Mikomaid の真実 第6章

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この項目はMikomaid の真実 第5章の続きである。

Yourpedia と wikia

一方、本人は、投稿ブロックを見越して2008年8月11日にYourpediaにてウィキペディアと同じ Mikomaid会話/履歴/ログ/メール のハンドルネームでアカウントを作成し、日本ウィキアMikomaidや学校ウィキアMimaidでも2008年10月12日に アカウントを作成した。「各種方針の熟読期間」として投稿ブロック処分1年間は、Mikomaid には堪えられなかったのである。ウィキペディア編集の代替手段として Yourpedia や wikia を用いたのは2ちゃんねるの掲示板荒らしの代替手段としてウィキペディアの編集に参加したのと同じ行為である。

YourpediaやWikiaではルールが違うからと先編集権を盾に、ウィキペディアでは記述できなかった内容を編集すると宣言[1]している。2009年9月2日に1年間の投稿ブロック前の最後のコメントで「今となっては何を書いても真摯な反省と受け取って頂けないかもしれませんが、今の私にできることは弁明と謝罪と、時間がかかるかもしれないけど、基本方針に就いての勉強だけです(会話:Mikomaid )」との記述は忘れていた。


Yourpedia

2008年8月11日に Yourpedia にてウィキペディアと同じ Mikomaid会話/履歴/ログ/メール のハンドルネームでアカウントを作成して Yourpedia 上で「播州の秋祭り」の編集を行い、投稿活動を開始した[2]。編集内容はウィキペディアの項目を転載したものであり、その転載したものは過去、自分が編集したお気に入りの過去の内容を転載したものであり、最新版の内容ではない。自己の編集に固執している証である。

そこでも、自己中心的な編集内容を最新版の内容に改編したユーザーと編集合戦を起こし、Yourpedia でもウィキペディアと同じくで問題を起こした。

2008年10月12日にウィキペディアと同様に論議相手に「裸祭りの編集を巡って、論議相手の投稿ブロック依頼を出し、逆に論議相手からも Mikomaid会話/履歴/ログ/メール投稿ブロック依頼が出された。[3]

この論議で Mikomaid会話/履歴/ログ/メール は Yourpedia を「単なる落書き掲示板」であり、フォークが認められている以上、先編集権を主張して、どんな編集も許されると主張し、過去のウィキペディアの自分のお気に入りの編集内容を転載し続けて、ウィキペディアに復帰の際に復活を目論もうとしていた[4]ウィキペディアでの反省は微塵もない。 その後、自身の「Mikomaid」のアカウントネームが本稿で指摘されたことから、その使用をアイサール会話/履歴/ログ/メール大野普吾会話/履歴/ログ/メールAbcdefgh会話/履歴/ログ/メール、のアカウントを設けて、これまで通りの多重アカウントを駆使した自分勝手な活動を続けている。

2011年11月14日Sysop会話/履歴/ログ/メール は IP:220.3.134.144会話/履歴/ログ/whois1/whois2/whois3/collexy(現 softbank220003134144.bbtec.net )の無期限ブロック処分を発表した。この IPはMikomaid のIP220.3.134.144(現 softbank220003134144.bbtec.net )であり、ユアペディアのMikomaid会話/履歴/ログ/メールのIPでもある。Mikomaid会話/履歴/ログ/メール2010年8月29日に「みんなで使おう公開アカウント会話/履歴/ログ/メール」を乗っ取り、以降、このアカウントを使用してMikomaidの編集の妨害を続けていた。Mikomaid会話/履歴/ログ/メールはこの処分発表直後に、Sysop会話/履歴/ログ/メール に自分が使用したことを認め、「已む得ず行った正当な行動である」との理由[5] で、IP:220.3.134.144会話/履歴/ログ/whois1/whois2/whois3/collexyの投稿ブロック解除を願い出ている。このIP:220.3.134.144会話/履歴/ログ/whois1/whois2/whois3/collexy(現 softbank220003134144.bbtec.net )は、Abcdefgh会話/履歴/ログ/メール でも使用されていることが2012年1月4日Sysop会話/履歴/ログ/メールよりAbcdefgh会話/履歴/ログ/メールがユアペディアの管理者に再立候補した際に問われると、Mikomaid会話/履歴/ログ/メール と家族であると回答している。[6]


