韓国人
韓国人(かんこくじん)は朝鮮民族(ちょうせんみんぞく)であり、朝鮮半島にルーツを持つというアイデンティティを共有する民族。韓民族(かんみんぞく)とも呼ばれる。
朝鮮半島においては、朝鮮民族による国民国家として大韓民国(韓国)・朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)というふたつの国家が存在する。しかしながら、両国の国民はともに同一の民族としての意識を共通して有し、両国は元来ひとつに統一されるべき国家が仮に分かれているだけという分断国家(分裂国家)として認められている。
名称
朝鮮語における呼称
本項の項目名である「朝鮮民族」は、この民族の名称として日本語において広く用いられる呼称である。
これに対して朝鮮語・韓国語では、韓国においては「大韓民族」(대한민족、テハンミンジョク)あるいは「韓民族」(한민족、ハンミンジョク)、北朝鮮においては「朝鮮民族」(조선민족、チョソンミンジョク)と称する。
これは、直接には両国における自称の国名が北朝鮮では「朝鮮」になったのに対し、韓国では朝鮮という国名は使われなくなり、「韓」が民族と国家の名称として受け入れられているためである。従って、現在の韓国では朝鮮民族という呼称はめったに使われない。なお、朝鮮語・韓国語では「韓」は中国の最大民族である漢民族の漢と同音の語であるが、韓国・北朝鮮とも漢民族については한족(ハンジョク)すなわち「漢族」という表現が用いられているため、混同されることはない。
朝鮮語以外の言語における呼称
英語など、漢字圏以外の多くの言語では、中世の高麗王朝に由来するKorean、Coréen、Koreaner などの言葉で呼んでおり、朝鮮と韓の区別はない。
日本語では、古くは朝鮮半島の人々を指す言葉として韓人(からひと)、高麗人(こまびと)などがあり、李氏朝鮮時代には李朝の国号である朝鮮を取って朝鮮人(ちょうせんじん)という呼称が生まれた。李氏朝鮮が大韓帝国に国号を変えると、韓国人(かんこくじん)という呼称が生まれた。
韓国併合によって大韓帝国が消滅すると、日本は韓国の地名を朝鮮に戻し、朝鮮に本籍地を有する日本国民となった者が法律上、朝鮮人と称されることになった。本国(内地)と植民地という日本内地と朝鮮の力関係を反映し、朝鮮人やこれを略した鮮人(せんじん)という呼び方には見下すようなニュアンスが込められがちであった。
このため特に配慮する場合は「朝鮮(半島)の方」「朝鮮(半島)出身者」などといった遠まわしな言い方が好まれてきた。朝鮮総督府は内地人に鮮人と呼ばないようしばしば呼びかけ、多くの文書で「朝鮮(半島)同胞」との呼称を用いた。旧陸軍においても朝鮮人兵士に対して朝鮮人や鮮人の語を使用しないよう指導がなされていた。今日では「鮮人」は明確に蔑称と認識されるにいたっている。
日本の朝鮮に対する支配が終わった後もこのような傾向は続き、現在に至るまでも朝鮮民族に属する人に対して面と向かって「朝鮮人」と言うのを憚る風潮が存在する。しかし「朝鮮人」という呼称については、「朝鮮」を統一名称とみなしている、または大韓民国を支持しない等々さまざまな理由から在日韓国・朝鮮人が好んで朝鮮人を自称するケースもあり(朝鮮籍参照)、明確に蔑称と認識されているわけではない。韓国・北朝鮮の成立後は、民族全体を漠然と指すときは従来通りの朝鮮人が多く用いられ、特に韓国の国籍を保持する者を韓国人と呼んで区別している。韓国人の対立概念として朝鮮人を使用する場合には、北朝鮮を正統国家として支持する者や、または朝鮮籍の在日朝鮮人を限定して指すこともある。現在では、「韓」と「朝鮮」の区別が問題になることを避けるために漠然と「朝鮮民族」と称することが多いが、最近では英語をそのままカタカナ語としたコリアンという呼称も、より中性的・中立的であるとして使用されることが多くなっている。
