西尾市女子高生ストーカー殺人事件
西尾市女子高生ストーカー殺人事件とは、1999年に愛知県西尾市で発生した、ストーカー鈴村泰史(当時17歳)による、県立西尾東高校2年 永谷英恵さん(享年16歳)殺害事件である。
目次
女子高生ストーカー殺人犯・鈴村泰史
鈴村泰史の中学当時の住所は、愛知県西尾市中原町半谷20 B-2-7
団地の中の一室であった。
事件概要
1999年8月9日午前8時半ごろ、愛知県西尾市志籠谷町の国道23号バイパスの側道で、同県立西尾東高校二年永谷英恵さん(16)が血を流して倒れている、と近くの住民から119番通報があった。
永谷さんは胸などを刺され、同市内の病院で手当てを受けたが、間もなく出血性ショックで死亡した。愛知県警西尾署は、現場付近にいた西尾市内の顔見知りの無職鈴村泰史(17)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕し、容疑を身柄送検の際に殺人に切りかえた。
鈴村は、永谷さんに中学時代から好意を寄せており、「相手にされなかったので殺してやろうと思い、7月14日ごろ、吉良町内 のコンビニでナイフ二本を買った」と供述。永谷さんはほかの生徒と一緒に自転車で登校途中だった。
初公判(2000年5月)
愛知県西尾市で1999年8月、好意を寄せていた同県立西尾東高校二年の永谷英恵さん=当時(16)=に付きまとった上、刺殺したとして、殺人罪などに問われた元同級生の無職・鈴村泰史(18)の判決公判が5月15日、名古屋地裁岡崎支部で開かれ、安江勤裁判長は
「神戸の小学生殺人事件の犯人に尊敬の念を抱き、悪いことのできる強い自分になるため、落ち度のない被害者を恨み、殺害した責任は重い」
と述べ、求刑通り懲役5年以上10年以下の不定期刑を言い渡した。判決理由で安江裁判長は
「小学校時代から友人が少なかった少年は、中学3年のときに神戸の小学生殺人事件を知り、すごい悪いことをやってマスコミを騒がせた、として犯人に尊敬の念を抱いた。事件をまねて自分を『猛末期頽死』(もうまっきたいし)と呼ぶようになった」
と述べた。さらに鈴村泰史は、18歳未満であれば死刑にならず、成人よりも刑が軽くなることを知った上で殺害を計画したと述べた。ストーカー行為について
「中学1年のときに永谷さんに好意を持ったが、中学3年の際、交際を断られて以後、性的嫌がらせの手紙をげた箱に入れたり、跡をつけたり、嫌がらせの電話をしたりするようになった」
と指摘。永谷さんの友人から厳しく注意されたが
「『自分は悪いことのできる強い人間だ』と考え」
同じようなストーカー行為を繰り返したとしている。安江裁判長は
「少年には被害者、家族への思いやりの気持ちが欠けており、自己中心的で刑事責任は重い」としたが、これらの情感の乏しい人格形成には「母親に暴力を振るう父親、精神的に安定しない母親など家庭環境の影響も大きい」と述べた。
判決言い渡し後、安江裁判長は「刑を受けるに当たり、人としてどう生きるべきか考えてもらいたい」と諭した。
判決によると、鈴村泰史は1999年8月9日午前8時半ごろ、西尾市内の路上で自転車で登校する途中の永谷さんを呼び止め、胸や背中をナイフで刺し殺害。近くにいた別の女子高生にもナイフを突き付け、約20分間連れ回した。
鈴村泰史は永谷さんと同じ高校に通っていたが、1年の途中で退学した。事件当日、永谷さんの自宅近くで待ち伏せし、現場まで付け回した。
判決言い渡し後、英恵さんの父・博司さん(49)は
「少年は法廷で、本心から申し訳ないと思っている様子が感じられない。起こしたことの重大さが分かっているのか」
と語り、目に涙を浮かべた。
鈴村泰史の日記
98年3月21日(土)
- 「HN(永谷英恵さんのこと。鈴村は日記のなかでこう呼ぶ)は見る度に嫌な気になり、目障りだ。攻撃性を帯びた性欲が暴れたら、HNを殺すかも知れない」
98年3月24日(火)
- 「言葉はあまりにも重過ぎる。俺に越えてはならない一線を越えさせた。(中略)そして最後の線を越えた時には既にHNは死んでいる。(中略)それは俺の中で負のパワーヘと変わっていく。猛末期頽死は確実に成長している」
98年6月18日(木)