wikia

Yourpedia で投稿ブロック依頼を出した2008年10月12日に、「日本ウィキア」や「学校ウィキア」で「 Mikomaid 」のアカウントを作成して、「祭り」や「ふんどしで水泳をする学校」の編集を行い、自分の性癖を強く表した編集内容となっている。Wikiaは2008年1月23日に「映画ペディア」で編集を開始していた以来のものである。他に、2008年10月24日に「ウィキア コミュニティのためのウェブサイト」 、「アニメウィキア」でも 2008年10月25日から「ぜんまいざむらい」の編集を開始し[7]2009年1月19日には「ドラえもん Wikia」、2009年3月1日に「鉄道ウィキ」の編集を開始し、2009年7月16日にはUikipedia で「Ping」の編集を開始している。ウィキアでは編集は行わなくてもログイン記録は残るのでここ を調べると毎日のようにログインしている記録が残っている。 誰からの邪魔が入らない wikia をその活動の中心に移して、毎日のように投稿を行っている。これはウィキアでの執筆内容がウィキペディアに転載可能となることによるものである。ユーザーの少ないウィキアで自身の思うままの編集が行えるためである。今後はここで編集されたものをウィキペディアに転載するものと予想される。


Mikomaid のウィキアでの活動


ウィキアでの 「Mikomaid と Achika._J._Kuonji」

日本ウィキアでは Mikomaid別アカウントネーム(久遠寺 阿知花 寿来A. J. Kuonji ) を第三者が「ノート:裸祭り」で使用していることに気付いた Mikomaid が対抗して2009年1月27日に「Achika J. Kuonji」のアカウントを作成し、「別人である」とわざわざ自分の利用者ページで公表[8]して、2009年2月9日にそのアカウント名の持ち主に「わざわざその名前を使う理由は? 」と抗議を込めた詰問 をしたところ、実は、そのアカウントネームの署名、「久遠寺 阿知花 寿来」は上述した Mikomaid が10年近く前の昔から同郷の群馬県高崎市で同じ巫女や祭事、ふんどしの趣味を持つ他の男性ユーザーが使用していたハンドルネームを盗用していたことが明らかになった。この男性は mixi でも「久遠寺 阿知花と名乗っており、後述する Mikomaid が mixi に加入する時に使用したハンドルネーム「美鈴」よりも遙かに古くから mixi で使用しているハンドルネームなのである。自らが「なりすましに悩んでいる」のならば、何故、他人のハンドルネームを盗用するのであろうか。 「わざわざその名前を使う理由」を説明する責任は A. J. KuonjiMikomaid ) にあるのである。

Mikomaid は「弥/備考に関する提案」 で行ったように、第三者を装った 「Porori 」なる人物で登場して、自作自演や議論を攪乱していることが判明した。

Porori 」なる人物は2009年2月9日の「偶然の一致っておもしろいですね(^^;[9]2009年2月11日の「おお、新展開w[10]などの「顔文字を用いる独特の文章 」や「感嘆詞で始まる書き込み」、何度も自分の書き込みに修正を入れる編集[11]を入れるこれまでの Mikomaid の編集の癖に加えて、2009年2月11日には「Porori様から、お呼びが掛かったので、お答えします」[12]と、これまで「弥/備考に関する提案」で見られた「呼ばれたので来てみました」[13]や「こちらでは、はじめまして」[14]、「Mikomaid さんからバトンを渡されたので書かせていただきます」[15]、Wikia での「こちらでは、はじめまして」[16]と同様に Mikomaid の文体の癖が出ている。

これまで Mikomaid がウィキペディアの論議で何度も用いていた多重アカウントを用いて議論誘導を行う姑息で幼児的な用法である。


Mikomaid の感嘆詞の利用例
Mikomaid の顔文字の利用例


Achika_J._Kuonjiは、その前日の2009年2月8日に Wikia 日本語で 「Forum:なりすましに悩んでいます」と相談し、ここでも、Mikomaid は依頼された訳でもないのに、2009年2月13日に「なりすましの方は話し合いに応じる振りをし乍ら私の呼び掛けを無視して自分の編集を強引に推し進める、異様なまでに議論を引き伸ばす、これは怪しい、という訳で WP のA. J. Kuonji 様にウィキメールで問い合わせた処、これが発覚した、という訳です[17]と登場した。これは、2008年7月16日に提出した「コメント依頼/弥、郁」で用いた「私の編集にケチを付けたり、難癖を付けたりして、それで、こちらが、何とか妥協しようとして色々コメントしてるにもかかわらず、ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う、というように、議論をはぐらかす、まるで、私と敵対することを趣味にし、私を論破することを生きがいにしてるような感じです。こちらが少しでも妥協しようとしてるにもかかわらず、相手には妥協の姿勢が全く見られず、議論参加者が少ない ( コメント依頼中にもかかわらず ) 段階で自分の考えを遮二無二押し通そうとしてる感じです」と全く同じ用法である。