日本語では朝鮮族という言い方も存在するが、これは中華人民共和国の吉林省延辺朝鮮族自治州を中心に、中国東北地区(満州)やロシア沿海地方などに住む朝鮮民族を特に指す語として使われる。
分布
朝鮮民族の居住が最も多く集中する地域は朝鮮半島、すなわち韓国および北朝鮮である。一つの民族が2つ以上の国家に跨って分布することは、世界的にはありふれた事例であるが、両国の国民はともに朝鮮民族・韓民族による単一民族の国民国家という自意識を共有しており、並立する二国家の国民がお互いを別民族と認識することはほとんどないが朝鮮、特に韓国にも少数民族は住んでおり単一民族国家ではない。
また、血液研究の観点からは、日本民族と比較すると遺伝的な同質性が低いという結果が出ている。大阪医科大学名誉教授、松本秀雄も著書の「日本人は何処から来たか―血液型遺伝子から解く」において、朝鮮民族は強く漢民族などの影響(混血)を受けており、これは中国と朝鮮との間の、相互移民や侵入などによって、北方少数民族や漢民族との混血の機会が多く、これが民族の形成に影響したと研究結果を述べている。
両国における朝鮮民族の人口は、韓国・北朝鮮は国内に少数民族をほとんど抱えていないためにそれぞれの総人口にほぼ一致し、韓国に4,900万人、北朝鮮に2,300万人ほどである。
韓国・北朝鮮の国外では、中国・北朝鮮国境に近い中国東北地区の吉林省周辺に既述の朝鮮族がおよそ200万人ほどが居住し、中国55少数民族のひとつと見なされている。
かつては北朝鮮・中国吉林省と境を接するロシアの沿海州にも居住していたが、第二次世界大戦中に中央アジアに集団追放され、そのまま中央アジアに住み続けている者もいる。うちウズベキスタンに住む朝鮮系の人口は110万人ほどで、同国の人口の5%近くを占める。ロシア語では朝鮮民族のことを英語のコリアンと同じように、「高麗」に由来する「カレイツィ(корейцы, korejtsy')」という呼称を用いることから、中央アジアの朝鮮民族は「高麗人」と自称する。
また、日本には在日韓国・朝鮮人、アメリカ合衆国にはコリアンアメリカン、カナダにはコリアンカナディアンと呼ばれるそれぞれ数十万から百数十万の朝鮮系の人々が居住しており、一定の民族意識を保って暮らしている。こうした在外の朝鮮系の人々が集住して暮らす町は「コリア・タウン」と呼ばれ、世界各地に点在する。
文化・宗教
朝鮮民族は人種的にはモンゴロイドで、在外者の大多数を除いて多くの者が朝鮮語を母語とする。
文化的には中国からの影響を強く受けつつも、チマチョゴリなどの服飾文化、キムチなどの食文化(朝鮮料理)やパンソリ、タルチュムなどに独特の特徴が見られる。習俗・習慣の面では、李氏朝鮮時代に民衆に浸透した儒教の影響が、しばしば指摘されるところである。
宗教は、アニミズムを背景としたシャーマニズム的な信仰と儒教との混合形態による先祖崇拝が根付いている。なお、先祖崇拝は東アジア地域共通の特徴であるため、その起源がどこにあるのかを求めるのは難しい。
これに加えて、仏教信仰がある。仏教は高麗時代に国教とされるなどかつては隆盛を誇っていたが、李氏朝鮮が儒教を国教と定めて仏教を弾圧したため、現在では少数派に転じている。
