NEVADA事件

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NEVADAこと辻 菜摘
NEVADAこと辻 菜摘

NEVADA事件とは、(ねばだじけん)とは、2004年6月1日午後、長崎県佐世保市佐世保市立大久保小学校で、6年生の辻菜摘(つじ なつみ)が同級生の御手洗怜美(みたらい さとみ)ちゃんをカッターナイフで切り付け、殺害した事件である。

小学生の女子児童による殺人事件であり、しかも学校が舞台であり、世間に大きな衝撃と波紋を投げかけた。

御手洗怜美ちゃんの死因はをカッターナイフで切られたことによる多量出血だった。文部科学省ではこの事件を長崎県佐世保市女子児童殺害事件としてこれについての談話を発表している。被害者女児は当時の毎日新聞佐世保支局長の娘であった。

佐世保小6女児同級生殺害事件も参照。

目次

事件ドキュメント

一枚の写真がある。子どもたちの集合写真。

そのなかに2人の少女が肩を並べている。1人はまるっこい顔に大らかな笑みを浮かべている。その隣の子はやや緊張気味で、体型を気にしてるんだろうか、だぶだぶのパーカーとにチノパン。

その胸にはこんな文字がプリントされている。

「NEVADA」

この写真から少女、辻菜摘は「ネバダたん」とネット上で呼ばれるようになった。佐世保小6女児同級生殺人事件の殺人者として。

「わたしの血じゃない!」

2004年つまり平成16年。この年もいろいろな出来事があった。アテネ五輪、ジーコジャパンが優勝した北京アジア杯、「自己責任」を考えさせるイラク人質事件、プロ野球初のストライキ。窪塚洋介はビルからダイブした。兵庫県で親族7人を45分で虐殺した事件。そんな年であった。

6月1日長崎県佐世保

長崎県佐世保市立大久保小学校は全校児童190人程度の小規模学校で、1学年1クラスずつしかなく、6年も38人だけで6年1組しかない。

12時35分。そんな6年教室では、給食の「いただきます」になっても、2人の女子の姿がないままだった。12時40分頃になって、2人がいないな、などと担任(男)が言っていると、やっと当の女子のうち1人、辻が前の入口に現われた。

辻がよく履いている裾を引きずるくらいだぶだぶのボトム。これもなんだか変だった。午前中は青色のはずだったのに、なぜか今は黒ずんで紫っぽい。手に持ったタオルについてる赤いのは血? それになんでカッターナイフまで持ってる? 学校に持ち込み禁止のはずじゃないか。

担任が慌てて「どこか切ったのか?」と聞くと、彼女は急に泣きそうな顔になった。

「違うちがう! 私の血じゃない!」

担任は思わず、ミタちゃんはどこだ、と肩を揺すって声を荒げた。2人は仲のいい友だちだから、きっと一緒にいたはずだ。

「あっち」と彼女は虚ろな顔のまま学習ルームの方を見た。でもなぜか担任は辻を廊下に残したまま扉を閉めると、自分の机に戻り、お茶を飲み出した。

すぐに辻が戸を開けて、「早く救急車を呼んで!」と急かした。ああ──やっと担任は我に返って、学習ルームへと向かった。

「児童が怪我をして血が出ている」と通報を受けて学校に駆けつけた救急隊員はショックを受けまたいらついていた。現場の学習ルームはひどい惨状だ。“血が出ている”なんてもんじゃない。可哀想だがあの子はもはや手の施しようがない。一体誰があんな酷いことを。

先生の誰一人として事情を説明できない。どの先生も慌てふためいて度を失うばかり。それにこの哀れな女の子がこんなひどいありさまになっているっていうのに、なんで誰もそばにいてやらないんだ。なんで独りぼっちのまま放っておくんだ。

発見者の6年担任に訊こうとしてもすすり泣いてばかり。子どもたちも大勢いるんだし、先生のあんたがしっかりしなきゃいけないだろうが。誰か事情を話せる人間はいないのか!と救急隊員が怒っているところに、女教師が「この子が知っています」と、辻を連れてきた。

なにがあったの、そこにいたんだね、君、と救急隊員が訊くと、少女は虚ろな目のまま、静かに答えた。

「わたしがやりました。カッターで首を切りました」

「は……?」救急隊員も女教師も言葉を失った。

「お願い、ミタちゃんを助けてあげて」

なぜ“普通の少女”が、あんなことを?

ネット上で“犯罪史上最も可愛い殺人者”と呼ばれることとなった「ネバダたん」こと辻 菜摘。小学生同士が学校内で初めて起こした殺人。

ネットでの希薄なコミュニケーションが…、テレビやゲームの暴力が…、今どきの子どもは…とさんざ騒がれ、「さぞ異常な子に違いない、異常のはずだ」と決めつけられた。だがその後の発表では「ごく普通の子」だという。

この事件、酒鬼薔薇聖斗とはちがい、犯行後すぐに犯人自ら告白し、しかも刑事捜査のできる下限より下の11歳だったこともあって、すこぶる情報が少なかった。

仲良しだった2人なのに、なんでこんな悲劇になってしまったのか。5月27日から事件当日までの“運命の6日間”に何が起きていたのか。

軍港の町はその年、ピリピリしていた

長崎県佐世保市。旧海軍の軍港として栄え、今も陸・海自衛隊と米海軍第七艦隊の基地がある。人口25万人。大人の6割が基地にかかわる仕事をしている。軍隊と共生する町。

県都・長崎市とは経済圏も別。むしろ佐賀県へと抜ける鉄道や道路の方がきっちりつくられていて、小さいながら県内で独自の文化を築いていた。ジャパネットたかたはここが本社だし、造船大手のSSKもある。村上龍の出身地で「69」はご存じの通りこの佐世保が舞台だ。佐世保バーガーの町でもある。ハウステンボスはこの前年に経営難で破綻し、会社更生法による立て直しを始めていた。

2004年当時、イラク派兵の最中で、佐世保の基地もアルカイダのテロを警戒してピリピリした厳戒態勢が続いていた。街路を兵士や軍用車が行き来するのはこの町では日常的とはいえ、そのピリピリ感はおそらく町の空気にも伝染していた。

また長崎市で前年に中1男子が幼児を突き落として殺害する事件があったばかりで、県内の行政や教育機関があわてて非行防止に取り組んでいるところだった。

2人の少女は出逢った

さて、のちに被害者と加害者の立場となる2人が友だちになったのは5年生の春からのようだ。

「ミタちゃん」こと御手洗怜美(みたらい さとみ)の父親は毎日新聞社佐世保市局長の御手洗恭二(みたらいきょうじ/当時45歳)。2年前に佐世保支局長として赴任してきた。3年前に妻を亡くし、男男女3人の父子家庭。末っ子がミタちゃんだ。

4年生の春に転校してきたミタちゃんはすぐクラスになじんでリーダー的存在になった。大柄で明るく活発、人を笑わせる性格で、「ミタちゃん」「ミタッチ」とみんなから好かれていた。担任からも「ミタちゃんなら大丈夫」と信頼されるほどだった。

5年生の初め頃、クラスの女子があることで対立して二つに割れた。そのときミタちゃんと同じ“陣営”になったのが「ネバダたん」だった。外交的なミタちゃんと大人しめのネバダたんの性格は対照的だったが、お互いひかれたのか急速に親しくなり、交換日記を始めるようになった。

問題児ではなかった「物静かで優しい女の子」

辻の「将来の夢は漫画家」。友だちと遊ぶよりもひとりで絵を描いてる方が好きな女の子だった(そして本人も嘆く通り絵は…上手くなかった)。でも孤立していたのではなく友だちは何人もいて、そつなく自分の位置をクラス内にキープしていた。

自宅は山の上にあり、バスの本数も少なくて不便。両親、姉、祖母の三世代5人家族。父親は会社員だったが病気で倒れ、自営業になって家にいた。

「物静かで優しい」。というのが先生からみた辻の印象だった。先生の手伝いもよくする子で成績もよくパソコン得意。なかなか優等生だ。「ただ、みんながいる所では明るいが、ひとりだと暗いことがあった」。辻本人も自己紹介で「性格は裏と表があるらしい…」とおどけ気味に書いている。

「はっきりノーと言えない、自己主張ができない。でもしっかり者の頑張り屋」。これは彼女の両親の見立て。でも放任してるわけじゃなく家族でよく会話もしていた。虐待系や過干渉だったわけでもない。

