下関通り魔殺人事件
下関通り魔殺人事件(しものせきとおりまさつじんじけん)は、1999年(平成11年)に山口県下関市のJR西日本下関駅において発生した無差別殺人事件。
概要
事件発生
1999年9月29日午後4時25分頃、レンタカーに乗った当時35歳の運送業・上部康明がJR下関駅東口の歩道を車ごと横断し、ガラスのドアを突き破って駅構内の自由通路に侵入[1]、そのまま売店や多数の利用客などの存在する駅構内を約60m暴走して7人をはねた。その後上部は車から降り、包丁を振り回しながら改札[2]を通過し、2階のプラットホームへと続く階段を上る途中で1人を切りつけ、プラットホームに上がってからさらに7人を無差別に切りつけた。この結果、5人が死亡、10人が重軽傷を負った。上部は駅員に取り押さえられ現行犯逮捕された。
犯行の動機
上部は九州大学工学部建築学科を卒業後一級建築士の資格を取得。設計事務所を運営していたが、運営に行き詰まり廃業。軽トラックを購入して運送業を始めたが、台風18号で軽トラックが冠水し使用不能になり「何をやってもうまくいかない」と思うようになる。上部はその責任が両親と社会にあると考え、本件での犯行に及んだという。
裁判
その後同年12月より行われた山口地方裁判所下関支部での刑事裁判の中で弁護側が上部の精神鑑定を請求。弁護側の申請した鑑定医による精神鑑定の結果、上部には妄想性人格障害(パラノイア)があり、事件発生当時心神耗弱状態にあったとの鑑定を行った。一方、検察側が証人として申請した鑑定医は、上部には完全責任能力があるとの判断を下した。このように精神鑑定の結果が分かれる中、2002年(平成14年)9月20日、裁判所(並木正男裁判長)は被告人の完全責任応力を認め、求刑通り上部に死刑判決を言い渡した。
上部は控訴したが、控訴審の広島高等裁判所(大渕敏和裁判長)判決も2005年(平成17年)6月28日、死刑を支持し、控訴を棄却した。その後、上部は最高裁判所に上告したが、2008年(平成20年)7月11日、最高裁判所第2小法廷(今井功裁判長)も1審並びに2審の死刑判決を支持し、上部の上告を棄却した。これにより、上部の死刑が確定することとなった。
なお、下関での事件の約3週間前に池袋通り魔殺人事件が起きたばかりだった。本事件の上部は公判の中で「池袋の事件を意識した」と述べており、「池袋の事件のようにナイフを使ったのでは大量に殺せないので車を使った」と供述している。
その他
本来、自動車による被害は加害者が故意の場合は自動車自賠責保険が支払われないが、人道的な理由から、自動車にはねられて死亡・負傷した被害者に対しては支払いがおこなわれた(この特例措置は2008年の秋葉原通り魔事件でも同様)。
一方、自動車によらず遭難した人たちに対しては犯罪被害者等給付金のみが支払われた[3]ため、同じ事件でありながら公的補償額が不平等であるとの指摘もあった[4]。このことを契機に2001年に犯罪被害者等給付金の支給等に関する法律が改正され、犯罪被害者への補償範囲の拡大と支給額の見直しが行われている。
関連項目
脚注
- ↑ 当時の下関駅東口はロータリーの周囲に歩道があり、歩道のさらに外側に駅舎の入り口となる押し開き式のガラス戸が設置されていた。ガラス戸は歩行者と自転車程度が通行可能な幅しかなく、破壊力からして相当のスピードだったことが推測される。
- ↑ 現在は自動改札機が設けられているが、当時は有人改札だった。
- ↑ 犯罪被害者等給付金の最高額は当時1079万円であった。なお、自賠責保険の給付金最高額は当時3000万円であった。
- ↑ 犯罪被害者損害賠償補償法の制定を!(下関駅通り魔事件被害者の会サイト内)