自分と意を異にする相手は全て敵対者としてしか見なさない、「今度はあなたのことをコメント依頼しますよ![18] で見られるように、これで、コメント依頼を出すことで相手の主張を牽制する目的であったことを後述するウィキーメールを使用したことと同様、自ら暴露したことに本人は気付かなかった。多くの論議で問題となっていたのは「話し合いに応じる振りをし乍ら私の呼び掛けを無視して自分の編集を強引に推し進める、異様なまでに議論を引き伸ばす」のは、Mikomaid 自身の姿勢だったのである。マークアップの妥当性について「議論が長期化しており、この際止むを得ません」(ノート:播州の秋祭り 2008年7月26日)や、「それでは両方とも削除、ということで合意、ということで宜しいですね。ものすごく味気ない内容になりますが、それで宜しいですね。私としては不本意ですが、この際やむを得ません」(ノート:播州の秋祭り 2008年7月26日)と未練足らしくマークアップの必要性を説き、短気な性格が災いして「ノート:播磨の秋祭り」で論議が長く続いていたことで、Mikomaid 自身で投票を提案してしまい、「最後のコメントから1週間、他の意見がなければマークアップと注釈の両方を削除といたします」(ノート:播州の秋祭り 2008年7月26日)と宣言してコメント依頼を出し、Mikomaid 自身が投票による合意を提案して決着させようとした。ところが、コメント依頼提出後、第三者から次々と Mikomaid の意に反するコメントが入り始め、Mikomaid は旗色が悪いと判断して、一転して、2008年8月5日に「私は、どんなに時間が掛かっても、双方が心の底から納得する結論が出るまで議論を続けるつもりです」[19]とこれまでに至った自分で投票を提案し、双方で合意した投票を一方的に破棄した。いたずらに議論を引き延ばしていたのは Mikomaid 自身だったのである。この合意の破棄について一般ユーザーの HANSON から「合意事項への反証を提示することは自由ですが、合意を勝手に破棄することはWikipediaのルールに反します」と厳しく批判された[20]

なお、Mikomaid が一年間の投稿ブロック処分を受けた後の数々の項目の編集ではいかなる論争は起こっていない。Mikomaid が編集を攪乱していた証でもある。

Mikomaid はWikiメールを使って A._J._Kuonji に問い合わせたと主張したが、そのメールで相手( Achika J. Kuonji )の返信メールを相手に断りもなくヘッダー解析を行って第三者に公表するような一般の社会常識とはかけ離れた市民ルールを弁えない非礼な行為を行っている。 Mikomaid は「今回、初めて、WPの:A. J. Kuonji様の利用者ページからウィキメールを送信した処、案の定、別人、という回答がありました。更に、回答メールのヘッダを分析した結果、私が使用中のISP(問屋が前身)とは別のISP(逓信省が前身)であった事が判明しました」 [21]。 因みに、投稿ブロック処分中の Mikomaid はウィキメールを使用できないはずなので、「虚位の内容」であることがわかる。仮に、ウィキメールを使用できたこととなると、別の、まだ判明していないアカウントを持っていることを自ら暴露したことになる。

相手のヘッダー解析内容を相手の断りもなく第三者に暴露することはノート:お会式で宗教的信条の告白を他者に要求し、告白しないかぎり意見を無視し、投票を無効とするという態度は良識ある市民社会のルールに反していると告発者の Mizusumashi から厳しく糾弾されたことと同じことである。 Achika J. Kuonji のプロバイダーは「逓信省が前身」であり、自分はのISPは「問屋が前身」であるから別人であると主張[22]したが、具体的なヘッダー情報の証拠を出した訳ではなく、ただ、自分の調査結果では別人であると主張するだけの自作自演を行った[23]。初めてのメールで事後承諾を得られるだけの「親密な関係」を築ける間柄だったのだろうか。

