カーネル・サンダース
ハーランド・デーヴィッド・サンダース(Harland David Sanders、1890年9月9日 - 1980年12月16日)はKFCの創始者であり、カーネルおじさん、あるいはカーネル・サンダースで知られている。またフリーメイソンのメンバーでもある。
生涯
1890年9月9日、インディアナ州ヘンリービルに生まれる。6歳の時に父親が亡くなり、幼い弟、妹の世話をさせられる。15歳から社会に出て働き始め、路面電車の車掌を皮切りに、軍隊、消防士、保険外交員、船の仕事、タイヤ売り、ガソリンスタンドなどを経験したが、軍隊では大佐(カーネル)の地位にはなかった。
40歳の時にケンタッキー州のコービンで、ガソリンスタンドの一角を借りて食堂コーナーを始める。店は繁盛し規模を拡大するも、1950年代に入ってから高速道路の開通で客の流れが変わり、店に客が入らなくなる。
そこで、フライドチキンをワゴン車に積んで各地を回り、その調理法を教えてフランチャイズに加わってもらい、歩合をもらうというアイディア商法を考え出す。これがケンタッキー・フライドチキンの始まりとなる。
既に高齢だった彼は、1964年、74歳になったのを潮時にこの商売の権利をジョン・ブラウン2世に売却、その第一線から退いたが、以後も会社の広告塔として働いた。「カーネル」の呼称は 1935年にケンタッキー州知事から与えられたもので、サンダースはこの呼称を用い、またステレオタイプ的な“南部の紳士”の装いを、セルフプロモーションに利用した。なお、その後は独自の製法が守られているかを見るために各地の店舗を見て回り、日本には3度訪れている。亡くなる前年の1979年に最後に訪日をした。朝日新聞でインタビュー記事を基に、『週刊朝日』「山藤章二のブラック=アングル」がある。
1980年6月に急性白血病を発症し[1]、肺炎を併発して12月16日に逝去[2][3]。90歳だった。なお、ケンタッキー州議会には地元出身の名士として、カーネル・サンダースの胸像が飾られている。これをめぐって、動物愛護活動で知られるヌードモデルで女優のパメラ・アンダーソンが、「ニワトリへの残酷行為の象徴」だとして撤去を求めているが、この要求を真剣に受け取るものはほぼ皆無である。