風俗嬢
風俗嬢(ふうぞくじょう)とは、風俗店に勤務し性的サービスを提供する女性従業員の俗称。ニューハーフも含める場合がある。
概説
業態別にソープランドなどでは「ソープ嬢」「泡姫」、ファッションヘルス、デリバリーヘルスなどでは「ヘルス嬢」「デリヘル嬢」、SM業界においては 「SM嬢」などと呼ばれる。単にコンパニオンやキャストなどと呼ばれることもある。
求人広告や店内の掲示物などでは用いられない呼称であり、女子従業員は「コンパニオン」「社交」などと表記される。逆に風俗情報誌など客の立場からは「姫」(ソープランド嬢の場合「泡姫」)とも呼ばれる。
かつて娼婦・遊女などと呼ばれてきた職業としての売春婦は現代日本では法的に禁止されている存在であり、サービスとして膣性交を行わない風俗嬢も多く、風俗嬢イコール売春婦とはいえない。
風俗嬢から AV女優になったり、逆にAV女優から風俗嬢に転身したりといった業種間交流が盛んである(兼務の場合もある)。風俗嬢にとっては、アダルトビデオ出演は良い宣伝になる。
ただし、性風俗産業に従事していることは社会規範に照らすと好ましく思われないことも多く、彼氏や知人や家族などに知られること(いわゆる「顔バレ」「親バレ」など)を避けるために、雑誌や店のウェブサイトに詳しいプロフィールを載せない、顔を載せていない(いわゆる「顔出しNG」)、上記のような積極的な宣伝行為に参加しない風俗嬢も少なくない。
最近、風俗嬢を労働者として積極的にとらえ、「風俗ユニオン」などの労働組合に組織しようとする動きもある。
風俗嬢になる動機
風俗嬢となるきっかけは、週3日の勤務で月収30万円程度になることから、収入が大きいという理由が多い。最も多い理由は「贅沢な生活をしたい」「生活費のため」という理由で、全体の60%の風俗嬢がこの理由である。ただし、その生活に慣れてしまい、ほかの職業に就こうと考えても、収入が減少することを理由に躊躇するケースもある。一般的にイメージされる「多額の借金を返済する」という理由は、実際には30%程度であるという。中には20万円から30万円程度の借金で風俗嬢になることを決めた例もある。また、恋人やホストに貢ぐためという理由が全体の9%程度あるという。
このほか、SMクラブでは「趣味を楽しんだ上にお金が稼げる」という理由や、「自分の価値を試したい」という理由がきっかけという風俗嬢もいる。
ただし、これらの理由について客から質問をされることは、「上から目線で好奇の目で見られていると感じる」という理由から、風俗嬢にとっては好ましくない質問のトップでもあるという。
感情労働者としての風俗嬢
風俗嬢の仕事は肉体労働であると同時に、感情労働の要素も強い。感情労働とは社会学者のホックシールド(Arlie Russell Hochschild)が提唱した労働のあり方で、相手に感謝や安心の気持ちを引き起こすために、「公的に観察可能な表情や身体的表現をつくるために行う感情の管理」と定義される。
風俗嬢やホステスのような「ヒューマン・サービス」では、客を満足させるために相槌や笑顔といった感情表現を示すことが求められる。しかし、サービスを提供する側も人間であるため、不快に思うこともあれば、マナーの悪い客に悔しい思いをしたり、落ち込んだりすることもある。そうした感情の自然な揺れを抑え、いかに自然な「笑顔」や「思いやり」で客に対して接することができるか、という点が感情を使って労働している状態ということになる。このような労働は、高度になればなるほど、本当の自分の感情を偽り、演技することを要求する。
歴史
1946年 GHQの指導により遊女が禁止。戦前までは、遊女の項目を参照。 1947年~1958年遊女が禁止された後、ダンサーやパンパンが出現し、公然と売春行為が問題化、赤線地域の治安悪化が大きく社会問題として扱われ、多く新聞やラジオ等のメディアが多く扱うようになる。 1958年~1965年 売春防止法が成立。多くの娼館が料亭、カフェーへと姿を変え、隠れて売春する若い女性が出現し、問題化。公安委員会が一斉捜査を行い、20代から30代の女性(36000人)、未成年の少女(14~19歳)を保護。婦人補導院、女子少年院、感化院に送致。ピンクサロンも出現し、多様化する。 1966年~1977年 トルコ風呂(現在のソープランド)、ノーパン喫茶が京都に出現し、ブームになる。 1978年~1989年 ダイヤルQ2、テレクラが出現し、ブームになったものの問題が起きやすくなる。新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件が発生。 1990年~2001年 出会い系サイト、援助交際が出現、発生し、問題化。家出少女が多く発生するようになる。 2002年~現在(2011年) 出会い喫茶が出現する。未成年の少女の利用が問題化する。