Mikomaid の主張は自分がウィキペディアで行っていた行為そのもので、他人はそのような行為は批判できても、自分の行為には反省がないことである。

投稿ブロック依頼/Mikomaid」で Mikomaid 本人が述べた「ノート:ふんどし」、「弥/備考に関する提案」に於いては、今では大変なこと ( ブロックされてもやむを得ない ) をしてしまったと思っており、反省しており、こういうことはもう2度としません。今年に入ってからはしておりません。議論ページ中の指人形はやめた発言は、それを踏まえてのものです」との約束は舌の根の乾かぬ内に破られたことになる。wikia でも他者の編集が入らないように項目を自分のMikomaid/作業ページにリダイレクトして「ページの大幅な内容の変更を禁止する」と記述して項目の私物化を図った[24]。未だ自己の編集に固執して、ウィキペディアでの反省がないことの証明である。

Mikomaid は目的のためなら手段を選ばず、自己中心的で、エチケット、マナー、誠実性、信頼性、協調性に欠けた幼児的で狡猾な人間性を如実に表している。ウィキペディアでの言動から、自宅に引き籠もるようになったのは他者との協調ができず、トラブルメーカーとなって、周囲から孤立して社会生活を送ることが出来なくなったことからと推測されるような行状であった。若い頃は問題が起きた場合、誰に謝罪すれば最も効果的な謝罪となるのかの悪知恵を身に付けて、ひたすら殊勝な態度で平身低頭の謝罪に徹して言い逃れて、その場限りで問題を回避できたものが、加齢を重ねて行くうちに同じ問題を何度も繰り返すと言い逃れができなくなり、袋小路に追い込まれた自業自得のものである。

ウィキペディアの「コメント依頼 Mikomaid」で返答した「皆様の大変厳しい指摘を頂き、本当に、心から反省しております」との殊勝な反省は虚偽であり、「知的な共同作業を行う百科事典の編集には向いていない方」と 海獺 に指摘された内容[25]を図らずもMikomaid 自身で証明した。

投稿ブロック後の Mikomaid の活動

現在、Mikomaid は投稿ブロック処分が明ける2009年9月3日に向けて、Yourpedia や日本ウィキアで投稿を続けると同時に、上述したソックパペットの 「A._J._Kuonji」 や、「YANCHARIKA」、「Jesudonbay」、「Ohnogo2004」のアカウントを使って投稿ブロック破りを行って編集を行っている可能性が濃厚である。

また、2007年12月25日に開設した自身の英語版のアカウント「Mikomaid」を使用して投稿ブロックが決定した2008年9月2日以降も英語版では編集活動を行っていたことが記録されている[26]2008年10月21日から2009年4月1日までに20回の編集活動を行っている。他に、2006年9月30日に開設した「メディアコモンズ Mikomaid」でも2009年2月9日に自身のWikia の活動を紹介する編集を行った。

その中で、2009年2月9日のメディアコモンズのアカウントを通じて自身の日本語版の利用者ページの編集行為[27]は明らかな投稿ブロック破りである。加えて、2009年2月17日には家業で使用している別のプロバイダー( 群馬インターネット、@wind.bay.ne.jp )を使用してログインして作成したと推測される 「Ohnogo2004」 の別アカウントまで開設しており、「投稿ブロック依頼 Mikomaid」 で述べた「謝罪と反省、基本方針の勉強」の反省の弁は微塵の欠片もない。投稿ブロック処分後もこれまでの Mikomaid の「悪質なユーザー」の体質は何ら変わっていないのである。


投稿ブロック期間中の Mikomaid の編集回数

2008年9月2日に投稿ブロック処分となった Mikomaid はソックパペットの 「A._J._Kuonji」、「YANCHARIKA」、「Ohnogo2004」 のアカウントを使い、ウィキペディアで編集活動を行った。「YANCHARIKA」 で135回、「A._J._Kuonji」 で82回、「Ohnogo2004」 で3回、「Mikomaid(英語版)」アカウントで20回、「メディアコモンズ Mikomaid」 で1回の編集活動を行ったことになる。この中で注目されるのは2008年9月7日である。「YANCHARIKA」 と 「A._J._Kuonji 」の相関関係が垣間見えるのである。 A._J._Kuonji が20時46分に編集活動を開始し、YANCHARIKA」 がその後の20時59分に編集活動を行っているのである。その YANCHARIKA の編集が終わると A._J._Kuonji が21時06分に再度編集活動を行っているのである。