- 「僕は未だ犯罪の実行はしていないが心は可成り凶悪でHN傷害を目的として生きている(中略)6/28に酒鬼薔薇が逮捕される。同じ学年があそこまでやれることに感動し」
98年7月17日(金)
- 「おどろきもものき20世紀でみつびし銀行事件の事をやってた。犯人は15才の時に強盗殺人で捕まったことがある。そして少年院に入りたった1年半で出所した。強殺をやっといてたった1年とは。(中略)俺がこの先NH傷害などの犯罪を犯したら少年といえど16才以上なので懲役7年はくらうだろう。逆にいえば俺が中3の時にHNを強姦殺人したとしても3年以内に出てこれたわけだ。俺は今HNに対し殺意がある。(中略)どうせ今のように殺人欲にかられるのであれば中3のうちに殺しとけば良かった。そうすれば今頃少年院で『あと2年だなあ。あと2年でHNを殺したことが帳消しになるんだ。HNは死んで全てを奪われたのに俺はあと2年で自由の世界』などと予由(原文ママ)ぶってられたのに」
99年7月7日(水)
- 「最近は夜中にHNがジュースを買いに来るのを待って隠れてて、外に出て来たところを襲いかかって殺そうと思ってたが、攻撃せずにナイフで脅せば、生きたまま家に連れて来ることも論理的には可能ということに、気付いた」
99年7月14日(水)
- 「朝HN家の近くで待ち伏せしてHNが出てきたら殺すというのもいいと思った。(中略)名付けて『朝殺す案』」
99年7月17日(土)
- 「HNは教の朝は殺さず、何時に出て来るか見るだけにしようと思った。そして土日の夜待ち伏せし、それで駄目だったら月曜日に殺す」
99年7月27日(火)
- 「今日はHNを殺せるかもしれない」
99年8月2日(月)
- 「8/9の出校日まで1週間。どんなに延びてもHNは8/9に死ぬ」
99年8月5日(木)
- 「殺人カウントダウンを開始する。今は4、どんなに遅くなっても0になったらHNは死ぬ」
損害賠償訴訟(2003年)
二審も8900万賠償命令
愛知のストーカー殺人・愛知県西尾市で1999年、高校2年の永谷英恵さん=当時(16)=が、元同級生の鈴村泰史に付きまとわれ殺害されたストーカー殺人事件で、永谷さんの両親が当時17歳だった鈴村泰史(21)と両親に計1億円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が8月6日、名古屋高裁であり、熊田士朗裁判長は鈴村泰史側に約8910万円の支払いを命じた一審判決を支持し、鈴村泰史側の控訴を棄却した
判決によると、鈴村泰史=懲役5年以上10年以下の不定期刑が確定、服役中=は中学3年の時に永谷さんから交際を断られて憎悪し、嫌がらせの電話をかけるなどのストーカー行為を繰り返し、1999年8月9日、登校中の永谷さんを路上でナイフで刺し、殺害した。
永谷さんの両親は「鈴村泰史の両親が監督を怠り犯行を阻止できなかった」と主張。
一審の名古屋地裁岡崎支部は、被害者側の主張をほぼ全面的に認め、鈴村泰史側が「両親は子供が凶悪犯罪を起こすことを予見できなかった」として控訴していた。
永谷英恵さんの父・博司さんの手記
私の娘、永谷英恵は1983年2月14日の寒い日に生まれました。初めての子供でしたので、妻は在所に近い名古屋金山の病院で出産しました。体重は3440グラムで丸々した女の子でした。女の子なのに頭の毛は産毛で、なかなか黒い髪の毛が生えてきませんでした。 保育園の運動会や発表会など、成長の生立ちをホームビデオで記録。題して「我家と英恵の記録」は12巻まであり、弟が生まれてからは「我家と英恵・卓也の記録」と改め、今も残しています。 写真もたくさん残しています。ドライブや行楽、遊園地などに出掛けると私はビデオとカメラで大忙し。娘1人の時が長かったので、何処へ出掛けるにも一緒でした。私たちの家族にはたくさんの思い出があるのです。
それなのに・・・。
1999年8月9日、夏休みの学年出校日の朝、家を出て10分後くらいでした。元同級生の17才の少年にストーカー行為を受けた末に殺害されてしまいました。
娘はまだ高校2年生の16才で多感なときでした。いろんな夢を持っていました。それなのに無残にも夢は絶たれてしまいました。いろんな挑戦をしたかったろうに。娘がなにをしたというのですか?