事件後まもなくHPは削除されたが、ネットゆえに彼女の言葉はコピペ増殖して今も電子の海を漂っている。それによると、人と接するのがちょっと苦手。「バトル・ロワイアル」や「呪怨」、韓国ホラー「ボイス」が好きだったり、魔術に興味があったりもするが、行き過ぎるほどではない。

自然破壊を悲しんだり戦争や差別に反対したり、「世界に一つだけの花」風の詩を書いて照れ隠しで悪ぶってみたり、この年頃の文系少女特有のちょっと背伸びしてて健全で無邪気で前向き。文章も幼いながらそれなりに構築されて「異常」の兆候はみられない。

よくいる普通の女の子の顔だ。6月1日12時40分の血まみれの姿なんて少しも浮かばない。

ミタちゃんも辻も決して問題児ではなく「よい子」だったのだ。そうして2人が仲良くなったちょうどその頃、彼女たちの5年1組はおかしくなった──。

「あんな残虐なことをする子とは思えないんだ」

なんなんだ、これは。捜査に入った警察は戸惑った。学習ルームは「子どもがやったとは思えない」ような惨たるありさまだった。

被害少女は首を何度も切りつけられて、深さ10cmにも達した傷からの大出血が死因。ちなみにこの年頃の女子の首の直径は12、3cmほどしかない。被害少女の体からは血がほとんど流れ出てしまっていた。警察はカッターの折れた刃先を血の海の中から回収した。工作用カッターでここまでやるとは、よほど殺意と力を込めて切り裂いたことになる。

「今までで一番謎の事件だ」。

加害少女は年の割に小柄で1、2歳年下に見える。話しぶりからもしてもこの子がなんであんな残虐な殺し方ができたのか…。2日後に保護中(つまり拘留中)の加害少女と会った弁護士も、

「言葉づかいも非常に丁寧、コミュニケーションにまったく難はない」。

弁護士と向き合った少女は、「なんでやったのかな。よく考えていたらこんなことにはならなかった。会って謝りたい」と頭をかかえて涙を流していた。

「無言のことが多い。泣きながらも大きな動揺も見せず、素直にこちらの話を聞いている」

「小学生なら落ち着かなく動き回ったりするだろうが、彼女は冷静でじっとしている」

残酷すぎる犯行。面会ではごく冷静で控えめな態度。あまりにもギャップがありすぎる。辻は動機についても一応話した。

「ぶりっこ、とネット掲示板に書かれたから」

しかも、「掲示板に書かれた他には、被害少女とのトラブルはなかった」とも。2人はほんの数日前まで仲良しだった。動機の他愛なさと犯行の凶悪さがちぐはぐすぎる。

とにかく11歳では刑事にすらならない。辻の扱いは家庭裁判所に移された。もちろん少年法は「少年を罰するのではなく、更正させる」ことが目的なので、警察が捜査するようにはいかない。のち被害少女の父親も、家裁の審判記録を読んで途方に暮れた。

「あまりに幼い受け答え。想像と違った」

ネットで盛り上がる“不謹慎な人気”

マスコミもまた、この事件を吸いかねていた。少年法という壁もある。

辻が犯行後、15分も現場に留まり、被害少女が死にゆく様子を観察していたのを「猟奇犯罪」的に取り上げたり、魔法などオカルトに興味をもっていたことから「オカルトの儀式の再現か?」的と喧伝するメディアもあったが、それも長続きしなかった。この事件には凶悪ぶりを裏付けるマスコミ好みの“物語”がなかった。

サイコパスな殺人鬼は、人を手にかける前に、まず猫やネズミのような小動物を殺し始めるという。酒鬼薔薇聖斗も、前年に起きた長崎幼児殺人の中1少年もそうで、「小動物殺し」が前兆として起きていた。またゆがんだ性欲が犯行と濃密に結びついていて、酒鬼薔薇聖斗は死体を切断しながら射精した。

だが辻には、そんなサイコパス特性はない。事件は何もないところからいきなり湧いたように見えた。

例によって、パソコンのせいだとか、暴力的なゲームや映画が原因だとか、学校教育が悪い、親が悪い、いやいじめがあった、とそれぞれが自分好みの「元凶」をあげつらった。加害少女を血も涙もないモンスター扱いする者もいた。

一方、2ちゃんねるは、お祭り状態になった。

「ネバダたん」と名付け、アイドルに祭り上げた。美少女なのも余計にその“不謹慎な人気”に火をつけた。あどけない顔のまま血まみれのカッターを持つAAが流行。3年後、ドイツでは「Nevada tan」というニューメタルバンドまで結成された。

前年から学級崩壊していたクラス

辻とミタちゃんが仲良くなった頃、5年1組は崩壊し始めた。

「急にばらばらになった」と5年生当時の担任(女)は悔やんでいる。4年生までは別の男教師が担任で、クラスはまとまっていたらしい。それが壊れた。

親たちの言い分は「5年の担任のせいだ」。担任(女)は何かあると言葉で諭すでもなくヒステリックに泣きわめいて叩くばかりだったという。じきに子どもたちは“泣き叩き”に慣れてしまったのか担任(女)を、怖がるどころかバカにするようになった。そうなるとあとは転がり落ちるがごとく。

授業中でも大声でおしゃべり、平気で菓子を食う、堂々と寝る。男子同士の殴り合いのケンカも頻繁におこった。もちろんいじめだってあった。転校してきた子は徹底的にやられてすぐ転校して行った。

もはや担任(女)が注意してもきかない。どころか叱ると逆ギレで蹴られて担任(女)は泣いて教室から逃げた。子どもたちは「今週はあいつ何回泣くかな」を賭けるようになった。しかし県教委は「問題のある児童が何人かいて苦慮していたが、学級崩壊まではなかった」とのちに発表した。

しかも1学年1クラスで6年間一度もクラス替えがなかったのもまずかった。毎年毎年ずっと同じ顔ぶれ。クラスの空気もヒエラルキーも変わるわけもない。そんなすさんだ教室で、「ネバダたん」はといえば、マイペースで好きな絵を描いていた。クラスメイトにはお付き合い程度に合わせて深入りしない。ただ荒むクラスを傍観していた。

スポーツ! チャット! 楽しい! 最新中!

さて、ミタちゃんが課外活動のミニバスケ部に入ると、辻も入部した。インドア派だった辻は意外な素質を発揮してぐんぐんバスケがうまくなった。友だちとの部活動をとても楽しんでいた。

さらに辻は得意なパソコンを駆使して、ミタちゃんとサイトを開設した。カフェスタの簡易ページで、チャットでおしゃべりもできる仕組み。全国に20人くらいの「チャット仲間」がいて、好きなことを書き合って遊んだ。辻はここに自作の詩を載せたり、好きな詩人を紹介したりしている。

辻宅には、父親の仕事用と家族共有の2台のパソコンがあった。辻は家族用パソコンで遊んでいた。両親は娘がパソコンで何をしているのかはまるで知らなかった。

ミタちゃんと辻は、リアル・交換日記・チャット(のちに掲示板も)の3つのやり方でコミュニケーションをとっていた。

この頃が「ネバダたん」の一番充実していた時期だったかもしれない。絵を描いていれば幸せだった少女は、たぶん生まれて初めて「友だちと一緒」の楽しさを知った。ミタちゃんのおかげだった。

「続けたかったのに、親にやめさせられた」

まもなくミタちゃんが家庭の事情でミニバスケを辞めた。寂しかったが辻は部に残って頑張った。レギュラーまであと一歩までいった。チームも大会で優勝した。5年生3学期のネットの日記には、ちょっと誇らしげに優勝の報告がされている。

ところが、辻の幸せな季節はとつぜん断ち切られるように終わってしまう。学校の成績が落ちたことに怒った両親が、「宿題できないならバスケなんてやるな」と、むりやりミニバスケ部を退部させてしまったのである。「続けたかったのに、親にやめさせられた」とネバダは同級生にこぼしている。この頃を境に、心優しかった少女は急激に変貌していく。

すさむ「優しい少女」

ミニバスケを退部した辻は怒りっぽくなった。クラスがざわつくと「うるさいっ」。給食をくちゃ喰いする男子には「汚いっ」。言葉も汚く粗暴になった。

「3学期の途中までは優しい子だったけど、急に乱暴になった」という。

単に引っ込み思案や自己主張に薄い子が「優しい」と見られることは多い。だがそういう子が本当に優しい心の持ち主とは限らない。

辻はミタちゃんも含めて同級生10人ほどと4冊の交換日記をやっていた。辻は日記を毎回「NEXT ○○(次の子のあだ名)」とシメていた。それを他の子たちも気に入って同じように書き出した。するとネバダは「パクらないで!」とむくれた。他の交換日記でも自分の言い回しやイラストをマネされることを嫌がった。