投稿ブロック期間中の Mikomaid の活動

Mikomaid はこれまで MizusumashiMikomaid の批判情報を寄せた相手の犯人捜しや報復準備のため、WikiChecker を使ってユーザーの投稿内容や編集傾向のチェックを行っている。 Fievarsty(F)会話/履歴/ログ/メール2009年3月6日に 「ウィキペディアの利用者」 から本項目「 Mikomaid 」を分離独立させ、それを目敏く見付けて自身についての記述を知った Mikomaid は、早速、当日夜に直ちに犯人捜しを行い、WikiChecker を使ってこれまで自分と対立したユーザー名の検索を行った形跡が有ることが記録されている。2009年3月6日以降、ユアペディアで Mikomaid会話/履歴/ログ/メール の編集がパッタリと止まったのはこのためである[28]。 WikiChecker の「最近入力されたユーザー名の一部」に Mikomaid が編集した項目に関わったユーザー名があったら、それは、Mikomaid が行ったものである。Mikomaid の本質は何ら変わっていないので、復帰後はより狡猾な編集や敵対するユーザーへの報復を行うものと予想される。特に、ウィキペディアに復帰する際は、過去、多くのユーザーから否定された編集内容の復活を目指し、Yourpedia や wikia に多くのユーザーから否定された内容を転載して、ウィキペディアでの再掲載を目指して温存している。これまで指摘され続けた出典先の明記において、「関係図書」を出典として自己の記述の正当性を主張するものと予想されるが、 Mikomaid 本人に問い合わせても、要領を得ない回答になるはずである。Mikomaid は実際に熟読して記述したのではなく、ネットで関連図書を検索して自己の記述を権威付けしそうな都合の良い関連図書を見つけただけのものに過ぎないので、具体的に書名に記述されている内容の箇所や、その記述ページを具体的に確認する必要があるだろう。殆どがマイナーな著作であったり、絶版書であるので多くのユーザーには検証が不可能な関連図書ばかりとなるだろう。そのため、Mikomaid 本人が「図書館で読んだ」」[29]と主張しても Mikomaid の地元の図書館では閲覧不可能な図書ばかりなので、具体的に出典となった著作の内容や、閲覧した図書館名や日時を具体的に聞けば、その自己の編集の正当性を主張したものは虚偽のものであることが判るはずである。そもそも、過去、数千回に渡る編集投稿で毎日、朝から晩までネットに張り付いた状態で、どうやって難解な専門の文献を読み、推敲する時間が発生するのか、自身の行動がネットで記録されている以上、「専門書を読んだ」とひけらかしてもその内容を精査する時間など、実家の衣装と写真関係の家業を手伝う時間や Mikomaid が参加している地域行事もあり、調査研究に必要な時間を捻出することは専門の研究者でもない限り不可能だからである。しかも、Mikomaid の編集内容はとても文献を隅から隅まで読んだような内容ではない。この人物は論文を執筆したことがないのではないのかと思える程の基礎知識がない冗長で散漫な内容の文章である。基本書を読んでいないことから専門用語となる「キーワード」が欠如しており、雑多な内容に留まっているなど、百科事典の編集は「転載すれば、それで良し」とする考え方がこの人物の編集内容から伝わって来るのである。出典・参考文献も一般が納得するような書籍ではなく、殆ど名の知れない文献から引用するなど、適切な教育・指導を受けたことのない人物であることを伺わせる。内容の正確性・検証性を判断する「査読能力」が問われる百科事典の編集に携わる資質がおよそ疑われる編集なのである。従って、これまで Mikomaid が編集した全ての項目について正確性・検証性を行う必要があるだろう。

加えて、Mikomaid はウィキペディアや2ちゃんねる以外にも mixi でも活動を行っていることが既に水面下で囁かれている。ハンドルネームは Mikomaid とは違うものの、富岡市関連のコミュニティに参加している富岡市在住のある人物(「美鈴」)と Mikomaid の相似性が関係者の間で指摘されているのである。この人物の活動状況と照らし合わせれば Mikomaid が常々主張している「図書館の本を隅から隅まで読んだ」[30]などは時間的に無理であり、その主張は虚偽であることがわかる。 実際、Mikomaid は「書籍をネットで検索して存在を知った書籍です。目次を見ると、「秋の祭り」というのが載ってるので、もしかして、ここで総合的に扱ってるものと期待して、それで「これを見れば何かが判るはず」と書かせていただきました」 [31]の発言で判る通り、実際には書籍など読んではいないのである。

