大石正幸

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大石 正幸(おおいし まさゆき、生年不詳 - 1947年6月26日)は、日本陸軍軍人。最終階級は憲兵大佐。1941年に第2野戦憲兵隊長としてマレー作戦に参加。1942年2月、シンガポール占領後のシンガポール華僑粛清事件で市内の粛清を指揮したことで知られる。1947年4月、イギリス軍シンガポール裁判で死刑判決を受け、同年6月にチャンギ刑務所で刑死。

経歴

以下、特に断わりのない場合の出典は、大西 (1977 124)。

軍事裁判

1947年4月2日、シンガポール華僑粛清事件イギリス軍シンガポール裁判で死刑判決を受け[3]、同年6月26日、チャンギ刑務所で刑死[4]

辞世の句「心には かげやどすべき ものゝなし おのずからなる さだめと思へぱ」[5]

付録

脚注

参考文献

  • 茶園 (1995) 茶園義男(編)『シンガポール英軍法廷・華僑虐殺事件起訴詳報』不二出版、JPNO 96014396
  • 茶園 (1989) 茶園義男(編)『BC級戦犯英軍裁判資料 下』不二出版、JPNO 89052289
  • 大西 (1977) 大西覚『秘録昭南華僑粛清事件』金剛出版、JPNO 77032906