「NEXT」騒ぎのときは、ミタちゃんが謝ってNEXTを使わないようにしておさまったが、ミタちゃんは「絵文字じゃないし、パクりじゃないんじゃ」ともプチ反論している。

交換日記ノートで辻は、「もしあなたがバトル・ロワイアルのプログラムに選ばれたとします。殺しますか?」と問いかけ、「殺す」「逃げる」などの項目から選ぶように書いた。辻は「バトル・ロワイアル」の原作を熱心に読んでいた。二次創作の「外伝」も書いていた。

気づかない大人、怯えるクラスメイト

担任(女)は優等生辻の急変に鈍感だった。学級崩壊に怯えてそれどころではなかったか。授業中に居眠りするようなった、担任(女)が気づいたのはそのくらいだった。辻が男子を追いかけ、小突き回すのも見たことがあるが、

「そんなに激しくではなかったから、冗談だと思った」
「表情も明るかったし、文集づくりも張り切っていたし…」

辻がとつぜんストレートパーマをかけてきても、「ああ親が許可したんだな」と思う程度だった。この5年の担任(女)はのちに諸悪の根元すべての元凶とあげつらわれた。

周りの子どもたちは気づく。「怖い」とおそれて友だちもだんだんと距離を置くようになっていった。4月頃、辻は一度だけ家族に「仲間はずれにされた」と愚痴っている。

対照的な2人。微妙に掛け違えたボタン

辻にとってミタちゃんの存在は大きかった。荒れ出してそれまでの友だちから距離を置かれてしまった辻だが、ミタちゃんは変わらず仲良くしてくれたし、退部したのを心配して気づかってくれた。

5年生終わりの文集で、ミタちゃんは「PCを通しての、顔も姿も見えない友だち」への不安な思いを書いた。全国のネ友のことだ。でも「顔が見えないからこそ相談に乗ったりできる」。

なんだか健康優良小学生。ネットの世界に誘った“先輩”こそ辻だが、実は「Myファン」(マイミクのようなもの)は、外交的なミタちゃんの方がはるかに多くなっていた。

2人はそもそもまったく異質の人間だった。もちろん違いがよい方向に運んで生涯の友情を育むことだってあるし、そうならない場合もある。2人は文集でそれぞれ「将来の夢」を書いた。

ミタちゃん「声優か、イラストレーターになりたいです。理由は自分の絵や声をみんなに見てもらえるから」

ネバダ「将来の夢は漫画家です。ほかにもあったけど今はこれです。自分の夢をかなえられるようがんばります」

そして2004年春。2人はいよいよ6年生になった。

新学期。吼えるネバダ、無気力担任

2004年4月──。新学期。これから6年生。

もちろん1学年1クラスだから顔ぶれに変化はない。同じクラスメイト。同じミタちゃん、同じ辻。ただし担任が交代した。かわって6年の担任となった男教師はというと、

「このクラスを受け持ちたくなかった」

担任のなり手がなくて仕方なく、だった。

「ケンカするならやれ。ただし先生の見えない所でやれ」

5年3学期から多少は落ち着いたが、まとまらないのは相変わらず。遅刻や不登校もいて朝のあいさつに38人全員そろった日は数えるほどだった。

辻のバイオレンス度はさらにパワーアップした。弱っぽい男子に「おまえ、うざい、死ねっ」と罵り、追いかけ回し、蹴っ飛ばして馬乗りになることもあった。突然壁に頭を打ちつけることもあった。からかった男子にカッターをちらつかせて怒った。

担任(男)は、荒れの目立つ数人の男子に気をとられて、とくに問題児でない辻までは目がいかず、少々の言い争いは教室の喧噪に紛れた。ネットや交換日記の存在すら知らなかった。というより前任者(養護学級担任に異動)からの引継ぎを断ったため、クラスの人間関係を把握していなかった。

壊れゆく辻の言葉

その頃、辻のネット日記は、2月22日から長らく中断していた日記が、4月8日再開。ところが…。

日記@暇すぎo

ヒッマだぁぁぁぁぁぁ~><

しかもアイス食べたから寒い><

さっむ!ひっま!

ぁ~、

暇暇暇暇

以降、日記の文体はどんどん断片化し、壊れていく。ちなみに「暇暇暇暇」なのはミニバスケをやめたからだろう。遊びに行こうにも、山の中腹にある家は不便すぎた。勉強のためにバスケをやめたはずだが、もちろん勉強なんて身が入らなかっただろう。

「友達と遊ぶのはそんなにスキでわないんで別にいいでやんす(ハ)」と辻は捨て鉢に書いた。

そんな中で、ミタちゃんと「WK」ちゃんの仲良し3人組でネットの共同掲示板も始めた。3人は同じ放送委員会にも入った。ところで、ミタちゃんはWKちゃんのHPではHNでなくふつうに本名を名乗ったりしている。辻にとってネットは山の中の家から広い外界へトリップできる魔法だったが、ミタちゃんには便利なツールのひとつでしかなかったかもしれない。

「殺しあう? 殺しあわない?」

4月末、ゴールデンウィーク──。といってもどこにも行かず、家で暇暇暇暇なネバダは、

「記憶,,が所々飛んでます。まじ。昼飯食べてヵラ何をしたか記憶にナイ。」

たまたま、この頃からネバダのアバターは、頭がカボチャに変わった(カフェスタのプレゼントでもらえるらしい)。 ネバダのアバターは最後までカボチャ頭だった。それから、

「GW明けになると私の本性見えちゃうかも。覚悟しときぃやおまいさん。」

「やいやい、今「ブック」で小説書いてるぞやいやい。」

とも宣言してるが、どうやらこのときの“本性見えちゃう”“小説”が「バトル・ロワイアル外伝」らしい。GW中には「バトル・ロワイアルII/鎮魂歌」のDVDも観た。R15指定でホントはレンタルできないんだが、姉のカードで借りてきたらしい。それと前後して、辻お気に入りリンクに「赤い部屋」が加わった。

5月4日──。「えっと、血ネタ満載で(汗)」な

ネバダ作『BATTLE ROYALE外伝─囁(ささや)き─』がHPにアップされた。現実と同じ6年1組38人(名前は違う)が殺し合う。主役の転校生「9番 杉江真耶」は辻。ミタちゃんのHNと同名のキャラもいるんだが、壮絶にぶち殺されていた。生き残った「9番」が転校先でまたバトロワするのを暗示して完。

小説の終わりには、交換日記と同じく、「殺しあう?殺しあわない?」のアンケートを置き、最後に、

「私はノノ殺し合い、なんて、人を奪うことは許されないので殺し合いなんてしません(何きれいごと吐いてるんだ)>」と書いた。

マスコミが騒いだ「紫ドクロの呪い」(敵に思いどおりに愚かなことをさせる)も同じ日にアップ。料理のレシピページになぜか「フレンチ/冷たい料理」として「紫ドクロの呪い」「魔除け」などの処方箋?が並んだ。

5月7日──。 辻は「ズ○休み」。「ガッコのダチ」の「Kとお嬢」と久々にチャットしたとカキコ。KとはWKちゃんで、お嬢はミタちゃんらしい。

5月9日にはこのカキコへのレス。

НДЯЦ : お嬢ッスvヒサシブリにチャットしたヨネー☆マタシヨーネ^^

「НДЯЦ」とは「HARU」のことで、ミタちゃんがネットで名乗るHN。楽しかったようだ。お互いに。

5月10日──。ネバダはHPの日記で、

「30K代(文ママ)に痩せるどーーーっっ!」と高らかに宣言した。ミニバスケをやめて自堕落な本人は「太っちゃった」と気にしてたらしい。そう女の子にはおなじみの、この他愛ないけど本人には深刻きわまる悩み。これが悲劇の引き金になった。

「お前ら全員惨殺してやるよ!」

ゴールデンウィークが明けて──。辻は相変わらずクラスで吼えていた。交換日記の「NEXT」騒動もこの頃、GW明けの5月中旬に起きている。例のHPにアップしたバトロワ外伝のアンケートもちらほらネ友からの回答が書き込まれていた。その中の一人はとくに露悪的だ。

