だった。後に新聞紙法の「朝憲紊乱」に当たるとして、当局が大阪朝日新聞の発行禁止に持ち込もうとした。当時、激しい批判にさらされていた寺内政権が弾圧の機会を窺っていたと指摘されている。さらに、右翼団体も大阪朝日新聞を攻撃、村山龍平社長が暴行に遭う事件まで発生した。
事態を重く見た大阪朝日新聞は10月15日、社長や長谷川如是閑ら編集幹部が次々と退任、12月1日には「本社の本領宣明」を出し、それまでの言論を自己批判した。こうして大阪朝日新聞は、発行禁止処分を免れることになった。これは大阪朝日新聞の権力への屈服を象徴しており、以降、大阪朝日新聞の論調の急進性は影をひそめていく。
捏造報道疑惑
米騒動の際、大阪朝日新聞は寺内内閣だけでなく、戦時特需を利用して急成長した(成金)政商の鈴木商店は米の買い占めを行っている悪徳業者であると攻撃し、鈴木商店は焼き討ちにあった。この事件を小説化した城山三郎は、当時、鈴木商店が米を買い占めていた事実はなく、焼き討ちは大阪朝日新聞が事実無根の捏造報道を行ったことによる「風評被害」[1]で、鈴木商店と対立していた三井と朝日の「共同謀議」という仮説を立て、ノンフィクション風の小説として発表している(城山三郎『鼠 鈴木商店焼打ち事件』)。