水野銈治
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水野 銈治(みずの けいじ)は、日本の軍人。最終階級は憲兵少佐。1941年に第2野戦憲兵隊の分隊長としてマレー作戦に参加、1942年2月、シンガポール占領後の華僑粛清で市内の粛清を指揮した。同年、第25軍憲兵隊昭南東分隊長を務めた後、召集解除。1948年3月にイギリス軍シンガポール裁判(華僑粛清事件)で終身刑の判決を受けた。
経歴
以下、特に断わりのない場合の出典は、大西 (1977 125)。
- 愛知県出身[1]
- 23期
- 1911年 歩兵少尉
- 1915年 中尉
- 1918年 憲兵中尉、名古屋分隊長
- 1921年 大尉、三島分隊長
- 1924年 板橋分隊長
- 1925年 予備役
- 年月不詳 召集少佐
- 1941年 召集第2野戦憲兵隊付、マレー作戦参加
- 1942年 昭南東分隊長、召集解除
- 1948年3月12日、イギリス軍シンガポール裁判で、シンガポール華僑粛清事件により終身刑判決を受ける[1]。