「お前ら全員惨殺してやるよ!女は犯して殺す。男は目だけ潰して数日縛って最終的に殺す」

この頃の辻はこういう書込みをとくに喜んだ。ちなみにこのバトロワアンケート、30人中25人が「殺し合う」を選んだ。「ひたすら隠れる」が4人、「反対」は1人だけだった。彼らネ友たちが辻にどんな影響を与えたか、今となっては知る術もない。みんな事件後、そそくさと退会して消えてしまったり、固く口をつぐんだままだ。

とりあえず、ミタちゃんやWKちゃん、ネ友たちとは、まずまず良好のようだった。辻の心はまだ均衡を保てていた。

そして、5月27日、木曜日──。この日から異常な速度で事態は展開する。

運命の6日間が始まる

5月27日から6月1日までのログはほとんど辻の手で削除されてしまっている。さて、5月27日、木曜日──。

次の日曜は運動会。子どもたちは準備にいそしんでいた。辻はミタちゃんたち同級生数人とじゃれ合っていた。辻がふざけてミタちゃんにおぶさった。ミタちゃんも笑いながら言う。

「重いーっ」

ぷちんっ。その瞬間、辻の顔色が変わった。

「失礼じゃないっ!」

ミタちゃんらは驚いた。なんで? なに怒ってるの?乗られて「重い」くらい普通言うよ。もうその頃には珍しくもなくなってきた辻の癇癪に見えた。ただ、どうやらミタちゃんは「NEXT」騒ぎのときと違って、謝らなかったらしい。

翌日5月28日、金曜日──。辻は仲良し掲示板にログインした。すると、「!!!」

なぜそんな悪口を?

警察は辻の供述を確かめるため、「問題の書込み」を探したが、見つからなかった。辻が掲示板から削除していた。辻によると掲示板には、

「いい子ぶってる」「ぶりっこ」と書いてあった。書いたのはミタちゃんだった。

ぶりっこ、は辻の急所だった。粗暴になり、グロ絵やグロ文やグロ小説を吐き出していたが、家族や先生の前では「いい子」に踏みとどまっていた。辻はもともと愚かではない、知的な子だ。だからそんな自分のハンパさカッコ悪さも認識してただろう。だから一番言われたくない悪口だった。ぶりっこは。

それをよりによってミタちゃんが言った。友だちだと信じてたミタちゃんが!

それと「気にしてる“身体的特徴”も書かれた」という。つまり「太った」とか「デブ」とかだろう。

はたしてミタちゃんが本当は何をどう書き込んだのかはもはや永遠の謎だ。いずれにせよ憤怒中の辻は「太った」のをバカにされたと読み取った。どうもミタちゃんという子は、悪気なく軽快かつキツめのツッコミをするキャラだったようだ。交換日記でも辻のイラストにぽんぽんツッコミを入れていたが、けっこうキツめなときもあった。たとえば辻の描いた浴衣の女子を「厚化粧ね」。厚化粧ではなく辻の画力のなさゆえにゴテゴテになってたんだが…。こんなとき辻は媚びめな返事をしている。辻なりに頑張って迎合してたのだろう。

辻は怒りにまかせて、ぶりっこ書込みを削除した。(2人はHP開設のときにIDとパスワードを交換していた)するとミタちゃんが再び同じことを書き込んだ。

「ぶりっこ」

親しくまだ幼い2人だからこそ…

イラク派兵。現地でテロ。4月に日本人人質事件。世論は「自己責任」と人質を論じた。佐世保の米軍も自衛隊も、アルカイダの自爆テロを警戒してずっとピリピリしていた。基地のピリピリは町の気分にも伝染していたかもしれない。大人の過半数が基地関連で働いてるんだから。町のピリピリは小学校にいる子どもたちにまで伝わっていたかもしれない。

ミタちゃんは「NEXT」騒動のときは謝ってことをおさめたものの、「絵文字じゃないし、パクりじゃないんじゃ」ともプチ反論している。

すすんで争いはしないが、筋が通らなければ言うことは言う性格だ。でもまあ基本的に気がいい子だし、とくに4月の2人は蜜月状態だったから、多少のカチンっくらい我慢もした。

でもGWが明けて5月になってから、NEXT一件はじめカチンっがいくつか続いた。その我慢が、木曜日の「失礼じゃないっ」でキレた。辻もキレたが、ミタちゃんもキレた。

自己チューもいい加減にしなよ!!

ミタちゃんだって「親の都合で家事を手伝うため」に好きなミニバスケを辞めた。退部をなかなか切り出せなくて、お父さんと一緒に言いに行ったけどそれでもどうしても言えなくて、しかたなくお父さんが代わりに電話して告げた。辻だけが悲劇のヒロインではない。だから真っ向から受けて立ってしまった。前々から内心思ってたけど心におさめていた言葉「ぶりっこ」を。

ちょっとだけ言いすぎたかもしれない。でもそれを消された。信頼してネバダに渡してたパスワードで。

彼女らは、親しすぎるほど顔見知りで、なのに子どもだからフレームの向こうの生きている相手を慮って伝えかたをセーブする余裕も経験もなかった。小学校ではIT教育が始まっていたが、PCやネットの操作テクは教えても、自己防衛やネットマナーは教えない。

ネットに油断なく目を走らせていたネバダは、また「ぶりっこ」書込みが復活しているのに気づいた。

「ぶっ殺してやるっ。この世からいなくなってしまえ!」

バイオレンスが満ち満ちていた

辻は28日、復活した「ぶりっこ」コメントで「殺そうと決めた」。そしてカッター、アイスピック、首絞め、と3通りの殺し方のどれがいいか検討。

きっかけの「重いー」から1日しか経ってない。辻はミニバスケをやめさせられてからも黒い自分を家庭では見せていない。辻はよくも悪くも「いい子」に育った。小さな頃から「泣かないしおんぶもだっこもせがまない、育てやすい」子だった。仲が悪かったわけじゃない。父親は病に倒れたとき、「この子がいたから立ち直ることができた」という。親は辻をよき娘と信じて、期待をかけていた。親の意にそむくなんて思いつきもしなかった。

だから抵抗せずにバスケを辞めた。その代わりに自分が自分でいられる場所を友だちとネットと交換日記に求めた。そして深く深くハマり込んだ。中でもネットは山の上で「暇暇暇暇」な11歳の女の子なら余計に。

ネットをうろつくうちホラーやバイオレンスにひき寄せられた。気がすさんで猛っていると、ゆるい癒し系なんかよりも死や暴力の毒素の方が心地よかったりする。リアルでは教室も相変わらず無秩序で騒々しくてささくれて暴力的な雰囲気であった。

消し飛んだストッパー

殺意を覚えることは誰だってある。中には具体的な殺し方まで考えて暗い笑み、ってとこまでいく人もいるだろう。ただ、ほとんどの人はそこから先へは行かない。別のことで気を紛らして忘れる。でも少なくとも5月28日の辻には何もなかった。一番必要な瞬間に。

好きなバスケは奪われた。次に好きなネットで興味があるのは暴力やホラーだ。ネ友にも苦悩をほぐしてくれる子はいなかった。

そしてリア友は…だめだ。一番の友だちが急に最大の敵になってしまった。

元仲良し3人組のうちWKちゃんはまだ敵には回っていないようで、事件後もなお辻を気づかって嘆くような子だったが、残念ながら辻VSミタの緩衝剤にはなれなかった。

ネバダは「ミタちゃんとはわりと仲良しだったが、もっと仲のいい子が他にいた」と取り調べで話している。

ミタちゃんを“わりと”扱いしたのは辻の意地だと思うが、“もっと仲のいい”のはWKちゃんのことだろう。

自分で自分を追い詰めて視野狭窄な辻にはミタちゃんこそラスボスだった。少なくともそう見えた。いくら追い詰められても辻は家族には決して暴発しなかったし、ひと言も一連のトラブルを明かさなかった。不登校という逃げ道すら選べず、精神ギリギリ状態で

毎日学校にだけは行った。そしてさらに思い詰めて自ら崖っぷちへと近づいた。

「ひとりで悩んでひとりで決めた」。

2人の性格、身体的変化、無秩序なクラス、友だち関係、サインを見逃す担任、ネット、交換日記、ホラーとバイオレンス趣味、ミニバスケの退部、家族関係、ケンカ、日にちの巡り合わせ──どれも即原因になるほどではなかった。

