大室寅之祐(地家寅吉)

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大室明治天皇はいれずみしていて秀才だった 投稿者:寅之祐の弟朝平の玄孫 ジケヤス 投稿日: 3月 4日(土)16時23分8秒

  >どっかの馬の骨の子孫が今の皇室か。

>> 結局しがない荒くれ者でノイローゼー精神人格破綻者の文政時代麻郷村 (現在の田布施町)を荒らしまくってた海賊(右翼)某の息子 作蔵が元服したあと地家吉左衛門家(いまの地家利通さんの祖先)に養子に はいり地家河内守作蔵となのって苗字帯刀を許された士族扱いの廻船業者 になり麻郷村地家の山も土地も畑も田んぼも買占め麻郷地家の西円寺の 10m東となりに家をたてるんだよね。(うちの父も7歳まで住んでいた) 一方本願寺の門主派閥争いに敗れた興正寺(大谷)昭顥坊が娘スヘとともに 麻郷地家の西円寺にやってきた。地家作蔵とスヘが結婚したが 安政元年1854年春頃離婚。作蔵が私の高祖父三男朝平と長女ターケを ひきとりスヘが地家寅吉と地家庄吉をひきとりしばらく実家の西円寺にすんでいたが (スープの冷めない距離) スヘは1855年1月頃大室弥兵衛の2号となり地家寅吉は大室寅吉(のちに寅之祐の明治天皇に) 地家庄吉は大室庄吉になった。大室弥兵衛とスヘのあいだに寅助がうまれたが スヘは西円寺池で入水自殺。寅助も1歳数カ月でなくなる。 寅之祐と庄吉はママははのハナに育てられた。本妻ハナと大室弥兵衛のあいだの 2人の子供は早死。大室家は大室弥兵衛の時代に断絶した。 大室寅之祐に関しては散々ガイシュツなので省略。大室家そして皇室に 海賊の血が混入しガラが悪くなった。(地家化ウヨ化ようは長州は海賊化した) 京都明治天皇は勉強ができなかったが寅之祐の明治天皇は祖父の興正寺昭顥坊 が西円寺で寺小屋の先生をしていて勉強ができた。寅之祐の明治天皇は 海賊の孫にふさわしくいれずみしていた。もちろん御所内で温室育ちの 京都明治天皇はいれずみするはずがない。(ガラの悪い海賊天皇と育ちの質の悪い 下級武士が明治維新をおこし政府首脳になったために明治維新から終戦まで戦争(殺し合い) の歴史になる。)(国民にとっては大迷惑)