近代には西洋からもたらされたキリスト教が急速に広まった。特に北部ではキリスト教が深く浸透し、平壌は「東洋のエルサレム」と呼ばれた。また、こうした新しい外来宗教に刺激される形で朝鮮民族独自の宗教である天道教が興った。第二次世界大戦後は、特に韓国においてキリスト教が強い影響力を持つに至っている。韓国社会におけるキリスト教の浸透は日本と比べてかなり深く、戦後、布教が停止状態にある北朝鮮においても根強く信仰が残っていると見られている。
現代の朝鮮民族には地域差別と地域対立感情が見られる。日本では全羅道出身者に対する差別や慶尚道と全羅道の対立が大統領選挙などを通じて知られているが、済州道に対する差別はさらに根強く激しい。こうした差別は在日社会などにも受け継がれている。また西北差別が長く続いていたとも言われている。ただし、済州島に対する差別を除いては地域感情の歴史は長くないと考えられている。特に慶尚道と全羅道との対立は朴正煕以降、長く慶尚道がエリートのリクルートや資源の配分において優遇されたことが背景となっており、それ以前にどの程度の対立・差別が存在していたのかはつまびらかではない。西北差別については南北分断によって目に見えづらいことが実態をわからなくさせている。
歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。
しかしながら、新羅自身も『三国史記』によると4代目の王が倭国北東から渡来した王であったり、『三国志東夷伝』によると馬韓(百済の前身)より辰韓(新羅の前身)へ代々王が派遣されていたという記述があるなど、朝鮮民族としての意識の形成がいつ頃から生じたものか不明瞭である。また、新羅の後に興った高麗も高句麗継承を主張し、同じく高句麗継承を主張した渤海の亡命者を積極的に受け入れ、渤海が滅びると渤海の旧領領有を計画したり、『三国史記』や『三国遺事』を編纂したりしたことを重視すると、朝鮮民族としての民族意識の萌芽は高麗の時期に形成された可能性が高い。
10世紀に新羅は統一を失い、地方勢力が自立して後高句麗・後百済を立てて後三国時代を迎えるが、やがて後高句麗を滅ぼした高麗が勢力を持ち、新羅を併合して南北にわたる初の統一を成し遂げた。
高麗は13世紀にモンゴル帝国の侵攻を受けてモンゴルの立てた元の属国となり、元の衰亡とともに独立を回復して失った北方領土を取り戻すが、14世紀に親明を掲げる李氏朝鮮(朝鮮王朝)に王位を奪われた。李氏朝鮮の全盛期には、女真族に対する侵略戦争がたびたび行われた。遂には当時半島北部に勢力を持っていた建州女真の大酋李満住が戦死し、女真族は李朝の支配下に入り差別と抑圧の中同化させられていった。また、朝鮮語を書き表す固有の文字(ハングル)などが生み出され、独特の民族文化が形成されていった。
一方でハングルが長らくもっぱら大衆の娯楽や通信に使われるのみであったことに象徴されるように、この時代は官僚を輩出する階層である両班を中心に中国文化に対する影響も依然として深く、特に王朝の国教というべき地位にあった儒教の影響は社会の末端に至るまで広く浸透した。ハングルが漢字との混交文によって初めて公的の書き文字に採用されるのは、李氏朝鮮が清の冊封体制から離脱した1894年である。
1910年に大韓帝国(朝鮮から国号を変更)は日本に併合されたが(韓国併合)、一方で1919年には三・一独立運動が起こるなど、民族意識は高まりを見せつつあった。また李氏朝鮮末期から日本統治期を挟んで朝鮮戦争終結にかけては、様々な理由でロシア(後にソ連)、日本など朝鮮国外に相当数の人々が移住していき、在外コリアン社会が形成されていった。
第二次世界大戦の日本の敗戦に伴い、連合軍により朝鮮半島のほぼ中央を走る北緯38度線を境に南北に分割統治され、その後、北緯38度線を境に北は北朝鮮、南は韓国と各々独立することになるが、朝鮮戦争を経て分断は固定化され、2009年現在もそのままである。