憎悪のスパイラル

5月29日、土曜日──。学校は休み。

ミタちゃんは自分のHPに書いた。

「最近正直に言えないことが多い。前の方が良かった気がする」

そして「嫌いなタイプの人間」は、

しつこい、自己中心的、孤独をアピールする、中でも、「失礼じゃない」と言う高慢な人が一番嫌い。

辻は「『書くのはやめて』と何度も言ったのにやめてくれなかった」と警察に話したが、やがてそれは口で言ったのではなく、掲示板に書いたにすぎないと分かった。激昂した辻の「やめて」は激烈な書込み→それも「何度も」→対するミタちゃんの反応(反撃?)→敵意の応酬→以下無限。

「やっぱりカッターナイフにしよう」

たった4か月前まで、バスケで気持ちいい汗を流して、好きな詩を書いて、友だちも一緒で楽しくて笑って、とても幸せだった。

「マア大体ダレがやってるかワわかるケド」

5月30日、日曜日──。

運動会。少し雨になったが決行し、予定を繰り上げて早めに終わった。この曜日の巡り合わせも絶妙に不幸だった。

連日顔を合わせてれば、多少頭が冷えるなり大爆発して目立つゲンカになるなりして怒りを昇華できたかもしれない。さすがに周りの大人も異変に気づいたかもしれなかった。

1日おきに会って罵り合い、翌日じゅうネットで疑心暗鬼と憎悪をふつふつつのらせ、翌日その憎しみのまま争い──のくり返しになってしまった。

運動会で2人一緒に写った写真は1枚もない。さらにこの日、何人かの同級生が、辻とミタちゃんの激しい言い争いを目撃。辻は「てめえ、ふざけんな!」と今まで最高に激しい罵詈雑言を叫んでいた。ミタちゃんはその場で「絶交」を言い渡した。

帰宅した辻は、ミタちゃんのパスワードを使ってログイン、ミタちゃんのHPを根こそぎぶっ壊した。日記も消去、アバターも初期化。ミタちゃんのHPは廃墟となった。帰宅後、これに気づいたミタちゃんによる日記への書込み。マスコミでもさんざん紹介された。

チッマタカヨ。

なんでアバターが無くなったりHPがもとにもどっちゃってるケド、ドーセアノ人がやっているんだろぅ。フフ。

アノ人もこりないねぇ。

(゜∀゜)ケケケ

荒らしにアッタんダ。マァ大体ダレがやってるかヮわかるケド。

心当たりがあるならでてくればイイし。

ほっとけばいいや。ネ。

ミンナもこういう荒らしについて意見チョーダイv

じゃまた今度更新しようカナ。

一方、辻はこの日、HPの日記で、「今日運動会だったんだけど、ギャグ漫画並みにずるっと」コケたことだけを軽いノリで書いた。ミタちゃんとのいさかいなんてないかのように。

少女たちは計画を練る

5月31日、月曜日──。運動会の代休で学校は休み。

この日、辻はミタちゃんの廃墟化したHPにアクセスした。辻のアバターの足あとメッセージがHPに残っている。

来タ――(ォ∀`)!!アンケチュウ♥

辻は自分が破壊したHPの様子を窺いにきた。そこに残されたミタちゃんの挑発をこのとき初めて見た。

未来?に書かれた最後の日記「うぜークラス」

辻最後のネット日記。日付は、2011年12月26日。なぜか未来。「うぜークラス」はたぶん初めて、学校でのネバダと同じ毒々しさ全開で炸裂していた。

うぜークラス
つーか私のいるクラスうざったてー。
エロい事考えてご飯に鼻血垂らすわ、
下品な愚民や
失礼でマナーを守っていない奴や
喧嘩売ってきて買ったら「ごめん」とか言って謝るヘタレや
高慢でジコマンなデブスや
カマトト女しったか男、
ごく一部は良いコなんだけど大半が汚れすぎ。
寝言言ってんのか?って感じ。
顔洗えよ。
不快でも苦情は出さないでクダサイ。

なぜ未来日記になったのか。理由はカフェスタの日記の日付設定機能にあった。2011年までしか進められなかったのだ。

リミットいっぱいの未来2011年12月に設定しておけば、新しく日記を書いても常にこの「うぜークラス」が最新扱いで、ずっとトップに表示され続ける。辻はそれを狙っていたらしい。

夜9時──。ネバダはテレビで2時間ドラマを見た。水野真紀主演の「ホステス探偵 危機一発」シリーズだった。

このドラマの殺人シーンで使われた凶器はよりによってカッターナイフ。カッターで切りつけるシーンが8回も出てきた。

ネバダはドラマを見終わって決めた。

「やろう」

おまえを殺しても殺したりない

6月1日、火曜日──。

ミタちゃん一家は新聞社支局の上にある社宅で暮らしていた。支局長の父親は朝の洗濯で忙しい。やもめ暮らしで仕事に追われ、娘との時間をなかなか持てずにいた。いけないと思いながらもつい冷たく接してしまうことも増えていた。たとえば今朝もそう。学校

に行こうと走りすぎるミタちゃんに、体操服は要らないのか、と洗濯物から顔も上げず訊いた。

「いらなーい」

「忘れ物ないな」

「なーい」

元気な返事、毎朝のありふれた会話、目に入ったのは娘の手にしていた給食当番の服を入れた白い袋だけ。娘の顔も見ず、走っていく背中すら見送らなかった。それが親子の最後の会話になった。

1時限目──。

運動会の後片付けだった。みんなでテントを片付けた。指図に忙しかった担任(男)は2人の様子を覚えていない。

2時限目──。

ミタちゃんが交換日記友にメモを回した。

「もう疲れた。勉強で大変になるし、日記の一部をやめようと思ってる」。

メモは辻の手には回されなかった。でもすぐ耳に入った。辻は素っ気なく言った。

「なんなら全部やめれば」。

ミタちゃんが「交換日記から外れてほしい」と辻に告げているのも、同級生たちは耳にしている。ミタちゃんはネットだけでなくリアルでも辻を切り離しにかかっていた。交換日記友はみんなミタちゃんに付く。辻はネットだけでなく交換日記も失う。

ミタちゃんは辻とケンカをした。怒っていた。なかなか激しい追い込み。でも殺されるような非があったわけじゃない。この時点ではいじめっ子でもなかった。でも辻にとっては失うのは全世界だった。

4時限目──。卒業文集の作文テーマをそれぞれ原稿2枚に書くことになった。担任(男)は何を書くか簡単に発表させた。

ミタちゃんの発表したテーマは「人の心理」。同級生は「なんか変わった内容」と感じた。なぜか辻も同じ。「人がこういう時、どういう気持ちになるのか?どういう表情をするのか調べるとおもしろい」と答えた。

でものちに辻のランドセルから例の「バトロワ外伝」を書いたノートと一緒に見つかった2枚の作文の中身は、なぜか人が死にまくるホラーだった。そこにネバダは好きな韓国ホラー「ボイス」のセリフを書いていた。

「おまえを殺しても殺したりない」。

4時限目が終わって、

昼12時15分──。給食の用意が始まった。辻はミタちゃんに声をかけた。

「ちょっといいかな。話があるんだ」

血の学習ルーム

ミタちゃんは辻に誘われるまま、素直に学習ルームへとついていった。ケンカしてる最中だから、口論や、ひょっとしたらつかみ合いくらいはあると思っていたかもしれないが。まさか殺意まで持たれているとは思いもしなかっただろう。

辻はカーテンを閉めた。ミタちゃんも一緒に閉めたという説もある。そうして辻はミタちゃんを椅子に座らせた。向き合ってまた言い合いがあったのか、無言のまま背後へと回って、おもむろに「左手で目隠しをした」のかはっきりしない。

「あーあ、やっちゃった」

その瞬間、そう思ったという。ミタちゃんはほとんど即死だった。でも家庭用カッターでは思うようにいかず何度も切った。防ごうとした手も切り裂いた。ミタちゃんは入口近くでうつぶせに倒れた。

「──死んだのかな」

足や手で突ついた。それから15分も見つめていた。辻は校内に入った不審者のしわざに見せかけようと計画したのか、教室に戻ってアリバイ工作か第一発見者のふりをするつもりだったようだ。

しかし決行後のことは考えてなかった。どんな計画だったにせよ、始まった瞬間に空中分解していた。15分も現場にいたから2人ともいないのはもうバレてる。だぶだぶのズボンの裾は血でぐっしょり。手には血だらけの自分のカッターナイフ。刃先なんて折れてど