自己顕示欲の強い攻撃的な Mikomaid は、いずれ、多くのユーザーと過去と同じコミュニティを疲弊させる問題を起こすことは必至となることは明白であるから、Mikomaid が復帰した際は、十分な注意と監視を行い、再度の Mikomaid の投稿ブロックを依頼を行うために、投稿ブロック処分を受けた後の Mikomaid の投稿活動での発言記録や投稿内容の資料を準備して、 Mikomaid の別アカウントである「A._J._Kuonji」、「YANCHARIKA」 や 「Ohnogo2004」 の関係を明らかにするCU依頼を行い、投稿ブロック破りを行っていた事実を証明して、Mikomaid の「無期限投稿ブロック」を申請する必要があるだろう。投稿ブロック禁止中のソックパペットによる最後の編集は2009年9月2日YANCHARIKA が行った 「西野翔」 となるので、CUで同一人物と判定されれば、再度、一年間の投稿ブロックか無期限の投稿ブロックとなることだろう。 因みに、Mikomaid には2009年9月18日に後述する再度の「投稿ブロック依頼 Mikomaid 」が提出されてからはいずれのアカウントでも編集活動が滞っていたが、ここで指摘された直後の2009年9月22日A._J._Kuonji が編集活動を行った。次は YANCHARIKA が近く編集活動を行うと予想される。Mikomaid とこれらの二つのCU依頼提出の機会が到来したのかもしれない。Mikomaid とはIPが違っていたとしても、 A._J._KuonjiYANCHARIKA のIPは一致するはずである。

一方、2009年3月6日以来、しばらく編集活動が滞っていた Yourpedia 上での Mikomaid会話/履歴/ログ/メール2009年5月15日に突如として Yourpedia で編集を再開した。前夜に本人の顔写真が掲載されたことで更に自分が秘匿していた過去が暴露されるのではないかとの危機感を持った Mikomaid は自分の利用者ページにリダイレクト処理して「先編集権」を盾に「正当防衛」として項目の消滅を図ったものである。これまで無視を決め込んでいたものが、修正が加えられた顔写真が自身であることを認めたことで、本項目の記述内容の正確性が担保されたことを恐れたためである。このため、リダイレクト処理を何度も繰り返した[32]

なお、Mikomaid2008年12月28日に地元新聞(上毛新聞)の「私の中のシルクカントリー」の記事で地域子供活動の裏方として紹介された。2008年12月12日の取材時に代表者が不在だった為、代わりに取材を受けたものである。また、2009年3月6日NHK前橋放送局より取材を受け、2009年3月13日NHKの首都圏情報番組である「こんにちはいっと6けん」の中の「私の街のイチオシさん」のコーナーで地元富岡市の児童対象の地域活動団体で団員の一人として紹介[33]され、その団体が「ヘリテイジ仮面」の悪役(デビルシャドウ)の一員として,自らを「会社員」と名乗って登場した。表の Mikomaid の存在は地元富岡市では富岡市役所、富岡市議会、富岡市立富岡小学校PTA、富岡青年会議所、出身母校の新島学園中学校・高等学校同窓会では少しは名の知れた地元の名士的存在なのである。ウィキペディアで投稿ブロック処分が下される前までは Mikomaid の裏の顔は誰も知らなかったことであった。Mikomaid の陰の顔は「汚れた顔の地元の名士」の偽善者だったのである。
↑NHK 登場時の Mikomaid の画像

Mikomaid2006年11月28日Youtubeで「ohonogo2004」のハンドルネームでアカウントを開設している。自ら撮影した地元の行事や上信電鉄の動画を投稿していたが、Mikomaid は自身が登場したNHKの番組が放映された直後の2009年3月13日に著作権を無視して、この録画の投稿を行った。しかし、ここで素顔と実名を晒していることを指摘されたことに気付き、2009年6月16日にこの動画の投稿を削除した。

この続きはMikomaid の真実 第7章を参照のこと。

関連項目

脚注

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