私は事件直後に警察よりも先に現場に駆けつけました。現場の惨劇が頭に焼き付き、警察、検察では、こんな惨い殺人を犯した少年には死刑を望むと訴えてきました。
少年審判は逆送となり、刑事裁判となりました。しかし、何も分からないまま裁判は進み、少年法の適用により不定期刑で5年以上10年以下が確定。求刑通りでしたが、納得がいきませんでした。
刑期を終えれば罪は償ったのだから早く忘れたいと思うのでしょうか?それは大間違いです。服役者は法律を犯したという罰を受けているだけなのです。多くの服役者は刑期を終えれば罰は解かれ自由になれると思うかも知れませんが、自分の犯した罪に対する償いは一生続くのです。
服役中は税金で衣食住全て負担されているのも不公平です。被害者家族は、国から何の保護も受けていません。大切な娘を失った私たち家族の気持ちは、一生癒されることはありません。
少年法でも殺人事件を犯したものは重罪犯扱いとして処分を見直すべきです。将来があるからと言って甘やかすから成人の犯罪も減らないのです。
私たちはこの少年と両親に対して反省と償いを促すために、民事訴訟を起こしました。
訴訟を起こす前、弁護士に相談して少年の両親を呼び出して真意を確かめたのです。なのに両親を呼んだのにも関わらず、仕事といって父親は来なかった。私たちに対して謝罪の気持ちがうかがえませんでした。
少年の母親には、自分の息子が1年半前から書き綴った殺人計画なる日記のコピーを渡し、「自分の息子を立ち直らせたいならしっかり読んで。そして感想文を書いて」と求めましたが「読めない」「書けない」「あれには嘘が書いてある」などといって全く話になりませんでした。
私たちがどんなに辛く哀しい日々を苦しみ、耐え忍んでいるのかを分かっていません。自分たちは早く忘れたいだけ。私たちには待っても待っても娘は帰って来ないのに。「娘を返して」。私は何度でも言います。出来ないことは分かっていますが言います。
あれから5年が経ちました。娘が元気でいれば21才です。活動的だった娘がいれば何をしているのかなと、いろいろ思うと涙があふれます。こんな辛い思いを、少年の両親にも味わってもらいたい。そう思って頑張ってきた民事裁判で元同級生と両親の監督責任を認める判決を得ました。
しかし、裁判が終結して1年が経った今も「借金の整理をしているところ」などと勝手な理由をつけては賠償責任は先延ばし。全く常識のない、身勝手な親なのです。
もうこんな両親はあてにできません。いずれ出所してくる加害少年の謝罪と償いを待とうと思います。
「俺を気持ち悪いと言っただろ」過去に女子高生殺害の鬼畜男、通りすがりの女性暴行。「誰かの人生滅茶苦茶にしたくて」
「気持ち悪いと言っただろう」23歳女性への傷害容疑で男送検。女子高生ストーカー殺人罪で服役(2012年8月)
愛知県警蒲郡署は8月22日までに、通行中の見知らぬ女性(23)に因縁を付けて刃物を突き付け、引き倒して軽いけがを負わせたとして、銃刀法違反の疑いで、同県蒲郡市のアルバイト・鈴村泰史(30)を現行犯逮捕し、傷害容疑を加え送検した。
県警によると、鈴村泰史は未成年だった1999年、同県西尾市で高校2年の女子生徒=当時(16)=をストーカーし、刺殺したとして、殺人などの罪で2000年に有罪判決を 受け、2010年に出所していた。
送検容疑は8月19日午後0時半ごろ、蒲郡市の路上で女性に「気持ち悪いと言っただろう」と因縁を付けて包丁を突きつけた後、女性を引き倒して背中などにけがを負わせた疑い。
蒲郡署によると、鈴村泰史は「どこにいても地獄のような気分だった。誰でもいいからその人の人生をめちゃくちゃにしてやりたかった」と供述している。
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