こへいったか分かんない。実は返り血も浴びていた。それでも辻はタオルで手の血だけ拭くと、ふらふらと50m向こうの6年教室へと戻っていった。

廊下にずるずる血の筋を残して。

大人たちは惑い……

事件後、学校の動きは迷走した。若くして昇進した立派なキャリアの女性校長は、「給食をもう注文してあるのでキャンセルできない」といって事件翌日も休校にせず、現場の近くで普段どおり給食を食べさせた。給食を食べられない子どもたちが続出した。

被害少女の机には花が飾られたが、辻の机は急いで運び出された。習字も絵もはがされた。

「早く忘れましょう」

これが学校の姿勢だった。この校長は保護者から子どもたちへの説明を求められると、

「テレビでやっているのでそれを見て皆さんから子どもに説明してください」

と答えてひんしゅくを買った。

そのあとも校長は舌禍をくり返した。市教委の聴取結果と子どもの言い分が食い違っているのを保護者から指摘されて、「子どもはウソをつくから」的に言い放って、問題になると「ウソをつくとは言っていない」と釈明し──。別の子どもの発達障害について保

護者に「不適切発言」をしてあとで釈明し──。

「マスコミの取材に答えないように」とPTA会長とともに箝口令を敷こうとして、ますます保護者たちに不信を持たれ、問題になると「そんなことは言っていない」と釈明し──。

「いずれにせよ事件は防げなかった」と監督責任こそ免れたものの、翌年3月には校長職から外されて現場ではない部署に異動になった。県教委は「行政上の必要から」と発表した。

第一発見者となった担任(男)は“ショックで教壇に立てない”ために入院。さらに長い長い自宅待機に。「責任逃がれ入院」「担任隠し」と叩かれた。

のち県教委と市教委は、関係者への聴取を重ねて調査報告をまとめたが、保護者は「分からないことばかり」と第三者による調査を要求した。県教委と市教委はそれを拒否した。

当日現場にかけつけた救急隊員も「惨事トラウマ」になった。さらに「法的に仮死状態」である御手洗怜美ちゃんを病院に運ばなかったことが規定違反と咎められた。警察もまた、事件直後の子どもたちを5時間も学校にとどめて、親にも会わせず聴取したあげく、現場に立ち会わせ、さらに指紋までとっていたのが発覚した。

子どもの一人は「犯人みたいだった」と洩らした。まさか自分が取材される側になるとは思いもしなかった御手洗怜美の父は、悲しみをこらえつつ取材陣の前に立った。「自分の立場だったらやはり取材を申し込むと思う」1週間後、父親は亡き娘を偲んで「さっちゃん、ごめんな」と語りかける手記を公表した。

のち父親は、辻の更生や現状について遺族に充分な報告がないことに何度も不満を表明した。多くの子どもたちが長い年月、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんだ。事件の起きた3階まで上がれなくなった。教室で給食を食べられなくなった。何人かはとつぜん花笠音頭を踊り出す発作を起こした。花笠音頭は事件2日前の運動会で6年生が踊った演し物だった。ある同級生女子は自分がなにげなく描いた絵を見て息を呑んだ。それは血まみれのカッターナイフとタオルを手にたたずむ“あの子”の姿だった。

子どもたちは立ちすくみ……

事件の1週間前に少女をからかって、カッターナイフを振り上げられた同級生男子がいた。市教委の報告書にその一件が「予兆」と記載され、さらに校長が「男子から報告がなかったのは残念」的に口にした。その男子は「自分のせいだ」と悩んでPTSDになった。

2010年3月──。この件について九州弁護士会連合会が、市教委と元校長に問題があったと勧告した。

辻の属していたミニバスケ部の関係者は、「あの子はとくに上手くなかった。退部した後、一度だけ試合に呼ばれて、自分は必要なんだと思ったかもしれない。でもクラブとして評価は高くなかった。それで蔑ろにされたと思ったんじゃないの」と、したりげにマスコミに話した。

その年、児童雑誌が全国の小6に行ったアンケート。

「どうして口げんかだけじゃなかったの?殺すより、けんかして嫌いになったほうがましだと思うけど」

「ぶんなぐる、ひっぱたく、くらいになぜしなかったの?」

「すごく、ふたりともかわいそうだと思った」

「一学年一クラスなのに担任は何してたん」

「親に彫刻刀を没収された」

子どもたちはショックを受けていた。そして大人たちなんかよりよほど真摯に冷静な目で“自分たちの問題”として事件をとらえようとしていた。過半数の子が「友だちとは事件の話はしなかった」と答えた。

2004年秋──。

元同級生の男子が、被害少女を悼み、「なぜ」と揺れ動く心を書いた詩「トケイソウ」が、伊藤静雄賞の佳作に入選した。

「親にどうしろというの?」

辻は聴取にも淡々と感情を乱すことはなかったが、両親が面会したときだけは動揺し、目をそらして黙った。「どう反応していいのか分からない」という様子だった。

姉からの手紙に「戻ってきて」と書いてあるのを知って、少しだけほほ笑んだ。「5年生のときに合宿から帰ったら『もうちょっと泊っておけばいいのに』と言われてがっかりしたから」。

辻はだんだんと自分がしたことの結果を理解していった。被害少女の父親の手記や、両親が遺族に送った手紙の内容を読み聞かされ、ぽろぽろ泣いた。「悪いことをした」「どう謝ればいいんだろう」

あまりにも皮肉ながら、辻はやっと家族の絆を手に入れることになった。辻の精神鑑定には3か月もかかった。

それを受けた家裁の審判──。

「怒りの感情を適切に処理できない」が「精神病性の障害はない」。「広汎性発達障害の可能性はあるが基準を満たすまでの顕著な症状はなく」

鑑定結果には専門家からも異論が相次いだ。正直どのような見方だってできた。大人のつくり出した理屈は「異常な事件を起こした普通の子」にはまったく無力だった。鑑定書を何度も読んだ被害者の父も「なぜ」が分からないと嘆いた。「鑑定や調査の限界なんだろうか」「普通の子が怒りの末に人の命を奪うという一線を越えた行動が理解できないでいる」

家裁はまた、両親の子育て責任も厳しく“断罪”した。

娘が2歳のときに父親が病気になり、母親が家計を支えなければならなかった事情があるとしても、娘に情緒的な働きかけをしてやらなかったこと、大人しく手のかからない子として娘の問題性を見過ごしてきたこと──、報道でそれを聞いて同級生の親たちはため息をついた。

「自分が少女の親の立場でも気づかなかった」

「家計のためにパートに行くことだってある。親にどうしろというの?」

普通の子に見えても危ないと? 仲良しの友だちと殺し合いになるから一瞬も目を離すなと?被害少女の父でさえ、「そのような家庭は珍しくない。自分もドキッとした」少なくとも彼女は殺人淫楽症でも、破壊的な性衝動の持ち主でもない。それなのに事件は起きた。「異形の怪物」として封印しておしまいにはできない。退廷するジャージ姿の少女に、家族が「頑張って」と声をかけた。辻は無言でうなずいた。

家裁の決定によって──、少女は日本でただひとつ行動制限のできる女子用の自立支援施設「国立きぬ川学院」へと移された。

そこで彼女は発達障害の一種「アスペルガー症候群」と診断された。それを知った人々はよく判らないまま「やっぱり」と安堵した。やっぱり普通の子じゃなかったんだ。と。

その後の“あの子”。そして──

2005年3月──。

きぬ川学院内でたった一人の卒業式が行われた。辻は「ありがとうございます」と小学校の卒業証書を受け取った。肩ほどだった髪も胸まで伸びていた。心理療法を受ける日々が続き、図書室で借りてきた「走れメロス」を読んで「友情の大切さを感じた」と話し、事件についても「反省」を口にするようになった。

入所半年経って、寮長と副寮長を親代わりとして寮で生活し始めていたが、2006年、家裁が「まだ集団生活は危ない」と待ったをかけた。くわえて部屋にカギをかける強制措置可能期間も2年延長された。

さらに時は流れて。

辻は15歳になった。すでに学院内で同世代の少女たちと交流も始め、学院内の中学校に通っていた。

2008年3月──。辻は学院内の中学校を卒業した。

同じ年8月──。児童相談所は「更正状況」「心身の成長」から、もう行動制限は不要と決めた。被害少女の父は強制措置解除を前に会見で言った。

「彼女はやり直しができて、私の娘はできないのだと改めて感じた」

辻の両親は毎月、遺族に手紙をしたためている。その後、辻の消息は明かされていない。

2008年6月1日──。

高校生になった元同級生の約20人が母校に現われ、持ち寄った花束を亡き御手洗怜美にそっと捧げた。同じ日にあった高校総体の会場から急いで駆けつけた子もいた。

2009年6月1日──。

事件のあった小学校で5年前に起きた事件の追悼の会が開かれた。あの学習ルームは撤去されて、壁のないテラス「いこいの広場」になっている。そこに1年生と6年生が一緒にサルビアの苗を植えた。

概要

2004年(平成16年)6月1日午後0時45分ころ、長崎県佐世保市の佐世保市立大久保小学校の3階学習ルームで6年生で毎日新聞社佐世保市局長の御手洗恭二(みたらいきょうじ/当時45歳)の長女の怜美(さとみ)ちゃん(12歳)が大量の血を流して倒れているのを担任男性教諭(当時36歳)が見つけ、119番通報。

救急隊が急行したが、すでに心肺停止状態だった。その後、長崎大学医学部で司法解剖した結果、死因は首を切られたことによる失血死と判明した。服に血がついていた辻 菜摘(当時11歳)に事情を訊いたところ、カッターナイフで切りつけたことを認めた。長崎県警は辻 菜摘を補導し、夕方、児童福祉法に基づき、佐世保児童相談所に通告した。

刑罰・法令に触れる行為をした14歳未満の少年(触法少年)は刑事責任を問われないため、逮捕されることはない。警察は児童福祉法に基づき、児童相談所に通告。相談所は関係者への調査を基に訓戒、在宅指導、施設入所措置を決めるか、殺人など凶悪事件の場合は家庭裁判所へ送致する場合もある。家裁は審判開始か不開始を決め、審判では保護観察、児童自立支援施設や養護施設への送致―の保護処分を決定する。2003年(平成15年)7月1日、長崎市で中1男児(当時12歳)が幼児(4歳)を誘拐したあと、駐車場の屋上から突き落として死亡させた事件では、この手続きで児童自立支援施設への送致が決定された。

長崎県警は佐世保児童相談所から委託を受け、同日夜は辻菜摘の身柄を一時、保護した。長崎県警によると辻菜摘は反省している様子で、「すまないことをした」「ごめんなさい、ごめんなさい」と涙を見せているが、動機については話していないという。

午後8時20分すぎ、佐世保市役所で死亡した怜美ちゃんの父・御手洗恭二が記者会見で事件について語ったが、緊急に記者会見を開いた理由について御手洗は「お話しできる内容は何もないが、要請があり応じた。私が逆の立場ならお願いすると思う。簡単にでも答えなければならないと思った」と報道人としての義務感からだったことを明かした。

佐世保市立大久保小学校は市の中心部に近い高台に位置し、児童数は187人で1学年1クラスの小規模小学校である。

被害者と辻菜摘の2人の女児はクラスでもかなりの仲良しと見られていた。2人は大久保小学校の5年生の4月、ミニバスケットボール部に入部。他に2、3人を入れて4、5人で交換日記をつけたり、事件の2ヶ月ほど前から辻菜摘が主導する形でそれぞれがホームページを立ち上げ、お互いに書き込みやチャットをして遊んでいた。辻菜摘の殺意はささいなことが原因だった。

5月下旬ころ、学校で遊びで怜美ちゃんが辻菜摘をおんぶしたとき、怜美ちゃんが辻菜摘に対し「重い」と言ったが、そのことで辻菜摘が腹を立て、怜美ちゃんに「失礼しちゃう」と文句を言った。そこで怜美ちゃんは自分のホームページの掲示板に<言い方がぶりっ子だ>と書いて、からかった。

辻菜摘はその書き込みを怜美ちゃんの掲示板のパスワードを使ってその記述をいったん削除したが、事件の4日前の5月28日に再び同様の書き込みを見つけたことで「この世からいなくなってしまえ」と怜美ちゃんに対し殺意を抱いた。怜美ちゃんは自分のホームページの掲示板が勝手に書き換えられたことについて<荒らしにアッタンダ。マァ大体ダレがやってるかワかるケド>と書くと、辻菜摘は今度は怜美ちゃんの「アバター」というネット上のキャラクター人形も消去した。さらに、辻菜摘は怜美ちゃんに対し、交換日記での自分のオリジナルな書き方をマネしないでほしいと言った。

掲示板はその管理者しか書き込みを削除できない仕組みになっているが、辻菜摘が何らかの方法で怜美ちゃんの掲示板のパスワードを入手したとみられている。辻菜摘が事件直前(正確な日時は不明)にホームページ上に書いた日記。なぜか日付が未来になっている。(句読点や行間、半角文字「クラス」「ヘタレ」など原文のまま/「うざったてー」は「うざってー」の誤り?、、、「うざったい」とゴッチャになった?)

うぜークラス

つーか私のいるクラスうざったてー。

エロい事考えてご飯に鼻血垂らすわ、

下品な愚民や

失礼でマナーを守っていない奴や

喧嘩売ってきて買ったら「ごめん」とか言って謝るヘタレや

高慢でジコマンなデブスや

カマトト女しったか男、 ごく一部は良いコなんだけど大半は汚れすぎ。

寝言言ってんのか?って感じ。


事件の2日前、辻菜摘は殺害方法を考えていた。手かヒモで首を絞めるか、アイスピックで刺すか、カッターナイフで切るかだった。結局、最後の方法を選んだ。また、事件の前日の5月31日TBS系列で放送された『月曜ミステリー劇場-ホステス探偵危機一髪』のドラマの中で犯人がカッターナイフを振って被害者を襲うシーンが出てくるが、辻菜摘はこのシーンを観て殺害しようと思ったとも供述している。事件に使ったカッターナイフは普段から筆箱などに入れており、怜美ちゃんを連れ出す際は服のポケットに隠し持っていたと証言。事件前に特に購入したものではないという。

事件当日の6月1日、給食の準備が始まったころ、辻菜摘は怜美ちゃんを同じ3階にある学習ルームに連れ出した。中に入るとカーテンを閉め、怜美ちゃんをイスに座らせると、後ろから手で目隠しをするようにして一気に右頚動脈をカッターナイフで切った。鮮血が飛び散り、怜美ちゃんはその場に倒れ、大量の血を流し、次第に動かなくなっていった。加害女児はその様子を約15分間、じっと見ていた。さらに、足で体をつつき、動かなくなったのを確認した。

午後0時40分ころ、辻菜摘はカッターナイフとハンカチを持ち、返り血を浴びたまま教室に戻ってきた。教室にいた6年生の担任は加害女児を見て、「怜美ちゃんはどこにいるの?」と訊くと加害女児は「私の血じゃない、私じゃない」と言って、学習ルームを指差した。その後、担任が学習ルームに行ってみると怜美ちゃんが横たわっていた。

6月2日午前、捜査員が佐世保市内の辻菜摘の自宅を訪れ、保護者から事情を聴くなどした。通告を受けた佐世保児童相談所は、辻菜摘の処遇を決める会議を開催。佐世保署内で相談所職員が辻菜摘や家族らと行った面談内容を確認した。そのうえで同日午後、辻菜摘を長崎家裁佐世保支部に送致した。

長崎家裁佐世保支部は加害女児と面談し、性格や生活環境などを調査。辻菜摘の更生方法を探るため、少年鑑別所に収容する「観護措置」(最長4週間)を取り、家庭環境や心理状態などを詳しく調べたうえで少年審判を開始するかどうかを判断する。

6月3日、長崎少年鑑別所で辻菜摘が付添人の弁護士に面会したが、そのとき次のようなことを言っている。

「何でやったのかな。よく考えて行動すればこんなことにはならなかった。御手洗さんに会って、謝りたい」

辻菜摘は人の命を奪ったことを理解していなかった・・・?

同日午後、長崎家裁佐世保支部は辻菜摘の2週間の観護措置を決定した。辻菜摘は父母、高校生の姉、祖母と暮していた。父親は会社員だったが、辻菜摘が2歳になる直前に脳梗塞で倒れ、しばらくは寝たきりの状態が続いていた。その後はリハビリでかなり回復したが、その間は母親がパートの仕事をして生計を支えていた。辻菜摘は5年生の1学期のとき、ミニバスケットボール部に入部し、楽しく練習していたが、学校の成績が下がり始め、3学期に父親によって強制的に退部させられた。辻菜摘にとっては退部させられたことがショックだったようで、その後、少し太ったのを怜美ちゃんから「重い」とからかわれたことも気にしていた。時期は不明だが、怜美ちゃんも退部している。

辻菜摘はR15指定の『バトル・ロワイヤル』(監督・深作欣二)のDVDを姉の会員カードを使ってレンタルビデオショップから借りて何度も観ていた。

怜美ちゃん殺害のあと、辻菜摘のランドセルの中からノートに書かれた「小説」が見つかった。

その「小説」には6年生のクラスと同じ人数の38人の男女中学生が一人ひとり武器を持って登場し、お互い殺し合っていくサバイバル合戦が描かれていた。怜美ちゃんと同じ苗字の「御手洗遥香(はるか)」という女の子も小説中で惨殺されている。『バトル・ロワイヤル』をマネたようなストーリー展開になっていた。

長崎家裁での経緯

6月14日、長崎家裁佐世保支部(小松平内[へいない]裁判長)は第1回審判を家裁ではなく収容先の長崎少年鑑別所で開いた。審判の進行は小松裁判長と女性裁判官2人の計3人による合議制により行われた。少年法の改正によって少年審判でも合議制での審理は可能となったが、過去の例からも今回の合議制はきわめて異例のことだった。もうひとつの異例は裁判長が担当調査官をすべて女性にするよう関係者に指示していたことだった。ここで辻菜摘の精神鑑定実施を決定した。

精神鑑定とは一般的に責任能力があるかどうかを調べるために行われるが、今回の事件の加害女児は14歳未満であり、基本的に責任能力がない。ということで、辻菜摘への精神鑑定は「情状鑑定」と似たようなものになっている。情状鑑定とは被告に心神喪失や心神耗弱などの責任能力について疑う事情はないが、どうしてこのような犯行に及んだのか動機がよく分からないという場合に行われる。最高裁によると、小学生の精神鑑定は過去に11歳と12歳の小学6年生の2例が確認されているだけだという。

6月15日、この日から8月14日までの61日間、長崎家裁佐世保支部は加害女児の鑑定留置することを決定した。刑事責任を問われない14歳未満の触法少年への精神鑑定はきわめて異例である。留置場所は長崎少年鑑別所から佐賀県にある独立行政法人国立病院機構・肥前精神医療センターに移された。肥前精神医療センターは、以前、国立肥前療養所という名称だったが、2000年(平成12年)5月3日に起きた西鉄バスジャック事件の、谷口誠一少年(当時17歳)が事件当日まで入院していた。

同日、長崎県教委は事件を受けて、県内の全公立小中学校約600校で校内でのインターネット活用状況調査を行い、結果を明らかにした。利用度が高いとみられる5・6年の児童が実際に授業で活用している学校の割合は、掲示板が3.7%、チャットが3.2%。ホームページの作成は28.2%だった。また、メールを送ったり、掲示板に書き込む際の情報モラルの指導は、1・2年で23%、3・4年で58%、5・6年で75%が実施していた。一般的な利用方法であるホームページの情報検索は、1・2年で12%、3・4年で94%、5・6年では97%に達した。

8月5日、長崎家裁が辻菜摘の精神鑑定留置を1ヶ月延長し、9月14日までとする決定を下した。少年事件では、1997年(平成9年)6月28日酒鬼薔薇聖斗こと東 真一郎(当時14歳)が逮捕された神戸須磨児童連続殺傷事件で60日間(延長なし)、2003年(平成15年)7月1日、長崎市で中1男児(当時12歳)が幼児(4歳)を誘拐したあと、駐車場の屋上から突き落として死亡させた事件では58日間(延長なし)など、いずれも長期にわたっている。

7月6日、佐世保市教委は、現場となった学習ルームを撤去し、テラスに改造する最終方針を固めたことを明らかにした。

7月9日、佐世保市が大久保小学校で欠席者10人を除く児童174を対象に、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断基準に基づくアンケートを実施。さらに精神科医や臨床心理士、保健師らによる面談調査の結果、67人に何らかの心の障害が残っており、うち7人(うち6年生が6人)の障害がより重いと判断した。この7人の中には「ふいに事件を思い出す」などフラッシュバックと呼ばれるPTSD特有の症状をアンケートで答えた児童もおり、一部の児童は既に専門医による診療を受けているという。7人を除く60人については「不眠など気がかりな点があり、家庭や学校での見守りが必要」と判断。60人の学年別の内訳も、6年生が20人と最も多く、事件現場に最も近い3年生が18人で2番目だった。

7月15日、佐世保市教委が記者会見し、自宅療養中の担任教諭が、加害女児について「友だちと一緒のときは明るいが、一人のときは暗い表情を見せ、二面性があるのを感じていた」などと話していることを明らかにした。

8月2日、長崎県教委の調査で加害女児が犯行直前の授業で書いた作文に <お前を殺しても殺したりない> などと記述していたことが分かった。韓国のホラー映画『ボイス』(監督・アン・ビョンギ)に同じセリフがあるという(他にもこのようなセリフがある作品はいっぱいありそうだが、、、)。

9月6日、中断していた少年審判が再開された。鑑定人が長崎家裁佐世保支部に鑑定書を提出した。

9月14日、精神鑑定の結果、人間関係を築く能力などに遅れがある広汎性発達障害の可能性が指摘されたが、診断基準を満たすまでの顕著な症状がなく、特定の精神疾患などの確定診断には至らなかったことが分かった。

9月15日、長崎家裁佐世保支部は「審判決定要旨」を発表。「コミュニケーション能力の低さや共感性の乏しさ」を指摘し、2年間の児童自立支援施設への送致を決定した。

児童自立支援施設・・・法務省管轄で矯正教育が目的の少年院とは違い、児童福祉法上の支援をするために各都道府県に設置が義務付けられている厚生労働省管轄の福祉施設。不良行為をしたり、家庭環境などに問題がある少年を入所させる。また、少年を保護者のもとから通わせて、職員が生活を共にし、生活・学習の指導などを行うケースもある。国立、民間も含め全国に58施設(各都道府県に最低一ヶ所設置されている)ある。感化院→ 少年教護院 → 教護院 → 児童自立支援施設と名称が変わってきた。

長崎市で中1男児(当時12歳)が幼稚園児(4歳)を誘拐したあと、駐車場の屋上から突き落として死亡させた事件<2003年(平成15年)7月1日>の加害男児には、2003年(平成15年)9月29日、長崎家裁が1年間を限度とする児童自立支援施設への強制的措置が決定している。 

社会復帰へ

辻は栃木県氏家町(現・さくら市)にある「国立きぬ川学院」の特別室に収容されることになった。きぬ川学院は全国に58ある児童自立支援施設の中でも、女子専用としては唯一、強制的に行動の自由を制限できる施設である。定員100名で、集団生活をする寮以外に、外からカギがかかる個室があるのが特徴。精神科医や専門員が常駐しており、個別指導を通して、人間関係や社会性を身につけるよう支援する。

2006年(平成18年)6月30日、佐世保児童相談所は辻について長崎家裁佐世保支部に対し、2006年(平成18年)9月15日から向こう2年の間に通算で最長90日間、行動の自由を制限できる強制措置の延長を申請した。辻は既に個別処遇から集団生活に移行。院内にある公立中の分校に通い、日常生活や行事を通じて対人関係を築く訓練を積み、定期的に専門家のカウンセリングを受けていた。

9月7日、長崎家裁佐世保支部(森大輔裁判官)は児童自立支援施設に入所している辻について少年審判を開き、施設内での行動を制限できる強制的措置の延長を決定した。9月15日以降の2年間で通算50日間、強制的措置を取ることが出来るとしており、同措置が異例の長期に及ぶことになった。

2008年(平成20年)5月28日、県佐世保こども・女性・障害者支援センター(児童相談所)が、児童自立支援施設「国立きぬ川学院」に入所する辻(当時15歳)について「強制措置」の処遇を延長しない方針を固めたことが分かった。

辻の更生状況や心身の成長から、行動の自由を制限できる措置は不要と判断したとみられる。強制措置が解除されても同学院に残れるが、別の施設に移るなどの処遇も可能になる。関係者によると、辻は施設で暴れたり自傷行為をすることもなく、鍵のかかる個室に入れるなどの強制措置はほとんどなかったとみられる。辻はスタッフや同年代の少女と集団生活を送り、人間関係を築く取り組みをしていた。精神科医などから定期的にカウンセリングも受け、同年春、学院内の中学を卒業した。